7月の森リン大賞で90点を取り、高校生の部で第1位となった高1の生徒の作品です。
意見の焦点が絞られていると同時に、その意見の裏付けとなる実例が具体的に書かれています。
構成も、複数の方法という形でわかりやすく書けています。
森リン点で90点以上を取るのはかなり難しいので、ときどき90点の作文が書ける実力があれば、大学入試の小論文はどこでも合格できる力があります。
テレビアニメから考える深い思考の意義
きろる
テレビアニメ「それいけアンパンマン」や「ドラえもん」は、水戸黄門のようなワンパターンを繰り返している。問題を根っこから解決しようとする場面が存在しない。テレビアニメの短絡さが気になって仕方ない。この二つの誰もが知っているアニメ番組ですら人と人がじっくり向き合い、どうすれば問題が解決するのか、掘り下げて考える場面が出てこない。少なくなっていく子供たちの体験の場所を補うのではなく、短絡的なワンパターンを繰り返すことで、長寿番組になっている。僕たちは物事について短絡的にではなく深く考える機会を持つべきである。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法としては、テレビアニメなどの既製品の中に答えを見出そうとするのではなく、自分で考えられるようにすることだ。僕自身も、学校での課題の発表や様々なスピーチなどが多く、それに伴って想定外のアクシデントもたくさん体験した。もちろん現実ではそのようなことが起こってもドラえもんが素敵な道具を持ってきてくれるわけではないし、アンパンマンのような正義のヒーローがやって来てその状況を打開してくれるわけではない。だからこそこちらも対策をしておかねばならないのである。例えば僕は中学生の頃、新入生に対する部活動紹介のプレゼンテーションで自分の所属する部活動を紹介するという体験をした。当時科学部の部長であった僕は、プレゼンテーションと同時に行う科学実験が失敗したときに備えて予め成功した時の動画を用意しておいた。また、学校での調べ学習の最後に行う発表では、制限時間内に終わりそうにない時に切る文章や逆に時間が余った時に足す文章を考えておくようにしている。そうすれば、多少の事故なら対応できるというものだ。
第二の方法としては、様々な人が関わり合えるような環境を整え、その中で生き方の知恵を学ぶような場をつくることだ。人間は、自分一人で考えるだけでなく、他人の経験を参考にすることができる。例を挙げるならば、生き方の知恵ではないが学校のイベントなどが当てはまる。イベントは異なる世代が交わる機会が多くなり得るからである。特に体育祭や文化祭では毎年構成を一から考え直すのではなく、前年度までの内容を参考に企画することが多い。こういうイベントは、先輩方が創り上げてきたものを踏襲しつつも新たな仕組みをもって革新するものである。ちなみに僕の学校の文化祭のスローガンは、少し味気ない気もするがこれに準じて「踏襲と革新」となっている。
確かに、手本があることで大胆な解決を図ったり落ち着いた対応をすることもできる。しかし、僕たちは様々な問題の持つ複雑な側面を自ら見つめ、それについて考えていかねばならない。想定外の事故に対応するために必要なのは初めから与えられていた手本ではなく自分で物事についてしっかりと考えられる力である。僕たちは物事について手本に与えられたような考え方で考えるのではなく、自ら深く考えるようにするべきだ。
意欲を持って勉強する時間は、意欲を持たずに勉強する時間の何倍もの価値があります。
だから、受験勉強なども、早めにコツコツ始めるのはいいのですが、最後までそのペースでコツコツ続ける子よりも、最後の半年から1年で意欲的に集中して取り組む子の方が成果が出ることが多いのです。
だから、子育てで大事なことは、小さいころからその意欲を育てるようにしておくことです。
そのためには、ニーズの時間だけでなくウォンツの時間も大切にすることです。
子供の生活を、必要だと思われることばかりで埋めずに、全然必要ではないし将来役に立ちそうもないが本人が熱中していることがあればその時間をしっかり確保し尊重してあげる、ということです。
さて、作文の勉強に対する意欲の話ですが、作文というのはかなり精神的エネルギーを必要とする勉強です。
普通の勉強であれば、食後すぐでもできますが、作文を書くというのは食後すぐではできません。
特に、高学年の考える作文の場合は、ある程度空腹でないといいのは書けません。
それは、それだけ頭脳に酸素を供給する血液の流れが必要になるからです。
また、作文の勉強は、小学校低学年のころはある程度行われますが、高学年になるとだんだん学校では行われなくなります。
本当は、高学年ほど作文の勉強が必要なのですが、大勢の人数の添削の負担を考えると、どうしても作文の指導というのは後回しになってしまうのだと思います。
学校で作文をやらなくなり、しかも負担の大きい勉強だということになると、高学年から次第に、作文の勉強をすることに意欲的になれない子が出てきます。
その時期は、小5から中2にかけてです。
ちょうどこの時期は、文章を読む力と文章を書く力が最もかけ離れる時期に相当します。
つまり、読めるほどには書けないという状態になるので、自分の書いた文章を読んで自分でうまく書けたとは思えなくなるのです。
だから、この時期は、作文の勉強に対する意欲が最も低下する時期だとも言えます。
では、この時期には、どういう取り組みをしたらよいのでしょうか。
第一は、書くことよりも読むことに力を入れることです。それは読書と音読です。
特に、課題の長文の音読を毎日2、3分続けておくと、そこに使われている表現に慣れて、作文に書くための語彙力が育ってきます。
すぐに成果を上げることを期待するのではなく、気長に底力をつけておくようにするといいのです。
第二は、パソコンを使って書くようにすることです。
なぜパソコンがよいかというと、手書きのものよりも、テキストとして入力されたものの方が作品として完成されている印象があるからです。
作品としての完成感があると、書いたあとに、やり遂げたという気持ちになりやすいのです。
また、言葉の森では、パソコンで書いた作文は、自動採点の森リンで点数が出るようになっています。
この点数はある程度の字数以上でないと誤差も大きいので、小学校高学年で長く書けるようになってからの取り組みにちょうど合っています。
自分の書いた文章がその場で点数になるというのは手応えがあるので、高学年の生徒も意欲的に取り組みやすくなるのです。
そして、第三に、作文の勉強の大切さを親子で話し合っておくことです。
将来必要になる学力は、ただ知識を覚えて再現するような学力ではなく、自分で文章を読み取り、自分なりに考えて、それを文章に書き上げる力になるからです。
高学年の生徒は、こういう理屈をしっかり話してあげると、それで納得します。
ただし、そのためには、お父さんやお母さんがその理屈を自分の言葉としてしっかり話してあげることです。
そして、本人が書いた作文のよいところをいつも認めていくようにしていくといいのです。