家庭で教える作文のコツを、講師資格の通信講座で
作文の指導は、家庭ではなかなかできません。答えのない勉強なので、感覚的に指導してしまうことが多く、評価も主観的になることが多いからです。
子供が低学年のうちは、感覚的な指導や評価でも子供はついてきますが、学年が上がるにつれて、理屈で明確に説明できないものは子供が勉強を嫌がるようになります。
また、小学校低学年までは作文の内容も身近なものなので比較的容易に教えられますが、受験に必要な作文や小論文のレベルになると、対応したカリキュラムなしではなかなか教えられません。
言葉の森の講師資格通信講座は、小学1年生から高校3年生までの作文小論文指導を実践的に解説する講座です。
自分の子供を上手に教えることができれば、近所の子供にも作文指導ができる
作文の勉強の中心は、作文を教えたり評価したりすることではなく、作文の準備としての家庭での読書、音読、対話を充実させ、実際に書く練習に力を入れることです。
自分の子供の家庭での読書、音読、対話が軌道に乗れば、同じ要領でほかの生徒にも楽に作文の勉強を教えられるようになります。
小中学生の子供は、ひとりで勉強するよりも友達と一緒に勉強する方が意欲的になることが多いので、複数の生徒をグループ単位で教えた方が作文の勉強は進めやすくなります。
また、授業の中身は、個別指導をもとに作文を書くことですから、小1から高3までの複数の学年の生徒も同時に教えることができます。
作文講師資格を取れば、お母さんやお父さん自身の勉強にもなる
作文の指導をするためには、その作文の準備となる親子の対話の仕方なども身につける必要があります。作文を中心に幅広い家庭学習のコツを学べるのが作文資格講座の特徴です。
小学校高学年から中高生に書けての作文指導は、長文を読んでの感想文指導が中心になります。中学・高校・大学入試にも対応できる長文を読んでいると、指導者の読む力も伸びてきます。
これからの時代は、一生勉強を続けて成長することが必要な時代です。作文を教えていると、作文指導を通して、現代の時事問題にも深く精通するようになります。
将来の人生設計は、自分の力ででき技術の蓄積のできる仕事に携わること
これからは定年後の人生設計が重要になります。その中心は、自分の好きな分野を生かし、社会貢献のできる仕事を続けることです。
現代の社会では、企業生活の中で身につけた知識や技術をそのまま社会に生かすことはできません。企業活動は、組織を全体としているので個人でできることには限界があるからです。
自分の個性を仕事に生かすには、その個性に時間をかけることが必要です。
だから、まだ定年までに時間のある時期から、自分だけの力ででき、技術の蓄積のできる仕事に少しずつ携わっておく必要があるのです。
作文講師資格の通信講座言葉の森
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これからの子供たちは、平和で愛に満ちた地球で、勇気を持って美しい創造的な人生を歩んでいってほしいと思っています。
太地町のイルカ漁が話題になり、イルカ漁、クジラ漁が、日本の伝統であるかのように言われています。
しかし、それは日本の伝統でも何でもありません。
日本の伝統は、生き物をかわいがることで、どうしても人間の生活に必要なこと以外はできるだけ殺生を避けるということです。
イルカ漁、クジラ漁は、日本の伝統ではなく、その漁をしている漁民たちの伝統です。
生き物に対して優しい気持ちを持てる人間であれば、人間に対しても優しい気持ちを持てます。
人間の知恵は、イルカ漁やクジラ漁を続けるためのあれこれの理屈付けに使うのではなく、そのようなことをしなくてもよい社会作りに向けて使うべきです。
学校の先生方は、弱い者がいじめられているのを見たら黙っているなと教えていると思います。
人間も、イルカも、同じです。
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ある教育サイトで、「要約がうまくできない」という小学5年生の保護者からの相談がありました。
要約の練習をなぜするのかというと、うまく要約していい点数を取るためではありません。要約しようとすることによって、文章を理解し、それをまとめて表現する力をつけるためです。
だから、形だけの要約ができることにはあまり意味がありません。
文章の終わりには結論のようなものがあることが普通ですから、終わりの方を中心に書けば、形の上で要約(要点)らしいものが書けます。しかし、それでは何の力もつきません。
要約力をつけるには、まず読み取る力をつけることです。そのためには、ある程度の難しさを持つ文章を何度も音読する必要があります。
なぜ黙読ではなく音読なのかというと、何度も読むという繰り返しの勉強は、声に出すという形のあるものにしないと、実行できないことが多いからです。
