「フリースクールで教育を受けた場合でも義務教育の修了と認める」という法案が、来年2016年の国会で成立する見込みで、早ければ2018年4月からスタートします。
不登校の児童生徒は、現在12万人いると言われています。
不登校の子供たちは、勉強が嫌いなわけではありません。皆と同じペースで学校で勉強することが嫌いなのです。
しかし、子供ですから、自分のペースで自主的に勉強するということはできません。やはり、大人のアドバイスがなければ、安心して勉強に取り組むことはできません。
そこで、一般的に考えられている対策は、個別学習のアドバイスです。しかし、これにも限界があります。
今の教育は、教えることが前提になっています。少し前までは、大勢の生徒を対象にした一斉指導が中心でしたが、今は、それが少人数になり、更に学習塾などでは個別指導で教えるところも増えています。
ところが、この「教える」という発想を前提にする限り、教育は異常にコストがかかるものになり、しかも、子供の、自分のペースで自主的に勉強するという希望は、達成されないのです。
ここで、参考にできるのは、江戸時代の寺子屋教育の仕組みです。
寺子屋教育は、(1)子供たちが集団の交流の中で学ぶことができ、(2)しかし、先生が教えるのではなく、子供がそれぞれ自分のペースで学び、(3)それにも関わらず、どの子も確実に必要な学力をつけていく、という教育でした。
小中学生という義務教育の期間の勉強は、わかりやすい参考書と適度な問題集があれば、独学でも学べるものです。
しかし、今は、学校でも塾でも、先生が教えることが前提になっているために、教科書も問題集もわかりにくく作られています。その例が、解説の少なすぎる教科書、解法の不十分すぎる問題集です。
この教材選びを変えることが、寺子屋的な教育の前提になります。
言葉の森の森林プロジェクトも寺子屋オンエアも、先生が生徒にあまり教えない勉強です。子供自身がわからなくて質問をしてきたときは、教えますが、先生が積極的に教える場面はごくわずかです。
子供は、というよりも人間は、もともと人に教えるのは好きですが、人に教わることは好きではないものです。たとえ、苦労しても、自分でやってみたいというのが人間の本来の性質です。
わからなくて困っているときに教えてもらうのはいいのですが、自分でやればできそうなことまで一方的に教えられるのは、人間性の本質に反するのです。
そこで、言葉の森が今考えているのは、森林プロジェクトと寺子屋オンエアを、通信制のフリースクール的な学校にすることです。
現在のネット環境を利用して、かつての寺子屋教育のよさと、創造性を育てる新しい教育を組み合わせた通信制の学校を、できれば2018年4月までに作っていきたいと思っています。
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そこで、わかった!!と納得できる
そんな勉強が、子供1人で出来るようになると、最高ですが、現在のうちの場合を
お話しますと、算数などは、わからないと回答をみてるのか??すべて、丸付けで丸なんです。どうしても子供は、◯にしたいので、その場を◯にしても結局自分が本当に解ったのか、あやふやなまますぎる状態になってしまいます。わからないところは、わかるまで、繰り返す。そんな勉強が出来るようになるといいですが、皆さん、できているのでしょうか?寺子屋の仕組みは、凄くいいと思います。そのアドバイスの仕方が、難しいです。
かれごまさん、そこが大事なところなのです。
その子の成長過程の初期に、「○がつくことがよいことだ」という先入観が育ってしまったのですから、それを直すのが教育です。
どう直すのかというと、「自分が成長することがよいことだ」という価値観をこれから育てるのです。
○をつけるか×にしておくかということは、技術的な問題ではなく、大げさに言えば世界観や人生観の問題なのですから、何度か言ってすぐにできるものではありません。
そのかわり、そういう考え方が定着すれば、中学生になっても高校生になっても、一生その子の生き方にとってプラスになります。
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家庭学習の基本は、(1)毎日(2)同じ教材で(3)同じ時間に(4)同じようにやることです。
特に、小学校低学年では、こういう毎日同じことを同じようにやることが大事です。なぜかというと、同じことをやるのであれば、親がいちいち指図をしなくても自分でやれるようになるからです。
