小学校低学年や幼児のころから、とてもよくできる子がいます。そういう子を伸ばす方向を、昔ながらの成績を上げることだけに向かわせないことです。
成績が上がってよくできて、最難関の大学に合格したところで大したことはありません。はるか昔のように、いい大学を出たらそれで安心という時代ではもうないのです。
もちろん、成績がいいのに越したことはありません。しかし、それもほどほどまでです。
80パーセントの成績を90パーセントや100パーセントに向かわせる努力をするよりも、その分、その子の個性を伸ばしていくことです。
なぜなら、これからの時代で大事なことは、自分の個性を梃子(てこ)にして生きていくことだからです。そして、そういう生き方が、本人にとっても楽しいのです。
成績がいいだけの子はたくさんいます。しかし、そういう性能のいいコンピュータのような人材はもう供給過剰です。
社会が成熟してくると、性能のよさだけでは売れなくなります。市場は飽和状態で、もうコンピュータは買い換えの需要しかないからです。だから、性能のよさで買ってくれる人を待つのではなく、自分で自分を世の中に売り込みに行かなければなりません。
そのときに、生きてくるのが個性です。しかし、そういうことを教えてくれる先生はあまりいません。学校や塾は、成績をよくするところであって、個性を伸ばすところではないからです。
その子の個性に目を向けるのが親の役割です。個性に目を向けられることによって子供は自分らしく成長していくのです。
そういう時代がもう来ています。
昔は、いい大学に入るとか、いい資格試験に合格するとかいうことにわくわくする感覚がありました。しかし、そういう成果を手に入れた人が、意外と優雅に楽しそうには生きていません。むしろ、多忙で煩雑な日常に追われていることの方が多いのです。
かつて邱永漢さんは、「成績のいい子は育てられるが、お金の稼げる子は育てられない」と言っていました。成績は、手順を踏んでそれなりの時間をかければ誰でもすぐに上がります。それも、そんなに小さいころからこつこと積み上げる必要はなく、受験を自覚してからの半年や1年ですぐに上がるのです。
しかし、すぐ成果が上がるから今の塾は単純な詰め込みに子供を向かわせます。その詰め込みと競争とテストの刺激で煽られた子供は、次第に学ぶことに燃えなくなってきます。好奇心が多くいろいろなことを吸収したい時期に、もう新しいことはやりたくない、今のだけで精一杯、だから手を抜いて表面的にやるしかない、と冷めた勉強姿勢になってしまうのです。
学校の先生も塾の先生も、勉強の世界しか知りません。親もほとんどは自分の仕事の世界しか知りません。だから、いい成績を取っていい学校に入れば、もっといい世界に行けるという気がするのですが、今の日本でそんな世界はありません。
成熟した社会では、指定席はほとんどが埋まっています。あとは自由席しかありません。自分で自由な席を作り出す力のもとが個性です。
しかし、その個性で作る自分らしい人生というのは、それほどあてのない話ではありません。それは、これからの社会が大きなフロンティアを持っているからです。
日本には、人間がたくさんいて、みんな何かしたいと思っています。その何かとは自分にとってプラスになる何かです。
ただ消耗するだけの生活ではなく、また平穏無事なだけのルーティンワークの生活でもなく、自分と自分の生活が進歩、発展、成長するちょうな人生を本当は誰もが望んでいます。
これまでは、そのエネルギーの奔流を阻んでいたものがありました。ひとつはお金、もうひとつはさまざまな規制、そしてもうひとつはこれまでの社会の停滞を生み出してきた既得権です。しかし、これからそういう状況は後退していきます。つまり、これからは制約のない社会になるのです。
そのときに大事なことは、個人の心からも制約を除いておくことです。大きな欠点のないことだけを目指す小さな人生から、小さな欠点も許容できるぐらいの大きな人生に舵(かじ)を切る時代になっていることを早めに自覚することです。
世の中は、多くの人が望んだ方向に動いていきます。これからより自由な楽しい社会を来ることを前提にして、子供たちの教育を考えていく必要があると思います。
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上手な模倣よりも、面白い創造。
こういう見方ができるのが作文です。
子供も大人も、日常生活の多くは上手な模倣を要求されて過ごしています。
特に、大人にとっての仕事、子供にとっての勉強は、いかに早くうまく模倣するかということが評価の基準になっています。
だから、人間は、息抜きのための自由な遊びが必要なのです。
絵をかいたり、文章を書いたり、お喋りをしたりすることも、この自由な創造の時間です。
ただし、作文は、書かれたものを先生や親が見るだけでは、自由な創造として楽しむ動機は生まれません。
そこで考えたのが、発表作文です。
作文の発表会とは言っても、原稿を読むだけではインパクトに欠けます。
映像や音楽を利用して、マルチメディアの発表をするのが目標です。
