日経DUALの記事に、「『ひきこもり』になる子どもの親には共通点がある」というタイトルの記事が載っていました。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7673&page=5
====引用ここから
【ケース1】 子どもの回答を待たずに、先に返事をしてしまう
子どもが「何年生?」と聞かれているのに、親が「2年生です」などと答えてしまう
【ケース2】 家庭での雑談が少ない
「早く勉強しなさい」などと一方的に言ってしまう
【ケース3】 子どもの話を聞き流す、最後まで聞かない
「今忙しいから、ちょっと待って」と、家事の手を休めない
【ケース4】 条件的ほめ&承認をしている
「○○ちゃんが、××してくれたら、お母さんはうれしい」などと言う
【ケース5】 「知力」だけを育てようとして、「感情」に目を向けない
「算数が難しい」と言うのを聞いて、「落ちこぼれちゃうよ。塾行かなくちゃね」と答える
【ケース6】 子どもを自分の思い通りに育てようとしている
「お母さんはこの学校がいいと思う」などと、自分の意見を押し付ける
【ケース7】 子どもの挑戦を回避させようとしている
子どもから「○○をやってみたい」と言われると、「それは危ないからダメ」などと言う
【ケース8】 “さらに上”を要求する
97点だったテスト答案を見せられて、「あと3点で満点だったのにね」と言う
====引用ここまで
親であれば、誰でも多かれ少なかれ似たようなことをしていると思います。
だから、大事なことは、そういうことをしないようにと考えるのではなく、それと正反対のことを積極的にしていけばいいのです。
それが、親子の対話です。
対話と言っても、子供から何かを引き出そうとしたり、親が何かを伝えようとしたりはしなくていいのです。
そういう意味のある対話をしようとすると、子供の話し下手を注意したり、親の一方的な考えを押し付けたりすることになります。
そうではなく、対話を楽しむという話し方をするのです。だから、もちろん話の途中で脱線していくようなことでもいいのです。
対話を楽しむむために必要なものが、ひとつは対話の話題です。もうひとつが親の正直な体験談です。そして、もうひとつはやはり慣れです。
対話の話題は、普通の家庭では、ニュースの話になったり近所の話や学校の話や成績の話になったりしがちですが、そういう話題では話はあまり弾みません。
いちばんいいのは、言葉の森で言えば、毎日の自習の音読長文です。自習の音読をやっていない場合は、国語の問題集に出てくるような説明文や、毎日小学生新聞などの説明的な記事です。
こういう少し知的な話題があると、親子の話も弾み、子供も対話の中で考える力がついてきます。
話をするときに大事なことは、親が知識や意見だけを言わないことです。知識や意見のレベルでは、親の方が子供よりも圧倒的に上なので、一方的に教え込むような話し方になってしまいます。
知識や意見ではなく、親の子供のころの体験などに結びつけながら、子供と同じレベルで話をするのです。
また、知識や意見を言うときでも、「でも」とか「しかし」とかいう反対の言葉はなるべく言わずに、「なるほど」とか「そうだね」という賛同の言葉で、似た話を発展させていくようにするといいのです。対話は、欧米のディベートとは違うのです。
こういう対話が無理なくできるのは、子供がまだ低学年のうちです。低学年のころなら、「さあ、テレビを消して、みんなで話をしよう」と言えば話が始まります。学年が上がってからは、そういうことはなかなかできません。低学年のうちから、家族で話をし、子供の言うことに関心を持って聞くようにしていると、学年が上がっても無理なく対話が続けられるのです。
ところで、ひきこもりや不登校のようなことは、心理的なことでそれぞれの個性によるものですから、機械的にどうすればどうなるということは言えません。
しかし、そういう場合でも、救いになることのひとつがペットを飼っていることだと思います。特に、犬や猫やウサギや鳥のような対話のできるペットは、子供にとって最後のよりどころになることが多いと思います。
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低学年の実行課題作文発表会の連絡が遅れてしまいましたが、12月26日に、1.1週の山のたよりと一緒に、「小1親子作文通信」を発送します。
