暗唱力は、ただ暗唱ができるだけにとどまらず、作文にも国語にも数学にも英語にも役立つという話のここからが本番です。
暗唱がよくできている子でも、また親でも、その暗唱が暗唱以上の勉強力に結びついているという自覚があまりありません。
以前、中学生でときどき暗唱をしている生徒との雑談で、生徒が次の定期テストの話をしてくれました。
「社会は、日本国憲法の前文を暗記できたら、点数をアップしてくれるらしいんですよ」
と、その生徒は他人事のように話していました。そういう奇特な生徒もいるんだろうなあ、という感じの話し方だったので、
「やれば、いいじゃん。いつもやっている暗唱の要領でやればそんなのすぐできるよ」
と言うと、初めて気がついたように、
「あ、そうか」
と言っていました。それですぐに暗唱できるようになったようです。
長く暗唱をしてきた生徒でも、自分が暗唱力があるということに対する自覚がないのです。
よく例に出しますが、本多静六もそうでした。(本多静六、林学博士。一八六六~一九五二)
現在の東京大学農学部の1年生のとき、数学で赤点を取り落第をしましたが、そのあと、数学の勉強法にそれまで身につけていた暗唱の力を利用したのです。
それは、数学の問題集の例題一千題と解法を全部暗記することでした。
数か月でその暗記ができると、それからは、数学のテストは常に満点で、最後には授業に出なくてもいいと言われるほどになりました。
数学は、考える勉強の代表のように思われているので、「丸暗記じゃだめだ」というようなことがよく言われます。
しかし、学問としての数学ならいざしらず、大学入試までの数学は、基本的に解法パターンの暗記によって、解法の応用力がつき成績が上がるという勉強なのです。
数学のできる生徒ほど、数学は暗記だということを理解しています。
数学を考える勉強だと思っているのは、数学のできない人だけです。
文化人類学者の今西錦司さんは、大学生時代、文系なのに数学がよくできるので、同じ文系の仲間から羨ましがられたそうです。
そして、そのうちの一人が、今西さんに数学の勉強のコツを聞いたところ、こともなげに、「ああ、数学は暗記だよ」と答えたそうです。
数学が考える勉強だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、一生懸命自分の頭で考えようとします。考え出すと、時間はすぐに経ってしまいます。
しかし、数学が暗記だと思っている人は、難しい問題にぶつかったとき、答えを見て解法を理解しようとします。解法を理解するだけなら時間はほとんどかかりません。
このようにして、数学が苦手な生徒と、得意な生徒の差はますます広がっていくのです。
だから、暗唱力のある生徒が数学を得意にする方法は簡単です。
一冊の適度な難しさの問題集を、全部できるようにし、できなかった問題はその問題と解法をまるごと一緒に暗唱してしまうのです。
考えを深める勉強は、文章的なところで行っていくのが基本です。
それは、難しい文章を読んで、その文章がテーマにしていることを自分なりに考えてみるという勉強です。
そういう価値ある勉強をする時間を確保するためにも、数学のような通常の勉強的なことは暗唱力で能率よく身につけておくといいのです。(つづく)
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暗唱は、いいことだらけですね。
自分の経験で言うと、高校生のころは、わからない数学の問題があると1時間でも2時間でも考えていました。
どうしてもわからないと、部屋を出て、夜の街を歩きながら考えていました。
今思いだすと、無駄な勉強法をしていたのだなあと思います。
しかし、数学は高校生のころはそれなりによくできたのです。
子供が中3のとき、数学の勉強を見てやろうと、近くの私立高校の入試問題を軽い気持ちで解いてみました。
すると、驚くことにほぼ0点(笑)。
「えー! 高校入試の図形の問題って、こんなに難しいのか」と驚きました。
しかし、それでも、子供の夏休みの数学の勉強で、子供が解法がわからないというところだけ一緒に考えてやっていると、と言っても時間で1日十数分ですが、夏休みが終わるころには、私立でも国立でもどんなに難しい数学の問題でもほとんど解けるようになったのです。
そのときに、数学というのは、解法をどんどん理解して身につけてしまえば自然に応用力が身につくのだということを実感しました。
そして、しばらくやっていないと忘れるが、またやりだせばすぐにできるようになるということも実感したのです。
数学が苦手だと思っている生徒は、ぜひこの解法を丸ごと暗唱するぐらいに理解してしまうという勉強法をやってみるといいと思います。
