国語力をつける要は、文章を読む力をつけることです。特に、受験に対応するためには、物語文についても説明文についてもそれなりに難しい文章を読んでおく必要があります。
その教材として最も手頃なのは、実際の入試問題集です。
そこで、言葉の森では、小学校高学年以上の生徒には、問題集読書をすすめていました。ところが、小学5年生の段階では教育漢字がまだ読めない生徒がいることや、中学1、2年生では常用漢字がまだ読めない生徒がいることから、問題集読書を敬遠する生徒もかなりいました。
そこで、現在、漢字集を作って、漢字の読みだけは学年を先取りして勉強できるような形みにしました。
問題集読書には、もうひとつ問題があり、それは傍線を引かずにただ読むだけの生徒や、読むよりも文章を書き出すことだけに熱心になってしまう生徒がいることです。小中学生は、勉強に対する自覚がまだ弱いので、形に残るものだけに熱心になってしまう傾向があるのです。
そこで、今考えているのは、寺子屋オンエアで、問題集読書の実際の勉強状態をチェックするという仕組みです。
問題集のやり方については、昔の記事が下記のページにありますが、また機会を見てもっとやりやすい方法を提案していきたいと思います。
https://www.mori7.com/kg/koku/mdds.php
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今、幼児期の勉強の仕方が見直されています。
知識や技能は目立ちやすいものなので、計算ができるとか、漢字が書けるとかということが、幼児期には大きな差であるように考えられがちです。
しかし、実際には、知識や技能は学年が上がれば誰でも同じようにできるようになるものなので、先取りしておく意味はありません。
そのかわり大事なのは、勉強というものを楽しむ姿勢を育てていくことです。特に、これから重要になるのは、読むこと、書くこと、考えることを楽しいと感じる子供たちを育てていくことです。
算数の勉強でも、現在は、速く正しく答えを出す能力以上に、自分なりに考えて解く楽しさを味わえる子を評価するようになっています。
国語の勉強についても同じです。
幼児期に、親子で楽しく対話をし、作文を書き、それを読むという練習ができるように、幼児作文コースを始めました。大事なことは、「楽しく対話をする」ということです。
勉強は、時期が来て教われば、誰でもできるようになります。勉強ができること以上に大事なことは、勉強を楽しむという気持ちを幼児期の間に育てていくことだと思います。
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国語力のある子は、高校生の後半から大学生にかけて、哲学をはじめとする難解な学問に強い関心を持つ傾向があるようです。哲学に限らず、物理学でも、経済学でもいいのですが、要するに難解なものに魅力を感じるのです。
小中学生の段階では、まだそのような難しい学問に取り組む動機を持つ子供はいませんが、作文の勉強というものは、その子らしい、創造性、思考力、表現力を発揮できるという点で、国語の勉強を発展させるひとつの方向になると思います。
算数数学の成績がよくても、算数的数学的に考えることが得意でない子がいるように、国語の成績がよくても作文を書くのは得意でないという子がいます。
これからの学力でどちらが大事かといえば、ただ算数数学が得意な子よりも、算数数学の難しい問題を考えるのが好きな子の方です。
同様に、国語力に関しても、これから大事になるのは、国語の成績がよい子よりも、自分らしい作文を書くのが好きな子になってきます。
言葉の森では、この創造性のある考える作文を評価するために、今後、作文オリンピックのような形の学習も考えていきたいと思っています。
現在の小学校高学年から高校生にかけての作文、特に感想文の課題は、ヒントなしに生徒本人が書くのであれば、ほとんどの子がまともには書けないと思います。ところが、中にはそういう難しい課題を自分なりに考えて書こうとする子が、ごく少数いるのです。そういう子供たちが、将来の作文オリンピックの候補者です。
そういう国語的に難しいことを考えるのが好きな子が、小中学生時代に身につけた考える作文力をもとに、高校生の後半から大学生にかけて学問コースで勉強を発展させていく仕組みを考えています。
では、考える国語という勉強を家庭で進めるためには、どのようなことができるでしょうか。
作文の勉強というのは、家庭ではなかなか取り組みにくいものです。1200字程度の文章を書くにも、1時間から2時間はかかります。そういう勉強を定期的に家庭で行うことは無理があるので、家庭でできる創造性のための勉強としておすすめしたいのが、親子の考える対話です。
この対話は、ただたくさん喋ればいいのではなく、親子で考えながらそれぞれができるだけオリジナルに話をしていくということが大事です。
同じ対話でも、中身のあまりないお喋りは、かえって思考力を低下させます。それは、読書でも、易しい本ばかり読んでいると読解力が低下するのと同じです。