また、これが最も能率よく実力をつけ自主性を育てるやり方なのです。
こういうやり方の反対が、学校や塾の宿題を家庭学習の中心としたり、通信教材を家庭学習の中心としたりしてしまうやり方です。
なぜ、これらがよくないかというと、同じ教材でなかったり、同じやり方でなかったりするので、親が言わないと始められなくなることが多いからです。
では、どういう家庭学習をしたらいいかというと、国語は長文の音読と読書です。算数数学は1冊の問題集をできないところがなくなるまで繰り返すことです。英語は教科書の音読と暗唱です。
ところで、国語の音読と読書は、国語力をつける基本ですが、これらの勉強の欠点はチェックが難しいことです。
寺子屋オンエアでは、毎日の音読を担当の先生にビデオメッセージで送ってもらっているのでチェックができますが、家庭ではこのやり方はなかなかできません。
よくあるのが、お母さんが、「音読、ちゃんとした」と聞くと、子供が、「うん」とか「はい」とか言って、それでおしまいになってしまうことです。実際にその場で聞くのでなければ、音読を毎日確実にさせることが難しいのです。
そこで、音読とは別の自習としておすすめするのが暗唱です。
暗唱は、普通に毎日10分やれば、誰でも1ヶ月で約900字の文章を暗唱できるようになりますが、週に数回やっているだけでは充分にできるようにはなりません。やればできるが、やらなければできないという差がはっきりしているのです。(小学2年生までは、毎日やっていなくてもすぐに暗唱できることも多いのですが、学年が上がるにつれて、やらなければできないということがはっきりしてきます。)
家庭学習で音読を徹底させる最もよい方法は、朝ご飯の前などに、実際にお母さんの前で音読をさせることです。(ただし、音読のあとに、読み方の注意などは決してせずに、読んだこと自体を褒めてあげることが大切です。)
このその場での毎日の音読チェックが難しい場合は、週に1回、毎日の暗唱をチェックすることです。
暗唱のチェックなどと言うと、子供に負担があるような気がするかもしれませんが、暗唱という勉強法は実は楽しいものなのです。それは、最初はできなかったことが、やっているうちにできるようになり、それを続けて熟達できるという達成感があるからです。
この暗唱の長文集を、現在言葉の森で全面的に作り直しているところです。
これは、来年の1月から、言葉の森の生徒以外の誰でも利用できるようなオープンな形で提供していく予定です。
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中学生の勉強の様子を見ていると、その場しのぎの勉強という感じを受けることがよくあります。
宿題があれば宿題に追われ、テストがあればテストに追われ、宿題やテストがなければぼんやり遊び(笑)、いつも外側からの刺激に対応して生活しているような印象を受けるのです。
そういうその場しのぎの勉強の姿勢を促進しているのが、学習塾の存在です。塾に通っていると、塾のお膳立ての上で勉強できるので、自分は何も考えなくてよくなるからです。
そのため、「塾があるから」「塾で言われたから」「塾でやるから」と、勉強の方針を塾に任せてしまう傾向が出てきます。
塾中心の勉強をしている人は、それを急に変えることはできませんが、少なくとも、勉強とは本来自分で方針を考えてやるものだという自覚だけは持っておくべきだと思います。
自分で方針を立てるための基本は、1冊の教材を5回繰り返すこと、目で読んで理解するだけでなく声に出して音読することです。
声に出すよりも手で書くというのは、時間がかかるのであまりおすすめできません。手で1回書く時間があれば、同じものを音読で5回以上繰り返せるからです。手で書くというのは、やった感じがするだけで、本当に身につくのは繰り返すことによってです。
国語の勉強の基本は、問題集読書です。何度も繰り返し読み、更に余裕があるときは、選択問題の中で正解でない選択肢の理由を言葉で言ってみることです。これは、国語の成績に直結します。
英語は、教科書の音読が基本です。1ページを20回以上読んで暗唱できるようにしていくと、英語の実力がつきます。
数学は、自分の実力に応じた問題集を1冊完璧に仕上げることです。いろいろな問題をやるのではなく、1冊だけを完璧にというのが原則です。
本当は、こういう勉強の仕方を学校や塾で教えればいいのですが、勉強の仕方を教えるのではなく、勉強そのものを教えるところがほとんどです。
