本日はこちらのグループを紹介致します。
「漢字の糸」(
https://www.mori7.com/okakj/ )
キャッチフレーズは「漢字の面白さ、再発見」。
グループを設立した当初は、「難字」「難読漢字」「四字熟語」などを取り上げ、クイズ的な楽しさで“知識を増やす”場を目指していました。
しかし、辞書とにらめっこをしつつ毎回の記事内容を考えるうちに、いつの間にやらその方針が微妙に変化していったのです。
「この漢字の部首は○○」
「書き順を間違えやすいが、実はこう」
「当て字で、こんなに難しい読ませ方がある」
……こういった知識は、確かに分かりやすいです。
というより“分かった気になりやすい”のですね。
どれだけ画数が多かろうと、普段目にする機会が少なかろうと、「そういうものだから」と説明されてしまえばそれまでだからです。
対して。
当たり前のように慣れ親しんだ、画数の少ない“単純”な字ほど、その成り立ちや、込められている意味について本当のところを知らなかったりします。
「一」「二」「三」は見たままとして……4はなぜ「四」(五画ですね)なのか? さらに、「五」「六」「七」の字が、どうしてその数量を表すのか?
「山」「木」「水」が“象形文字”なのは分かるが……では水に「てん」がついてどうして「氷」なのか? 「永」は形が似ていて間違えやすいが、何がどう違うのか?
考えたこともないから答えられない、のですね。
つい、我々は「『一』という漢字が書ける」ことに価値を置きがちです。
それこそ「『一たす一は二』の計算ができる」、というのと同じ意識で。
こうした漢字の「知られざるところを知る」ことこそ、面白さに繋がるのでは。
大人でも取り組める、本当の「漢字の学習」になるのではないか……と、勝手に思っています。
以下は、上記グループの記事からの抜粋です。
上記の疑問の一つ、「氷」と「永」について取り上げたところ、よろしければご覧ください。
====================================================
【管理人Iの投稿】
本日の一字は……「氷」、で涼しく参りましょう。(笑)
「水」に「`」という実に単純な字……。
と思いきや、この「`」、本当はただの点ではなく「にすい」の形として「凍ること」を表しているのだそうです。
というより、「にすい」そのものが「氷」からできた部首とも言われます。
言われてみれば、「冷」「凍」「凝」など、氷に関係しそうな字はみんな「にすい」ですね。
皆さんもパソコンで「こおり」を変換してみてください。
「冫」=「にすい」が出てきます。
それと、本来の形である「冰」という字も……。(◎o◎)!
【参加者Mさんのコメント】
では、「永」はどうなっているの?「`」の位置が違うだけだけど、「氷」とは親戚ではないのかしら?
【翌日、管理人Iの投稿】
と、いうわけで、早速はりきって本日の一字をアップ。(笑)
「永」です。
ナイスなご質問をいただいたので、お答えさせていただきました。
昨日の一字「氷」とは形が似ていますが、あちらは「冰」を本字とする“会意文字”。
こちらは“象形文字”であり、「河川が“ながく”流れていく形」から成り立ったのだそうです。
つまり「`」も含めて川の道筋を絵的に表したもの。
なんとなく……目を細めて見ると、上流から下流へ、枝分かれしながら水が流れていく様子に見えなくも……ない?(^_^;)
こう考えると、「およぐ」の「泳」も納得かも。
ちなみに「泳」は、「さんずい」と音の「永(エイ)」から成る“形声文字”です。
【参加者Mさんのコメント】
早速ありがとうございました。
「氷」も「永」も、字としては簡単な字なので、今まで辞書を引く事はありませんでした。今回いい勉強になりました。教室で知ったかぶりして皆に自慢しちゃおうかな。。(^o^)
【管理人Iの返信】
そうなんです。入り組んだ難しい字になると、案外パーツから意味が読み取れたりするものですが、画数の少ない字ほど「なぜこんな簡単な字が“あの意味”を表すのか」と逆に不思議になるのです……。
このグループでは今後とも、そのあたりを掘り下げていきたいと思っております。
【参加者Yさんのコメント】
字の意味からは外れますがこの字は「永字八法」と呼ばれ書に必要な止めや点など(あとは省きますが)技法が全て含まれていて字を練習するのには一番適していると言われる字ですよね。今日の字の元の意味も勉強になりました!!