何度も音読していると、難しい文章であっても、その文章の全体像が大体わかってきます。
次に、その読み取った内容をまとめて表現する練習です。
そのための手軽で効果のある方法が、読み取った文章の内容を身近な人(親や先生)に説明することです。
その際に大事なことは、上手に説明できたかどうかという結果ではありません。説明しようとして言葉を探すという過程が大事なのです。
ここを多くの人は勘違いして、上手に言えればよくできたと思い、上手に説明できなければ駄目だと思ってしまいます。そうではなく、上手に説明できないという過程が勉強の中身です。
だから、読み取った内容の口頭による説明は、上手にできないからこそ、気長に励まして聞いてあげることが大事なのです。
難しい文章であれば、その子が日常生活で決して使わないような言葉を使って説明しなければなりません。
例えば、「日本と欧米の文化の比較」などという言葉は、小学生が日常生活で普通に話題にする言葉ではありません。しかし、国語の長文には、そういう言葉や考え方が頻繁に出てきます。そのような普段使わない言葉を使って説明することによって表現力がついてきます。
だから、聞き手として大事な姿勢は、子供の説明が下手でも、「もっとわかるように話しなさい」などとは決して言わず、「うんうん」と優しくうなずいて聞いてあげることなのです。
この音読と説明、そしてその説明をもとにした対話が、要約の前提となる勉強です。
そして、実際の要約はどうするかというと、要約を要求される字数に応じて、選ぶ文の数を決め、その選んだ文をつなげて書くことです。
要約や記述の練習の中心は、すばやくまとめる力をつけることです。そのために大切なのは練習回数です。
練習回数を増やすためには、評価を簡単にすることです。子供が要約した文章を、親が元の文章と照らしあわせてじっくり添削しようとすると、練習回数が増やせません。親は、その要約文の全体の意味が通じるかどうかだけを見ておけばいいと割りきって、子供の要約練習の回数を増やした方が要約の力はつきます。
親がじっくり見てあげる余裕があれば、先に元の文章を読んで大事なといころをあらかじめいくつか選んでおき、それを子供の書いた要約と照らし合わせるようにするといいでしょう。
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歴史の流れは混沌としているように見えますが、大きく見ると、綱引きの中心が時とともに移っていきます。(この発想は、副島隆彦さんの文章から学びましたが、内容は文化の話です。)
明治維新が、尊皇攘夷から尊王討幕に中心点を移したあと展開を速めたように、中心が移動することによってその後の歴史の方向が大きく変わります、。
今、日本と世界を取りまく情勢には、さまざまな綱の引っ張り合いがあり、それらに応じてさまざまな小さな中心が生まれています。どれが主要な中心点になるかによって、私たちの今後の生活も大きく変わってきます。
その中心点は、客観的な情勢である以上に、主体的な歴史観によって決められていきます。
そこで、私(森川林)は、言葉の森の教育との関連において、今後の綱引きの中心点を、「分離と競争」対「共生と創造」として見ていこうと考えています。
まず、経済の話です。
グローバリズムは、その名称とは裏腹に、分離と競争の世界に属しています。それは、個人、個々の企業、個々の国家をばらばらに分離し、それらが自由な競争の中でひとつの勝者によって統合されるという世界像を持っています。
では、その対極にある世界像は何かと言うと、それは単に言葉の上での対極にあるローカリズムなのではありません。世界の国々がそれぞれの国境で守られていても、その国内で分離と競争があるならば、それは小さなグローバリズムにすぎません。
分離と競争の対極は、共生と創造です。個人、個々の企業、個々の国家が手を取り合って、それぞれが創造したものを分かち合うのが今日のグローバリズムの対極にある世界です。それは、見方によっては、今のグローバリズムよりも更にグローバルな世界に見えるでしょう。
次に、政治の話です。
今、世界の覇権を、米国が維持し続けるか、中国が台頭するか、あるいはEUやロシアを含めた多極世界が分担するのかということが、綱引きの中心であるかのように言われています。
しかし、それらの国々が目指している覇権は、ばらばらに分離された国家が、軍事力や経済力の競争によって序列化され、強い国が弱い国を支配するという世界像に根ざしています。
覇権の世界は、分離と競争の世界です。その対極にあるものは、多様な国々が互いに共生し、それぞれの国が自国の得意なものを創造し他国と分かち合う世界です。
その世界が、夢物語のように思うのは、そういう世界を提唱する国がまだ存在しないからです。そして、その共生と創造の世界を提唱する最も可能性の高い国が日本だと思います。