数学のような考える勉強は、暗記では対応できないと思っている人が多いと思います。
ところが、これが逆なのです。
解法を暗記することによって、解法の応用力がぐんと増すのです。
暗記では効果がないというのは、その暗記がまだ浅いうろ覚え程度のものだからです。
しかし、理解の勉強観を持つ人は、この数学は暗記だという言葉に大きな抵抗を感じるのです。
日西ハーフの子どもたちの授業。日本語はおぼつかないのに、一学年上の算数の問題をスラスラ解く5年生。だってスペインの学校でやったもん、と言う男の子のクラスの先生は解法を覚えさえ、説明できるようになるまで繰り返させるとか。
数学の暗記に言語の壁は無いんだなぁ。
昨日、高三の生徒さんに勉強方法を聞かれたので、気に入った参考書(問題集)を一冊丸暗記と答えました(笑)。
事実、古文も英語も教科書丸暗記でクリアしてきました。
数学にも応用できたのだなあ。
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1,000字の文章の暗唱といっても、毎日の自習時間はわずか10分です。
朝ご飯前にやると決めておけば、誰でもできます。
そして、暗唱の勉強のいいところは、暗唱した結果があとに残ることです。
だから、子供自身も暗唱ができたあとの達成感があります。
また、先生も、毎日暗唱をしているかどうかを確実にチェックできます。
言い間違えたり、つっかえたり、途中で忘れたりする子は、毎日ではなく、週に数回しか暗唱の自習をしていなかった子です。
毎日10分の自習を欠かさずにしていれば、つっかえるようなことはまずないからです。
ところが、ここにも新たな問題が出てきました。
子供の暗唱をチェックする先生自身が、自分が子供時代に暗唱をした経験がないので、そして、先生はもともと優しい人が多いので、子供の暗唱チェックに甘くなってしまうことです。
小さい子供が、先生の前で、一生懸命やってきた暗唱を思い出して言っているのを聞くと、1、2か所の言い間違いは仕方ないと認めてしまうのです。
このようなことが何度か続くと、子供の暗唱の練習はやはりいい加減になってきます。
単純な勉強は毎日やるのが基本ですが、週に数回やればいいという勉強になってしまいます。
そして、週に数回では、完璧には程遠い暗唱になるので本人もやりがいがなくなり、次第に暗唱をやらないようになってしまうのです。
そこで、暗唱チェックは担当の先生も一応するが、正式のチェックは暗唱検定で行うというようにしました。
字数は3,000字で時間は5分、それを3ヶ月で覚えるのが目安です。更に、3,000字の暗唱が4本できたら、それらをまとめて12,000字を20分で暗唱します。
それぐらい長い文章を暗唱すると、その暗唱は確実に自分の中に残ります。
その際に、せっかく子供の中に残り一生覚えていられるような暗唱をするのだったら、日本の伝統に根ざした文化的な暗唱をしようと考えました。
それまでの言葉の森の暗唱は、作文に使えるような現代の文章の暗唱でしたが、ここで大きく方向転換し、本格的な文化的暗唱に取り組めるようにしたのです。
文化的暗唱というと、枕草子とか百人一首とかいうものももちろんありますが、日本には、そういう文学的な文章だけでなく、深い思想に根ざした古典の文章の蓄積もかなりあります。
今回、改めて日本の古典を集めて読んでみると、その文化の厚さと深さが予想以上だったことに驚きました。
翻って考えてみると、今の私たち大人の世代は戦後教育の影響で、欧米の文化を先に吸収してきたので(サルトルとか、マルクスとか、ヘーゲルとか、いろいろ)、肝心の日本の文化を知らないまま成長してきたのです。
これからの子供たちは、日本の文化を先に学び、それから海外の文化を学ぶという本来の姿に戻っていくと思います。
さて、この暗唱の練習は、単に古典の文章の暗唱だけにはとどまりません。
暗唱には、もっと大きな効果があるのです。
その一つは、人生に対する効果です。そして、もう一つは勉強に対する効果です。(つづく)
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「暗唱? ああ、覚えるやつでしょ」と普通の人は思いますが、暗唱の効果というのは、実はやってみないとわからないところがあるのです。
その効果の一つは、人生に対する効果で、もう一つは、勉強全体に対する効果です。
ただし、その場合、うろ覚え程度の暗唱では不十分です。
忘れようとしても忘れられないぐらいに徹底して暗唱すると、そこで変化が起きてくるのです。