【管理人Iの返信】
新たなアプローチからの補足、ありがとうございます!
「永字八法」……聞いたことがあるようなないような、でしたが、たいへん分かりやすい説明で納得がいきました。
確かに点があり、はねがあり、はらいがあり……ですね。書道の授業の時も、そう教わった上でこの「永」の字から練習したかった。(^_^;)
こちらこそ、勉強させていただきました!
【参加者Mさんの再コメント】
「永字八法」の楷書筆法を、昔の人はうまい字を発見したものだと思い感心させられます。この「永」という字が、楷書の各部分をほとんど具備していますが、楷書はすべての始点と終点が45度を標準としています。若干、角度のずれはあるものの、字を習うひとつの手がかりとして、45度を覚えておくと書きやすくなると思います。書道の領域になってしまい、すみません。。。
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このように、様々な知識をお持ちの方が集まっている、楽しいグループです。
(いとう)
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「あ~、もういやだ、やっていられない!」
仕事で、家事で、煮詰まることは誰しもありますね。そんな時、みなさんはどうなさいますか?
不貞寝するという方法もありますが、起きてなお、さきほどの気持ちを引きずっていることも多々あります。
じょうずにリフレッシュするためには……。
人気の脳科学者茂木健一郎さんが、非常にわかりやすい説明をしています。
←←←←←←引用ここから→→→→→
【行動することで気分が前向きになる】
脳科学者の茂木健一郎氏の心に響く言葉より…
仕事ができる人、社会に影響力を持つ人は、皆さん、脳のリセットが上手です。
脳のリセットといっても、何かを捨てたり消したりするわけではなく、脳のモードを切り替えるということ。
これは、誰にでもできます。
私は、今の日本人こそ、脳のリセットが必要な時期ではないかと思っています。
この効果的なリセットの方法は大きく2つあります。
1つ目が1日に何度も実行すべき“短期的”なリセットで、2つ目が数日に1度のペースで行いたい“長期的”なリセットです。
短期的なリセットの場合、これが上手にできるようになると、限られた時間を有効に使えるようになります。
人の気分は、外部から何か刺激が加わらないと変わりにくいです。
だから何かを始めたくても、なかなか始められない人が多い。
しかし、彼女と一緒に部屋にいる時、突然、上司が入ってきたら、誰でも瞬時に恋愛モードが仕事モードに切り替わるはず。
このほか締め切りや納期が迫るといったことで初めてモードチェンジが起きる方もいるでしょう。
これを受動的でなく能動的に起こせるようになると、リセットが上手になるだけでなく、時間の管理もうまくなります。
それにイヤなことがあっても気分を一新できるようになりますよ。
具体的にいうと、自分の気分が一瞬で変わる行動が何であるかを見つけ、それを日常生活の中に取り入れていくのがいいでしょう。
脳は「気分が変わるから行動する」のではなく「何か行動することで気分が前向きになる」という流れのほうが、スムーズにいく仕組みになっている。
2つ目の“長期的”なリセットとは長時間かけて、価値観や思考をリセットすることを指す。
人は、気分だけでなくいわゆる“マインドセット”(価値観や考え方のセット)もほかから刺激を受けなければ、なかなか変えられない傾向があります。
すると脳の海馬や扁桃体という部位の細胞が同じつながり方をし続け、古い価値観に引きずられ成長できません。
例えば有名人の講演会、異業種交流会など、新しい価値観を教えてくれそうな人と数日に一度は会ったほうがいい、という意味だ。
そして“実際に会う”ことこそが何より重要です。
実をいうと、人の脳は“シリコンバレーではこうしている”といった情報をメディアから入手するだけでは、それほど強い刺激を受けません。
実際に自分の体でその雰囲気を感じることで、初めて脳が刺激を受け影響されるのです。
『DIME 2012年18号』小学館
【人の心に灯をともす】
http://merumo.ne.jp/00564226.html より (抜粋)
←←←←←引用ここまで→→→→→
「やっぱり!」
と膝をたたかれた方もおられると思います。
気分を変えるため、疲れをとるため、今日は何にもしないでいようという休日。
なぜか夜になっても、あいかわらず体も心もだるいまま。
それよりも、部屋の模様替えをするとか、ちょっと電車ででかけるとか、何かしてみたほうがと案外スッキリすることが多いです。
こういうしくみだったのですね!
