小学校2、3年生の生徒の保護者から、「塾に行くようになったので勉強が忙しくなった」という相談を受けることが増えてきました。
それだけ、学習塾が受験勉強の前倒しをするようになったからです。しかし、それは少子化に対応するための塾の都合によるものです。
小学校低中学年の塾通いは、多くの弊害を生み出します。まず、塾は点数の差のつきやすい算数に力を入れることで勉強の成果を上げようとします。また、国語についても点数の差のつきやすい漢字の学習を中心にしがちです。そして、算数にしても国語にしても点数で競争させることによって意欲を引き出そうとします。すると、点数に表れにくい読書や対話や創造性を育てる遊びの時間がどうしても削られてくるのです。
その結果、早くから塾通いをした子ほど、表面的な点数はよくなったように見えても肝心の考える力が育っていないために、学年が上がるにつれて伸びなくなってくるのです。
また、低中学年から点数の競争をすると、成績に対する優越感や劣等感を持ちやすくなります。勉強の本来の面白さは、新しいことを学ぶということにありますが、競争を意識すると、勉強の面白さが勝ち負けの面白さになってきます。ところが、勝ち負けが意欲につながるのはせいぜい中学生までですから、肝心の高校生以降はかえって勉強に対する意欲がなくなるのです。
小中学生の勉強は、家庭での学習が基本です。受験直前の時期には、志望校の過去問に合わせた難問を集中して取り組む必要がありますが、そういう難問を先取りして勉強する必要はありません。学年に応じた基礎の学習ができていれば、受験対応の力はすぐにつけられるのです。
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経済の基盤にあるものは教育です。
今の子供たちが、未来の日本の社会を作ります。
だから、日本が最も力を入れるのは、子供たちの教育です。
しかし、それは校舎や教材や人員にお金をかけることではありません。
新しい教育の開発に力を入れることです。
2009年のPISA(OECD65か国の教育到達度調査)の日本の得点は、数学9位、読解8位、科学5位でした。
学習に対する親和性の高い日本語を有していながら、それが十分に生かされていないのが現在の状況です。
志のある人が自由に教育を始める機会が増えれば、日本の教育は変わっていくと思います。
今日も快晴。いい天気が続きます。
明日は日曜。いい一日をお過ごしください。
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楽しいことを考えよう。楽しいことが起きてくる。
世界のカラーは自分が作っている。
今日も青空が広がる日本列島。
深まりゆく秋の実りに感謝して、静かに冬の支度を始めよう。
経済は破綻に向かって静かに進んでいるようです。
いつかどこかで引き金が引かれるでしょう。
これまでの時代では、その前後に戦争が起こされましたが、今は裏の仕組みがわかってきたので、もう戦争は起こせません。
バブルを真水に変える地球開発という案は魅力的ですが、それは長い目で見ればバブルの先延ばしでしかありません。
最もありそうなシナリオは、日本がかつて経験したような、バブル崩壊後の長期間の世界規模の失われた年月です。
そして、その世界的な収縮の時代から、いちばん最初に立ち直る国が日本でしょう。
それが創造文化産業の時代の始まりです。
これまでの社会では、人も、金も、物も余っていました。
だから失業が生まれ、金融工学が生まれ、使い捨てが生まれました。
そして、それらをまとめて解消する手段として、戦争が起こされていました。
これらの過剰を真に解決する道は、江戸時代のような循環型社会の構築です。
地球はもう狭すぎて、未開のフロンティアを探せるような星ではないのです。
余っている人と金と物の中で、これからの社会を建設するキーとなるものは人です。
人間の創造性を、循環型社会の中で開花させることが真の未来の展望になります。
当面は、人間の「私もそうなりたい」という欲求を実現するために、その人に何かを教えられることが創造の中心になるでしょう。
そのあと、子供時代の教育から立て直す形で、真の創造の時代が始まるのです。
今日もさわやかな青空。
地球が古い殻を脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わろうとしているかのようです。
私たちも、古い習慣から抜け出て、これから自分たちの手で新しい未来の道を作っていきましょう。
それでは、今日も新しい気持ちでいい一日をお過ごしください。
(中根)
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「塾の模試でひどい点数を取ってきて」という相談の電話がありました。
中学受験をする小6の子が、塾で作文の模試を受けてきたのです。
こういう話は、実はよくあります。
大学入試の小論文模試でも、生徒が「予備校の模試ですごく点数が低かった」と言ってくることがあります。
中身を見れば、全然問題ないことがほとんどです。
みんな、点数にとらわれすぎなのです。
確かに、もう少しこうすればよかったのにというようなことはありますが、そんなにオーバーに減点するようなことではありません。
塾や予備校の作文小論文の模試など、まずあてになりません。(関係者の方、ごめんね)
採点する人の主観が大きすぎるからです。
点のつけ方が極端なのです。
それに、そういう点数をつけて、ではどうしたらいいかというような指導ももちろんありません。
点数をつけるマシーンのようなものです。(しかも性能のあまりよくない(笑))
受験勉強は勝つための勉強ですから、親子で真剣に勝つことに徹しなければなりません。
しかし、いくつもの勝負をくぐりぬけてきた大人は、そんな受験ぐらいで人生が決まるわけではないという大きな視野を持っていることが大事です。
特に、子供が低い点数を取ってきたときが大事。
にっこり笑って、「大丈夫」というのが親のプロです。
お父さんも、お母さんも、ゆっくりあったまっていきましょう。(そりゃ、親のフロ)
昔の子供は、学校から帰ったらすぐに遊びに行っていましたが、みんな立派な大人になりました。
そんなに焦ることはないのです。
昨日までの雲が東の海上に去り、今日は久しぶりの快晴。
今日もゆとりの一日をお過ごしください。
(中根)
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頼りになるもの、未来。
頼りにならないもの、過去。