実は、戦後、GHQの教育によって、暗唱の学習法が止められ、歴史を人物を通して学ぶことが止められた経過があるのです。
それは、両者が教育上の高い効果を持っていたからです。
古文の暗唱に取り組んでいる、フランス在住、小学2年生の女の子。お母さんにおこられると「お母さんが鬼にぞなりけり・・・」とボヤクそうです(笑)
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暗唱力があれば、作文はいくらでも上手に書けるようになります。
また、数学の成績も、英語の成績もいくらでも上がるようになります。
担当の先生が毎週電話で暗唱チェックをすれば、家庭でも毎日の暗唱が続けられます。
更に、その暗唱の成果を、暗唱検定で定着させれば、確実な実力がつきます。
しかし、まだこの暗唱の効果を知らない人が多いので、このあと何回かにわたって暗唱の話を掲載します。
ただし、暗唱の勉強をスタートするのに最適な学年は小学2年生より前の学年です。
小3以上になると、学年が上がるにつれて新しく暗唱の練習を始めるのは難しくなります。
そのときには、親も一緒に暗唱の練習をしていくといいのです。
====
言葉の森は、20年以上も前から音読指導を作文学習の中に取り入れていました。
それは、作文は書かせて直す指導だけでは不十分だとわかったからです。
読む力の土台がなければ、いくら直しても作文は上手にならないのです。
読む力がつけば語彙力もつきます。すると、表現の工夫もできるようになり、深く考えることもできるようになり、自然に作文のレベルが上がります。
そういう状態で、難しい課題の作文をかくと、文章力も思考力も伸びていくのです。
しかし、ここに難しい問題がありました。
音読は、本人に任せていてはなかなか続かないのです。
そのいちばんの理由は、やったことがあとに残らない勉強なので張り合いがないからです。
そして、同じ文章を何度も読むので、飽きるのも早いのです。
家庭でお母さんやお父さんが徹底して音読をチェックするのでなければ、子供は自然に、あとに残らない音読よりも、あとに残る問題演習のような勉強をやりたがります。
そして、そういうあとに残る勉強の方が、やった感じがするので、お父さんやお母さんも問題演習のようなものの方を重視するようになってしまうのです。
音読は、作文教室の先生がいくら厳しく言っても、子供はやるようにはなりません。
それは、やはりあとに残らない勉強なので、やったかどうかがチェックできないからです。
「ちゃんと音読してくるんだよ」
「はあい」
「今週の分、音読してきた?」
「はあい」
「毎日、朝ごはん前に音読するんだよ」
「はあい」
と、全部、いい返事をしますが、1週間毎日音読している子はほとんどいませんでした。
やるとしても、せいぜい授業が始まる直前に読むぐらで、しかも黙読の飛ばし読みのようなことも多かったのです。
お母さんに、音読をするように頼んでも同じように、
「毎日やっているみたいです」
「そうですか……」
「自分の部屋で」
自分の部屋で音読などするわけがありません。
親が近くにいて聞いていなければ音読は、まず絶対にできないのです。
なぜ、親のいる前で音読をしないかというと、音読をすれば必ず親に注意をされるからです。
なぜ親がすぐ注意をするかというと、親自身が子供時代に音読をした経験がないので、子供の音読をしているときの気持ちがわからないからです。
このような事情のために、効果のある音読がなかなか普及しない状態が続いてきたのです。
そこで、言葉の森が考えたもうひとつの方法が、音読と並行して暗唱をすることでした。
しかし、暗唱と言っても、方法論がなければ子供は途方に暮れてしまいます。
そこで、江戸時代の教育書「和俗童子訓」をヒントに、100字を100回繰り返し音読して暗唱するという方法を現代風にアレンジして、約1,000字の文章を1ヶ月かけて暗唱する方法を開発しました。
これなら誰でも暗唱ができるようになるのです。(つづく)
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暗唱は、幼稚園年長や小1ぐらいから始められます。
しかし、もっと早く、子供がまだ字も読めない小さいころからでも、親が暗唱の練習をするという形でやっていくといいのです。
そうすれば、読み聞かせの代わりに暗唱を聞かせてあげることもできるので、読み聞かせの本を持つ手がくたびれるということもありません(笑)。
たぶん、昔の、電灯がなく本もない時代の親子の関わりは、そういう形で行われてきたのだと思います。
この4月に暗唱検定を始めたときは、検定試験に参加できる子はまだほとんどいないと思っていました。