だから、勉強の仕方は、家庭でカバーしていく必要があるのです。
寺子屋オンエアでは、今度、中学生の定期テスト対策として、前回の試験の分析、今回の試験勉強の方針、そのスケジュールの立案などができるようにしていきたいと思っています。
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遊びと勉強は、正反対のように思われています。
子供は、みんな遊びが好きで勉強は嫌いです。本当は、好きになるような勉強もあるのですが、それは今の社会ではどちらかと言えば例外的です。(例えば、昔の灘中の橋本先生の「銀の匙」の授業などは、子供たちが好きになる勉強だったでしょうが、成績に直結することが求められる勉強では、そういう楽しい勉強は難しくなっています。そのため、勉強にゲームや競争の要素を取り入れて面白くさせる試みが出てきますが、そうすると岡潔さんが指摘したように、人間がその勉強を通してだんだん動物的になるという問題が出てきます。)
子供が、遊びがなぜ好きなのかというと、遊びには、自由と、主体的な取り組みと、無限の工夫があるからです。
これに対して、勉強がなぜ嫌いなのかというと、勉強には、強制と、受け身で聞く姿勢と、既に決まっている答え、しかないように思えるからです。
作文の勉強は、勉強の中でも、特に苦手な子や嫌いな子が多い勉強です。
もし、作文の勉強を遊びのようにできれば、勉強はもっと楽しくなるはずです。
この作文の勉強を、遊びのような面白いものにしようとして考えたのが、プレゼン作文発表会です。
自分の作文を、みんなの前でプレゼン発表し、その発表をもとに質問や感想で交流を図るのです。
前回の6月のプレゼン作文発表会では、多くの力作の発表がありました。
https://www.mori7.net/hpk/koremade.php
(発表の公開を許可してくれた人の動画です)
今回の発表会は、12月6日(日)です。
インターネットを利用した発表会ですから、誰でも自宅から参加できます。前回は、モザンビークから参加してくれた友達がいました。
こういう発表を通して、楽しい勉強を体験していってほしいと思います。
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このプレゼン作文発表会、我が家の娘も参加しました。親子で本当に楽しく取り組ませて頂きました。また近々あるようです! 次回、また是非参加したいと思います!
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世界の経済の行き詰まりの根本原因は、需要がないことです。正確に言えば、供給力を上回るほどの吸引力のある需要がないことです。
まず、先進国は、生活を豊かにするための消費が一巡したあと、新しい魅力的な需要が生まれていません。更に、少子化と高齢化の進行によって、既にある需要も先細りの傾向にあります。
次に、途上国は、人口が増え、その増えた人口がより豊かな生活を目指しているという点で大きな需要があるように見えます。しかし、その膨大に見える需要も、更に膨大な生産力を持つようになった供給の前には、飽和するのも時間の問題なのです。
世界の経済の発展を、砂漠の緑化や海洋の開発に求めることは確かに一理ありますが、それはより大きい目で見れば、需要を上回る供給という根本問題を先送りするだけなのです。
根本的な解決策は、三つあります。
第一は、少子化にも高齢化にも制約されない新しい需要を作り出すことです。それは、ひとことで言えば、物の需要ではなく教育と文化の需要です。
例えば、先進国の今の生活に満足していて、特に新しい物質的な需要を持たない人でも、自分自身の向上や変化や新しい経験や交流や創造に関しては、暑い需要を持っています。
多くの場合、その需要はまだはっきりと自覚されていなかったり、その需要に対する供給が生まれていなかったりするために、大きな流れにはなっていません。
しかし、これから次第兄、先進国では物の需要よりも、教育文化の需要が大きくなってきます。
物の需要は、人口に比例します。おいしいものを食べて、広い家に住みたいと思っても、食べる量や家の広さには自ずから限度があります。
物の需要に限って考えると、少子化は経済の制約要因です。しかし、教育文化の需要は、人間の身体には制約されません。よりよいものを求める需要には限りがないのです。
この教育文化の需要は、技と道の文化を持つ日本で、これから大きく発展していくものです。
