例えば、子供が算数の問題をやっているとき、わからない問題があると、親や先生にすぐ聞くことがあります。
「わからない」「教えて」という言葉を聞くと、誰でも教えてあげたくなります。そこで、ほとんどの親や大多数の先生は、その子がよくわかるようにと教えてしまいます。
しかし、そこで満足できるのは、教えた親や先生の方であって、子供ではありません。人間は、受け身でいるときには本当の喜びは感じないのです。
では、どうしたらよいのでしょうか。ここで、いろいろな工夫が出てきます。
すぐに「わからない」という子には、「もう一度考えてごらん」で済むこともあります。
自分なりに考えてわからなかったという子には、その問題を解法のどこからどこに行くところがわからなかったのかを説明させます。すると、問題の焦点がはっきりしてきます。
多くの場合は、その子の持っている問題集や参考書のどのあたりに似た例があるかを見て、そこを読み直すように指示することで、子供は自分なりに問題を解決します。
こういう勉強の仕方をしていると、子供は自分で考えて勉強するようになります。この勉強の仕方は、算数以外のどの教科の勉強にも生きてきます。
自分で進める勉強をさせる上で大事なことは、第一に、問題の採点を子供自身にさせることです。第二に、勉強が終わった時点で、その日にやった問題と答えの説明を、子供から親や先生に説明させることです。
先生の役割は、教えることではなく、子供が理解したことを聞いてあげることです。
作文も同様です。しかし、作文の場合は、解法がありません。だから、昨文を書き始めてから、子供が、「わからない」と言うときには、先生は教える以外にないのです。
作文における自学自習は、わからなくなってから考えさせることではなく、事前の予習をさせることです。事前に長文を読んでおき、家族に取材しておけば、ほとんどの課題は自分で考えて書いていくことができます。
作文の勉強をしていて上達の早い子は、そういう勉強の仕方をしている子です。上達の遅い子は、事前の予習や準備がなく、その場で一生懸命考えて書こうとする子です。
従来の教える教育では、先生の教え方が重要でした。だから、優れた先生が一人いればよかったのです。
しかし、教えない教育では、主人公は先生ではなく生徒自身です。それぞれの生徒のそれぞれの理解の仕方を聞いてあげることが、先生の役割になります。だから、生徒の数だけ先生が必要になります。
そういう先生の役割を果たせるのは、家庭における親なのです。
●じっくり考えて1問解くよりも、答えを見ながら10問読む
勉強の能率で、最も差のつくのが、解く勉強法と読む勉強法の違いです。ほとんどの人は、問題を見ると、自分で解こうとします。自分で解くまでは答えを見ないという方法で、1問を解くのに時間をかける人が多いのです。
そういう解き方ではなく、答えを見ながら10問読む方がずっと能率のよい勉強になります。
大学入試の問題集では、問題のすぐ近くに答えの載っているものがかなりあります。それは、高校生になると自然にそういう能率のよい読む勉強法をする人が増えるからです。
ところが、小中学生の問題集は、答えが別冊になっているものがほとんどです。これは、小中学生は勉強の自覚がまだないので、答えを写して形だけやったように見せる子がいるためです。
だから、小中学生のときに、親から勉強の意義を理解させておく必要があります。つまり、勉強は、人に見せるためのものではなく、自分を向上させるためのものだということを、折にふれて伝えていくのです。
そういう教え方をしていれば、塾や学校のテストで悪い点数を取ったときでも、驚くことはなく、むしろ弱点がわかってよかったと喜べるようになります。
●最後は書く力
書く力は、言葉の森で毎週作文を書いていれば、自然に身につきます。
書く勉強は、負担が大きいので、ひとりで続けるのは難しい面があります。もし、家庭で書く勉強をするとしたら(これは、作文のような長い文章ではなく、50字から200字の短い記述式の問題を解くときに、言葉の森で教えている方法ですが)、問題文を読んでそれに対して、150字なら150字の字数を決めて感想を書く練習をしていくことです。
このときに大事なのは、AではなくBであるというように、対比のはっきりさせた文章を書いていくことです。