今後は、定期的にこのような通信を発行し、併せて、facebookやgoogle+や掲示板で保護者との交流を図っていく予定です。
====以下、発行する通信====
幼児、小1、小2の生徒対象
小1親子作文通信 第1号 2015年12月21日
この通信は、幼長、小1、小2の生徒の保護者の皆様あてにお送りしています。
幼長から小2までの時期は、勉強や読書の習慣と、親子の対話の習慣がつく大切な時期です。
しかし、ちょうどそのころは、保護者が仕事などで忙しい時期に重なり、なかなか将来のことまで見すえた長期的な子育てをしにくい時期にもあたります。
そこで、言葉の森では、この時期の生徒と保護者を対象に、実行課題などをもとにした発表会の機会を作り、皆様との意思疎通をより密にし、さまざまなご質問やご相談にも対応していくことにしました。
今回の企画は、毎月の実行課題をもとに、ウェブ上での作文の発表を通して、生徒や保護者の交流を図るものです。
下記の記事は、11月4週の言葉の森新聞に載せたものです。
この記事からだいぶ時間がたってしまいましたが、以下、具体的な取り組み方をお知らせいたします。
なお、これは自由参加ですので、ご負担のない範囲で自由にご参加ください。
====11.4週の言葉の森新聞の記事====
■【重要】幼長~小2の生徒向けの実行課題作文発表会
小2以下の生徒は、実行課題(
https://www.mori7.net/jk/ )などを参考に12月中に書いた作文に、できるだけ絵や写真などをつけて、画像の泉(
https://www.mori7.net/izumi/ )にお送りください(自由参加)。
その際、ひとこと欄に、「実行課題作文発表会用」と入れていただくと、それがそのまま1月の発表会用の作文になります。作文は新たに書く必要はありません。12月中に書いたものの中から選ぶようにしてください。作文に書いた名前や生徒コードなどはシールなどを貼って見えないようにしておくとよいと思います。
■親子の遊びを小学校低学年の作文に生かす――実行課題作文発表会
言葉の森では、小学2年生までの作文の題名は自由です。題名課題が出てくるのは小3からで、感想文課題が多くなるのは小5からです。
なぜ、小2までが自由な題名なのかというと、与えられた課題では書くことがないという子が出てくるからです。
小3以上でも、同様に、与えられた題名では書くことがないという場合もあります。しかし、自宅で予習の準備をする際に、お父さんやお母さんに似た話を取材すれば、書くことがないということはなくなります。また、この対話によって実例ばかりでなく、語彙や感想を書く力も向上します。書く前に、書くことを準備するという過程が大事な勉強なのです。
小学2年生までの自由な題名でも、もちろん準備は必要です。それは、お母さんの声かけです。今度の作文にどういうことを書くのか事前に聞いてあげるのです。
小学2年生のころは、毎日が新しい経験ですから、毎日のように「今日のこと」「昨日のこと」を書いてもかまいません。
しかし、中には、書くことがパターン化し、毎回同じように、同じ遊びの話を書く子も出てきます。
そこで、言葉の森では、それぞれの月ごとに、家庭で楽しく取り組める遊びや行事の実行課題を作っています。
https://www.mori7.net/jk/index.php?n=p&p=12&tuki=12
12月の行事でしたら、クリスマスの飾り付けや、お正月の準備、年賀状の作製、大掃除などがあります。それらを遊びに関連させて、芋版で年賀状を作る、松ぼっくりでクリスマスツリーを作る、みかんの汁で文字を書くなど、いろいろな企画が考えられます。
日曜日などに、そういう遊びを家族全体で取り組みます。その際に、できればその遊びの場面を写真や動画で撮っておき、あとで思い出せるようにしておきます。
そして、その遊びの話を、写した写真や動画などを見ながら、次の週の作文の課題として書いてみるのです。
遊びというものは、お金をかけたり時間をかけたりしなければできないものではありません。むしろ、そういうお金や時間をかける遊びは、子供が飽きてしまうことも早いのです。
だから、作文の題材を作るために、旅行に行くとか、ディズニーランドに行くとかいうことは必要なく、例えば、近所の公園でシートを敷いて朝ご飯を食べてみるというような簡単なすぐにできる遊びでいいのです。