第二の解決策は、需要を単なる消費にとどめるのではなく、投資に切り換えるための仕組みづくりです。
近代以降のこれまでの社会の大部分の人は、一方では単なる消費者であり、他方では単なる労働者でした。だから、供給過剰の状態では、消費の縮小と仕事の縮小がデフレスパイラルを生み出していたのです。
誰もが生活を守るために消費を節約すれば、そのために世の中全体の仕事が減り所得が減ります。
しかし、もし誰もが消費者ではなく生産者であるとしたら、生活を守るためには、よりよく売るための工夫をします。その工夫が新しい技術開発としての消費となるとすれば、その消費は単なる消費ではなく前向きな投資です。
このような仕組みになるためには、社会における生産の多くが、どこかの企業に勤める労働者が行う生産ではなく、消費者自らが経営者となる生産でなければなりません。
そして、個人が経営者となれる産業の主な分野が教育と文化なのです。
ただし、この教育と文化は、MOOCの教育などに見られるような大量生産型の工業的な教育文化ではありません。個人が技を磨き道を極めるような高度な教育文化です。
誰もが自分の個性を伸ばして、その教育文化の分野で生産者となり、投資という形の消費を行うようになれば、消費と生産のスパイラルは、デフレからむしろインフレ気味に上昇し、やがて社会が安定するにつれて、それは健全に循環するスパイラルになります。
この誰もが生産する社会が、持続的な安定社会なのです。
経済の行き詰まりを解決する第三の道は、創造です。
工業社会の富の源泉は、コピーでした。あるシステムによって同じ物を大量に生産し、それらの物をそれが大量に生産されないころにできた価格で供給することによって、その差が生産者の富となるように見えたのです。
しかし、真の富は、最初に作ったシステムにあるのであって、そのシステムが作り出すコピーは、売り買いの差が生み出す見せかけだけの富です。
例えば、言葉を発明した人が、その言葉の使用料を取るようになったとしたら、その発明者は、大きな富を得るように見えますが、世界全体の富は増えも減りもしません。
富は、最初の発明にだけあるのであって、そのあとのコピーの使用料は、真の富でなかったのです。
だから、これからの社会では、創造を価値の源泉と位置づけ、創造のための教育を行っていく必要があります。
答えのある試験問題を、速く正確に解ける子がどれだけいても、世界は豊かにはなりません。速く正確に解ける以上に、世の中にそれまでなかったものを作り出す子がいて、初めて世の中は創造の分だけ豊かになるのです。
これからの長期的な経済発展のためには、教育の第一の目的を創造に置くことが必要になるのです。
以上の三つの対策、つまり、教育と文化に対する需要、誰もが起業者になれる社会、創造を目的とした教育、これらの三つの実践を統合したものとして、言葉の森が考えているのが、森林プロジェクトと寺子屋オンエアです。
森林プロジェクトは、創造性を育てる作文教育を、家庭や地域を基盤にして行う起業の企画です。
また、インターネットを利用した全教科の毎日の家庭学習で、子供たちの本質的な学力をカバーする仕組みが寺子屋オンエアです。
今後、森林プロジェクトと寺子屋オンエアを組み合わせて、日本の社会発展を支える新しい教育インフラを作っていきたいと思います。
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学校でも、家庭でも読書に力を入れてきているせいか、小学生に関しては昔よりもよく本を読んでいる子が多いようです。
しかし、読書に力を入れると、いろいろと気になることも目についてきます。
最近あった、保護者からの質問を二つ紹介します。
ひとつは、「『かいけつぞろり』のような本ばかり読んでいる。これでいいのか」というものです。
「かいけつゾロリ」は、品の悪い話も多いので、お母さんには受けませんが、子供は大好きです。しかも、意外と説明的な文章も多く含まれているのです。
いい本と呼ばれる有名な本の中には、内容はよくても会話ばかりが続くようなものもあります。その点で、「かいけつぞろり」は、おすすめの本なのです。
「かいけつゾロリ」ばかり読んでいる子に、対応する方法は三つあります。
第一に、読書は面白いということが最も大事ですから、そのまま読んでいることを認めてあげるのです。面白い本を繰り返し読むことで、読む力がついてきます。
第二に、しかし、子供の興味を探りながら、いろいろなジャンルの本を与えて読書の傾向を発展させるということも大事です。その子の興味のある分野が何かということは、実際に本を与えてみなければわかりません。図書館やブックオフを利用して、読書のジャンルを広げていくようにするのです。
