去る8月28日、港南台教室で家庭学習チェックの説明会を行いました。その前にも23日に、無料子育て講座で英数国の学習の理論的な説明をしていたので、28日の説明会は、英数国の学習の具体的な方法ということでお話ししました。
この家庭学習チェックを始めた理由は、教室に通っている子供たちが、真面目に勉強しているのに意外と勉強の仕方を知らないということに気がついたからです。これまでは、そういう子たちに、ときどき勉強の仕方を説明していましたが、どの子も話を聞くだけで満足して終わることが多かったので、こちらで枠組みを決めて行うことにしたのです。
私はもともと、英数国などの教科の勉強は答えがわかっているのですから、自分のペースでやるのが最も能率がいいと思っていました。だから、言葉の森は、教科の勉強を教えるようなことはせず、作文の勉強だけをやってきたのです。
ところが、今の子供たちは、ほとんど何らかの形で学習塾に頼る形の勉強をしています。塾にはもちろんいい面もありますが、その弊害のようなものもまたあります。ひとつは、塾に行くと子供たちが教えられる形の勉強に慣れてしまうことです。勉強は自分で工夫してやってこそ効果が上がりますが、塾で先生に教わる形の勉強をしていると、言われたことを言われたとおりにやるという考えない勉強法に慣れてしまうのです。
もうひとつは、勉強の目的が点数を上げることになってしまうことです。勉強の本当の目的は実力をつけることで、その実力をつけた結果として点数が上がればいいのですが、塾で勉強をしていると、点数を上げることだけが勉強の目的のようになりやすいのです。
そして、三つめは、塾に通うことによって家庭での時間の余裕がなくなることです。小中学生の時期にいちばん必要なのは、本を読むこと、何かに熱中すること、家族で団欒することなどですが、塾に通って帰宅が遅くなると、それらの時間がほとんどなくなってしまうのです。
勉強には、実力をつける勉強と、勝負に勝つ勉強の二つの面があります。勝負に勝つための勉強は、受験前の一時期(半年又は1年間)集中して取り組むことが大事ですが、普段から受験向けの勉強をしても実力はかえってつきません。
サッカーやバスケットボールなどのスポーツでは、正確なパス、ランニングなどの実力をつける練習があります。その一方、パス力、シュート力、走力など個人の得手不得手に合わせてポジションを決め作戦を立てるという勝負に勝つ練習もあります。
実力をつけるだけでは勝負には勝てません。しかし、勝負に勝つ練習だけしていては実力はつきません。この関係が勉強にもあてはまるのです。
家庭学習は、実力をつけるための勉強です。それは、塾ではむしろできない分野です。例えば、読む力をつけるためには読書や音読が必要ですが、塾で一斉に1時間読書の時間を設けるなどという授業はできません。また、音読の練習は、一斉指導でも個別指導でもまずできません。だから、実力をつけるための勉強は、家庭学習が基本になるのです。
ただし、家庭学習を、塾や学校のように親が先生がわりになって教え込む勉強にすると長続きしません。子供が自学自習で行う勉強を基本にして、親はそれをにこやかに見守りときどきチェックして褒めてあげるというスタイルが大事です。
しかし、親子だけでは、この毎日の自習チェックはうやむやになることもあります。そこで、家庭に任せる学習でもなく、塾に任せる学習でもなく、子供が自学自習で行う勉強を、保護者と言葉の森が連携して支えるという形の勉強を始めることにしたのです。(つづく)
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前回の記事から(
https://www.mori7.com/index.php?e=1589 )だいぶ間が空いてしまいましたが、今回は、「頭のよくなる本の読み方」です。
読書の基本は、自分の好きな本を読むことです。その理由は、読書がはかどるからです。自分の興味のままに読んでいけば、自然に自分の成長につれて読書も成長していきます。
逆に、その子にとっては難しい本を他人からすすめられて読まされた場合、読書がはかどるということはまずありません。苦い薬でも飲むように毎日嫌々読んでいれば、読書がはかどらないので、結局読む力がつきません。