この実行課題をもとにした作文発表会を、1月に、幼長から小2までの生徒を対象に行う予定です。(参加は自由)
やり方は、12月の実行課題をもとに(もちろん、実行課題に載っているもの以外でもかまいません)、親子又は近所の子供たちも入れて、行事や遊びに取り組みます。
その取り組みをもとに作文を書き、それを写真や絵と一緒に、12月4週までに「画像の泉」にアップロードしてもらうのです。その際、名前などの固有名詞は消しておくといいと思います。
https://www.mori7.net/izumi/
この実行課題作文発表会は、子供がそれまでに書いた作文の中でいちばん面白そうなものを一つ、写真や絵を添えてアップロードし直すだけですから、手間はかかりません。
この12月の実行課題作文と絵や写真を、1月に、生徒どうしが見られるところに展示します。
実行課題の作文を書く際に注意してほしいことは、子供は作文に、肝心なことは書かずにどうでもいいことばかりを書くもので、それをそのまま認めてあげることが大事だということです。
たとえ、作文という形の中には出てこなくても、親子で楽しく遊んだ経験は子供の中に残っているからです。
====記事の引用終わり====
■具体的な手順
(1)発表する作文を決めます。(12月に書いたものの中から選ぶとよいと思います。新たに書き直す必要はありません。)
(2)発表する作文の固有名詞などは、住所シールの余白部分などを貼って見えないようにしておくとよいと思います。
(3)作文の内容に関連する絵や写真を一緒につけておくと、カラフルで見栄えのよい発表作品になります。
(4)その作品をスマホやデジカメやスキャナで画像として取り込みます。(送れる画像の種類は、JPGのみとします。PDFは送れません。)
(5)その画像をパソコンに入れ、画像の泉から送ります。
https://www.mori7.net/izumi/
(6)画像の泉に送る際は、「公開・非公開」はどぢらでもかまいませんが、一応「非公開」を選択しておいてください。(ただし、この企画の参加者どうしでは見られるようになります。)
(7)画像の泉のひとこと欄には、”実行課題作文発表会用”という文字列を入れておいてください。そのほかの言葉を入れてもかまいません。”実行課題作文発表会用”という文字列のあるものが、自動的に発表会用作文となります。
(8)間違えて送信した場合などで送信し直したいときは、新しいものを送ってください。その月の最新のものが翌月の発表会用の作品となります。
■図解説明
ご自分のパソコンの中に入れた画像が、横向きや逆さまになっていないことを確認してください。(フリーのソフトで直せます)
サイズの大きい複数の画像を送るとサーバーが処理しきれなくなることがあります。フリーのソフトなどを使い、できるだけ、横幅を1000~1600ピクセル程度にサイズを縮めておいてください。(フリーのソフトは、「学習の手引」(
https://www.mori7.net/mori/gate.php )を参考にしてください)
準備ができたら、画像の泉
https://www.mori7.net/izumi/ に行き、ログインします。
生徒の場合は、生徒コードとパスワードを入れてログインボタンを押します。
そのあと、「画像の泉」にもどります。
最初に、画像を「公開しない」にチェックを入れてください。(「公開しない」にチェックを入れると、画像の泉で、自分と担当講師にだけにその画像が表示されるようになります。)
そのあと、参照ボタンを押して、パソコンの中から、アップロードしたい画像を選択します。
ひとこと欄には、”実行課題作文発表会用”という文字列を入れておいてください。
「参照」のフォームで、自分のパソコンから画像を引っ張ってきたところ。
(jpg画像は、複数の画像を選択し、一回の送信で一緒に送れます)
「jpg画像を横幅800に縮小するかどうか」の選択は、「縮小する」にチェックを入れたままの状態で送信してください。
送信すると、自分の送った画像が表示されます。
これで送信は完了です。
====発行する通信の引用終わり====
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これからの文化とは、ある意味で教育の文化です。
文化の中には、観光のような文化もあります。観光は、新しい経験を得られるという魅力を持っています。しかし、観光がどんなに好きでも、それを生かして自分が供給の側に回ることはなかなかできません。
