国語力は、国語の問題集をいくら解いても身につきません。問題を解いたあと、先生の説明を聞いても、その説明を理解する力は、本人のもともと持っている国語力までです。
では、国語力はどのようにしてつくかというと、それは塾や学校の国語の勉強の中ではなく、日本語の豊かな家庭生活の中でつくのです。これが、国語の勉強が他の勉強と違うところです。国語力は、いろいろな教科の学力の中のひとつの学力なのではなく、あらゆる勉強のもとになっている理解力、思考力のことなのです。
国語の得意な子は、国語の問題集をしっかりやってきた子ではありません。家庭生活の中で、読書と対話の時間を多く取ってきた子です。だから、国語の勉強は、毎日の家庭での自習としてやっていくという方法がいちばんよいのです。
そこで、言葉の森では、毎日の自習として、音読、読書、暗唱、問題集読書などをするようにすすめています。
しかし、この自習というのが子供にとっては飽きるものなのです。問題を解くような形の勉強であれば、新しいプリントをやって、それまでのプリントのやったあとが残りますから、一見やりがいがあるように見えます。しかし、国語はそのようなプリントを解くような形の勉強では身につきません。国語力は、特別の教材がなくても毎日同じようにやれる自習を続けることによってつきます。
まず、自習に対する発想を変えていく必要があります。問題のプリントをやるような自習であれば、ノルマを決めておけば子供はある程度自動的に勉強をするようになります。しかし、音読や読書はそうではありません。音読や読書は形に残らない勉強ですから、最初の時期は親がそのつど「やりなさい」と言わなければできません。また、形に残らない勉強なので、子供はすぐに飽きてきます。そのために、音読などわずか5分でできることを続けられなくなる子が多いのです。
しかし、小学校低中学年のうちに、この形に残らない勉強を続けるという習慣を育てていくと、それは、将来の勉強に最も必要な自立した持続力を育てることになります。
子供の本当の学力は、中学生後半から高校生になり自覚して勉強するようになってから急速に向上します。自覚して勉強を始めると、それまでの親から言われてしぶしぶやってきた勉強の数年間分を数ヶ月で取り戻すようになります。
しかし、この中学生後半からの自覚した勉強であっても、本人の意欲はあるのに勉強が空回りしてしまうということがよく出てきます。それは、決心を持続する習慣が育っていないからです。例えば、英語の教科書を音読するとよいらしいという勉強法を聞いて早速始めたとします。ところが、ほとんどの子は数日で飽きてしまうのです。これでは、意欲はあっても実力は伸びません。
そのときに、小学校低中学年のうちに毎日同じことを同じようにするという勉強習慣をつけていた子は、一度決心したことを成果が出るまで長期間続けていくことができるのです。中学生後半から高校生のときに、自立しした勉強ができるようになっている子は、いったん目標が決まると自分のペースでどんどん実力をつけていきます。一方、自立した勉強の習慣のない子は、高校生になってもあいかわらず塾や予備校で先生から強制される場がないと勉強をすることができません。高校生以上になると、勉強は個人個人の個性の差が大きくなります。志望校の問題の傾向も違うし、生徒本人の得手不得手も違ってくるからです。そのときに、自分のペースで勉強できる子と、他人に強制される場がないと勉強できない子とでは、学習の能率に大きな差が出てきます。高校生になってから学力が伸びる子と伸びない子の差はここにあるのです。
小学校低中学年の毎日の自習は、単にその勉強をするためだけの自習ではありません。毎日同じことを同じように続けるという自立心をつけるための自習です。だれでも、最初のうちは、親に言われなければ、毎日の音読や読書はできません。また、数日、風邪で休んだり、旅行に出かけたりすれば、それまで毎日続けてきた自習の習慣もすぐに消えて、また親から言われなければやらない状態に戻ってしまいます。しかし、そこで親がまた飽きずに自習をさせるということを繰り返します。このようにして、何度も親から言われて続ける期間が長くなればなるほど、子供の心の中に持続する勉強の力がついてくるのです。
小学校低学年のうちに、毎日の音読を1年間続けた子であれば、高校生になったときに、自分が決心した勉強を1年間続けることができます。