創造的で考える対話を親子でするためには、親自身が、物事を自分なりに考えて、自分なりに表現することが好きでなければなりません。大事なのは、知識が豊富であるかどうかということではなく、自分らしく考えることが好きであるかどうかということです。知っている知識を披露するだけの話は、むしろ中身のない話に入ります。
この「答えのない世界を楽しむ」というのが、これからの創造的な学力の中心となるものです。
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これからの勉強は、大きく3つに分けて考える必要があります。
第一は、勝負に勝つための勉強です。これは、受験に合格するための勉強で、その中心になるのは正しい勉強法と、受験という短期間に集中して取り組むための密度の濃い時間の使い方です。
第二は、実力を向上させるための勉強です。この勉強の中心になるのは、毎日の家庭での自習の習慣です。
そして、第三は、創造性と思考力を育てるための勉強です。この勉強の中心になるのは、難しい問題を自分が納得できるまで考えるという子供の生活時間の余裕です。
受験に合格するための勉強には、大人の目からのアドバイスも必要です。
高校生になれば、自分自身で客観的に勉強の方法を決めることもできますが、小中学生はそうではありません。
例えば、テストで間違えたときも、ほとんどの子供が、「合ってた」「間違えた」という結果を確かめるだけで終わってしまいます。間違いについても、その原因は、「うっかりしていた」「計算ミスだった」「勘違いしていた」というようなことで済ませてしまいがちです。
この間違いの中に、本質的な勉強の弱点があることを見抜くには、やはり大人の目による分析が必要です。
しかし、親が子供の勉強をひとりで見るのは大変です。親の勉強の見方をアドバイスするような仕組みがあれば、受験勉強も、基本的に独学と家庭学習でやっていけます。
言葉の森では、今後、寺子屋オンエアと同じような方法で、こういうアドバイスもやっていきたいと思っています。
実力をつけるための自習は、本来的に家庭で行うものです。
ところが、親が日常的に子供の勉強を見るような時間的余裕は、どこの家庭でもあまりないのが普通です。そこで、今後は、地域で、寺子屋のような形で子供たちの自習を見るという仕組みが生まれてくると思います。
地域でリアルな寺子屋が生まれるまでは、オンエアによるバーチャルな寺子屋が、子供たちの集団的な自習を見ていける場になると思います。
家庭学習を行う際に必要なものは、毎日決まった時間に決まったことをするという継続力と、もうひとつは、メディアを自主的にコントロールする力です。
テレビ、ゲーム、インターネット、ソーシャルメディア(facebook、ブログ、Lineなど)は、子供だけでなく、大人のになってもうまくコントロールできないものです。これらのメディアは、これからますます魅力あるものになっていきます。だから、これらを自由な放任に任せることはできません。しかし、全面的に禁止というのもまた問題です。
これからの社会では、子供自身が、豊富なメディアをコントロールする力をつけていく必要があります。そのために、テレビを見る時間、ゲームをする時間、SNSをする時間、それらをしない時間と、しないための工夫などを、意識的に作っていく必要があります。
創造性を育てる教育とは、考えることが好きな子、オリジナルであることが好きな子を育てることです。これは、速く正確な答えを出すことが目的となる受験勉強とは、ある意味で正反対のものです。(難関校では、考えるのが好きな子を見るような試験問題も出されていますが、そういう問題はごく一部です。)
考える勉強をするための教材としてふさわしいものは、算数オリンピックに出てくるような、楽しめる難問です。
しかし、算数は、答えがあるから取り組みがいがありますが、国語的な勉強の難問には、答えがありません。(つづく)
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昔は、学力と合格との相関がはっきりしていました。
しかし、その後、受験というものが社会に広がるにつれて、学力よりも勉強法と合格との相関の方が高くなり、それが塾と予備校の広がる要因になりました。
ところが、今度は、塾や予備校どうしの競争が激しくなると、方法論では差がつかなくなり、かけた時間によって差をつけるという動きが塾や予備校の中に生まれてきました。
その結果、長時間の塾通いや、受験前のかなり早い時期からの塾・予備校通いが始まったのです。
現在は、ちょうどこの段階にあたります。
しかし、長時間の勉強によって、かえって学力のもとになる思考力が育たなくなっていることに、多くの人が気づきはじめています。
思考力は、自分の好きな遊びや読書や対話などに熱中する中で育っていくものです。現在の受験勉強のように、思考のパターンを知識として身につけるような勉強では思考力はつきません。
また、社会に出てから必要になる人間関係力や創造性や向上心の多くも、勉強以外の何かに熱中した時間の中で育っていくものです。
