子供が小学校低中学年のころは、直すことも、教えることも簡単にできます。
中学生や高校生の場合でも、その勉強の内容を知っている人であれば、簡単に教えたり直したりできます。
しかし、それで子供が上達するかというと、そういうことはないのです。
直されたり、教えられたりすれば、子供はそのときはわかったような気になります。
しかし、直されたり教えられたりするのは、氷山の水面に出た一部です。だから、せっかく懇切丁寧に直したり教えたりしてあげても、1週間もたつと、またできなくなります。
同じことを2回目に説明するときも、同じように教えたり直したりできるのであればいいのです。しかし、ほとんどの場合、2回目も3回目も同じように教えたり直したりできる人はいません。
多くの場合、もっと工夫して別の教え方をしたり、もっと詳しく教えようとしたりします。すると、同じ教え方ではないので、子供はかえってわからなくなります。しかし、わからなくても聞いているときはわかったような気がしてしまうのです。
その結果、1週間もたつと、また同じことができなかったりわからなかったりするようになります。
こういうことを繰り返しているうちに、親や先生はだんだん厳しく教えるようになり、子供はだんだん暗く勉強するようになっていきます。
だから、教えたり直したりすることは、短期的には効果があるように見えますが、長い目で見ると、勉強を苦手にするいちばんの原因になっているのです。
では、どうしたらいいかというと、直したいことがあったときに、それを直接直すのではなく、自然に直るような遠回りの工夫をすることです。知らないうちに直っていたというのが理想の直し方です。
また、勉強でわからないことがあったとき、これもすぐに教えるのではなく、やはり遠回りに自分でわかるような工夫をすることです。子供が自分の力でわかったというのが理想のわかり方です。
親や先生は、子供がわかったら、それを聞いてあげるという役割に徹するのです。小学校高学年になると、子供の説明を親が理解できないという場面も出てきます。そのときは、それでもいいのです。
低学年のときに直す勉強や教える勉強をしていると、学年が上がるにつれて、勉強を続けることが難しくなります。低学年のまだ簡単に直したり教えたりできる時期から、できるだけ直さない、教えない勉強法を工夫していくことが大事なのです。
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せっかく楽しく勉強をしているのに水を差すようですが、やりやすい勉強というのは、実は密度の薄い勉強であることが多いのです。
それは、読書の場合も同じです。人の話を聞く場合でも同じです。
肝心な内容の間に、息抜きの部分が入っているので、楽に読んだり聞いたりすることができます。
だから、難しい本を読んだり、密度の濃い話を聞いたりしていると、理解力がその密度についていけなくなって眠くなることが多いのです。
密度の薄い勉強で楽しく長時間できる方がいいか、密度の濃い勉強で苦しいのを我慢して短時間で集中的に取り組める方がいいかは人によって違ってきます。
一般に、低学年の場合は、勉強の習慣をつけることが大事なので、密度は薄くても楽しく勉強できた方がいいと言えます。
だから、子供がくたびれているときは、「今日は読書だけにしておこうね」というような対応がいいのです。その読書ももちろん、子供が楽に楽しく読めるようなものです。
小学校高学年や中学生になり、高校生になると、次第に本人が密度の濃い勉強を求めるようになります。
ときどき、中高生向けに、楽しく英単語を覚えるゲームアプリなどが紹介されることがありますが、まともな中高生ならばそういうものには見向きもしません。紙ベースでしっかりやった方が確実に身につくとわかっているからです。
ここで、ひとつ問題になるのは、塾や予備校などで友達が一緒にいると、密度の薄い勉強でも、ついそのまま続けてしまうことがあることです。
勉強というものは、ひとりでやった方が密度の濃いものになります。他人と一緒にやれば、その分必ず密度が薄くなります。
しかし、人間はよほど気力が充実しているときでないと、ひとりで勉強に取り組むことができません。
これは、仕事も同じで、ひとりで困難な仕事に取り組める人は、気力の充実している人です。ほとんどの人は、他人との関わりで、締め切りがあるとか、約束があるとかいう形にしないと、難しい仕事には取り組めません。