(宮崎 みどり)
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みなさんは、月に何冊くらい本を読まれますか?
松岡正剛さんの「千夜千冊」
http://1000ya.isis.ne.jp/file_path/table_list.html#table1 を目指して? 通勤途上では必ず文庫本をという方や、毎晩寝る前には読書の習慣があると言う方は多いと思います。
一方で、子どもには「読書しなさい」と口うるさく言うのものの、自分は忙しくてなかなか本に手が伸びない方が多いのも事実です。そんな、子どもが本を読まないと言ってお悩みのご家庭は、まずおうちの方が率先してご自分が本を読む時間を作るとよいと思います。親が熱心に本を読んでいるのを見れば、子どもも自然に本に興味を持ち始めます。そこで、子どもも巻きこんで、時間は短くても毎日、テレビを消して静かな環境で、親子の読書タイムを作ってみましょう。
そんなことで、「うちでは、毎日本を読むのがあたりまえ」になり、読書習慣が生活の一部となる、そんな理想的なことが実現できるのでしょうか?
ちょっとしたコツで、できるのです。
以下は、2006年の言葉の森のホームページの記事からの引用になりますが、継続させるコツがわかりますよ。
==============(引用ここから・一部抜粋)
「読書を歯磨きのように」
読書というものは、毎日読む習慣がないと、自然に消滅していきます。テレビも同様で、連続ドラマなどを見出すと、つい毎日気になって見るようになりますが、いったん見ることをやめると、あらためて見たいという気が起きなくなります。
読書は毎日読んでこそ読み続けられるものです。週に2、3日読むという読書生活はすぐに週に0冊の生活に変わります。週に7日読むときに初めて読書生活が成り立つのです。
と考えると、読書をさせるためのコツは簡単です。毎日本を読む時間を作ればいいのです。
ここで問題なのは、自分が本好きのお母さんほど、「読書は強制してまで読ませるものではない」という考えを持っていることです。しかし、昔と今とでは読書以外の環境がまったく違います。最初は半強制的に、「1日○ページ読むこと」というふうに決めなければ読み始められません。「たまには本でも読んだらどう?」という控えめなアドバイスの仕方では、子供が本を読むようにはなりません。「読みなさい」と言って初めて読むことができるのです。
半強制的に読ませることによって読書嫌いになったという子はいません。逆に、半強制的に読ませることによって読む力がつき、どの子も本好きになっていくのです。
ですから、親は子供に読書を勧めるときに、子供に歯磨きをさせるぐらいの断固とした確信を持ってさせる必要があります。子供に歯磨きをさせるときに、「歯磨きを無理にさせて、嫌いになったら困る」と心配する親はいません。逆に歯磨きをさせ続けることによって次第に、子供は食後に歯を磨くと気持ちがいいということを実感していくのです。
また、読書の内容も、子供の興味に合わせて低くする必要はありません。ときどき、「漫画や雑誌のようなものでも読んでいるうちに、もっとちゃんとした読書に進んでいくのでは」と期待するお母さんがいますが、漫画を読んでいるうちに読書も好きになったという子はいません。漫画の好きな子は、そのままずっと漫画しか読みません。それぐらい現代の社会では、魅力的な漫画がふんだんに発行されているのです。しかし逆に、読書の好きな子が漫画も好きだということは自然にあります。だから漫画そのものが悪いというのではありません。漫画が発展して読書につながるという考えが甘いということなのです。
小学4年生のころまでは、いい本がたくさんあります。このころは読書選びにあれこれ考える必要はありません。、図書館や書店にある本をどんどん与えていけばいいのです。確かに、どの子もおもしろがって読むような本はありますが、親がそういう甘い味付けのある本をわざわざ探してあげなければ読めないということではありません。本として発行されているほどの本であれば、どの本も読み出せばそれなりにおもしろくなるものです。
家庭での毎日の勉強が終わったら、子供に向かって、「はい、勉強のしめくくりは読書50ページね。それが終わったら遊びなさい」と言うだけです。それを歯磨きと同じように毎日続けていけば、どの子も例外なく読書好きになっていきます。読書50ページは、小学校高学年の子が普通に読んで約1時間ほどかかる長さです。低中学年の子は、その子の読む力に合わせて、ページ数を少なくしていけばいいと思います。また、低中学年のころは、読み聞かせも読書と同じ効果があります。読み聞かせは幼稚園までと思わずに、小学校4年生ぐらいの子でも、寝る前の本読みをときどきしてあげるといいと思います。ただし、コツは「優しく楽しく面白く」ですから、読んだあとに問題を出すようなことはしないで、にっこり笑って寝るだけにしてあげてください。