これに対して、新しい何かを修得するということは、修得自体に魅力があるとともに、それを生かしてやがて自分が供給の側に回ることができるという魅力があります。
したがって、教育文化の教育とは、机上の知的な教育というよりも、むしろ全人的な修行のような教育になります。
こういう新しい仕事を作っていく個性がこれから求められてくるのです。
日本の社会にこういう教育文化の流れを作っていく方法は簡単です。
最初の呼び水を作るために、金融緩和を直接国民に回せばいいのです。
例えば、国民1人について年間百万円、自分の教育や修行のために使う費用を渡すようにすれば、各人はそれぞれの個性に応じて教育文化の消費を始めるでしょう。
すると、その分だけ、その教育文化を供給するための仕事が生まれます。
最初のうちは、その教育文化はポピュラーなものに限られているでしょう。英会話とか書道とか絵画とか音楽とかいったものです。
しかし、消費と生産が回り始めると、そこからだんだん個性的なものが生まれてきます。英語よりもアジアやアフリカの少数民族の言語とか、同じ書道でも特異な個性を持った流派の書道とか、あるいは新しい材料を使った絵画、新しい楽器を使った音楽などです。
これまでは、教育文化に対する消費は、娯楽費や教養費と呼ばれる単なる消費でした。
しかし、教育文化に対する消費が長期間継続的に大量に続く見込みがあれば、その消費は、その文化を習得して自分もやがて供給する側に回るという投資になります。
いったんその流れができて文化として成立すれば、もう外からの金融緩和という資金の注入は必要なくなります。
例えば、ゴルフやサッカーや野球やバレエやピアノやバイオリンや茶道や囲碁や将棋は、既に文化として成立しているので、外部からの資金援助がなくてもそれ自体で需要と供給の回転が成り立っています。
しかし、何もないところに、一からゴルフやサッカーを作ろうとすれば、その困難さは容易に想像できます。
文化というものは、そういうものなのです。
衣食住のような基本的なものは、自然発生的に需要と供給が始まります。そういう自然な需要の延長上に、今までの工業生産がありました。
しかし、衣食住とその延長にある工業生産物は、既に人類の供給力が人類全体の需要力を上回るようになりつつあります。それは、必需品の消費は、必需品であるがゆえの上限があるからです。
文化の消費はそうではありません。必需品でないために、需要と供給は文化的に創造しなければならない代わりに、その上限もありません。
いったん文化として成立すれば、その需要はいくらでも個性化し、いくらでも高度化していくのです。
今、日本経済を論じる人の多くは、少子化と高齢化が日本の経済発展の限界を作っていると考えています。
だから、日本に移民の受け入れが必要だという発想をしたり、人口の多い中国やインドがこれからの世界をリードするという発想をしたりしてしまうのです。
これは、これまでの経済学が主な対象にしていた必需品のレベルで経済を考えているためです。
教育文化のレベルで経済を考えれば、少子化も高齢化も何の障害にもなりません。文化の消費の上限は、量が決めるのではなく質が決めるからです。
必需品だけに関心のある人がどれだけ大勢いても、文化の経済は発展しません。逆に、文化の個性に関心を持つ人が増えれば、文化の経済は発展します。
すると、もはや人間の関心は、経済の問題ではなくなってきます。
これから起きる経済危機は、このような新しい社会に移行するための一時的な生みの苦しみにすぎないとも言えるのです。
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日本経済の停滞の原因を少子化と高齢化によると考える人は、経済というものを必需品のレベルでしか見ていません。
必需品であれば、人口が若くと多くて貧しいほど経済は発展します。
だから、日本にも移民を入れることが必要だと説いたり、中国やインドのような人口大国が次の世界をリードすると考えたりするのです。
しかし、これからの経済は文化の経済です。
文化にとって必要なのは、量よりも質、若さよりも年季、貧しさよりも豊かさです。
だから、日本の少子化と高齢化は、これからの経済発展のむしろ要となるのです。
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食料が確保できたあとで、力を入れるのは、新しい仕事作りです。