いちばん頼りになるのは、ゼロからスタートしても生きる力を持っていること。
しかし、そういう人は少ないから、当面は助け合う仲間を持っていること。
人間は、ひとりで生きていくこともできます。(ネコ科の動物たちのように)
しかし、他の人と協力して生きた方がよりよい生活を送れるので、人間の社会を作りました。
その原点にあるものが、自分から相手に与えることのできる何かです。
これから、時代は大きく変化します。
そのときに、いちばん頼りになるのが自分自身です。
自分が他の人に与えることのできるものがあれば、自分の周囲に社会を作って生きていくことができます。
それは、力仕事でも、料理の腕でも、みんなを喜ばせる技術でも何でもいいのです。
会社勤めをしていても、会社の給料を上回る仕事をしていれば、それは与える何かを持っているということです。
そして、与えることのできるものの中で、最も求められるものが新しいものを創造する力です。
欧米に追いつこうとした時代は、もうしばらく前に終わりました。(学ぶことはありますが)
これからは、日本人が、日本のこれまでの文化を土台にして日本独自のものを創造する時代です。
その創造の基盤になるものが、子供たちの教育です。
その教育を支えるためにも、私たちがまず自分から創造し与えることのできるものをたくさん作っていきましょう。
連休明けは、曇りのち雨模様。
クマたちもそろそろ冬眠の準備に入っているころでしょう。
今年はクリもドングリも豊作だったようです。
クマちゃんたち、よかったね。
人間には冬眠はないので(毎朝、冬眠のように寝ている人はいますが)、春も夏も秋も冬も年中活動です。
それでは、今日も元気な一日をお過ごしください。
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国語力 忘れたころに やってくる
どこかで聞いたフレーズだなあ。あ、寺田寅彦だ(笑)。
国語の勉強は、他の教科の勉強と少し違います。
普通の勉強の場合は、わからないところがあれば、その問題をブレークダウンしてわからないところまでさかのぼり、理解し直せばわかるようになってきます。
すぐには理解できなくても、少なくとも、そういう見通しが成り立ちます。
それと同じ発想で、国語の勉強もやってしまうことが多いのです。
国語の文章の読解は、全体を段落に分け、文に分け、単語に分けて理解しても、それで全体の理解につながるわけではありません。
なぜかというと、国語の文章は、個々の段落や文や単語の辞書的な意味を超えて、読み手の体験や読書の経験と結びついて理解されているからです。
もちろん、子供がわからない文を、大人がいろいろな例を挙げて説明すると理解は深まります。
しかし、それは辞書的な理解ではなく、その話によって子供がその文を経験することによる理解なのです。
だから、国語の勉強の基本は、そのわからない文章を読み慣れることです。
そして、読み慣れるためには、読むことを気長に褒めつづけ励ましつづけることです。
それで、国語力は、忘れたころにやってくる(ついてくる)のです。
とは言っても、その忘れたころはそんなに遠い先の話ではありません。
特に、最初のうちは見る見る上達することもあります。
しかし、それでも、やったからすぐにできるようになるとは考えないことです。
特に、読む勉強は、解く勉強に比べて手ごたえがないように感じられがちです。
気長に読みつづけることが大事なのです。
今日は、まだうっすらと曇り空。
穏やかな秋の一日、文化の日です。
どこかに出かける人も多いことでしょう。
そこで一句。
天候は 忘れたころに 晴れてくる(といいなあ)
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
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創造とは、Aを知り、Bを知り、A→A’の変化を知ることで、それをBにあてはめたとき得られるB’を発見、発明することです。
これが、無の文化における創造です。
だから、出発点として大事なことは、AとBについて習熟し共感することです。
AとBが自分の手足のように自由に扱えるものになっているからこそ、Aの変化をBにあてはめることができます。
断片的な知識をただ記憶してテストで再現できればいいというのではなく、その知識を全体の文脈の中でとらえそれを反復して自分のものにする学習が必要になるのです。
それは技能についても言えます。
日本において、技能の習熟の基本は、素振りに見られるような基本動作の反復でした。
ひとつの動作又はひとつの道具が自分の身体と一体となることによって、その技能を他の技能にあてはめる創造ができるようになったのです。
有の文化における創造は、これとは異なります。
そこにあるのは、AとBとの対立です。
矛(ほこ)が、盾(たて)を打ち破ろうとするので、盾は矛に打ち破られまいとします。
AとBが相互に対立する中で、AはBの弱点を見つけ、BはAの弱点を見つけます。
これが有の文化における発見と創造です。
ヨーロッパ文明にあっては、競争は進歩と不可分でした。
オリンピックは平和の祭典というよりも、武器による戦争をスポーツによる競争に置き換えたものでした。
しかし、日本の文明にあっては、進歩は競争よりもむしろ共感と不可分の関係にあったのです。
これからの教育に求められる最も大きな課題は、創造性を育てる教育をどのようにして行っていくかということです。
その前提にあるのが、自分を取りまく世界や他人に対する共感です。
その共感のひとつの土台が日本語なのです。
丸い大きな月が西に沈むころ、東の空が明るくなってきます。
地球をはさんで、ちょうど太陽と月が一列に並ぶのが満月。
月の大きさの400倍もある太陽が、地球から月までの距離の約400倍遠くにあるので、太陽と月が同じ大きさに見えます。(できすぎ(笑))
それでは、今日は月見で一杯。(というには、まだ一日が始まったばかりですが)
いい一日をお過ごしください。
(中根)
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10月29日14時ごろ、講師資格講座の申込みのファクスを言葉の森(0120-72-3987)に送られた方にご連絡します。
送信されたページの一部しかプリントされていませんので、もう一度お送りくださいますようお願いいたします。
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