勉強は、もともと楽しいものです。
それは、自分が進歩向上するということが勉強の本質だからです。
しかし、その勉強が今、多くの子供たちにとって楽しいものになっていないのは、勉強による進歩向上がなかなか実感できないからです。
そして、そのかわり、自分の心の中からの意欲ではなく、自分の外からの強制によって勉強をするような状況があるからです。
嫌な勉強を、褒美や競争によって楽しくするのではなく、もっと自然な形で自分の向上心に結びつけて楽しくする工夫が必要です。
ほとんどの子は、高校生になるころに勉強の面白さに気づきはじめます。
それは、小中学校と長い単調な登り坂を登ってきて、高校生のころになるとその登り坂が尾根につながるからです。
だから、小中学校のころから、その登り坂を楽しめるような工夫をすればいいのです。
そういう工夫を、言葉の森では今考えているところです。
今日は、うっすらと寒い曇り空です。
しかし、心の温かさは心の持ちようで決まります。
今日も、温かい心でいい一日をお過ごしください。
小3の子の母親からの質問とその答えというのが、あるサイトにありました。
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【質問】
作文が苦手です。話す時はいろいろな表現で上手に話しますが、そのことを文字にするとうまく表現できません。読書は大好きで、物語をよく読みます。(小3男子の母親)
【○○氏からのアドバイス】
「話せる」が「書けない」子どもには、共通する文章の特徴があります。
●語彙不足
……(略)……。
●文頭から文末の流れがおかしい
……(略)……。
●文と文の関係があいまい
……(略)……。
●文章の構成が苦手
……(略)……。
一足飛びに上手な文章を書けるようにはなりません。「一文の流れ」はよいか、「文と文の関係」はしっかりしているかなど、段階的に学んでいきましょう。練習をくり返すと、意外に短い期間で、書き方が上手になっていきます。
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うーん、こういうアドバイスだったら、誰でも考えつきそう。
それで、このアドバイスを見て、お母さんは納得するでしょうか。
実は、本当は、こういうことなのです。
話すことが上手で読書が好きだが、作文が苦手というのは、書いた作文をいつも注意されていたからです。
読書が好きな子なら、例外なく、作文も好きになります。
そして、もちろん上手になります。
しかし、このアドバイスのとおりに、いろいろおかしいところをチェックしていけば、作文は更に苦手になっていくだけです。
この違いはどこから来ているかというと、作文の教え方なのです。
世間の多くの作文指導は、事前に何も教えずにただ書かせて、そのあとじっくり添削するタイプの教え方をしています。
指導がないのに評価だけに力を入れているのです。
また、指導があるとしても、「あれをしちゃいけない」「これをしちゃいけない」という後ろ向きの指導ばかりです。
禁止事項だけの指導で、そのとおり書けたとしても面白くも何ともありません。
作文指導に熱心な先生にあたるほど作文が嫌いになる子が多いというのは、こういう事情があるからなのです。
小3から小4にかけてというのは、本当は書くことが好きで楽しくなる時期です。
その時期に作文が苦手になるとしたら、それは周囲の大人の問題なのです。
昨日は、降りすぎというほどの雪の降り方でした。
成人式のみなさんは、大変だったと思います。
しかし、今日はもう快晴です。
これから成人になる人も、そして日本も、自立する前には雪や雨や風や嵐があるということでしょう。
しかし、それもすぐに過ぎ去り、明るい太陽が昇ってくるのです。
大雪と思えば大雪ですが、この程度と思えばこの程度です。
大難が小難に変わったと思えば、かえってよかったということでしょう。
今日はまだ道路に雪が凍っています。
一歩一歩踏みしめて、今日もいい一日を迎えてください。