毎日の自習で親が言わないとやれないということをマイナスに考えるのではなく、親が言わないとやれないような単調な勉強(といっても、音読はわずか5分、読書も短ければわずか10分ですから、やろうと思えばすぐにできます)を続けることが、子供の自立心を育てることになるのだとプラスに考えて取り組んでいってください。
毎日しなければならないことがあると、子供の生活全体がめりはりのあるものになります。日曜日などは、大人でも朝起きてから特にすることもなくぼんやり過ごしてしまうことがあります。ところが、子供の場合、朝ご飯の前に音読ということを決めておけば、その音読をしたあとにすぐきちんとした生活を送る姿勢ができます。しかし、ここで大事なのは、自習ができたら褒美をあげるというようなやり方にはしないということです。自習がちゃんとできたら褒美をもらえるということになると、子供の自立心は育ちません。褒美があってもなくても、決めたことを黙々とやるということが自立心です。
ただし、子供の努力を認めることは大事ですから、親がときどき、「よくがんばっているね」「本をよく読んでいるね」「今日もちゃんとできてえらいね」などと言ってあげることです。
国語の力は、この音読や読書や対話のように、日本語を豊かに吸収する生活がなければ決して身につきません。国語力をつけながら、自立心も併せて育てる学習として、親の働きかけが必要な自習をむしろ肯定的にとらえて毎日の勉強に取り組んでいってください。
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問題を解くような形の勉強であれば、子供がある程度自主的に進めていけます。しかし、作文の場合は、そういう問題・解答形式の勉強ではありません。毎日、読書や音読などの読む自習を行い、毎週、自分で考えて作文を書くということで力がついていきます。
作文は、親子の対話を楽しむ形で進めていく勉強です。これは、小学生には特に重要です。小学校1、2年生は自由な題名ですから、毎週授業の始まる前に、「今週はどんなこと書くの」と子供に聞き、親が子供と作文に書く内容について話をします。また、書いた作文が返却されたときも、その作文の内容について家族で対話をします。この際、決して欠点を指摘して直すようなことはしないでください。欠点は、読む力がつく中でほとんど自然に直ります。欠点を指摘すると、作文を書くことが億劫になります。対話は、いつも楽しい雰囲気で行ってください。この対話のときに大事なことは、お父さんやお母さんの子供時代の似た話などをたくさんしてあげることです。そのときに、子供には、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするようにします。この対話によって親子のコミュニケーションが豊かになるとともに、子供の頭がよくなります。
小学校3、4年生の場合は課題が決まっているので、親子の対話は更にしやすくなります。次の週の課題を見て、お父さんやお母さんが似た話を子供に聞かせてあげてください。場合によっては、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに取材してもよいでしょう。また、作文が返却されたときも、親子でその作文を話題にして話をするようにしましょう。この場合、やはり大事なことは、欠点を指摘して直すようなことはしないということです。作文はできるだけよいところを見て励ますようにしてください。
小学校中学年までに親子の対話の習慣を作っておくと、その親子の関係はあとまで続きますし、その対話によって子供の頭がよくなります。理解力や思考力は、問題を解くような形の勉強では身につきません。対話と読書によって最も確実に身につくのです。ですから、対話のときは、楽しい雰囲気で、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするように心がけてください。
小学校高学年や中学生になると、子供が自分の作文を親に読まれるのを嫌がる面が出てきます。その場合は、作文ではなく、課題の長文をもとにして対話をしていきましょう。課題の長文は、ホームページでも読むことができますから、事前にお父さんやお母さんもその長文に目を通しておくとよいでしょう。
「課題の岩」