だから、ある意味で、プレゼン作文と言ってもよいでしょう。
もちろん、原稿の棒読みではなく、聴衆に語りかけるような発表です。
これまでは、その準備として、みんなの前で発表する、できるだけ原稿を見ないで発表する、というところまでやってきました。
今度は、プレゼンテーションの準備をして発表できるようにしたいと思っています。
しかし、プロジェクターのような大がかりなものを必要としては、どこでもできるものにはなりません。
こういう発表会は、家庭で子供たちを数人集めてやれるようなものになって初めて作文文化になるからです。
そこで、当面は、紙芝居作文のようなものになるでしょう。
そのうち、youtubeで作文発表会のようなものができるようになると思います。
作文発表会が広がると、作文の評価も、上手な模倣から面白い創造へと自然に変化していきます。
例えば、リンカーンの演説をそっくりそのまま翻訳したような作文を発表しても、面白い発表にはなりません。
面白さとは、その子でなければできない新しい創造があることだからです。
最初のうちは、面白い創造と言っても、その創造は表面的なものかもしれません。
しかし、そういう評価が定着することによって、創造は次第に深みのあるものになっていきます。
こういう作文の勉強の先に、創造性を育てる作文という大きな目標があるのです。
言葉の森では、今はみんなのニーズに合わせて、受験に合格する作文の指導もしていますが(笑)、本当は受験の作文など大したことはないのです。
上手に書くことは、練習次第で誰でもできるようになるからです。
上手に書くことよりももっと大事なことは、自分らしい創造性のある作文を書くことで、それは自分らしい創造的な生き方をすることにつながっていくと思います。
今日は、久しぶりに朝から雨。
しかし、これから来る秋を予感させる穏やかな雨です。
夏休みの宿題がまだ片付いていない人が多いと思いますが、8月最後の日曜日はのんびり過ごしたいですね。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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先日、言葉の森の生徒の保護者と電話で話したときのことです。
その子は、小学校3年生のころから言葉の森を始めて、楽しく作文や感想文を書いていたそうです。
受験の時期になると、国語の勉強は特にしないのに成績だけはよくて、志望の難関私立中学に合格しました。
たぶん距離が遠かったために、その中学には行かなかったようですが、近くの公立中学で中学校生活を送り、高校受験をしました。
「言葉の森で勉強をしていたので、国語の勉強というのは特にやらなくてよかった」という言葉が印象的でした。
実は、こういうことはよくあります。
国語の勉強というのは、国語の塾に行って成績が上がるわけではありません。ほとんどの学習塾は、算数・数学や英語のような、やれば成績が上がる教科に力を入れています。国語は、成績を上げられるあてがないのですが、学習塾という建前上、形の上だけほかの教科と同じようにやっているということなのです。
ですから、塾に行って国語の成績がよくなったという生徒は、これまでに聞いたことがありません。そのかわり、中学に合格したあと、「塾に行ってもやはり国語の成績は上がらなかった」という声をよく聞きます。
しかし、ここで誤解してはいけないのは、言葉の森で勉強すれば国語の成績が上がるわけではないことです。
国語というのは、勉強の中で身につくものではなく、国語的な生活の中で身につくものです。
週に1回作文を書いて国語の成績が上がるのではなく、その作文を書くために、読書をしたり、長文の音読をしたり、その長文をもとに親子で対話をしたりという国語的な生活が充実することで国語力がついてきます。
言葉の森の作文の勉強がきっかけになり、国語的な生活が充実する結果、国語の力がついてくるのです。
だから、そういう日常生活を国語的にする指導をしている塾であれば、学習塾で国語の成績が上がるということもあります。たぶんそういう学習塾もあるとは思います。ただし、そういう指導はかなり個々の生徒に密着したものになるので、大手の学習塾よりも個人塾のようなものになるでしょう。
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国語を得意教科にしたいと思いました。
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子供の作文を見て間違いに気づいたとき、それをすぐに直そうとしてはいませんか。
作文の間違いは直してもすぐには直りません。
それは、作文の上での間違いではなく、日本語力の不足から来ている間違いで、それがたまたま作文に現れただけだからです。
だから、間違いはその場で直すのではなく、次回の作文を書く前に、どう書いたらいいか話してあげることなのです。
つまり、事後的な添削ではなく、事前の指導が大事なのです。