ところが、蓋を開けてみると、次々と暗唱検定に挑戦する子がいたので驚きました。
その子たちは、暗唱検定がある前から、ずっと家で暗唱の自習を続けていたのです。
そして、10月の時点で既に22人の子が、約3,000字5分の暗唱検定に合格しました。
今はまだ多くの子が小学校中学年程度ですから、暗唱ができてすごいというだけですが、この子たちが中学生、高校生になり、この暗唱力を生かせるようになると、勉強面では余裕の好成績を維持できるようになると思います。
そして、その余裕を、自分らしい個性を伸ばすことに生かしていくといいのです。
小4の娘も暗唱を頑張っていますが、やはり、もっと小さいときの方がすんなり覚えてたような気がします。どうも古文などは「これはどういう意味か。何を言っているのか」と考えてしまうようなのです(笑)。
親も一緒に暗唱をがんばってみます!
暗唱は、学年が上がるほど苦労する生徒が多くなりますね。覚えようとせず、ただひたすらお経のように読むのがコツなのでしょうね。
親の都合で海外在住を余儀なくされた小5の女の子。0から始めたスペイン語でしたが、小6の終わりにクラスでトップクラスの成績に。秘訣を聞いたら、教科書ぜんぶ暗記しました、と・・・。
2020年にはセンター試験もあり、考える力がますます重要になりそうですね。
すみません、コメント入れる記事間違えました。
親の都合で海外在住を余儀なくされた小5の女の子。0から始めたスペイン語でしたが、小6の終わりにクラスでトップクラスの成績に。秘訣を聞いたら、教科書ぜんぶ暗記しました、と・・・。
自分が好きだと思う文章を暗唱していくことも楽しいと思います。
また論語なども子供たちにとっては、外国語のようで楽しいようです。娘が通う学校でも論語の暗唱が課題として出されました。
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公立中高一貫校の受験作文は、昔は、書きやすい身近な題名課題が中心でした。
今でも、帰国子女枠の受検作文は、そういう身近な書きやすい題名課題のところが多いのですが、それ以外のほとんどの学校は、文章を読んでの感想文課題になっています。
しかも、難度の高いところでは、その文章が複数出されて、複数の文章の関連性を読み取りながら書くような形のものが多くなっています。
中学受験作文の共通点として、もうひとつ特徴があるのが、「自分の体験にもとづいて」という条件です。
人生、学問、言葉、文化というような抽象的なテーマを、自分の体験にもとづいた実例を入れながら書かなければならないのです。
だから、受験作文には、家庭での対策が必要になってきます。
家庭での関わり方には二種類あります。
第一は事前の関わりで、体験実例の似た例を親子で予習しておくことです。
第二は事後の関わりで、書き上げた作文の表現を親子で推敲していくことです。
今回、オンエア保護者セミナーとして、実際の作文入試課題をもとにした親子の関わり方の例を説明することにしました。
下記の要領でセミナーを行いますので、参加を希望される方は末尾の
参加予約フォームからお申し込みください。
●オンエア保護者セミナー
●テーマ
「公立中高一貫校の受験作文に、家庭でどう関わるか」
●講師
中根克明(森川林 作文教室言葉の森代表)
●日時
10月22日(土)10:30~10:55(25分間)
●会場
googleハングアウトで行います。(スマホ、タブレット、PCのいずれからでも参加できます。)
https://hangouts.google.com/call/3c4uurnyxfcnvdvbjl5zlt6x5me
(10分前から入れます。入室する際は、マイクをミュートにしておいてください。ウェブカメラはオンでもオフでもどちらでもかまいません。ウェブカメラがなくても参加できます。)
●参加費
・言葉の森受験作文コース受講中の生徒の保護者………………無料
・受験作文コース以外の言葉の森の生徒の保護者…………500円(受講料と合わせての自動振替)
・言葉の森の生徒の保護者以外の方……………………2,000円(銀行口座からのお振込み)
▽銀行からお振込いただく場合の言葉の森の口座
三井住友銀行 港南台支店 普通 6599615 株式会社言葉の森
●定員
6~7名まで(先着順)
●お申し込み
参加予約は、下記のフォームからお願いします。
▼参加予約フォーム
https://www.mori7.com/kform.php?k=1022