https://www.mori7.net/mine/iwa.php
「森の予習室」
https://www.mori7.net/ope/
課題の長文をもとにした対話は、次のような形で進めることができます。まず、子供に、次の週の課題がどういう内容か説明させます。そのためには、子供が事前に長文を読んでおかなければなりません。題名だけの課題の場合は、子供がどんなことを書くつもりか考えておかなければなりません。この子供に内容を説明させるということが、子供の思考力と表現力を育てる勉強になります。子供に説明させたあと、親がその課題についての関連する話をしてあげます。親の話を聞くと、子供が自分の経験を通して考えただけの作文よりも話題が広がり、感想も深まります。
小学校高学年になると、普通の家庭ではどこでも親子の対話は少なくなります。特に、お父さんは子供との日常的な接点があまりないので、対話をするとしても勉強や成績のことばかりになりがちで、ますます対話が難しくなります。ところが、作文の勉強を通して話をすることによって、親子が毎週知的な対話を楽しむ習慣ができるのです。
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今、子供たちの前に、三つの山がそびえています。その山々をのりこえていくことが、これからの課題です。
第一の山は、学力の山です。
現在の学校は、さまざまな施策や個々の先生の努力にもかかわらず、教育力を失いつつあります。それは、子供たちの家庭環境における格差が広がる中で、従来の一斉授業といいうスタイルが時代に合わなくなってきているためです。
一方、学習塾や予備校は、その性格上、受験に対応する勉強に力を入れ、その結果、知識の詰め込みを常態化させ、子供たちの思考力、創造性、勉強に対する意欲、家族との交流の時間などを奪っています。
この学力の山をのりこえることが、当面の最も大きな課題です。
言葉の森は、これを次のような方法で取り組もうと考えています。
ひとつは、自習検定です。漢字、算数・数学、英語の家庭での自習を毎月の検定試験(無料、希望者のみ)でチェックしていきます。
もうひとつは、学力テストです。年に3回の全国規模の模擬テスト(有料、希望者のみ)を行うことによって、客観的な学力を測定し、早めに対策が立てられるようにしていきます。
そして、もうひとつは、家庭での自習を軌道に乗せるための寺子屋オンエア(無料)です。これは、ネットのオンエアサービスを利用して、孤独になりがちな家庭での自習を、家庭にいながらにして友達や先生と共有する仕組みです。
子供たちの前に立ちはだかる第二の山は、創造力を育てる教育の不在です。不在ですから、ただの山ではなく、麓が沼になっているような山と言ってもいいかもしれません。
未来の社会で必要になるのは、クイズ番組に出るために詰め込む知識のような学力ではなく、新しい価値あるものを創造できる学力です。
しかし、この創造力を育てる方法論が、今の教育にはありません。
言葉の森は、その方法の開発に取り組んでいます。例えば、項目作文、構成図、長文暗唱、森リン評価、親子の対話を生かした実行課題、プレゼン作文などは、子供たちの創造力を育てる新しい教育のツールです。これらのツールを使い、作文の学習を中核として、試験の点数に表れにくい真の学力を育てていきたいと思っています。
(「創造性を育てる作文」1~8
https://www.mori7.com/as/1542.html )
子供たちの前に立ちはだかる第三の山は、親にとっても山になってくるものです。
それは今後、アメリカの基軸通貨放棄、中国のバブル崩壊、日本の財政破綻などによって起こると考えられている経済の急激な収縮です。
預金が封鎖され、物価が高騰し、失業と倒産が相次ぐ社会では、大人がまず生き残る道を考えなければなりません。
しかし、この混乱のあとに登場する新しい社会は、もはや従来の社会の復活ではありません。人間の価値観が大きく変化する中で生まれる全く新しい社会です。
(「モノクロの旧社会からカラフルな新社会へ(その4)」
https://www.mori7.com/as/2094.html )
その新しい社会とは、利益の追求と、競争における勝利を目的とした経済的な社会ではなく、個性的な人格の向上と、価値ある創造と、社会への貢献を目的とした教育的、文化的な社会です。