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踏まれて元気に育つ麦はありますが、叱られて元気に育つ麦はありません。
踏まれることと叱られることは、少し違います。
植物でも優しい言葉をかけていると、大きく成長します。
人間は、植物よりももっと言葉に敏感です。
優しい言葉をかけられることによって、体も心も頭も成長していくのです。
子供の作文というのは、欠点の目につきやすいものです。
慣れないうちは、それをすぐに指摘して直したくなります。
しかし、子供の立場になってみると、作文を書くのにかけた時間の大部分は見てもらえずに、ほんのわずかの間違った部分だけ目を向けられて評価されたという印象を受けるのです。
小学4年生のころまでは、どの子も親や先生の言うことをよく聞きます。
そのよく言うことを聞く時期のうちにこそ、できるだけ叱ったり強制したりせずに、優しく認めてあげる言葉かけをしていくことが大事なのです。
ということを書いたのは、昨日も、お父さんにびっしり直されて、全部書き直しをさせられた子の作文が届いたからです。
こういうことをすると、子供はすぐに作文が苦手になります。
そして、やがて親子での勉強ができなくなります。
目の前の小さな欠点にこだわって、もっと大事な大きなことを忘れてしまう人が多いのです。
しかし、こういう失敗は、どの親も多かれ少なかれしています。
では、どうしたらいいかというと、子供を叱りすぎてしまったあとに、正直に親が子供に謝ればいいのです。
「お父さんは、昨日ちょっと叱りすぎちゃったみたいだなあ。本当は、いいところがたくさんあったのに、つい間違いの方をたくさん指摘してしまったかもしれない。ごめんな」
親子は、日常生活を一緒にしているので、こういう軌道修正もすぐにできるところがいいのです。
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小学校低学年の子のお母さんから、よく相談があります。
「こんなことをしたり、あんなことをしたりしてやったのに、あれもできなくて、これもできなくて……」
例えば、「毎日読み聞かせをしていたのに、本の内容も読み取れないし、感想文も書けなくて……」など。
もし、そこに、おばあさんがいたら、
「何言ってんの。あなたなんて、もっとできなかったわよ」
とつっこみが入って、おしまいです。
お母さんやお父さんは、自分が小学校1年生や2年生だったころのことを忘れているだけです。
そのころ、何がいちばん楽しかったかを思い出して、子供にも同じことをしてあげることです。
小学生は、中学生や高校生になるための準備期間ではなく、その時代を小学生らしく過ごすための時期です。
できないことを数え上げるよりも、今できていることをたくさん認めてあげるといいのです。
8月の後半になっても、まだ夏の暑さが続きます。
生徒の家に電話をすると、電話口の向こうからよくにぎやかな叫び声が聞こえてきます。
子供が家にいる家庭では、暑さプラスうるささで大変だと思います。
それでは、今日も暑さに負けず、いい一日をお過ごしください。
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ときどき、「いや、自分は、子供のころもっとよくできていた」というお父さんやお母さんがいます。
それは、おじいちゃんやおばあちゃんの育て方がよかったのだと思います。
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長かった夏休みも昨日で終わり、今日から通常の仕事です。
こんなに好天の続いた、そして、植物が枯れないように時々大雨のあったバランスのいい夏休みは珍しかったと思います。
地球全体と日本がいい方向に進んでいるような気のする1週間でした。
この夏休みの間に、オープン教育のシステムの案をほぼ作りました。
まだこれからプログラムの手直しが続きますが、たぶん魅力的なものができると思います。
一応、オープンの分野だけ決まっています。
オープン長文、オープン勉強、オープン読書、オープン遊び、オープン生活。
(「オープン生活って、ガラス張りの家に住んでいるみたい」と言われましたが)
このオープンのページ(名前はオープの川)とつながる形で、リンクの森とアフィの泉があります。
リンク、アフィ、オープは、妖精の3人姉妹です。ってゲームのようになってきましたが。
それでは、8月後半も好天でスタート。
今日も、いい一日をお過ごしください。
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スイカの水分は、生きている水分で、長く体内にとどまって、水分としての役割を充分に果たすように思えます。
それに対して、水道の水は、普通の水で、すぐに体内を素通りしていく気がします。
同じように言葉も、術語集やことわざ集で身につけたものは、すぐに体内を素通りしていきますが、父や母の話の中で聞いた言葉は、生きた言葉としていつまでも体内に残っています。
国語の勉強の根本には、こういう生きた言葉の蓄積があります。
人間には、誰でも、読めるほどには書けないという面があります。