そのために、今、塾や予備校に頼るのではなく、家庭学習を中心に勉強させようとする人が増えています。
しかし、ここで問題になるのは、親自身が自分で工夫して独学で受験勉強をした経験がないために、子供に見当違いの勉強の仕方をさせてしまうことがあることです。
その結果、家庭学習は、親が熱心にやればやるほど、子供との関係がうまく行かなくなることも多いのです。
現在、費用の問題を考えなければ、いちばんよい方法は、受験期に入る前は家庭学習で実力をつけておき、受験勉強の最後の半年又は1年間は、受験のプロの家庭教師に勉強を見てもらうことです。しかし、そういうプロは、滅多なことでは見つかりません。
そこで、家庭学習をオンエアでアドバイスしてくれるようなプロの教育コンサルタントのような仕組みが考えられます。
しかし、このような経過と予測でもわかるように、受験勉強はもう末期的な状態に陥っています。
これからは、希望者は誰でもMOOCのようなオンラインで学習できるという社会になるでしょう。その結果、受験勉強そのものが無意味化してきます。
すると、大事なのは、どこの学校に入ったということよりも、その学校で又は社会でどのような創造性を発揮できるかということになってきます。
受験に合格する勉強から、創造性を育てる勉強へというのが、これからの大きな流れなのです。
創造性を育てる教育を支えるものは、ひとつには、家庭での自習による基礎力の育成です。
もうひとつには、自分の関心のある分野に、寝食を忘れて取り組めるような社会の余裕です。
それは、今の学校・塾・予備校の行っている教育と対極kにあるものなのかもしれません。(つづく)
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受験の合格を目指す人にとっては、ほぼ常識になっていることがあります。しかし、ほとんどの人がそれを実践していないようです。
第一は、学校や塾や予備校に頼るのではなく、自分で立てた計画を優先させて勉強していくことです。
第二は、志望校の過去問は、受験勉強のスタート時に行うものであって、まとめの時期に行うものではないことです。(塾によっては、過去問を最後の合格判定に使っているところもありますが。)
第三に、勉強の目標は、志望校の過去問をもとにした総合点を上げることです。だから、一般に苦手なものに力を入れた方が能率が上がります。
第四に、受験勉強を本格的に始めるまえに、勉強法の本や、志望校に合格した人の体験記を読み、大きな作戦を立てることです。
第五に、何冊もの参考書や問題集を8、9割仕上げるのではなく、1冊を4、5回繰り返して百パーセント仕上げることです。
第六に、そのためには、最初から1ページずつ着実に進めるのではなく、最初にざっと全体を終わらせ、そのあと全体を何度も反復することです。
第七は、受験勉強は、早めにスタートしてコツコツやるよりも、最後の1年間や半年で集中してやった方が効率がよいということです。
これらの方法に共通しているのは、受験勉強は、実力を向上させるための勉強ではなく、勝負に勝つための勉強だということです。その勝負に勝つための勉強を通して、勝負に勝つための実力がついてくるのです。
以上の方法を実行できるかどうかが、合格の決め手になります。
現在の受験勉強は、学力の差よりも、方法の差の方が大きくなっているのです。
しかし、それだけに、受験勉強というものは、もはや末期症状に入っている感じがします。(つづく)
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子供は、大人のしていることを真似したがります。○○ごっこという遊びがそうです。
お母さんごっこ、先生ごっこなど、身近な大人の社会を模倣して成長していきます。
では、勉強はどうなのでしょうか。また、読書はどうなのでしょうか。
これらも、勉強ごっこ、読書ごっこという形で取り組むようになればよいのです。
そのためには、お母さんが、楽しく勉強している姿を見せることです。また、自分の好きな読書をして、その本の中身がこんなに面白かったなどということを話してあげることです。
こういう姿を見ている子供は、誰に言われなくても、自然に勉強や読書に対して肯定的な感情を持ち、自分も同じようなことをしたがります。
幼児作文コースでは、お母さんが、子供の話を聞いて作文を書きます。お母さんが楽しく書いている姿を見せて、「こんなふうに書けた」という話をすれば、子供が自然に作文に対して興味を持ちます。
子供が、自分も同じように書き始めたときに大事なことは、大人が注意をしたり直したりしないことです。
模倣をたっぷりした子は、初めから正しい書き方が自然にできるようになります。
模倣が不十分であるうちに作文を書かされ、間違った書き方をして、注意されたり直されたりするので、書くことが嫌いになっていくのです。
大事なことは、子供に勉強させることではなく、まず親が楽しく勉強的なことをしている姿を見せることなのです。
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