しかし、好きな本を読んでいれば自然に読書も成長するというのは、実は、昔の話です。昔は、読書の対象となる本自体が少なく、また、読書以外のテレビやゲームや漫画もほとんどなかったので、好きな本を読むことが自然により高度な読書に結びついていました。
しかし、今は、例えば漫画に熱中したら、一生漫画を読み続けていられるほど漫画の種類は豊富です。それは、テレビでもゲームでも同じです。低レベルの娯楽が、きりがないほど豊富になってきたのです。これでは、難しい文章を読む機会はなかなか作れません。
そこで役に立つのが付箋読書です。読書は、その子の好きな本と、親から見てためになる本とを組み合わせて、複数の本を並行して読んでいくようにするといいのです。人間の頭は、同時並行的なものも頭の中で区分けしておけるほど柔軟性に富んでいます。好きな本を少し読んだら、次は難しい本。難しい本をきりのいいところまで読んだら、次は別の本。その本をまた、きりのいいところまで読んだら、次はまた別の本。と、難しい本と読みやすい本を組み合わせながら付箋読書をしていくのです。
では、そういう難しい本はどこで見つけるのでしょうか。そのヒントになるのが入試問題です。
中学入試に出る国語の問題は、「こういう方向で物事を理解したり考えたりする子を採用したい」という方向性のある文章と考えることができます。だから、そういう入試問題の出典になっているような本が、小学校5、6年生が読むのにふさわしい難しい本の例と考えることができます。
同様に、中学生だったら高校入試問題、高校生だったら大学入試問題です。ただし、大学入試の場合、一部の私立大学の問題の中には、受験生の国語の点数に差をつけることを目的にした、無意味に難解な悪文もあります。だから、高校生の場合は、入試問題集とともに、中公新書、新潮選書、岩波新書なども読んでいくといいと思います。
大学生の読書の基本は古典です。古典と言っても、日本の古文のことではなく、古今東西の名著として知られている本のことです。そういう古典は、今すぐの話には間に合いません。テスト対策のようなものだけなら、現代の教科書的な本の方が役に立ちます。しかし、古典は、教科書的な本と違って、あとで自分の生きた思考の土台となってきます。
ところで、小中学生の問題集読書については、一つの大きな問題があります。それは、例えば、中学入試の問題集には、小6までに習った漢字がルビなしで載っていることです。人間は、読めない文字が書かれていると、急速に理解に困難さを感じるようになります。だから、問題集読書は、学年が上がらないと続けるのが難しいのです。
そこで、言葉の森の考えた方法は、小6までの漢字の読み書きを小学生の早い段階で済ませておくというやり方です。同様に、中学生で習う漢字は、できるだけ小学生の段階で読めるようにしておきます。
漢字の書き取りは読みの力があれば、比較的楽に身につけることができます。読む力をつけることを優先させて、学年相応よりも難しい漢字を読めるようにしておけば、長文の音読につれて、読解力も表現力も向上してきます。
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「鶴の恩返し」という民話があります。言葉の森の「作文、読書感想文のテクニック」の中には、この話をもとにした感想文の書き方を説明した例が載っています。
この例を見て、「『鶴の恩返し』とこんなふうに読むなんて……」と思った人もいると思います。
読書の経験は感動の経験ですから、自分の感動と違う読み方を見れば、違和感を感じるのは当然です。
物事のとらえ方は人によって様々に異なりますが、大きく分けて理系的な物の見方と、文系的な物の見方があると思います。
言葉の森の作文指導の骨格は、かなり理系的なものです。工学的と言ってもいいかもしれません。
まず大きな枠組みを作り、その中に何を盛り込んでいくかを考えます。このような書き方の利点は、誰でもある水準までは必ず書けるようになるということです。苦手な子でも、苦手なりに形のある文章を書くことができます。得意な子は、その形の中に、自分らしい表現や題材や主題を入れるように工夫することができます。
一方、文系的な書き方は、感動を出発点としています。感動をひとつの核として、そこから少しずつ芽が出て葉を広げてゆくような書き方が文系的な書き方です。
そういう書き方でいい文章を書く子はたくさんいると思います。しかし、この書き方では、書き出せない子供たちもまたたくさんいるのです。