===============(引用ここまで)
学年が進んできたら、親子で話題の本を読み合うなどという楽しみもでてきますね。さあ、今日から実践してみましょう。
facebook上では、「読書の好きな子になる庭」というグループで、みなさんがいろいろなジャンルの本を紹介したり、家庭での読書についてさまざまなコメントを下さったりしています。こちらもぜひ参考になさってください。
http://www.facebook.com/groups/118437524908264/
(みやざき)
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幸せになるためのいちばん簡単でいちばん確実な方法は、今の自分がすでに幸せであることを知ることだと思います。たくさんの愛情を注がれて今の自分があること、そして、自分の内にある大きな可能性などなど。ほかの誰でもない自分自身を信頼し、自分に期待すること、それが生きがいにもつながる、本当の幸せではないでしょうか。
自分の外側に期待するとあてがはずれたときに大きな失望を味わうことになります。たとえ、一時的に欲求が満たされたとしても、その満足感が永遠に続くわけではありません。ほしかった物がやっと手に入ったとき、そんなときは確かにうれしいけれど、そのうれしさはいつか色あせるものです。
私たちは、一人一人が自ら光を発する太陽のような存在なのだと思います。自分で明るさやあたたかさを発信できるにもかかわらず、他人に照らしてもらうこと、あたためてもらうことばかり考えていると、いつしか自分自身の輝きを失ってしまいます。また、自分から周囲を照らすことは、自分の内にある不安や恐れを消すことにもつながります。
自分の幸せは自分で作り出すものです。他の人や外側の世界にそれを求めていてはいつまでたっても本当の幸せをつかめません。また、先のことを思いわずらったり、他人と比較したりしていると、今ある幸せさえも逃げていってしまいます。自分を信頼し、自分に期待すること、これができていれば現実に一喜一憂することもなくなるはずです。どんなことがあっても乗り越えていかれるという覚悟を決めて進んでいくと、不思議といいことが魔法のように振りかかるものです。うそだと思ったらやってみてください。(笑)
(山田)
以下、言葉の森ホームページからの引用です。
https://www.mori7.com/as/1523.html
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
教育の目的は、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献と結びついています。
第一は、幸福に生きるための教育です。
この前提として、幸福とは外的な環境によってもたらされるものでなく、内的な決心によって得られるものだという考える必要があります。
もちろん、これは、自分の置かれた状況に対する変革を否定するものではありません。しかし、変革は自分の幸福のために行うのではなく、社会に対する貢献のために行うものだと区別して考える必要があるのです。
幸福とは、いつも自然に元気で明るくいることです。単純ですが。
これを、各人が試行錯誤の中で獲得するものだと考える人もいるでしょう。しかし、同じように、数学の公式(例えば三角形の面積の求め方など)を試行錯誤の中で獲得するべきだと考える人はいません。過去の人類の知識や経験の蓄積を生かして、その蓄積を土台にしてより進んだ試行錯誤をするというのが人間らしい試行錯誤です。
また、幸福は主観的なものだと考える人もいるでしょう。しかし、教育における幸福とは、人間に幸福を押しつけるものではありません。幸福の理論と方法を伝え、その理論と方法を選択できるようにすることです。
人間は、幸福が選択できる状況であっても、あえて不幸を選ぶ場合があります。芸術の場合は更に不幸の昇華がその芸術の価値になっている場合もあります。だから、大事なことは、幸福になることではなく、幸福を自由に選択できるようになることです。
この幸福のための教育が、未来の教育のひとつの分野になります。