最後は、教育の話です。
「分離と競争」から「共生と創造」へという綱引きは、経済や政治のような大きな世界だけでなく、身近な世界にもあてはまります。そのひとつが教育の世界です。
これまでの教育は、受験に収斂された目的のもとで、子供を、家庭や地域という共同体から引き離し、学校や塾という機能社会の中で個々人の生徒として分離してきました。そして、点数化される知識や技能を優先することによって点数化されない文化を軽視し、社会貢献する独立した個人ではなく、社会の階層を上昇するために競争する個人を育ててきました。
この対極にある教育が、共生と創造の教育です。共生と創造の教育とは、具体的には、(1)受験から実力へ(2)学校から家庭へ(3)点数から文化へ(4)競争から独立へ、という方向の教育を目指すことです。
その教育の中心になるものとして、創造性を育てる作文の教育を行い、その作文の教育をきっかけとして家庭での対話や地域での交流を生かし、余裕のある創造的な作文教育の土台として効率のよい教科の学習を進めるという教育を行っていきたいと思っています。
理想は高く、現実は低く。
作文教育の現場は実際には、もっとレベルの低いものです。
中には、書くことをお父さんやお母さんに取材して、親子の対話をもとに優れた作文を毎週書く子もいます。しかし、中には、書くことを決めてこずに、予習もせずにただ先生の説明だけを聞いて、解説を写すような形で書く子もいます。
それでも、だんだん多くの生徒が、自分なりに考えてその子らしい文章を書くようになっています。
日本中の子供が、毎週そういう作文を生き生きと書けるような社会を目指していきたいと思います。
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センター試験の問題は、どの選択肢が合っているかという根拠を探すと能率が悪くなります。
どの選択肢が間違っているかという根拠を探し、その結果間違っていないものが合っているとと考えれば短時間で正解率が上がります。
言葉の森のセンター試験国語の解説のページに、微妙な質問がありました。
https://www.mori7.com/index.php?e=365
====引用はじめ
質問:
小説の5問目で、(4)「ひたすら家財の焼却を続けた父」という記述が本文のどこにあるのか教えてもらえませんか。本文中の「最後の焚火を燃やすことに父は夢中になり」には具体的に何を燃やしているのか書かれていませんし、「ガラクタ」は「家財」ではないと思うのですが。
私の回答:
確かに、燃やしたのは、「家財」ではなく「庭に集めた塵芥」です。だから、この選択肢は、◎というよりも?です。
しかし、その塵芥には、前の文にあるように、「(両腕にかかえてきた)電球」も含まれているようですし、その後の文にあるように「物凄い黒煙」を出すものなので、これを「(塵芥となった、かつての)家財」と考えてもいいのではないかということです。
====引用おわり
ここまで厳密に読んでいるこの質問者は、センター試験国語の現代文は満点に近いと思います。
そして、国語でこのコツがわかれば、これは英語の選択問題にも当然あてはまります。
逆に言えば、この読解の仕方がわからなければ、英語がいくら得意でも高得点にはなりません。
だから、高校3年生では、国語力が英語力を支えているのです。
しかし、ここで私は思うのです。
こういう問題を作る人の苦労を思いつつ、もうこのような試験問題はやめたらいいのではないかと。
インターネットを利用すれば、定員の制限なく、誰でも自由に自分の好きな学問ができるはずです。
選択肢のアラを探すような不毛な勉強を高校生にさせるのではなく、もっと思考力と創造性を伸ばすような教育をする時期に来ています。
その教育の中心になるものは、読書と作文(小論文)とディスカッションです。
ディスカッションと言っても、他人を論破することを目的としたディベートではなく、互いの考えを認め合う対話です。
(作文と小論文は違うと言う人がときどきいますが、どちらも同じです。事実にウェイトが置かれているものが作文で、意見にウェイトが置かれているものが小論文です。エッセイなど、その境界が曖昧なものもあるので、全部まとめて作文という言葉でいいと考えています。)
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「嬉しいなあ」と言っていると、本当に嬉しくなってきます。それは、なぜかというと、日本語の母音言語の性質は、感情に働きかけることにあるからです。
欧米の言語文化で育った人は、虫の声を雑音としてしか聴きません。だから、雑音で感情が動かされることはありません。雑音は無視していればいいので、聴こえていても聴こえていないのです。
欧米では、人間の言語だけが聴くに値する音声で、それはもっぱら理解するための言語です。