言葉の森は、そういう未来の社会に対応するために、先に挙げた自習検定、実行課題、寺子屋オンエアなどに加えて、それらの教育の場を保護者が地域で提供する森林プロジェクトを企画しています。
今回の、経済的、政治的な混乱は、日本だけでなく、先進国だけでもなく、新興国、途上国も含めた世界規模の混乱になることが予想されます。
しかし、その混乱は、世界的な規模での平和で創造的な社会が生まれる出発点ともなるのです。
その先導役を果たすことになるのが日本です。なぜなら、
1、日本は、先進国の中で最も強い経済力を持つ国のひとつであり、
2、国民の知的格差がきわめて少なく、
3、エゴイズムに基づく競争よりも、共感に基づく調和の文化を持ち、
4、天皇という国民統合の象徴を持ち、
5、いざというときに信じられないほど大きく変化できるという歴史を持ち、
6、世界中のほとんどの国から好感を持たれ信頼されている国だからです。
今、目前にそびえたつ山々は、見方によっては越えがたいようにも見えますが、先の展望さえ持っていれば、必ず誰でも越えていけるものです。しかし、そのために必要なものは、確実な情報を提供してくれる人と人との信頼できるコミュニケーションです。
言葉の森は、ホームページやfacebook、あるいは電話や手紙などで、その情報のバックアップをしていきたいと思っています。
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米国のデフォルトが現実的なものになってきたようです。
あらかじめそんなことがわかっているなら、なぜ手を打たないかと思う人も多いと思いますが、わかっていても解決策のないものもあるのです。
しかし、うまくやれば徳政令のような超法規的な措置で、問題を軽くなかったことにすることもできます。
いずれにしても、そのあとに来る社会の準備をすることがこれから大事になってくると思います。
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今後、米国がデフォルトすれば、アメリカがこれまで担ってきた世界に対する購買力は大きく低下します。また、中国の民主化に向けての圧力が強まれば、中国のバブルはいったん崩壊し不良債権の山が経済を長期間停滞させるでしょう。
これらの影響は、当然日本にも及びます。その影響は、第一に物が売れなくなることです。そして第二に、財政再建のためにリストラが行われ、更に物が売れなくなっていくことです。
世界規模のデフォルトが相次ぐことで、結局返せない借金は、徳政令のような形で無理やり収束されることになるでしょう。(あるいは、人類はもっとよい方法を考えつくかもしれませんが。)
そして、皆の預金や現金が吹き飛んだあとに、それでも特に誰も餓死することもなく、貧しく不便ながらも世界は回っていることに多くの人が気づきます。
仕事をしている人がほとんどいないのに、最低限の生活に必要なものは、とりあえず供給されるほど、人類の生産力は豊かになっていたのだと多くの人が気づくのです。
物が売れなかったのは、お金がなかったからではなく、もう既に物があったからです。だから、これからは、互いにあり余ったものを売り合うよりも、真に価値あるものを作り出し、それを与え合うようにすればいいのだと、皆が自然に思うようになります。
真の価値は、人間の創造です。それは、最初は、子供の教育から始まります。子供たちに基礎学力をつけ、創造的学力を育て、文化の伝承をすることが、子供の教育を通した価値の創造です。
これからの社会では、受験勉強は不要になります。限られた定員の中で、そこに合格するために競争する勉強ではなく、誰でも希望すれば入れる無制限の枠の中で、新しいものを創造するための勉強が求められるようになります。そのために必要なものは、幅広い基礎学力と深い思考力です。
そして、やがて価値の創造の分野は、子供の教育から発展して、大人の学習に進んでいきます。その学習の目的は、個性的な人格の創造です。
これまでの社会における学習は、没個性的な利益の追求によって引き起こされる他者との競争に勝つための学習でした。しかし、これからの社会では、自分の個性的な人格を向上させ、新しい価値を創造し、それによって社会に貢献することが学習の目的になります。
そういう新しい社会に真っ先に移行するのが日本です。日本の文化には、もともと競争よりも共感を重視する面があるからです。