現代では、幸福のような主観的な価値観に左右されるものは教育が取り上げるべきではないという考えがあります。しかし、人類の長い歴史の中で、幸福に生きることはだれにとっても大きな関心事でした。そして、その関心に応えていたものが宗教でした。
宗教の問題点は、論証できない架空の前提も含めてすべてを丸ごと信仰することが要求されることです。教育が宗教と異なる点は、選択の自由があることです。
幸福に生きるための教育の教材は、プラスのシミュレーションとマイナスのシミュレーションになるでしょう。小説や実話の例をもとに、いかに人間が幸福に生きたか、あるいは不幸を克服したかを追体験する練習です。
そして、幸福に生きる方法の基本は、感謝の反復と、幸福であることを決心する勇気だと思います。
幸福とは、弱々しい生き方ではありません。どんな場面でも幸福に生きるというたくましい生き方です。
幸福の教育は、まだ研究途上です。これから、さまざまな理論や方法が生まれていくでしょう。そして、やがて幸福の教育が広がるにつれて、世の中は次第に明るくなり、その社会を土台にして更に進んだ幸福の教育が発展していくのだと思います。
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
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昨今の中高生のいじめや自殺の報道を見ると、本当に胸が痛みます。何が子供たちをここまで追い詰めたのか、経済発展のみを追い求めた、夢のない大人が反省するべきなのでしょうか?
文科省は脱ゆとり教育と銘打って、指導内容を増やし学力向上を目指しているようです。しかし喫緊の課題は学力よりも「生きる力」の向上であるように思います。たくましく生きてこそ習得した学力も生かすことができるのですから。
ちゃくちゃくさん、こんにちは。
江戸時代に日本を訪れたヨーロッパ人たちが一様に驚いたのは、子供たちが楽しそうに遊びまわっている様子だったそうです。
当時のヨーロッパには、子供が楽しく遊ぶという光景がなかったのです。
そして、当時の日本は、世界で最も進んだ教育をしていました。
いま大事なのは、そういう日本の文化を現代の状況の中で思い出すことです。
その出発点は、文科省でも学校でもなく、家庭なのだと思います。
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自然が毎日繰り返す、朝焼けのドラマ。
青い空とオレンジ色の雲を背景に、無数の鳥たちが、あるいは群れて、あるいは一羽で、南へ、東へ、西へ、思い思いに飛んでいく。
見る見る明るくなる空を見ていると、大きなところですべてがうまく行っている気がする。
ゆっくり動く雲、新しいシナリオで次々と塗り替えられる空。
地上のシナリオも、静かに変わっているのだろう。
(写真は「写真集」からのものですが、今朝の空はちょうどこんな感じでした。)
現代は、シナリオが人間の意志で次々と変わっていく時代です。
大事なことは、どんな状況になっても、そこを出発点として新しい対応を考え出していくことです。
それが、自分でシナリオを作ることです。
それでは、今週もいい1週間をお過ごしください。
(中根)
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自分の足で歩く。
自分の手で作る。
自分の頭で考える。
それが、今の日本に求められていることだ。
戦後は米ソの狭間で、今は米中の狭間で、大国にはさまれて生きる国、日本。
どちらの側につくのかではなく、自分がどういうビジョンを持っているかを示すことが第一だ。
子供たちの自立は、大人の自立に支えられている。
日本が独立することが、子供たちの教育の最初の出発点だ。
普通の国民は、年中政治や経済のことを考えているわけにはいきません。
日々の仕事があるからです。
特に、マスメディアが歪んだ報道を続ける現代では、判断のための正しい材料を集めるだけでも一苦労です。
しかし、政治の動きは、必ず日々の生活に影響を与えます。
だから、政治を判断する大きな基準として考えるのは、それが自分の足で歩くことにつながるのかどうかということです。
自分の足で歩いてさえいれば、うっかり間違った方向に行ったとしても、すぐ引き返せばいいだけだからです。
そして、間違ったことさえも、いい経験になるのです。
教育も、政治も、生活も、本質はみんな似ています。
今日は秋晴れの日曜日。