日本語では、虫の声が感情に響いてくるように、人間の声も理解だけではなく感情を伴って入ってきます。心と言葉が一致しやすいのが日本語です。
この日本語脳が形成されるのが、ちょうど小学1年生から小学3年生にかけてだと言われています。
ところが、こういう科学的研究が遅れているために、小学校の低学年までの時期に英語漬けの教育をしてしまうことがあるのです。
英語が堪能かどうかということは、これからの社会ではますます重要ではなくなります。
早期の英語教育をする必要は全くありません。
外国語の学習は、日本人の場合は小学4年生以降が最適だと考えられています。
しかも、それは中学英語の先取りのような勉強的な英語ではなく、英語の本を読むような英語に慣れる教育として行われる必要があります。
小学校低学年の時期に子供を海外で育てる家庭や、父親と母親のどちらかが日本語以外の言語である家庭では、生活の中での日本語教育に、より一層の力を入れていく必要があると思います。
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では、今、日本で英語教室などをやっている人はどうしたらいいかというと、ひとつは小4からの英語教育に力を入れることです。
そして、もうひとつは、外国人に日本語を教えることを仕事の中に組み込んでいくといいと思います。
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遊びや行事のページで実行課題集を作成し、毎週の作文の課題に利用できるようにする予定です。
この実行課題で書いた作文をもとにプレゼン作文発表会を行い、生徒どうしの交流ができるようにしたいと思っています。
「オープン遊び」掲示板
https://www.mori7.net/ope/index.php?b=3&k=4&p=0
facebookグループ「親子で遊ぼうワンワンワン」
https://www.facebook.com/groups/wanwanwan/
「日本の行事と文化」掲示板
https://www.mori7.net/ope/index.php?b=3&k=31&p=0
facebookグループ「行事と季節の家庭学習」
https://www.facebook.com/groups/gyouji/
facebook記事より。
====
頭で考えつくこと(思想や哲学)は、それほど成長しません。
知識は、誰でも同じものがすぐ手に入ります。
しかし、足で歩いて得たものは、その人だけの情報になります。
また、手で作って得たものは、その人だけの財産になります。
だから、これからの時代は、手足を使うことが大事になります。
勉強の中には、退屈に耐える忍耐力だけが必要なものもあります。
そういう勉強をしすぎると、ある時点から勉強をすればするほど頭が悪くなってきます。
(もちろん、そういう心配は、しすぎの場合だけですが)
子供の生活も同じです。
考えること、知識を身につけること、手足を使うことのバランスをとっていくことが大切です。
そのバランスをとるひとつの方法が自然と接することです。
自然には、手足を使いながら、自然に知識を増やし、考える機会を増やす効果があります。
だから、子供にとっていちばんいい教材は、身近な自然なのです。
低学年の作文課題で、身近な自然を生かすことを考えています。
自然といっても、必ずしも野や山や海に行く必要はありません。
日常生活の中にある自然を生かすのです。
親子で遊んで楽しんで、それを作文に書いて(書くのは自由)、その作文に画像や音声を組み合わせてプレゼン作文発表会をするという企画です。
できれば、その発表会も、お花見を兼ねて近所の公園でやっていきたいと思っています。(半分宴会(笑))
今日は、さわやかな青空。。
何だか、あっという間に春が来そうです。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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facebook記事より。
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これからは、いいことばかりが起きると思えば、自然に攻めの姿勢になります。
これからは、悪いことばかりが起きると思えば、自然に守りの姿勢になります。
地球の歴史の数十億年、人類の歴史の数十万年(数百万年?)、世界は大きくいいことばかりが起きてきました。
これからも、世の中は更によい方向に向かうでしょう。
うしろを向いて喋る批評家は置いといて(笑)、前を向いて新しいことを始めましょう。
寒風の中、春はもうすぐそこまで来ています。
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