勉強の世界では、「『わかる』から『できる』へ」ということがよく言われます。
教えてもらい、わかっただけでは不十分で、自分でできるようにならなければ、本当にできたとは言えません。
同じことが国語の勉強にもあてはまります。それは、「『読める』から『言える』へ」です。
難しい文章を読んで書いてあることが理解できたとしても、その文章の内容を人にも言えるようにならなければ本当に読めたとは言えません。
読めれば言えるはずとは思っていても、読んだ理解の度合いに応じてしか言えないものなのです。
「読める」から「言える」に関して大事なことは、それを聞く人が気長に励ましてあげることです。
算数・数学の勉強では、「昨日、教えてわかったのだから、今日はできるはず」ということはありません。
同じことを何度も同じように教えてあげる必要があります。
国語の勉強でも、「長文を読んで理解できたのだから、もうちゃんと人にわかるように説明できるはず」ということはありません。
下手な説明を気長に聞いてあげることが必要です。
川の流れのように、気長に同じことを繰り返していきましょう。
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解く勉強から読む勉強へというのは、国語についての話だけではなく、算数・数学についても同様です。
問題を見て解くよりも、問題を見て解き方を読んでなるほどと理解する方が、ずっと密度の濃い勉強ができます。
そういう勉強の仕方なら、解き方がわかっているものはもうする必要がありません。(計算の練習というのはまた別でしょうが。)
初めて接する難問も、かえって楽しいものになります。
これまでの勉強は、答えのある問題をいかに速く正確に解くかという勉強でした。
これからの社会に必要なのは、答えのない問題をいかに創造するかということです。
答えがあるのなら、それを見て理解できればそれでいいのです。
そして自由な時間は、もっと創造的なことに向けていくべきなのです。
たぶん、将来、勉強というのはそういうものになっていくと思います。
さっき、表に出て空を見たら、雲一つない青空に太陽がまぶしく浮かんでいました。
風は冷たくても、もう、気分は春ですね。
それでは、いい連休をお過ごしください。
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運動の場合は、本番に入る前に、体を温めて、柔らかくして、軽く動かすということをしますが、勉強の場合は、あまりそういうことをしません。
勉強がイスに座ってやる静かなことなので、ウォーミングアップなど必要ないと思われているのですが、本当は頭のウォーミングアップが必要なのです。
子供たちを見ていると、みんな、勉強の最後の方は集中力を発揮します。
しかし、そうなるまでに時間のかかる子がかなりいます。
特に、作文の勉強というのは、1200字の文章を書くとすれば、どの子も大体1時間半ぐらいかかります。
その1時間半という巨大な相手に取り組む前に、軽いウォーミングアップが必要なのです。
勉強を教えるのは誰でもできますが、難しいのは勉強の仕方を教えることです。
家庭でも、学校でも、そういう工夫が必要なのだと思います。
生徒「先生、急に勉強したら、脳みそがつっちゃいました」
先生「そんなこと、あるわけないだろ」
今日は、いい天気で、気温も昨日より暖かいようです。
それでは、軽くウォーミングアップをして、今日もいい一日をお過ごしください。
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世界各地の猛暑と寒波に比べると、日本は、寒いといってもまだ穏やかです。
穏やかということに関連して言うと、日本の刑法犯の件数が10年連続で減少したそうです。
穏やかな国民性というのは、たぶん譲り合いの精神のようなものから来ているのでしょう。
この譲り合いの気持ちを、勉強に対しても持つことが大事です。
権利主張型の、他人を蹴落としてでも自分が勝つという勉強は、日本の子供たちには本当はなじみません。
みんなが喜ぶように勉強するという姿勢がいちばんしっくり来るのです。
これは、働くことにも似ています。
働くの語源が、「傍(はた)を楽にする」ことだというのはただの駄洒落だそうすが、そういう由来を聞いて納得する感覚が日本の社会にはあります。
ただし、傍を楽にすると言っても、それは直接の誰かに向かってということではなく、自分の中にある架空のみんなに向かってということです。
勉強をするときも、仕事をするときも、そういう感覚を育てていくことが大事なのだと思います。
今日は、明るい青空に白い雲が浮かんでいます。
風は結構冷たいのですが、そんな贅沢を言っていられません(笑)。
今日も、穏やかな気持ちでいい一日をお過ごしください。
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漢字の勉強をなぜするのかというと、漢字のテストでいい点を取るためでも、漢検に合格するためでもありません。
小学生の場合は、ふりがなのふっていない少し難しい文章を自由に読めるようになるためです。
読み方をもう知っている大きい生徒の場合は、書きにくい漢字を使って少し難しいことを自由に考えることができるようになるためです。
そのように勉強の根本がはっきりしていれば、テスト前の一夜漬けの勉強などしなくてもいいのです。(してもいいけど)
勉強全体についても同じことが言えます。
勉強の目的は、勉強力を土台として、自分が自由に何かを創造することができるようになることです。
ところが、小さいころから創造的な遊びを制限して、勉強の時間を取りすぎている子も、最近は結構多いのです。
子供は、やる気になる時期が来れば、止めても勉強するようになります。
その勉強の動機になるのが、小さいころから積み上げてきた創造の喜びです。
こういう原点の姿を忘れないようにしていきたいと思っています。
空を見ると、月がだいぶ細くなっていました。もうすぐ新月です。
まだ寒い日が続きそうですが、少しずつ春の気配が感じられてきます。
季節にも原点があるとしたら、それはやはり春でしょう。
今日も原点を大事にして、いい一日をお過ごしください。