世界が、経済的な破綻の中で混乱しているときに、日本が最も早く安定した社会を回復します。その事実によって、日本が将来の世界のモデルを提供することになります。
だから、教育は、単に子供の教育にとどまらず、また単に自分の向上にとどまらず、世界をよりよく変革するための強力なツールにもなります。
日本では、これから英語教育に力を入れようとしていますが、それは、日本人が英語を使えるようになるためではなく、日本人が英語圏の人に日本文化を伝えるための英語教育になります。
ところで、そのような時代の勉強は、もはや机上の学問ではありません。受験のための学問ではない創造のための学問は、その成果を現実社会の中で実践するという面を持っています。そういう知恵が、これから求められる本当の知恵になります。
では、実践のための知恵とは何でしょうか。
これまでの没個性的なモノクロの利益追求型の社会では、知恵は、利益を生み出すための知恵でした。それは、コスト(インプット)よりも大きな利益(アウトプット)を作り出す知恵であり、その知恵が中心になって社会が動いていました。
初期の工業生産では、ベルトコンベア式の生産に見られるように、労働者をまるで機械の一部であるかのように使うことが利益を上げるための知恵でした。
しかし、今はもう、人間はそういうところでは動きません。
これからの社会では、給料を得ることは、仕事の必須条件ではありません。なぜなら、世の中は、お金では動かないようになってきているからです。どんなに高い給与を提示しても、皆がその仕事では働きたくないと思えば、その仕事はもう成り立ちません。
利益と給与で回っていたサイクルが、未来の社会では、別のサイクルになります。それは、個性的な人格の向上と創造と貢献という人間の新しい生き方と結びついたサイクルです。
未来の世の中は、モノクロの利益と給与で動くのではなく、カラフルな創造と貢献と、相手とのつながりの中で動くようになります。ちょうどフリーなオープンソースの産物であるLinuxやApacheやMySQLが、有料で豊富な資金力に裏付けされたソフトやシステムを超えてしまったのと同じことが、これからの社会のあらゆる分野で起こってきます。
一部の人だけが、独立してお金を稼げるプロで、大多数の人が単なる消費者となり、被雇用者として企業から与えられる給料でその消費生活を送るという時代は、もう過去の時代になります。
未来は、すべての人が、自分の個性的な人格において創造する独立したプロとなれる社会です。
もちろん、今の大人の大多数はまだ、そういう準備ができていません。しかし、人間は必要に迫られればすぐに変容できる力を持っています。そして、その出発点となる国が日本なのです。
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モノクロ資本主義における需要の本質は、利便性の追求です。利便性というものは、人間に普遍的な需要なので、世界中に広がる力を持っています。だから、資本主義を担う企業は、大企業化を目指します。
企業の大きな目的の一つは、利益の追求で、それは本質的にクローズドな性格を持っています。しかし、企業は、利便性を求める需要に応えるために、他社との競合上、常にオープン化を志向しなければなりません。
この大企業化とオープン化の組み合わさったものが、インフラ化(生産基盤化)です。つまり、水道の水のように自然環境と同じぐらい身近になった商品が、その生産者やコストをほとんど意識せずに使えるようになるのです。
今、コストとなっているものは、つきつめれば人間の労働とエネルギーです。だから、エネルギーが低廉化し、人間の労働が機械やシステムに置き換えられるようになれば、インフラは限りなく自然の恩恵に近づいていきます。
すると、人間の需要は、誰にも普遍的でモノクロな利便性の追求から別のものへと移っていきます。それが新社会の特徴となるカラー化です。
これからの新社会の企業は、個々人のカラーのこだわりに対応して、自らもカラーのこだわりを持ち、巨大化やオープン化を志向せずに、クローズドなカラーと限られたニーズにこだわることがその生命となります。
そのような企業の広がる形態が、暖簾(のれん)分けです。
旧社会の大企業が、メタセコイアのような巨木を志向していたのに対し、新社会の企業は、タンポポの綿毛のように、種を飛ばすことによって広がっていきます。