それは、なぜ経済危機が生まれたかというと、その根本的な理由として、先進国が新しい仕事つまり新しい需要を生み出していなかったという事情があったからです。
だから、各国がどれだけ金融緩和をしても、経済は上向きにならなかったのです。
従来の家電製品や自動車や住宅の需要は、途上国ではまだ不足していますが、先進国の経済を牽引するものではなくなっています。
供給の方は技術革新と新興国の参加によって掛け算で増えているのに対し、需要の方は人口増という足し算でしか増えていないので、供給過剰の不況が生まれているのです。
従来の新しい仕事というものは、主に製造業でした。だから、大きな資本と大きな組織と大きな市場が必要でした。
しかし、製造業の生産物がひととおり普及すると、消費は頭打ちになります。テレビや自動車は、一家に何台も必要ないからです。
これから生まれる新しい仕事は、主に文化産業です。文化の消費は個性的で、しかも上限がありません。
そして、消費の個性に対応して、文化産業は生産も個性的で、しかも大規模な設備も組織も必要としません。
これまで、この文化産業が発達しなかったのは、インターネットが登場するまでは、個性的な消費と個性的な生産が出合う場が限られていたからです。
インターネットの特徴は、消費のロングテールがつかめるように、生産のロングテールもつかめることです。
つまり、生産の個性と消費の個性が出合うことが、インターネットによって可能になったのです。
日本生産性本部がまとめた「労働生産性の国際比較2015年版」によると、日本の労働生産性はOECD加盟34カ国で21位だったそうです。
日本では、要らなくなった仕事を、多数の人員がワークシェアリングしているような状態が生まれています。
それはまだ、供給が過剰になった仕事から人が去り、新しい生産に向かうような仕組みができていないからです。
これから生まれる仕事は、魅力的な文化を提供する仕事です。
それが魅力的なのは、その文化を需要することによって、やがて自分もその文化の供給者になれるという面があるからです。
これが、製造業との大きな違いです。自動車がどんなに好きでも、自動車の生産者になることはなかなかできません。
しかし、文化は、好きなものであれば、やがて自分もその文化を供給する側に回ることができるのです。
(つづく)
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これからやってくると言われている経済危機に、個人がそれぞれ個別に対応していたのでは、無駄が多すぎます。
日本人の特性は、助け合いの精神を持っていることですから、それぞれの地域での協力によって対処していく必要があります。
しかし、持っている人と持っていない人が、必要な物を共有するというのは、まだすぐには難しいところがあります。
持っている人がどれだけ物を供出し、それをそれぞれの人がどれだけ利用したかという、集計システムを作っておけば共有はできなくはありませんが、それだけの準備をするのがまた大変です。
だから、ないものを分け合うような助け合いではなく、新しいものを作り出しみんながプラスになるような助け合いをやっていく必要があります。
最初に困るのは、都会では日々の食料です。
田舎では、その地域で食料が生産されていますが、都会では食料は流通によって支えられています。
だから、流通が止まれば、又は、流通を媒介するお金がなければ、都会では食料が手に入らなくなります。
流通に頼らない食料供給というのは、地域で食料を生産することです。
具体的には、すべての公園をサツマイモ畑にすることです。
なぜサツマイモかというと、サツマイモはそれだけで人間に必要な栄養素のほとんど含まれている完全食品で、しかもどこでも栽培できるものだからです。
空き地も植えこみも駐車場も、土地として利用できるところはすべてサツマイモ畑にすれば、その地域の食料のほとんどは賄うことができます。
サツマイモが収穫されるまでの半年ぐらいの期間は、それぞれの家庭で備蓄しているもので耐えていけます。
食料さえ確保できれば、あとは余裕ができるので、みんなで知恵を出し合ってよりよい生活作りの工夫をしていけます。
昔の人は、飢饉に備えて、村落の周辺に食べられる草や、実のなる木を植えていました。