わかりやすいのが、英文で、英語の文章を読み取れても、同じような英文を書くことはまずできません。
英文読解>英作文なのです。
日本語も同じです。
例えば、国語の教科書に書いてある文章を読み取れても、同じような文章を書くことはできません。(書き写しだけならできますが)
読めるようになっているだけの言葉は、まだ充分に生きた言葉ではありません。
書けるようになって初めて言葉は、自分が使える生きた言葉になるのです。
それにしても、スイカは偉いなあと思う、今日このごろ。
今日も水分補給をたっぷりして、いい一日をお過ごしください。
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6月の森リン大賞(小5の部127人中)
知識のありかた
なむな
人によって感じ方は様々である。日本だとコオロギの音が「リーリー」と表現されるが。決して世界中の人がみんな「りーりー」と感じるわけではない。知識、習慣は、現実の見方感じ方を変える力がある。例えば、アオマツムシが外来虫という知識によって、アオマツムシの声がうるさいと感じてしまうことなど、自分の物の見え方や感じ方が絶対のものだと思わないようにするのも大切だ。
私はこの話を読んで、知識のすごさにびっくりした。現実の物の見え方や感じ方を変えられるのだ。だが、本当に知識があったほうがよかったいいのだろうか。
例えば、本を読むとき。今、本が映像になっていることが多い。映画、アニメ、ドラマ・・・・。私が大好きなリンドグレーンやケストナーの作品も映像化されている物がある。この間、私は「レ・ミゼラブル」の映画を観た。岩波少年文庫の本を先に読んでから、観た。本は大人用でなくとも上下にわかれていて、簡単に読めるものでなはい。だが、私は本を先に読んだ。
「レ・ミゼラブ」の本と「レ・ミゼラブル」の映画。同じ「レ・ミゼラブル」でも私の中では少し違った。本を先に読めば、場面や登場人物の様子をイメージする。それは一人ひとり違う。読みとり方は多種多様だ。映画はそのいろいろな想像のなかの一つを映像化したものだ。だから、私のイメージとはかなり異なることがある。
まず、監獄の様子だ。本文にはこの場面はのっていないが、話を読みながらもっと暗いところでじめじめしていて、まるでカビが生えそうな地下に鎖でつながれているところだと思っていた。でも、映画は外での重労働となっている。
エポニーぬはあまり美しい感じではないイメージがあったのに、美しい女性だった。
テナルディエは背が高く人を見下ろすような感じの人だと思っていたが、かなり太っていて社会の底辺をさまよっているような人だった。
このようにイメージが合わないことが多かった。
私の友達には、映画をみないと本を読めない子がいる。けれど、私は何も知らずに読むからこそ、イメージをして本をより楽しめるのだと思う。映画等の映像を観てしまったら、本の楽しさが減ってしまうはずだ。
しかし、このように知識が絶対あったほうがいいわけではない。オペラやミュージカルを観るときには話を知っていたほうが面白い。
「魔笛」というオペラは有名な歌がたくさんあるが、あらすじを知らないと分からなくなり、お話を楽しめない。音楽にも集中できなくなってしまう。しかも日本語ではないので、さらにわからなくなってしまう。これは、知識があったほうがいい。
知識の有無は時と場合によってどちらがよいかが変わる。大切なのは考え方や見方を深く掘り下げるために知識を使うといいということがわかった。そして、それを実際にやりたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●知識のありかた | なむな | 84 | 1166 | 54 | 80 | 78 | 81 |
2位 | ●平和 | 湖れいくん | 81 | 1037 | 53 | 60 | 75 | 79 |
3位 | ●国がちがえば感じ方もちがう | くあゆ | 81 | 1030 | 57 | 62 | 75 | 86 |
4位 | ●楽しいクラス | アリス | 79 | 1465 | 44 | 77 | 85 | 87 |
5位 | ●楽しい先生おもしろい先生(清書) | ゆめく | 78 | 1005 | 47 | 73 | 100 | 79 |
6位 | ●MOTTAINAI精神を育め! | みんみ | 78 | 662 | 42 | 102 | 90 | 93 |
7位 | ●物を大切にする心 | にえに | 78 | 1349 | 41 | 60 | 71 | 83 |
8位 | ●楽しいな | ゆこぷん | 78 | 1239 | 43 | 59 | 65 | 87 |
9位 | ●ピカピカきれいな星空 | こゆり | 76 | 817 | 42 | 62 | 76 | 84 |
10位 | ●人間の本来の 生の姿 | レモン | 76 | 767 | 46 | 62 | 72 | 90 |
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