これからの子供たちが暮らす未来の社会は、そういう社会です。したがって、子供たちの教育も、その新社会に対応したものを準備していく必要があるのです。
(つづく)
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国語力の大もとは、幼児期に育ちます。
言葉の森では、生徒のご兄弟で、まだ字をあまり書けないお子様を対象に(3歳から6歳ぐらい)、幼児作文コースのモニターを募集しています。
期間は、1ヶ月程度。毎週の電話指導があります。保護者のご協力がある程度必要ですので、保護者のどなたかが電話に出られる時間帯での電話指導になります。
■幼児作文の説明
◆書く練習の土台になる、聞く・話す・読む練習
作文の勉強は、作文の勉強だけで成り立っているのではありません。作文は、いわば山の頂上にあたる部分で、その山頂を支える広い裾野が必要になります。その裾野が、聞く・話す・読む勉強です
◆書かせて直す勉強をすると、作文が嫌いになる
聞く・話す・読むという基礎がまだ十分でないうちに、書く勉強をさせると、書き間違いが必ず出てきます。その間違いを直していると、すぐに作文が嫌いになります。
今行われている作文指導のほとんどは、この書かせて直す指導です。
◆聞く・話す・読む練習は、直す必要がないので、楽しくできる
作文の勉強(書く勉強)は、直す必要のないところから始めるのが理想です。それが話す勉強です。また、読む勉強も、直す必要のないところから始めるのが理想です。それが聞く勉強です。話す勉強、聞く勉強は、直すことがないので、楽しくできます。作文の勉強は、この楽しくできるということが最も重要です。
◆子供は、お母さんやお父さんがしていることを真似したがる
小さい子供は、親のしていることを真似したがります。だから、親が本を読んでいる姿を見せていると、子供も本好きになります。親が文章を書く姿を見せていると、自然に文章を書くことが好きになります。
◆子供が絵をかき、親子で対話し、親が作文を書き、子供が読む
子供は、絵をかくのが好きです。その日にあったことを絵にかいてもらい、その絵をもとに親子で対話をします。対話をしながら親が作文を書いてあげます。これが親子の対話による作文です。
◆よい手本を何度も見ていれば、最初から直す必要のない作文が書ける
対話をしながら書く文章は、必ずしもきちんとしたものである必要はありません。短文をつなげているようなものでかまいません。また、字の上手下手も問いません。字の練習は、子供が自分で文章を書きたがったときに、文字の手本を見せて練習すればよいからです。大事なことは、気軽に楽しく書くということです。
ただし、対話をしながらその場で書くのが難しいという場合は、メモだけをして、あとで作文にする形でもかまいません。
◆漢字は自然に使い、ふりがなをふっておく
親が書く作文では、漢字は自然に使ってください。そして、その漢字にあとでふりがなをふっておきます。すると、日常生活で使う漢字の読みを自然に覚えます。漢字のドリルのようなもので練習するよりも、日常生活の中で必要に応じて使う漢字の方がずっとよく身につきます。
◆お母さんだけでなく、お父さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも
毎週の電話に出ていただくのは、子供本人と、その時間帯に家にいるお母様になることが多いと思います。しかし、作文を書くのは、別の人が、別の日や別の時間帯に書く形でもかまいません。家族の中のいろいろな人が関わることで、子供はバランスのとれた成長をしていきます。
■幼児作文の方法
方法は、簡単です。
1、まず、電話を受ける時間を決めてください。
↓
2、担当の先生が自宅に電話をします。
↓
3、先生がお子様と話をします。
そのあと、お母様に電話を代わってください。書き方を説明します。
↓
4、お子様が、今日書くことを鉛筆で絵にかきます。(この時点では色を塗らない方が早くかけていいと思います)
↓
5、絵をかき終えたら、お子様とお母様が話をします。
↓
6、話をしながら、お子様の言ったことを作文風に書いていきます。
====(作文例)
私は、昨日、友達と公園で遊びました。すると、そこにお兄ちゃんが来て、
「何してるの。」
と聞きました。私は、……