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公立中高一貫校の受験作文、大人でもどう取り組んでよいかわからず途方に暮れるような問題があります。
模範解答を読んでも、それを参考に書くのは難しいと思います。
体験実例、ここがポイントですね。
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学力はあるのに、その学力のわりには成績がよくないという子がいます。よくないとは言っても、普通よりはずっといいのですが、その子の実力からすれば、もっといいはずなのにという生徒です。
そういう子に共通しているのは、勉強が嫌いだということです。と言うと、身も蓋もありませんが、正確に言うと、教わるだけの勉強が嫌いだということなのです。
数学者の岡潔さんは、中学生のころ、数学の勉強が嫌いで勉強は何もしなかったそうです。しかし、中学ですから定期的に数学のテストがあります。そのときは、出題範囲の単元を短期間で全部暗記して高得点を取って済ませていました。
つまり、学校で教わる数学は、決まった答えのある勉強だから、わざわざ勉強をするというような興味がわかなかったのです。
勉強の嫌いな子も、程度の差はあれ、こういう岡潔さんの気持ちと共通のものを持っています。教わるだけの授業が退屈で仕方ないのです。
今の学校の勉強は、先生に言われたことを長時間やる生徒の方が成績がよくなりますから、勉強の嫌いな子は、もちろん成績面では不利です。
しかし、この勉強の嫌いな子の方に、将来の大きな可能性がある気がするのです。
その証拠に、こういう勉強の嫌いな子が、いったん受験勉強などに本気で取り組み始めると、短期間で見る見るうちに成績を上げるからです。
いったん自分でやろうと決心すると、岡潔さんが試験前に出題範囲を全部暗記したように、受験勉強の範囲を全力で身につけるようになるからです。
すると、半年ぐらいの間に、成績が急上昇していきます。
こういう様子を見ていると、今の学校の勉強は何かおかしいのではないかという気がします。
現在、学校で行われている一斉授業は、教材も教育設備も不足している時代に、全国民が同じような基礎学力を持ち工業化する社会に対応できるようになるために作られてきました。
しかし、今は、これらの条件自体が大きく変化しています。
一つには、教材や教育設備というインフラは、個人が家庭でも十分に準備できるようになってきたからです。
もう一つには、これから必要な学力は、みんなと同じ学習範囲で高得点を取ることではなく、自分が関心を持つ個性的な学習範囲で第一人者となることだからです。
個性的な学習範囲でダントツの力をつけるためには、みんなと同じ学習範囲は8割できていれば十分です。8割というのは、東大の推薦入試で言われた「センター試験で8割の学力の担保」というような意味での8割です。
しかし、今の学校教育は、受験勉強という重箱の隅をつつくような出題範囲で子供たちに高得点を取ることを求めています。
すると、真面目な子ほど、自分の本来の学力に気が付かず、勉強に対する苦手意識を持ってしまうことも多いのだと思います。
この状態を改善するためには、子供に勉強の計画を立てさせることです。
親や周囲の大人が、学校の勉強は8割できていれば十分で、そのための勉強はするが、それ以上の勉強をする時間は自分の個性を伸ばす時間に充てる、という大きな方針を示してあげる必要があるのです。
こういう個性を伸ばす勉強をしているのが、小1~3対象の読書実験クラブと、小4~6対象の思考国算講座です。
参加している子は、選抜しているわけではありませんが、学力のある子ばかりです。そして、教わる勉強ではない自分で考えたり作ったりする勉強を楽しんでいるのです。
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小学生のころの作文は、最初は生活作文から始まります。
自分の身の回りに起こった身近な出来事を文章で書いていくのです。
実は、これだけでも子供たちにとってはかなり大変です。
普段の生活で、言葉のやりとりは音声で行われていますが、それが文字のやりとりとして行われることはほとんどないからです。
特に、まだ本を自分で読めるようになったばかりの小学1、2年生の子にとってはそうです。
だから、大人が、できて当然と思っているような、「わ」と「は」の区別や、文の終わりに「。」をつける、などということが勉強のような形で教えられなければできないのです。
しかし、子供たちは、自分が文字を書けるということがうれしくてたまりません。だから、間違った書き方であっても、喜んでたくさん書こうとします。
