歴史の流れは混沌としているように見えますが、大きく見ると、綱引きの中心が時とともに移っていきます。(この発想は、副島隆彦さんの文章から学びましたが、内容は文化の話です。)
明治維新が、尊皇攘夷から尊王討幕に中心点を移したあと展開を速めたように、中心が移動することによってその後の歴史の方向が大きく変わります、。
今、日本と世界を取りまく情勢には、さまざまな綱の引っ張り合いがあり、それらに応じてさまざまな小さな中心が生まれています。どれが主要な中心点になるかによって、私たちの今後の生活も大きく変わってきます。
その中心点は、客観的な情勢である以上に、主体的な歴史観によって決められていきます。
そこで、私(森川林)は、言葉の森の教育との関連において、今後の綱引きの中心点を、「分離と競争」対「共生と創造」として見ていこうと考えています。
まず、経済の話です。
グローバリズムは、その名称とは裏腹に、分離と競争の世界に属しています。それは、個人、個々の企業、個々の国家をばらばらに分離し、それらが自由な競争の中でひとつの勝者によって統合されるという世界像を持っています。
では、その対極にある世界像は何かと言うと、それは単に言葉の上での対極にあるローカリズムなのではありません。世界の国々がそれぞれの国境で守られていても、その国内で分離と競争があるならば、それは小さなグローバリズムにすぎません。
分離と競争の対極は、共生と創造です。個人、個々の企業、個々の国家が手を取り合って、それぞれが創造したものを分かち合うのが今日のグローバリズムの対極にある世界です。それは、見方によっては、今のグローバリズムよりも更にグローバルな世界に見えるでしょう。
次に、政治の話です。
今、世界の覇権を、米国が維持し続けるか、中国が台頭するか、あるいはEUやロシアを含めた多極世界が分担するのかということが、綱引きの中心であるかのように言われています。
しかし、それらの国々が目指している覇権は、ばらばらに分離された国家が、軍事力や経済力の競争によって序列化され、強い国が弱い国を支配するという世界像に根ざしています。
覇権の世界は、分離と競争の世界です。その対極にあるものは、多様な国々が互いに共生し、それぞれの国が自国の得意なものを創造し他国と分かち合う世界です。
その世界が、夢物語のように思うのは、そういう世界を提唱する国がまだ存在しないからです。そして、その共生と創造の世界を提唱する最も可能性の高い国が日本だと思います。
最後は、教育の話です。
「分離と競争」から「共生と創造」へという綱引きは、経済や政治のような大きな世界だけでなく、身近な世界にもあてはまります。そのひとつが教育の世界です。
これまでの教育は、受験に収斂された目的のもとで、子供を、家庭や地域という共同体から引き離し、学校や塾という機能社会の中で個々人の生徒として分離してきました。そして、点数化される知識や技能を優先することによって点数化されない文化を軽視し、社会貢献する独立した個人ではなく、社会の階層を上昇するために競争する個人を育ててきました。
この対極にある教育が、共生と創造の教育です。共生と創造の教育とは、具体的には、(1)受験から実力へ(2)学校から家庭へ(3)点数から文化へ(4)競争から独立へ、という方向の教育を目指すことです。
その教育の中心になるものとして、創造性を育てる作文の教育を行い、その作文の教育をきっかけとして家庭での対話や地域での交流を生かし、余裕のある創造的な作文教育の土台として効率のよい教科の学習を進めるという教育を行っていきたいと思っています。
理想は高く、現実は低く。
作文教育の現場は実際には、もっとレベルの低いものです。
中には、書くことをお父さんやお母さんに取材して、親子の対話をもとに優れた作文を毎週書く子もいます。しかし、中には、書くことを決めてこずに、予習もせずにただ先生の説明だけを聞いて、解説を写すような形で書く子もいます。
それでも、だんだん多くの生徒が、自分なりに考えてその子らしい文章を書くようになっています。
日本中の子供が、毎週そういう作文を生き生きと書けるような社会を目指していきたいと思います。
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センター試験の問題は、どの選択肢が合っているかという根拠を探すと能率が悪くなります。
どの選択肢が間違っているかという根拠を探し、その結果間違っていないものが合っているとと考えれば短時間で正解率が上がります。
言葉の森のセンター試験国語の解説のページに、微妙な質問がありました。
https://www.mori7.com/index.php?e=365
====引用はじめ
質問:
小説の5問目で、(4)「ひたすら家財の焼却を続けた父」という記述が本文のどこにあるのか教えてもらえませんか。本文中の「最後の焚火を燃やすことに父は夢中になり」には具体的に何を燃やしているのか書かれていませんし、「ガラクタ」は「家財」ではないと思うのですが。
私の回答:
確かに、燃やしたのは、「家財」ではなく「庭に集めた塵芥」です。だから、この選択肢は、◎というよりも?です。
しかし、その塵芥には、前の文にあるように、「(両腕にかかえてきた)電球」も含まれているようですし、その後の文にあるように「物凄い黒煙」を出すものなので、これを「(塵芥となった、かつての)家財」と考えてもいいのではないかということです。
====引用おわり
ここまで厳密に読んでいるこの質問者は、センター試験国語の現代文は満点に近いと思います。
そして、国語でこのコツがわかれば、これは英語の選択問題にも当然あてはまります。