国語の苦手な子のひとつの原因は、先生の感動についていけないということがあります。国語の授業中、「自分はそんなふうに思わないのになあ」と思いながら先生の話を聞いている子もいるのです。
だから、逆に、先生の感動を自分の感動と一致したものとして感じる子は、その先生によって国語が得意になります。しかし、それは先生と生徒の出会いであって、国語の勉強というものではありません。
言葉の森の出発点は、「作文」のように曖昧でとらえにくく、客観的な評価がしにくく、指導に名人芸が必要であると思われていた勉強に、論理の枠組みを与えることにありました。
そして、その方法は一定の成果をおさめ、独自の作文の指導の仕方として定着してきました。
だから、これからは、言葉の森の指導に、文系的な要素も取り入れていきたいと思っています。しかし、それは、出発点を文系にすることではありません。出発点は、理系の合理的な説明の方が子供たちにより早く理解できるからです。
文系の要素は、出発点ではなく到着点で生かしていく予定です。そのひとつが、例えば発表会です。作文の発表を通して、その子がその作文の中で、何のどこに感動したかということが伝わります。その感動が、ほかの人の感動を呼び、その感動が動機となって作文の書き方が進化していくのです。
理系の書き方の利点を生かしながら、その書き方が枠組みの指導だけで終わらないような文系的な中身のある発表会を企画していきたいと思っています。
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8月16日(木)、ホームページから、「9月1日(土)9:00からの体験学習」を申し込まれた、香港在住の小1(男)の保護者の方にご連絡します。
ご住所は書いてありましたが、電話番号とメールアドレスがわかりませんので、体験学習の仕方についての説明ができません。
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国語力は、あらゆる学力の基礎となるものです。それは、人間が言葉によって思考するからで、英語も数学も理科も社会も、その教科の勉強を学ぶためには国語的な理解をすることが前提になるからです。
ところで、国語の勉強というと、多くの人は漢字の書き取りのようなものを連想するようです。しかし、漢字力というのは、国語力のごく一部で、しかも国語の本質とは関係の薄い一部です。なぜなら、世界中のさまざまな言語における国語の勉強で、漢字を学ばなければならないというのは、日本や中国や台湾などのようなごく一部に国だけだからです。漢字は、国語力の本質ではないのです。
しかし、人間というのは、読めない文字は理解できません。たとえ、その漢字の意味が、表意文字としておぼろげながらわかったとしても、やはり読みのわからない漢字は、理解に自信が持てないのです。だから、漢字の書き取りは、国語力の本質ではないが、漢字の読み取りは国語力の第一の条件になります。
ここから出てくる結論は、漢字の書き取りは特に先取りする必要はないが、漢字の読みだけはできるだけ学年を先取りした方がいいということです。
漢字の読みがよくできる子は、読書をよくしている子です。ふりがな付きの本を読んでいるうちに、自然に読みだけはできるようになるのです。しかし、児童書は、漢字の読みを先行させるという点では、書かれている内容が児童向けなので、かえって不十分なところがあります。児童書には難しい漢字は出てこないので、漢字の読み取りの力はあまりつきません。
そこで、言葉の森では、子供たちが毎日暗唱したり、音読したりする長文に、学年よりも上の漢字を盛り込む形の勉強を考えています。
実は、この発想は、中国の千字文や、日本のいろは48文字などに見られるように、先人がさまざまな例を残しています。しかし、現代の文章に合うようなものは、まだあまりありません。(あることはありますが、まだ定番となるようなものはないという意味です。)
言葉の森では、毎月1か月で約1000字の長文を暗唱する子が多いので、1年間で約12000字の文章を暗唱することになります。