====
漢字は自然に使い、あとでふりがなをつけておくとよいでしょう。
お子様の話したこと以外に、お母様などの似た体験を書いたり、たとえを使ったりと、表現を工夫しても結構です。ただし、あまり長時間にならないようにしてください。ものたりないぐらいの時間で打ち切るのが、長期間続けていくコツです。
↓
7、作文を書いたあと、お子様が絵に色を塗って完成です。
↓
8、その作文は、ご家族で回覧し、自由にコメントなどを入れておいてください。また、関連する写真などを貼り付けておいてもいいでしょう。
作文は、お母様が書くだけでなく、週によってお父様、おじい様、おばあ様が、持ち回りで書くようにするといいと思います。
■関連するアドバイス
1、お子様のかいた絵を批評したり、注意したり、笑ったり、からかったりせずに、ただ温かく見るようにしてください。
2、お子様の話し方についても同じです。どんなに拙い説明でも、優しく聞いてあげてください。
3、ご家族の持ち回りで作文を書く場合、他の家族が書いた作文を、批評したり、からかったりせずに、温かく見るようにしてください。
4、大人はつい長時間取り組みがちですが、子供が飽きるまでやると長続きしません。1回の作文は、ものたりないと思うぐらいで終わるようにしてください。
5、親の書いた作文は、子供に読ませてもいいですし、親が読んであげてもいいです。
子供が上手に読めるようになれば、週に1度ご家族の前で発表会をするといいでしょう。
6、子供が自分で書きたいと言い出したときは、すぐに書かせずに、まず文字の練習から始めましょう。
最初に文字の練習をすることによって、正しくていねいに書くことができるようになります。
▽参考図書
「幼児のきそがためドリル ひらがな入門」幼児教育研究会
「幼児のきそがためドリル カタカナ入門」幼児教育研究会
7、できる方は、お子様の作文発表の様子をyoutubeの限定ページでアップロードしてください。
アップロードされた方どうしは、互いのページを見られるようにしたいと思います。
アップロードされたあと、しばらくしたら、そのyoutube動画はそれぞれ削除してくださっても結構です。
8、モニターの皆様の声を参考に、4月から幼児作文コースを開始する予定です。
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こんにちは!
兄が水曜日にお伺いしているのですが、6歳になったばかりの妹がいますのでモニター登録させていただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。
では、教室にお電話ください。お名前などを確認したいので。
0120-22-3987(平日900~2000)
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旧社会の特徴は、カラフルな感性とは反対のモノクロの利便性です。
資本主義は、大量生産に成功することによって発展してきました。大量生産の目的は、松下幸之助の「水道哲学」であり、中内功の「よりよい品をより安く」であり、人間の誰にとっても普遍的な利便性の追求でした。
だから、資本主義は基本的にモノクロでしたが、やがて人類の生産力が増してくると、モノクロの利便性は、次第に飽和するようになってきます。
一家に一台の車、カラーテレビ、クーラーがそろい、一人に一台のスマホが行き渡るようになると、もうそれ以上2台も3台も持つ必要はなくなります。
このモノクロ資本主義を延命させるものが四つありました。
第一は、表面的なカラフルさの装いで、買い替え需要を喚起する営業的な努力です。
第二は、IT産業に見られるような新しいモノクロのフロンティアです。グーグルやアマゾンやヤフーや楽天や、これから生まれるロボット産業は、新社会のカラフル産業ではなく、旧社会の新しいモノクロ産業です。
第三は、中国やインドやブラジルの新興国の膨大な人口が新たに旧社会に入ることによって生み出される新しい大量の需要です。
第四は、アメリカが管理していたドルという通貨を、基軸通貨産業のようなものにしたことによって生み出されたバブルの需要です。
これらの要素が組み合わさることによって、資本主義を延命させる需要が生み出されました。しかし、資本主義は延命したとは言っても、その延命の方向は既に誰の目にも明らかになりつつあるように、最終的な飽和に向かっています。