同じように、これからは公園に、もっとカキやクリなどの樹木を植えていく必要があります。
また、公園にニワトリやウズラを放し飼いにしておけば、いつでも新鮮な卵を手に入れることができます。
最近、食事の量を、1日3食ではなく2食や1食にする人が増えてきました。
そういう人たちが異口同音に言うのは、食事の量を少なくした方が健康によいということです。
少食の価値を日本で最初に明らかにしたのは、江戸時代の水野南北です。
食事のような生活習慣は、よほどのことがない限り変えられないので、食料不足はかえってよい機会になります。
少なくとも、多少食料が少なくなっても、人間は生きていけるのだという気持ちを持てば、相互の助け合いにも余裕が出てきます。
(つづく)
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国語の問題を解くときには、問題文に線を引いて読むことが大事です。
なぜかというと、問題を見て、その確認にためにもう一度問題文を読み返すときに、線が引いてあると、その傍線の部分がきっかけになって問題文の全体像がすぐわかるからです。
線を引く箇所は、大事なところというのではありません。大事なところというのは、一度全部を読んでみないとわからないからです。
そうではなく、自分が直観的に面白いと思ったところ、内容がよく理解できたところです。
つまり、主観的に線を引いておけばいいのです。
主観的に線を引いた箇所であれば、あとで読み返すときも、その内容がすぐにわかります。
だから、その線を引いた箇所が目印になって、文章の全体像をすぐに思い出せるのです。
ところが、線を引くよりももっと念入りに接続詞を囲んで読むようなことまでする人がいます。
これは、やりすぎです。
試験というものは、ゆっくりやれればあまり差が出ないので、長い文章を短い時間で読んで答えさせる形になっています。
線を引く場合も、この短いじ時間に合わせてすばやく引いていく必要があります。
線を引くというのは、問題文だけでなく、選択問題の選択肢を選ぶときも同様です。
生徒に、国語のテストを見せてもらうと、問題文も選択肢もきれいなままの人がかなりいます。
これでは、そのテストが返されたときに、自分がどういう基準でその選択肢を選んだのか忘れてしまうので、見直しの勉強ができません。
国語の問題は、問題文も選択肢も、線を引いて読むということを習慣にしていきましょう。
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小学生のころは、親に言われて勉強するので、退屈な勉強でもそれほど抵抗なく取り組めます。
しかし、中学生になると、親の指示で勉強する生活ではなくなり、本人任せの勉強になるので、思うように勉強できなくなる子も増えてきます。
しかし、だからと言って、塾に入れ、無理矢理やらせるというのはよくありません。
自分で工夫して勉強するという姿勢が育っていないと、高校生以上になったときにかえって困るからです。
そこで、家庭でひとりで勉強に取り組むときに役立つ方法として、タイマーと色塗り自習表を考えました。
タイマーというのは、10分なら10分と指定しておくと、10分後にベルが鳴るというものです。
これで、自分が何かをするときに、見込みの時間を決めて取り組むのです。
DRETEC デジタルタイマー タイムアップ ホワイト T-186WT
http://www.amazon.co.jp/dp/B001B6RVNQ
勉強の中には、ほんの短い時間でできるが、あまり魅力を感じないものというのがかなりあります。
例えば、問題集読書の音読などは、わずか3分でできますが、続けられる人はなかなかいません。それは、続けることに目新しい面白さが感じられないからです。
その反対に、新しい問題集の新しいページを初めてやるというのは、時間はかかっても珍しさにひかれて無理なくやれます。
ところが、本当に身につく勉強は、同じものを短い時間であっても繰り返す勉強で、身につかないものは、新しいものをたとえ長時間であっても一度だけやるような勉強なのです。
ここでタイマーを使うと、この数分の勉強というものに目標ができます。
やり終える見込みの時間を3分なら3分と決めてボタンを押すと、すぐにその勉強をやる気持ちに切り替わります。。
時間内にできたからといって、褒美が出るわけではありません。自分で決めて自分でやるだけですから、何の報酬もありませんが、それでも目標があって、その目標を達成したということは喜びになるのです。