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言葉の森を始めたころ、というのはもう何十年も前ですが、そのころにちょうどファミコンゲームなどが出て、「ゼルダの伝説」や「ファイナル・ファンタジー4」というロールプレイングゲームがはやりかけていました。
このゲームの面白さを勉強にも生かそうと思い、言葉の森の課題の名称も、ロールプレイング・ゲーム風に「アカシアの山」とか「イチゴの丘」などという名前にしたのです。
しかし、勉強をゲームのように面白いものにするということは、まだできていません。それは、ゲームというものの本質が、勉強の本質と似てはいながらも、ストレートに結びつくものになっていなかったからです。
ところが、最近、ゲーミフィケーションという言葉を知り、それに関する本を何冊か読み、新しいアイデアが湧いてきました。
これまでのゲーム論は、ゲームというものの表面劇な面白さにとらわれているために、勉強に結びつけるときにわざとらしい面が出ていました。それは、ゲームの面白さというものが、本当のところで把握されていなかったからだと思います。
ゲームを教育に生かそうとするときによく言われる言葉は、「チョコレートでブロッコリーを包んで食べさせる」ということです。確かに、教育にゲームを使ったものを見ていると、膨大な予算と時間をかけていながら、どれも教育としては失敗しているか、ゲームとしては失敗しているかのどちらかのものばかりです。
小さな幼児相手の、漢字や計算の練習ならゲーム化してもそれほど問題はありませんが、それ以上の考える勉強になると、ゲームを勉強に生かすということで作られたゲームは、よほど暇な人でない限り飽きてしまうのです。
そこで、ゲームのひとつの要素である競争や賞罰や交流を活用する試みも出て来るのですが、それらは実は、ゲームの本質ではなくむしろゲームに付随する現象のようなものです。
では、ゲームの面白さの本質は何かということを考えて、次のようなことに思い至りました。
まず、自分自身が目標を決めるということです。
次に、それを明示化することです。
次に、それを数値化し、集計化し、実感できるものにします。
そして、目標に応じた成果を達成したあとに、再び新たな自分の目標を作るというサイクルです。
これに使えるのが、折れ線グラフとタイマーです。
ちょうど、html5では、折れ線グラフなどがhtmlの機能になるので、ウェブも活用できます。(今のところ、対応しているブラウザは、グーグルクロムやインターネットエクスプローラ9ですが、いずれもまだ使いにくいところを改良している途中のようです)
しかし、インターネットが利用できるとは言っても、日常的に手軽に使えることが大事なので、基本は、手書きの紙とペンです。
自分で試しにやってみたら、かなり面白いです。
これなら、つまらない勉強も熱中してできます。
だから、逆に、大人が子供の勉強をあおるために使うのではなく、子供が自分自身のために使うことが大事です。
つまり、勉強そのものを目的とするのではなく、勉強のあとの自由な創造の時間を活用するために、その手段としての勉強を能率よく素早く済ませるために使うということです。
このゲーム化した勉強法を、これからの子供たちの家庭学習に生かしていきたいと思っています。
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勝海舟は、貧しかったために英語の辞書が買えず、知人から借りた辞書を全部書き写しました。
しかも、日中の仕事が終わってからの夜だけの作業でした。
やっと書き写し終えた1冊は売って家計の足しにし、自分用にもう1冊書き写しました。
海舟の自伝である「氷川清和」に、そんな話が載っています。
今だったら、辞書をコピーするだけでも大変だと思うところですが・・・・・・。
それに比べると、現代は自分で学ぶための機会が豊富にそろっています。
例えば、ヤフーにも、グーグルにも英文翻訳のページがあります。
また、英文のカタカナでの読み方を教えてくれるページもあります。
これらのページを利用すれば、いくらでも自分にとって必要な勉強をすることができます。
勉強は、もう人に教えてもらうものではなく、自分で学ぶものになっているのです。
足りないのは、海舟が行ったような燃えて学ぶ気概です。
だから、これからの教育で最も大事なことは、自分で学ぶという姿勢を子供のころから作っておくことです。
勉強そのものよりも、勉強を楽しむ姿勢を作っておくことが大事なのです。
今日はさわやかな青空。
春の七草という言葉を聞くと、春がもうすぐそこまで来ている感じがします。
それでは、今日も、いい一日をお過ごしください。
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気持ちはコントロールしにくいものですが、行動はコントロールしやすいものです。
これが、身体を持つ人間の不思議なところです。
だから、嫌なことに出合ったら、「うれしい」と言ってみるのです(笑)。
すると、何となくそんな気がしてきます。
勉強や仕事も同じ。
好きなことはいいのですが、あまりやりたくないことは誰にもあります。
そういうときは、やらなければならないと思っていても、気持ちはやろうという気になれません。
そんなときは、まず行動。
とりあえず2分間だけやってみて、あとは遊んでいいことにしよう、と思って始めると、あーら不思議、そのまま続けてもいい気持ちになってきます。
それは、言葉に出すとそれが耳に聞こえ、行動に移すとそれが目に見えるからです。
見える、聞けるという感覚が、人間の気持ちを自然に変えるのです。
だから、子供に勉強をさせるときも、大事なことは見える形にすることです。
ドリルを解くような勉強はやりやすいのに、音読を続けるような勉強がやりにくいのは、ドリルは形が見えるのに対して、音読は形が見えないからです。
形に残るような枠組みを工夫してあげるのが、勉強をやりやすくするコツです。
今日から新しい1週間のスタート。
お正月明けの1週間はちょっと長いような気がしますが、元気にやっていきましょう。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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