話はやや脱線しますが、その飽和の手前にかなり大きな変化が二つあります。
一つは、中国など新興国で起こる新しい旧社会の内需に環境破壊が伴っていることです。しかし、これは科学技術の発展によっていずれ克服されるでしょう。。
もう一つは、アメリカの基軸通貨産業が破綻することです。中国には基軸通貨を肩代わりする力はないので、基軸通貨は国際機関が管理するようになるでしょう。そうなれば、その機関は当面アメリカの軍隊を失業から救うために国際軍に編成替えすることができます。また、世界の国々をその軍事力に反比例する形で援助することができます。そのようにして、政治の力で世界平和を実現させることができるようになるのです。
さて、モノクロ資本主義は、人間の普遍的な需要である利便性を大量に安価に提供することを使命としてきました。
その大量の単色の需要と生産に適した形態は、大企業化でした。
しかし、大企業といえども競争はあります。その競争に勝つために必須の条件は、コストを切り下げることです。コストの切り下げは二つの方向で進みます。一つは、人件費の機械による置き換えです。もう一つは、オープン化です。本当は、企業は利益率を高めるためには、クローズド化と囲い込み化を進めたいのですが、オープンでないものは利便性という点で負けるので、やむをえずオープン化を志向するのです。
(つづく)
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小学校低学年までの子供たちは、お父さんやお母さんを基準にして暮らしています。だから、この時期は、親の言うことをよく聞きます。
しかし、小学3年生から、次第に親よりも友達を基準にすることが多くなり、その状態が中学2年生くらいまで続きます。
中学3年生になると、自我が成長してくるので、友達という他人よりも自分自身の内面が基準になってきます。
したがって、小中学生の勉強を軌道に載せるためには、友達関係を生かしていく必要があります。
江戸時代の寺子屋で多くの子供たちが早朝から昼過ぎまで素読やなぞり書きのような単調な学習を続けられたのは、一緒に机を並べる多数の友達がいたからです。つまり、一緒に同じことをする仲間がいると、退屈なことでも続けられるのです。
「見える学力見えない学力」を書いた岸本裕史さんが始めた家庭塾でも、運営がうまく行くコツは、やはり友達が数人集まるということでした。ただし、その代わりに、私語は厳禁という明確なルールがありました。子供たちの集団学習に、先生や親という大人が必要なのは、子供たちだけでは必ず最もお喋りな子に全体が引きずられるからです。
教育法制化運動の向山洋一さんの著書に、受験時代に経験した集団学習の効用の例が載っていました。向山さんは、受験生時代、友達の家に行って一緒に勉強をしたそうですが、ただ一緒にいるというだけで、互いに別のことを黙々とやっていたそうです。そして、勉強が終わって帰るときに、二人で囲碁や将棋をして短いおしゃべりを楽しんだということです。
このような例を見ると、勉強でも仕事でも、長時間続ける意欲は、同じことをしている誰かが一緒にいるというところから来ていることがわかります。ところが、友達と一緒に勉強するという環境が、個人ではなかなか用意できません。岸本裕史さんが提唱したように、近所の家族どうしの持ち回りで家庭塾を開くというのが理想ですが、狭い住宅環境という問題や、少子化で近所に友達が少ないという問題で、なかなか簡単に集まって勉強するという仕組みは作れません。
そこで、ほとんどの家庭は、近くの学習塾に子供を通わせるようになります。家で子供がひとりで勉強するだけでは、すぐに飽きてくるからです。しかし、学習塾の問題は、勉強が他人依存になりがちだというところにあります。
自分のペースでできる自習を家庭で行えるようにし、しかも家庭をネットでつなぎ、同年齢の子供たちが一緒に勉強している様子がわかるようにして、先生も(時には親も)そのオンエアの勉強に参加できるようにするというのが寺子屋オンエアの構想です。
現在、寺子屋オンエアに参加されるモニターを募集しています。詳細をお知りになりたい方は言葉の森までお問い合せください。
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