第三に、親が子供に読ませたいと思う本は、読み聞かせをしてあげることです。読書には、子供を引きつける力があるので、その子が興味を持つ本であれば、途中から自然に自分で続きを読もうとするようになります。
今の読書をそのまま認めてあげながら、少しずつ幅広く難しい本に発展させてゆくという二本立てでやっていくといいのですが、重点は、あくまでも今の楽しい読書を認めてあげることです。
もうひとつの質問は、「本はよく読むが、質問をしてもうまく内容を答えられない」というものです。
第一に、質問などはしないことです。本を読んだあとに、本の内容を質問されていたら、本を読むことが楽しくなくなってきます。
第二に、質問をするのではなく、親が逆に、その本に関連した似た話を楽しく話してあげることです。
これは、作文の指導でも似ています。
子供から何かを引き出そうとすると、なかなか出てこないので、苦しい勉強になっていきます。
引き出すのではなく、親が先生が与えるつもりでやっていくのです。
例えば、感想文の課題で、似た話を書くときなど、子供に似た話を見つけさせようとするのではなく、親が似た話をどんどん話してあげます。
子供は、まだ成長途上なのですから、今は答えられないものがあってもいいのです。
答えられないものを引き出すのではなく、その答えられないものは親が先生が与えていくのです。すると、それが自然にその子のものになっていきます。
ところで、このような読書の習慣も、勉強の習慣も、小学1年生のスタートの時期によい形のものにしておくことが大事です。最初に作った形が、ずっとあとまで続くからです。
そこで、言葉の森では、小1や幼小から作文の勉強が始められるように、親子作文コースにこれから力を入れていく予定です。
この親子作文コースに、寺子屋オンエアを組み合わせれば、家庭での勉強と読書と作文が無理なく軌道に乗ると思います。
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本はよく読むけれど、読む内容が進歩しない……、面談の時にお母様方からよく受ける質問です。
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帰国子女の受験では、作文、小論文の課題が出されるのが一般的です。
教科の成績は勉強をしていたかどうかで差が出るので、その生徒が暮らしていた海外の教育環境によっ違いが出てしまうため、あまりあてにならないからです。
それに対して、作文力はその生徒の思考力と関連があるので、その生徒が持っている学力の可能性とほぼ一致しているからです。
帰国子女の受験作文で大切なことは、志望校の過去問を分析することです。
中学受験の場合は、ほとんどが、現地での生活の経験を問うような課題です。しかし、難しい学校になると、世界の平和についてどう考えるかというような、社会的なテーマが出されるようになります。
高校受験の場合は、現地での経験を問うようなテーマは逆に少なくなり、やはり世界平和の問題や、国によって異なる文化の違いの問題など、より社会的なテーマが多くなります。
現地での経験を問うような問題の場合、対策は二つあります。
ひとつは、親子で現地の経験を話し合っておくことです。その話を通して、子供本人が自分の経験の中で作文の材料に生かせる個性的な体験を発見していきます。
文章の評価には、表現力の評価だけでなく、実例の面白さの評価も自然に入ってくるので、個性的な体験を書けるようにしておくことが大事なのです。
もうひとつは、子供が作文を書いたあとに、その作文の中の経験をより一般的な視点でとらえられるように、これもやはり親子で話し合っておくことです。
一般的な視点とは、「人間にとって」とか「人間は」とかいう言葉で表されるような感想のことです。
例えば、民族は違っても人間の共感の本質は同じだとか、あるいは逆に、現地の文化と日本の文化の違いについて考えさせられた、などという感想です。
こういう一般的な感想は、小6ぐらいの子供の場合、聞かされれば理解することができますが、自分から考えつくことはなかなかできません。だから、親子の話し合いが必要になるのです。
社会や文化の問題の場合は、読書によって考える材料を増やしておくことが大切になります。
高校受験でしたら、次のような本が参考になります。(絶版なので中古しかありません。)
