インターネットを使った教育が、広がっています。
アメリカの大学が主導しているMOOCは、既に世界中の高校生に、優れた授業を無料で提供しています。
また、小中学生対象には、ゲーム的な面白さを備えた魅力的なネット学習教材を提供する動きが進んでいます。
教育の分野の中でも、理科や数学の分野は、国境を越えて世界共通の教育が可能です。
だから今、世界のネット教育企業が目指しているものは、教育界におけるgoogleやamazonという、世界で1社か2社しか勝ち残らない熾烈な競争の結果生まれる独占的な教育市場なのです。
しかし、この教育観の根底にあるのは、ヨーロッパ的な世界観です。
それは、できるだけ幅広く大衆的な底辺を広げるとともに、その底辺の頂上をできるだけ高く引き上げ、合理的なピラミッドを作るという見通しを持った世界観です。
この考え方は、現在の欧米の社会の姿と同心円をなしています。つまり、優れたリーダーのいる社会をいかに作るかということが、よい社会作りの中心になっているのです。
このヨーロッパ的な教育観をピラミッド型の教育観とするならば、日本の教育観はその対極にあります。
日本の教育では、優れたリーダーをいかに作るかということよりも、頂点も底辺も含めて全体をいかに底上げするかということに関心が向けられてきました。
その考え方の根底には、人間は誰でも同じような可能性を持ち、誰もが自分の持ち場で創造性を発揮することが、よい社会作りの条件となるという世界観がありました。
この日本的な教育観を、ヨーロッパのピラミッド型の教育との対比で言えば、森林型(と言っても雑木林のような森林)の教育観と言ってもよいでしょうす。
この森林型の教育観におけるネット教育は、頂点をMOOCとし、底辺をゲームとするような教育ではありません。
それは、ゲームとはほど遠いシンプルな教材をもとに、自学自習式の勉強と、人間どうしの触れ合いの中で行われる教育です。
その勉強の成果は、点数によってつけられた序列の上位ではなく、それぞれの個性を生かした発表と創造です。
この日本的な教育によって、子供たちのより本質的、創造的な教育が実現できるのです。
(つづく)
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欧米型の勉強はピラミッド式というのはよくわかります。プリスクールからハイスクール卒業までアメリカの公立校に子供たちは通っていました。教育も進化していっていると思います。アメリカも公立校をみると公平に教育が受けられることが前提ですが能力がある子はさらに上のクラスが学校内に用意されているのでピラミッド式の頂点がアップしていくのでしょう。日本は森林型とのことですべての子供の可能性を引き上げてくれるのは安心できますね。
ミントさん、コメントありがとうございます。
教育以外の分野でも、日本は平等志向で、欧米はエリート志向という文化の違いがあるようです。
底辺に考える力があるというのが、日本文化の強みだと思います。
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小中学校、つまり義務教育の勉強には、本質的に難しいものはほとんどありません。
1冊の薄くてよくまとまった教材があり、それを繰り返して百パーセント自分のものにするという方法を実行すれば、あとはかけた時間に比例して勉強はできるようになります。
その勉強を続けるもとになるものは、本人の意欲で、その意欲は、健全な競争心、仲のよい友だち、好きな先生、将来の夢などによって作られます。
小中学生の勉強には、本質的に難しいものはないはずなのに、受験勉強になると、難しいものがあるように見えるのは、受験というものが点数の差をつけるために、本質的ではないところで難しい問題を作っているためです。
本質的でない難しさとは何かというと、人間の自然の身体的感覚を離れたところから来る難しさです。
例えば、理科の天体の問題は、3次元の立体の動きが中心になっています。人間は、2次元の平面的なところでものを考えることに慣れているので、立体化された問題はわかりにくいのです。
しかし、これはただわかりにくいというだけで、本質的な難しさではありません。この一見難しい問題を、わかりやすい形に還元して考えるのに慣れることが勉強のテクニックです。
同じように、人間の短期記憶は同時に7つぐらいまでのところしか把握できません。8つ以上になると急に混乱してきます。難しい問題と言われるものの中には、人間の短期記憶の容量を超えているから難しいというものもあります。
これも、対処の仕方は、8つ以上の情報を、7つ以下の情報にまとめるのに慣れるということです。
こういう非本質的な難しさが、勉強を難しいものに感じさせていることが多いのです。
子供のころは、このような非本質的な難しい勉強に時間をかけるよりも、その分、たっぷり遊んだり、読書をしたりしている方がいいのです。
このことは、特に低学年の勉強について言えます。低学年のころに、難しい勉強をさせても、勉強に対する否定的な感情を育てるだけにしかならないことが多いのです。
それは、低学年のころの問題の難しさというものが、例えばややこしい文章題の問題のように、本質的でない難しさであることが多いからです。
もちろん、勉強の中には、本質的に難しい勉強というものもあります。
そのひとつが、日常生活の語彙を超えた抽象的な語彙を使って考える勉強です。
その前段階の勉強が、物事の原因や結果や理由や方法という構造的な説明を理解する勉強です。
そういう勉強は、小学校低学年のころは、主に両親との対話と読書によって培われていくのです。
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