まず、小1から小3までの3年間の間に読む長文の中に、小学校で習う教育漢字約1000字を盛り込みます。そして、小4から小6までの3年間の間に読む長文の中に、中学で習う漢字約1000字を盛り込みます。合計すると、小1から小6までの暗唱長文約72000字の中に、約2000字の漢字を盛り込むのですから、それほど難しいことではありません。
また、暗唱だと時間がかかりますが、その長文を見て音読するだけなら、漢字の読み方を覚えるのはもっと簡単にできます。この漢字の読み方を先取りして学習するというのが国語の勉強の第一段階です。
そして、小1から小3までの間に、小6までに習う教育漢字の読み方を覚えてしまえば、小4から、すぐに中学入試問題集の問題集読書に取り組むことができます。これが国語の勉強の第二段階です。(つづく)
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最近、言葉の森の体験学習を始める人の中で、次のように言う人が増えています。
「今まで、○○で作文の勉強をしてきたけど、やはり全然書けないので、言葉の森にした」(○○には、いろいろな名前が入ります)
今年の春は、他の作文通信講座が、中高一貫校入試の作文試験に対応しようとしたためか、一斉に宣伝を行いました。ある通信講座などは、週に何度も広告を出し、それも小学生新聞を1面全部使うような派手なカラー広告を出していました。しかし、そこで書かれている内容は、これまで言葉の森が書いてきたことの焼き直しのようなものばかりでした。
タレント教育評論家が監修しているので、いい教材だと思った人も多いのだと思いますが、実際の指導内容については、いろいろな指導法の寄せ集めです。
その結果、カラフルな楽しそうな教材に(そして、毎週ではなく月に1回とか2回とかいう手軽な料金に)惑わされて、そういう通信講座で作文の勉強を始めてみた人も多かったと思います。
ところが、楽しくできそうな気がして始めてみたものの、そういうところでは実際の指導のノウハウがなくただ赤ペンを入れるだけの添削が中心なので、結局、課題が少し難しくなるともう続けられなくなるのです。
ところが、いったん赤ペンによる添削だけで、作文がなかなか書けなくて苦しい思いをした子供は、もう作文という言葉だけで拒否反応を示すようになります。作文のような表現する勉強は、嫌いにさせるのは簡単です。間違いを注意だけしていれば、だれでもすぐに書くことが嫌いになります。しかし、世間のほとんどの赤ペン添削は、そういう間違いを直す指導が中心です。
この春、言葉の森以外の作文通信講座で作文の勉強を始めた子の中には、作文が苦手になった子がかなり多かったと思います。いったん作文が嫌いになると、もうほかのところでまた作文の勉強を始めてみようという気にはなかなかなれません。
だから、作文の勉強は、電話指導で確実に書けるところまで指導する言葉の森で始めていくことが大切なのです。
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英語の勉強を始めるのは、小学校4年生からです。4、5、6年生というのは、日本語の能力が既に安定していると同時に、外国語を習得する能力がまだ高い時期だからです。
これが、小学校1、2、3年生で英語の勉強をするようだと時期的には早すぎます。小学校3年生までは、日本語の能力を確実に身につけていく時期ですから、この時期に日本語以外の言語の勉強をすると、日本語能力が正しく成長しなくなる可能性があります。
今の親の世代は、自分が英語で苦労してきたために、子供にその苦労をさせまいと思い、早期の英語教育をさせる傾向があります。しかし、早期の英語教育はうまく行かなくても問題はありませんが、日本語教育がうまく行かないとそれは一生の問題になります。現代は、CDやDVDなど機器を利用した教育が可能なので、やりすぎの危険性は昔よりも高くなっています。
英語教育を始めるのに遅すぎるという心配はありません。しかし、早すぎとやりすぎによる危険性だけは親が注意しておくべきだと思います。
さて、小学校4、5、6年生から始める英語の勉強の教材は、英語の文章と英語の音声です。まず、子供が興味の持てそうな易しい英語の物語の本を選びます。その場合、CDがついていることが条件です。
日本で出版された英語の物語の本は、日本語による説明が不必要に入っている場合があるので、英語圏で出版されたものの方がいいようです。