「日本人のこころ」(岡田彰雄 筑摩書房)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480880038
ちなみに、国語の問題で比較文化論が出るのは、日本だけの特徴のようです。それだけ日本文化は、欧米や他のアジアの諸国の文化とは違うところが多いのだと思います。
作文小論文の対策としては、とりあえず出そうなテーマで10本書いておくことです。その10本をいずれも傑作に仕上げ、それを何度も繰り返し読む練習をしていくのです。
作文試験のときに、自分がこれまで書いた作文の中から、2つか3つの表現を使うことができれば、実力の120パーセントを発揮したことになります。
作文試験が、他の教科の試験と比べて不安になりやすいのは、実力が充分に発揮できるかどうかわからないからです。
自分の書いた傑作を何度も読むという練習をしておけば、ほぼ実力が発揮できると考えておくとよいと思います。
言葉の森の作文指導の特徴は、構成を重視して書くことです。そのため、評価する人からは、「構成がわかりやすい」とよく言われます。
構成を重視して書くために、書く本人にとっても書きやすく、読む人にとっても読みやすいのですが、これには長所も短所もあります。
長所は、実力のある生徒は実力が発揮しやすいということですが、短所は逆に、実力(語彙力)がない生徒の場合は、その実力不足がはっきりと出てしまうことです。
実力をつけるためには、作文の勉強とは別に,読書と対話とできれ問題集読書によって思考力(語彙力)を鍛えておくことです。
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外国語を学ぶ動機の中に、読みたい本がその外国語でなければ読めないということがあると思います。
私(森川林)も、昔、プログラミングの勉強をしようと思ったころ、日本にはいい本がないので、英語の本を取り寄せて読んだことがあります。
英語を勉強することそのものを目的にしていたのでは、英語の本など読まないのですが、自分で知りたいことがあると自然にそういうことができてしまったのです。
言葉の森のfacebookグループ「日本語for外国人の島」には、今約340人の参加者がいます。
参加している外国人の方に共通しているのは、日本のアニメの魅力にひかれて日本の文化に関心を持ったということのようです。
日本には、アニメ以外にも、欧米にはない独自の豊かな文化があります。この日本の文化を、外国人の日本語学習に生かすことができるのではないかと思ったのです。
外国人が日本語を学ぶが場合、日本語の文法や単語や短い会話の習得のようなものから入ることが多いと思います。
しかし、それらのテキストを見てみると、独学でやり続けるには意志力と忍耐力がかなり必要なように思えます。
日本には、これから両親が外国人だという子供も増えてきます。それらの子供たちに共通している問題があるようです。
日本語は規則性が高いので、日常会話のレベルでは友達との交流の中ですぐに身につきます。しかし、小5以上になり、勉強の中に概念的な言葉が出てくると、読む力が弱い子は勉強についていけなくなることが多いというのです。
そこで考えたのが、日本語の本による読書会です。
日本には、さまざまなジャンルの本が、易しいものから難しいものまで多様にそろっています。外国の本を翻訳したものであれば、そのま英語の原本が対訳として使えます。
日本語のできる日本人が中心になり、日本語を学ぼうとする外国人や外国人の子供たちを対象に、それぞれの興味とレベルに合わせた日本語の本の読書会を開くのです。
この読書会には、外国にいる日本人の子供たちや、帰国子女の子供たちも参加できます。
現在、googleハングアウトやskypeで、距離や国境に関係なく、顔を見ながらリアルタイムで会話が楽しめるクラウドサービスが無料で利用できるようになっています。
これらのインターネット技術を利用して、今後、「日本語for外国人の島」や「帰国子女の原」のfacebookグループの中で、日本語の本の読書会を開いていきたいと思っています。
そういうことに関心のある日本人の方は、ぜひご参加ください。
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「好きこそものの上手なれ」
興味のあることを学ぶためなら、ツールである言語の習得もより容易になりますね。
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