逆に言えば、この読解の仕方がわからなければ、英語がいくら得意でも高得点にはなりません。
だから、高校3年生では、国語力が英語力を支えているのです。
しかし、ここで私は思うのです。
こういう問題を作る人の苦労を思いつつ、もうこのような試験問題はやめたらいいのではないかと。
インターネットを利用すれば、定員の制限なく、誰でも自由に自分の好きな学問ができるはずです。
選択肢のアラを探すような不毛な勉強を高校生にさせるのではなく、もっと思考力と創造性を伸ばすような教育をする時期に来ています。
その教育の中心になるものは、読書と作文(小論文)とディスカッションです。
ディスカッションと言っても、他人を論破することを目的としたディベートではなく、互いの考えを認め合う対話です。
(作文と小論文は違うと言う人がときどきいますが、どちらも同じです。事実にウェイトが置かれているものが作文で、意見にウェイトが置かれているものが小論文です。エッセイなど、その境界が曖昧なものもあるので、全部まとめて作文という言葉でいいと考えています。)
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「嬉しいなあ」と言っていると、本当に嬉しくなってきます。それは、なぜかというと、日本語の母音言語の性質は、感情に働きかけることにあるからです。
欧米の言語文化で育った人は、虫の声を雑音としてしか聴きません。だから、雑音で感情が動かされることはありません。雑音は無視していればいいので、聴こえていても聴こえていないのです。
欧米では、人間の言語だけが聴くに値する音声で、それはもっぱら理解するための言語です。
日本語では、虫の声が感情に響いてくるように、人間の声も理解だけではなく感情を伴って入ってきます。心と言葉が一致しやすいのが日本語です。
この日本語脳が形成されるのが、ちょうど小学1年生から小学3年生にかけてだと言われています。
ところが、こういう科学的研究が遅れているために、小学校の低学年までの時期に英語漬けの教育をしてしまうことがあるのです。
英語が堪能かどうかということは、これからの社会ではますます重要ではなくなります。
早期の英語教育をする必要は全くありません。
外国語の学習は、日本人の場合は小学4年生以降が最適だと考えられています。
しかも、それは中学英語の先取りのような勉強的な英語ではなく、英語の本を読むような英語に慣れる教育として行われる必要があります。
小学校低学年の時期に子供を海外で育てる家庭や、父親と母親のどちらかが日本語以外の言語である家庭では、生活の中での日本語教育に、より一層の力を入れていく必要があると思います。
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では、今、日本で英語教室などをやっている人はどうしたらいいかというと、ひとつは小4からの英語教育に力を入れることです。
そして、もうひとつは、外国人に日本語を教えることを仕事の中に組み込んでいくといいと思います。
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遊びや行事のページで実行課題集を作成し、毎週の作文の課題に利用できるようにする予定です。
この実行課題で書いた作文をもとにプレゼン作文発表会を行い、生徒どうしの交流ができるようにしたいと思っています。
「オープン遊び」掲示板
https://www.mori7.com/ope/index.php?b=3&k=4&p=0
facebookグループ「親子で遊ぼうワンワンワン」
https://www.facebook.com/groups/wanwanwan/
「日本の行事と文化」掲示板
https://www.mori7.com/ope/index.php?b=3&k=31&p=0
facebookグループ「行事と季節の家庭学習」
https://www.facebook.com/groups/gyouji/
facebook記事より。
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頭で考えつくこと(思想や哲学)は、それほど成長しません。
知識は、誰でも同じものがすぐ手に入ります。
しかし、足で歩いて得たものは、その人だけの情報になります。
また、手で作って得たものは、その人だけの財産になります。
だから、これからの時代は、手足を使うことが大事になります。
勉強の中には、退屈に耐える忍耐力だけが必要なものもあります。
そういう勉強をしすぎると、ある時点から勉強をすればするほど頭が悪くなってきます。
(もちろん、そういう心配は、しすぎの場合だけですが)
子供の生活も同じです。
考えること、知識を身につけること、手足を使うことのバランスをとっていくことが大切です。
そのバランスをとるひとつの方法が自然と接することです。
自然には、手足を使いながら、自然に知識を増やし、考える機会を増やす効果があります。
だから、子供にとっていちばんいい教材は、身近な自然なのです。
低学年の作文課題で、身近な自然を生かすことを考えています。
自然といっても、必ずしも野や山や海に行く必要はありません。
日常生活の中にある自然を生かすのです。
親子で遊んで楽しんで、それを作文に書いて(書くのは自由)、その作文に画像や音声を組み合わせてプレゼン作文発表会をするという企画です。
できれば、その発表会も、お花見を兼ねて近所の公園でやっていきたいと思っています。(半分宴会(笑))
今日は、さわやかな青空。。