小学2年生の時期は、この「長く書く」ことに燃える時期です。自分が作文を長く書けることがうれしいので、長さだけを目的にして書くことがあるのです。
しかし、やがて、小学3、4年生になり、文章を書く力がついてくると、長く書くことに対する情熱は自然に冷めてきます。
そして、その長さの代わりに出てくるのが、面白く書くという目標です。
この時期の子供たちは、面白いことが大好きです。いろいろな場面で笑って過ごしたい時期なのです。
そこで、作文にも、面白い場面、面白い出来事を書こうとします。それは、特に身近な大人である、学校の先生やお父さんやお母さんのドジな場面などです。
出来事の面白さを書くことに燃えるというのが、文章力がついてきた小学3、4年生の作文の主な関心事になるのです。
小学5、6年生になると、面白いことを書きたいという気持ちは変わりませんが、そこに考える力が加わってきます。
特に、読む文章が難しいものになってくると、自分でも自然にそういう文章に出てくる言葉を使って作文を書こうとするようになります。
今の中学入試問題の国語は、小学5、6年生が到底普通の生活の中では読まないであろうような文章が多数掲載されています。
物語文であれば屈折した心理の動き、説明文であれば言語や人生や文化や学問のような抽象的なテーマが盛り込まれた文章です。
この段階になると、作文力の差がはっきり出てきます。身近なテーマでは、どの子も上手に書けますが、考えるテーマになると、使える語彙の量がまず差になり、その語彙を使ってどう考えを組み立てるかということがまた大きな差になって現れてくるのです。
この考える作文が、このあと、中学生、高校生と続きます。
高校生になると、考えるテーマ自体に社会的な広がりが出てくるので、世の中の動きに対する知識の裏付けも必要になります。書くための材料も必要になってくるのです。
小学校のとき、楽しく作文を書き、それなりに上手に書けていた生徒が、中学生になったころからだんだん書けなくなるのは、この材料不足が主な原因です。
材料は、読書によって供給されます。本を読んでいる子は、語彙も、表現も、知識の材料も、読書から入ってくるので、作文を書くときも文章がスムーズに出てきます。だから、楽に書き出すことができます。
書き出す段階で苦労しているのは、本を読んでいない子と言ってもいいと思います。
今の中学生、高校生は、一般に本をあまり読みません。
理由を聞くと、勉強が忙しいから本を読んでいる暇がない、ということをよく言います。
しかし、本当の理由は、小学生の間に本を読む習慣を確実につけていなかったために、本を読む楽しさが身についていないのです。
本の好きな子は、受験勉強の真っ只中でも、息抜きのために本を読みます。将来、学力が伸びるのはこういう生徒なのです。
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本をよく読んでいる子は、作文の表現がなぜかスムーズです。
本をあまり読んでいない子は、同じことを同じように書いていても表現がどこかぎくしゃくしているところがあります。
読んでいる本は、易しい物語文の本でもいいのです。
言葉というのは、川のようなもので、上流から読むものが絶えず供給されていないと、下流が干上がってしまうのではないかと思います。
子供に難しい勉強をやらせるというのは、一般にあまりよくありません。
というのは、その場合の難しさは知識でカバーできるので、結局知識の詰め込み勉強になっていくからです。
しかし、難しい文章を読ませるというのは、程度にもよりますが大体がいいことです。
それは、読むことによって考える力がついてくるからです。
小学生のうちに読書の習慣をつけておくことが大事ですね。そのためには、幼児期の読み聞かせも大切ですね。
本を読んでいる子の作文は、文章の流れが自然で、気の利いた言い回しがよく使われています。ちょっとしたところで、本を読んでいるかいないかが分かりますね。
本から得るものはたくさんありそうです。
小学校低学年に、本を読むことの楽しさを体験することが、そのあとの成長に大きく影響するのですね。
今、小4の娘が学校で、よく百マス作文に取り組んでいます。初めは長く書かない作文にかなり戸惑っていましたが、ここでいうなら、長く書くことが面白い時期を卒業し、面白く書こうとする時期に入っているのだなあと思います。
詰め込み型で語彙を覚えていくよりも、読書で身につけた語彙を上手に使えることが、後々の「考える力」につながっていくのだなと思いました。
本を多く読んでいるかどうかは文章を読むとわかりますね。ちなみにおしゃべりしていてもわかります。
やはり読書です!