そこで、今考えているのは、ひとりでも密度の濃い勉強や仕事に取り組める方法です。
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国語が苦手という生徒には、(1)毎日の読書、(2)課題の長文の音読、(3)感想文の課題の予習、そして、(4)余裕があれば問題集読書をと言っています。
更に、その上に、毎月の読解問題を全問正解になるようにじっくり解くように説明します。
すると、必ず国語の成績は上がります。その上がり方も、かなりはっきりしています。
小6のとき国語がいちばん苦手だったという生徒が、中3になるころには、国語の成績がいちばんよくなるということも実際にあります。そして、第一志望の難関高に受かった子も何人もいます。
だから、国語の力をつけるというのは、実は平凡なことの積み重ねなのです。
しかし、小学生のときまでに国語が苦手だったという生徒の中には、読書の習慣がついていないことも多く、受験に合格すると、ついそれまでの勉強法を忘れてしまい、読書から離れてしまう生徒も多いのです。
すると、高校生になったばかりのころは国語が得意だった生徒が、高3になるころにはまた国語が苦手になるということもあります。
だから、いつでも本を読む生活を忘れてはいけないのです。
読書は習慣ですから、1日読まなければ、1日分読書から遠ざかります。そして、何日か読まない生活が続くと、読書をしない生活が普通の生活のようになってしまうのです。
これは、大人でも同じです。毎日10ページでも読むと決めておけば、読書のある生活から離れることはありません。
しかし、読まない日が何日か続くと、そのあと新しく本を取ることが億劫になるのです。
この毎日の読書を続けるのに最もよい方法が、付箋読書です。
毎日どんなに忙しくても最低10ページは読むと決めておけば、10ページを読むのにかかる時間はせいぜい10分ほどですから、読書から離れることはありません。
読み終えたところに付箋を貼っておくと、わずか10ページでも、確実に読み終えたという実感が残ります。これがもし付箋を貼らずに読むとなると、10ページほどでは張り合いがない気がするので、「いつか時間のあるときにじっくり読もう」と思って、結局読まないことになってしまいます。
人間は、中身よりも形を基準にして生きています。
読書も、読んだ形を残すことで続けやすくなるのです。
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物事で大事なものは中身です。しかし、中身というものは直接は見えにくいので、形を伴って把握されます。
勉強で大事なものも勉強の中身です。中身を自分のものにすることが勉強の目的ですが、それが問題を解くとか覚えるとかテストをするとかいう形を伴って少しずつ自分のものになっていきます。
ところが、形は目につきやすいので、いつの間にか形が目的になってしまうことがあります。だから、時どきその形が中身に合っているかどうかを考える必要があります。
その例の一つはテストです。テストを通して自分の理解度を確かめることが目的なのに、テストでよい点を取ること自体が目的になり、わからないときでも一応答えを書いておこうというようなことあります。
テストは、悪い点を取ったときに意味があるのであって、よい点を取ったときは、そのテストはしなくてもよかったテストなのです。
もう一つの例は問題集読書です。問題集の問題文を読んで自分なりにその文章を味わうことが目的ですが、文章を引用したり感想を書いたりするという形に残るものが目的になってしまうことがあるのです。
一方、形のはっきりしていない中身だけのものは、後回しになりやすい傾向があります。
その例の一つは、読書や音読です。読書や音読をしたあとに形になるものが残らないので、つい後回しになってしまうことが多いのです。
だから、勉強のコツは、形の残らないものに形を与えて把握しやすくすることです。その一つの方法として、自習の記録というものがあります。
しかし、ただやったことに○をつけるという単調なものでは長続きしません。形が面白くないからです。
また、できたら褒美をあげるとか賞品を出すとかいうのも限界があります。物として渡されるものは、次第にエスカレートする傾向があるからです。
また、形化がうまく行ったとしても、その形と中身がずれていないか時どき見直しをする必要があります。
その見直しに必要なのが、人間どうしの対話です。第三者の目で見ることによって早めに軌道修正がしやすくなります。