何だか、あっという間に春が来そうです。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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これからは、いいことばかりが起きると思えば、自然に攻めの姿勢になります。
これからは、悪いことばかりが起きると思えば、自然に守りの姿勢になります。
地球の歴史の数十億年、人類の歴史の数十万年(数百万年?)、世界は大きくいいことばかりが起きてきました。
これからも、世の中は更によい方向に向かうでしょう。
うしろを向いて喋る批評家は置いといて(笑)、前を向いて新しいことを始めましょう。
寒風の中、春はもうすぐそこまで来ています。
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受験の直前は、これまでのやり方を変えないことです。
これまで自分がやってきたことが正しかったのだと確信を持ち、これまでのやり方を更に確実なものにしていくことです。
いちばん不安なのは、受験する生徒本人です。
そのときに頼りになるのは、不動のお父さんお母さんです。
また、新しい相談を受けた先生(のような立場の人)は、その生徒のこれまでのやり方を否定しないことです。
若い新米の先生ほど、欠点を指摘してそれを直そうとします。
そして、欠点の指摘というマイナスの想念は、すぐにお母さんにも生徒にも伝染します。
人間は、長所の指摘には何も感じませんが、欠点の指摘にはすぐに影響を受けます。
これまでのやり方を続け、よくできたところを褒めて、ベストを尽くすのが、今の勉強の仕方です。
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未来の社会は、創造性が大きな価値を持つ社会です。
これからの社会では、今よりももっと個性が重視されるようになります。しかし、その個性は、ただ人と変わっているというだけの個性ではなく、その個性によって世の中に何か新しいものを付け加えることができるという創造性のある個性です。
創造性のある個性の多くは、現代の科学技術や科学的知識によって支えられています。だから、子供たちの勉強には、一方で能率よくすべての教科を学び、もう一方で自分だけの豊かな創造的時間を過ごすことが必要になります。
そこで、言葉の森が考えている教育のひとつが、効率教育です。自宅での自習を基本に、毎月の自習検定で全教科を無駄なく身につけるという勉強です。
効率教育とは別に、言葉の森がこれまで行ってきたもうひとつの教育が創造性を育てる教育です。
作文を書くという勉強は、もともと創造的なものですが、これを作文だけの学習で終わらせずに、次のような学習と結びつけて行おうとしています。
第一は、毎日の長文音読と毎週の親子の対話です。長文の音読は、理解のための思考力語彙力を育て、親子の対話は表現のための思考力語彙力を育てます。
第二は、プレゼン作文です。作文をただ文章として書くだけでなく、画像や音声と組み合わせて、発表する作文として完成させていきます。
この発表が、子供たちの個性と創造性に更に磨きをかけます。
第三は、これから取り組む実行課題です。言葉の森では、小学3年生から題名課題や感想文課題で作文の練習をします。これまで、小学2年生までの低学年の生徒は、題名課題に取り組むのが難しいため自由な題名で作文を書いていました。これを、題名課題ではなく、実行課題として取り組むようにします。
実行課題とは、遊び、行事、お手伝い、行儀作法など、日常の家庭生活の中で取り組める課題です。その実行課題を、作文の題材として生かすことができるようにしたいと思っています。
以上の、効率教育と創造教育を担う主体は、当面は言葉の森ですが、未来の社会では、教育はもっと多くの人の手によって身近な生活の中で担われるものになってきます。子供に読ませたい文章、子供に身につけさせたい知識や技能に、親がもっと深く関われるようになってくるのです。
言葉の森では、そういう草の根の教育作りの土台として、今オープン教育のプロジェクトを行っています。ここで多くの人の手によって教材を改良するとともに、創造的な作文を発表する場を作りたいと思っています。
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「損得を先に考える者は腰抜けである」(葉隠)
聖徳太子がいた時代に、隋は世界でした。
フビライが日本に使者を送ったとき、モンゴルは世界でした。
ロシアが南下しようとしてきたとき、白人の国家が世界でした。
屈従していれば、そのままの世界が続いたのです。
世界が先にあって自分があるのではなく、自分が先にあって世界があります。
これは、単に大きな政治の世界の話なのではありません。
人間の基本的な生き方の話です。
他人にどう思われるかということよりも、自分がどのように生きたいかが先にあり、そのあと、他人と共存するための調整や工夫が生まれてきます。
子供の教育も同じです。
どういう子に育ってほしいかを考えるときに、今の世界でどの職業に人気があるのかを基準にするのではなく、その子にとって何を伸ばすことが将来の充実した人生につながるかを考えるのです。
世界や他人を基準にするのであれば、何も迷いはありません。
それは、ペットが主人を基準にして迷わずに暮らしているのと同じです。
迷う自由があるのが、自分の力で生きる野生の生物なのです。
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