自分の足で納山を歩いてみたいい気のする日です。
豊かな日本の自然に感謝。
今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
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最近、小学3年生ぐらいの子のお母さんやお父さんから、「塾の宿題が多すぎて……」という声をよく聞きます。
小学校の3、4年生からそんなに勉強させていては、将来必ず頭が悪くなります(笑)。
親は、よその子がやっているので不安。
塾は、よその塾がやっているので不安。
互いに不安の中で子育てをしているのです。
多すぎる宿題がなぜよくないかというと、できる問題もできない問題も同じように解くので、できる問題を解く回数が多すぎる一方、できない問題を解く回数が少なすぎることになるからです。
そして、もっと大きな問題は、勉強しているというポーズが優先されがちなので、立ち止まって自分が納得するまで考えるという肝心の中身がなくなってしまうことです。
では、どういう勉強がいいかというと、小学生はまず勉強よりも読書を優先することです。
そして、親子の対話のある楽しい家庭にすることです。
そして、算数は教科書準拠の問題集を1冊用意して、できない問題が1問もなくなるまで、何度も繰り返し解くことです。
この「できない問題を繰り返し」ということが、塾や通信講座の勉強では対応できません。
だから、無駄とわかっていても、大量の宿題を出す仕組みになっているのです。
最も賢い勉強法は、同じものを繰り返す家庭学習です。
これは、教科書準拠の基礎の問題を解くときも同じ、受験用の高度な問題を解くときも同じです。
塾や予備校は、受験前の1年間、模試で自分の位置と弱点を知り、志望校の受験情報を知るために行くところです。
勉強は、最初から最後まで教えてもらうのではなく、わからないところだけ教えてもらうという形でやるとき、最も能率のいいものになるのです。
(中根)
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体験学習をしている子供のお母さんの中には、子供につきっきりでアドバイスをして、長時間熱心に教えてしまう人も多いと思います。
作文というものは、特に低学年の作文の場合は、大人が見れば不十分なところだらけです。小学校1年生の生徒では、会話の改行など何度教えてもわからないのが普通です。それは、普段の会話で話し言葉にカギカッコがついていたり、改行されていたりするようなものを見ていないからです。会話がカギカッコで改行だとわかるのは、そう書いてある本を何度も読んで自然にそのルールを覚えるからです。
ところが、大人は、自分にわかっていて子供にわからないことを、つい理屈で教えてしまおうとするのです。理屈で教えたことは、一度ではなかなか身につきません。すると、熱心に教えれば教えるほど、大人は叱ることが多くなり、子供は勉強が苦手だと思うようになるのです。
熱心に教えれば確かに少しずつではあっても効果は上がりますが、それよりも大きいマイナスは、そういう勉強の仕方は長続きしないということです。それは、勉強をすることによって、親も子もくたびれてしまうからです。
力のつく勉強は、長続きする勉強です。長続きさせるためには、教える方も教わる方もくたびれずに行うということが大事です。そして、その中でも特に、教える側がくたびれないということが大事なのです。もし、お母さんが子供に教えていて負担に感じることがあったら、次の点をまず改善するようにしてください。
・作文の授業でない日に、毎日長文の音読や暗唱を行い実力をつけておく
・毎日読書をして、文章を読むことに慣れておく
・作文の課題を事前に見て、その課題に合ったお父さんやお母さんの似た話をしておく
以上の、作文の授業のない日にやっておく準備ができていれば、もし当日、作文が書けなくなっても対処の仕方は簡単です。それは、親子で一緒に構成図を書くことです。その場合、親が子供と話をしながら親のペースで構成図を書いていきます。これでは、親の書いた作文のようになりますがそれでもいいのです。
何度かこういうやり方で構成図を書き、それをもとに作文を書かせていると、子供はすぐに自分で書く要領を身につけます。
このあたりの方法でわかりにくいところがありましたら、いつでも言葉の森事務局にお電話でご相談ください。
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