だから、子供の勉強の場合は、できるだけ親が近くにいて、聞いたり見たりできるようにしておくといいのです。勉強はリビングでした方がいいというのは、そういう意味もあります。
もちろん、近くにいて子供のやり方をいちいち注意していると、親も子もくたびれて長続きしません。注意をせずに、ただ近くにいるということが大事なのです。
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https://www.youtube.com/watch?v=nzg1I4wDL54
9月20日(土)午前10時半より、父母講座・懇談会を行いました。
小学校低中学年の生徒のお父さんお母さんが多かったので、主に小学校低中学年向けの話をしました。
内容は、
1、これからの社会
2、勉強の仕方(国算英理社)
3、寺子屋オンエアの紹介
4、質疑応答
でした。
講座は、質疑応答も含めて約1時間です。
次回は、屋上でバーベキューなどをしながらの懇談会にしたいと思っています。
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問題集でも、参考書でも、これぞと決めた1冊を徹底して自分のものにするという勉強法が最も能率のよい勉強法です。
ところが、多くの人は、これとは反対の勉強の仕方をしています。それは、例えば、学校で宿題があったり、テストがあったりすると、その宿題やテストに合わせた勉強をしてしまうのです。
テストで間違えた問題やわからなかった問題があると、その問題を解けるようにしようとしてしまいます。
できなかった問題ができるようにするのはいいのですが、自分のペースで行う勉強は後回しにして、その宿題やテストに取り組もうとするから、なかなか実力がつかないのです。
では、どうしたらいいかというと、宿題やテストで出た問題を、自分が普段やっている問題集や参考書の中に位置づけるのです。
つまり、同じ問題や似た問題がある箇所を、自分が普段勉強している問題集や参考書の中から見つけます。そして、宿題やテストができるようにするよりも、その自分のやっている問題集の中でできるようにしておくのです。
このようにすると、ほとんどの問題は、結局自分の持っている問題集や参考書と関連づけられることがわかってきます。そして、その1冊の問題集や参考書を徹底して自分のものにする勉強法が正しい勉強法だと確信がわくのです。
では、自分の持っている問題集や参考書に似た問題や該当する説明がない場合はどうしたらよいのでしょうか。
それは、できなくてもよかった問題だとみなすのです。
学校や塾の先生の中には、生徒にちょっと難しい問題を出して、生徒ができなかったり苦労したりするのを、生徒に考えさせる勉強だと思っている人がいます。
特に、算数数学の問題は、そういうパズル的な難問を出しやすいので、そのために算数数学が苦手になる子が多いのです。
本当は、生徒全員を同じようにできるようにさせるのが勉強なのですが、そして、それは十分に可能なことなのですが、そういう勉強は教える側としてはあまり面白くないのです。
だから、生徒の側は、そういう難しい問題に合わせて勉強するのではなく、まず自分が決めた1冊の問題集又は参考書を徹底して身につけることを優先していく必要があります。
そして、1冊が完璧に自分のものになれば、そういう難しい問題についても自然に対応できる力がついてくるのです。
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作文の勉強は、表現の勉強だと思われがちです。伝えたい中身が既にあって、それをどう表現するか工夫するのが作文の工夫だと思われています。
それは、文章を書くということが、「推すか敲くか」「梨花は一枝か数枝か」という細部にこだわることとして考えられてきた文学の歴史があったからです。
細部の表現にこだわることも、もちろん大切です。しかし、それ以上に大切なのは伝えるべき中身です。
大事なのは、推したのでも敲いたのでもいいから、要するに門が開いたのかどうかということであり、一枝でも数枝でもいいから、何しろ梨の花が咲いたのかどうかということです。
ただし、これをあまり強調すると、味などどうでもいいから食べられればいいという粗雑な世界に入る可能性もあるので、ほどほどにということは必要です。しかし、中身の方が表現の仕方よりも大切だということは、作文の勉強の土台として考えておく必要があります。