昔、私は、教材としては、中学の英語の教科書がいいと言っていました。しかし、最近の中学の英語の教科書は、短い会話ばかりが載っているので、教材としてはあまりふさわしくありません。しかも、教科書に載っているその簡単な会話ばかりの文章とは結びつかない形で、文法的な勉強をするようになっています。こういう勉強の仕方では、英語はかなり勉強のしにくい教科になります。これは、むしろ、子供たちの間に、できる子とできない子の差をつけるための勉強になっているような気さえします。つまり、教科書と学校の授業だけをやっている子は実力がつかず、教科書と授業以外の勉強をやっている子だけが力がつくような仕組みになっているのです。
英語の教育では、まず英語圏の絵本など(CD付き)を選びます。この本のCDを繰り返し聞き耳を英語に慣れさせると同時に、その英語をそのまま暗唱できるようにします。慣れてきたら文章も暗写できるようにし、それと同時に単語の意味や文法的な説明をしていきます。
毎日CDを5分から15分聞きます。勉強するのは小学校4年生以上ですから、子供が自分でCDを聞くように習慣づけていきます。
日本語の暗唱は、言葉の森では1か月で900字を暗唱するようにしていますが、英語の場合は1か月で200から300ワードが目安です。1日に暗唱するワード数は、20から30ワードです。この30ワードなら30ワード分を20回から30回音読で繰り返すと、日本語と同じように丸ごと暗唱できるようになります。
暗唱する前に、子供が自分で辞書を使い、単語の意味と読み方を調べるようにします。
単語の意味は、ノートなどに書き出します。読み方は、英語の文章にふりがなをつける要領で書き込んでいきます。
親や先生は、その意味や読み方のふりがなを見て、不適切なところがあれば直してあげます。家庭学習で大事なことは、子供ができるだけ自分の手でやっていくようにすることで、親や先生が子供たちに教える場面は少なくしていくことが大事です。
次は国語の勉強法です。(つづく)
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勉強をすれば頭がよくなるというのは、普通の話ですが、勉強をして頭が悪くなるような勉強の仕方もあります。
しかし、なぜそういう勉強の仕方をしてしまうかというと、その勉強でそれなりに点数がよくなるからです。
目に見える形で表面に出てくるのは点数ですから、親も子もつい点数を上げることを目標にしがちです。しかし、点数は勉強の目的ではありません。勉強の目的はひとことで言えば、頭をよくすることです。その計測の方法のひとつとしてテストがあるのです。
小学校低中学年の子で、勉強や宿題が忙しいから本を読む時間がないというようなことを言う子がいます。
勉強が忙しいというだけあって、みんなそれぞれ学年相応よりも賢くしっかりしています。しかし、そう見えるのは小学校の間だけで、中学、高校と学年が上がるにつれて、成績が見劣りするようになってくるケースが多いのです。
頭のよさの基本は、考える力です。考える力のもとになるのは、考えるための語彙の豊富さです。そういう生きた語彙は、読書のように生きた言葉と接することによって身につきます。熟語集のように知識として身につけるものは、生きた言葉にはなりません。
しかし、テストというものはその性格上、大量に客観的に採点する必要から、死んだ知識をたくさん覚えているクイズマニアのような子の方が、自分の頭で考える生きた知識を持つ子よりも、往々にしてテストの点数がいいことがあります。
だから、そのテスト結果を見て、「本など読む暇があったら、テストに出る知識のひとつでも余計に覚えておいた方がいい」という発想になりがちなのです。
もちろん、ただ何の本でも読んでおればいいというのでは、本の読み方としては不十分です。本当は、その学年に応じて少し難しい抽象的な語彙も含まれた本を読んでいくことが大事です。
しかし、それでも、テスト対策向けの知識を覚えるような勉強をするよりも、どんな本でも読書をしていた方が頭の成長にはずっといいのです。
次は、頭をよくする本の読み方です。(つづく)
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なるほど( ̄^ ̄)ゞ
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