しかし、タイマーだけだと、その勉強が終わればそれで終わりです。
タイマーの勉強法が微分的な意欲の持てる勉強法だとすると、勉強をやり終えた蓄積があとに残るような積分的な意欲の持てる勉強法が必要です。
それが色塗り自習表です。
この色塗り自習表で使うのは、7×7の49マスぐらいの表と、それを塗り分ける赤と青のペンです。
1つのマスを2色で塗り分けるパターンは、1つのマスについて18通りありますから、毎日やっていても、同じ色塗りの模様になることはまずありません。
そして、どの模様も、何かストーリーが感じられるような不思議な意味のある模様になるのです。
小さな課題をひとつやり終えるたびに模様ができてくるというのは楽しいものなので、自然に決めたことを最後までやり遂げたくなってくるのです。
勉強でも、仕事でも、自分の創造性が発揮できるようなものはほんのわずかで、大部分の時間は面白みのない作業のようなものです。
しかし、そういう作業を能率よく進めるために、外からの強制や、褒美や、賞罰や、競争に頼るのではなく、自分で工夫できるものを探していくといいのです。
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以前、「家庭で問題集などをやるときは、子供が自分で答え合わせをして○×をつけた方がよい」という記事を書いたことがあります。それに対して、保護者の方から質問がありました。「そのやり方だと、あまりできていないものまで○にしてしまう」というのです。
これは、どの子でも多かれ少なかれあることだと思います。
それは、現在の社会が、「○がつくことがよいことだ」という価値観で運営されているからです。
学校でも、家庭でも、○がつけば褒められ、×がつけば注意されます。
しかし、教育の本当の目的は、その子供が成長することですから、本当は×をもらってきた方がよいのです。
勉強の中で、そういう人間の生き方に関することまで言えるのが家庭です。
学校や塾では、大勢の生徒を相手にしているので、なかなか勉強の本当の目的のようなところまでは話ができません。
しかし、家庭では、多少時間がかかって遠回りになっても、勉強以外のことも話す余裕があります。そこで、お父さんやお母さんが折にふれて、「○よりも×になった方が、本当の勉強になる」ということを教えてあげるといいのです。
もちろん、こういう説明はすぐには子供に定着しません。習慣や価値観というものは、何度も繰り返してやっと身につくものだからです。
しかし、いったんこのような勉強の真の目的というものが理解できた子は、中学生や高校生になっても、勉強に対する取り組みが違ってきます。
例えば、曖昧な問題に対して適当に答えて、運が良ければ○がもらえるだろう、というような考え方はしません。それは、ただ点数がよくなるだけであって、自分にとっては何もプラスにならないからです。
また、テスト前に山を張って、それがたまたま当たってよかった、というようなこともしません。それも、点数がよくなるだけであって、自分にとってはやはり何のプラスにもならないからです。
高校生ぐらいになると、ほとんどの生徒は、こういう物事の本質のようなところからものを考えるようになります。
しかし、こういう姿勢は、小中学生のなるべく早い時期から身につけておく方がいいのです。その姿勢を身につけさせるのが家庭の文化力です。
だから、「×にせずにすぐ○にしてしまう」という子に対して、言葉の上での注意はあまり効果がありません。
その子がこれまで持っていた価値観を作り変えるぐらいの大仕事なのですから、親の方も忍耐強く何度も同じように繰り返し教えていく必要があります。
また、親の方も、子供がテストで×をもらってきたら、「間違っていたところがわかってよかったね」と褒めてあげるぐらいに、自分の対応の仕方を作り変えていく必要があるのです。
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親の方も、子供がテストで×をもらってきたら、「間違っていたところがわかってよかったね」と褒めてあげるぐらいに、自分の対応の仕方を作り変えていく必要がある……親にも心の余裕が必要だということ。
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