このことに関連して、たまに受験生から、「合格するためには嘘を書いてもいいんですか」と聞かれることがあります。そういうときは、はっきり、「もちろん駄目だよ」と言います。
嘘かどうか、採点者にはわからないとしても、自分自身の生き方として嘘をつくことはいけないという価値観を持っておく必要があるからです。
さて、中身が大切という場合の中身とは何かというと、一つには実例です。実例には知識的な実例と体験的な実例とがあります。人の知らないことや、人のしていないことを題材にした作文はそれだけで価値があります。
実例のほかに大事なのは、意見や感想です。ほかの人の思っていないところまで思うというのが、意見や感想の価値です。ここで思考力というものが出てきます。
みんながAだと思っているところに、「確かにAもわかるが、しかしBというものもある」と考えたり、みんながAかBかと論じているときに、「確かにAかBかということも大事だが、しかし、Cということもある」と考えたりする力が思考力です。
その思考力がどこから出てくるかというと、それは、一つには自分なりの深い体験で、もう一つには語彙力です。
自分なりの深い体験というものは、年齢を重ねる中で身につくものですが、語彙力は努力次第で身につけることができます。
その語彙力をつける最もよい方法が、難しい語彙の使われている文章を読むということです。
小中学生の場合は、問題集読書のような文章を、楽しく読む力をつけていくことです。
高校生や大学生の場合は、世の古典と言われている本を読むことです。
語彙力検定というものがありますが、語彙力を四字熟語やことわざを覚えるように知識として覚えても、使えるようにはなりません。語彙力は、難読の結果であって、語彙力そのものを目的として覚えるものではないからです。
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算数数学の勉強で、一見難しそうに見える問題があります。しかし、答えを見て、解き方を知って、「なあんだ。そうなのか」とわかる問題は、難しい問題ではありません。難しそうに見える問題です。
では、難しい問題とは何かというと、答えを見て、解き方を知っても、その解き方の考え方を理解するのが難しいという問題です。
世の中に新しい考えが登場したとき、それは、多くの場合、理解するのが難しい考え方として登場してきました。
ニュートンの力学もそうだったでしょう。ケインズの経済学もそうだったでしょう。近年では、量子論というが理解の難しい学問かもしれません。
そういう本当に難しい問題に取り組むことが思考力をつける道です。
難しそうに見える問題は、パズルのような問題ですから、いくら時間をかけても考える力はつきません。受験の算数数学の問題には、そういうパズルのような問題も多いのです。
だから、受験勉強の仕方は、自分であれこれ考えるよりも、すぐに答えを見て解き方を理解することです。そういう勉強を積み重ねているうちに、初めて見る難しそうな問題にも、おおよその見当がつくようになってきます。しかし、それは、パズルに慣れたというだけで、思考力がついたというのではありません。
では、小中学生で、本当に難しい問題に取り組むような勉強はできるのでしょうか。
その一つが、難しい文章を読むことです。
難しい文章といっても、さまざまな段階があります。ヘーゲルやハイデッガーのように超がつくほど難しい文章もあります。しかし、小学生には小学生なりに難しい文章、中学生には中学生なりに難しい文章というものもあるのです。
その学年相応の難しい文章として参考になるのが、入試問題です。
国語の入試問題集を読書がわりに読んでいると、書いてあることはわかるが、それを自分のものとして理解するのは難しいということがよくあります。
そのとき、その子の頭の中では、新しい語彙や新しい概念や新しい思考法が育っているのです。
しかし、問題集読書は、ひとりではなかなか続けにくいものです。
本当は、子供が音読をして、それを近くで聞くともなしに聞いているお父さんやお母さんが、音読の終わったあと、その文章の内容に関して家族みんなで似た話をし合うような機会があればいいのです。
言葉の森では、この家庭では続けにくい問題集読書を、寺子屋オンエアなどで続けやすくする仕組みを考えているところです。
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