やはり読書です。
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今の子供たちの勉強の様子を見ていると、二つの大きな問題があるように思います。
第一は、小学校低学年のころの勉強に、親が関わりすぎることです。
このころは、できるだけ子供が自分でやるようにさせるのが大事なのですが、お父さんやお母さんが手をかけすぎてしまうことが多いのです。
もちろん、親子の対話を楽しむという意味で親が子に関わることはいいことなのですが、それは主に遊びや読書の分野ですることです。
勉強の分野で、親が手をかけすぎると、親がいなければ勉強のできない子になってしまいます。
親は、勉強面で手を出したくなってもできるだけ我慢して、子供が自分でやるように工夫していく必要があるのです。
しかし、小学校低学年の手のかけすぎは、それほど大きい問題ではありません。
第二の、もっと大きな問題は、子供の学年が上がり、小学校高学年になり、中学生になってくると、今度は親が子供の勉強を見るのをあきらめて、本人に任せてしまうようになることです。
中学生になると、勉強面も難しくなるので、親も小さいころほど簡単には教えられなくなります。
また、中学生本人も、親に助けを求めるようなことはせずに、自分でやろうとするようになります。
しかし、ここで、ほとんどの中学生が自己流の能率の悪い勉強法になるのです。
その結果、小学生のころまではよくできていた子が、中学生になるとだんだんと思ったように点数が取れなくなり、苦手分野なども出てくるようになります。
すると、生徒本人も、親も、その解決策として塾を選択するようになることが多いのです。
塾の先生は、みんな熱心に子供たちのことを考えて指導していますから、子供がひとりで勉強するよりは、確かに成績面ではプラスになります。
しかし、塾はもともとは大勢の生徒を一斉に教える仕組みになっていますから、全生徒に最大公約数的な宿題を出すような勉強の仕方をします。
すると、塾に合わせた勉強は、生徒個人にとっては無駄な部分もかなりある勉強になるのです。
だから、塾に行って成績の上がる子は、宿題を真面目にやる子、つまり無駄な勉強も我慢して長時間やれる子ということになります。
すると、成績は確かに上がるかもしれませんが、余裕のある時間の中で読書をしたり趣味を深めたりということがどうしてもできなくなるので、ただ勉強をするだけの面白みのない生活になることが多くなるのです。
ひとつの解決策としては、個人指導の力量のある家庭教師をつけ、その家庭教師のアドバイスをもとに勉強していくことです。
加山雄三さんの中学生時代は、まさにそうでした。それまで勉強はあまりしなかった加山さんは、中学3年生になり突然勉強に目覚めたとき、親に専属の家庭教師をつけてもらいそれから短期間で猛烈に勉強をしたそうです。
そして、当時の成績ではまず無理だと思われていた慶應義塾高校に合格したのです。
高校入試は、本気でがんばると半年ほどで実力が大幅に上昇しますから、こういうことは意外とよくあります。
しかし、生徒本人の学力に応じた具体的な勉強計画を指示できる家庭教師というのは、あまりいません。また、いたとしても、どの家庭でも頼めるようなものではありません。
そこで、中学生にとっていちばんいい勉強法は、本人の家庭での自学自習を親が見るという形になるのです。
しかし、親が見るといっても、手取り足取り教えるというのではありません。
中学生の勉強は、基本的に他人が教える必要はありません。今は、解説の詳しい参考書や問題集が豊富にあるので、ほとんどが自分で勉強できます。
勉強を、戦闘、戦術、戦略と分ければ、親が見るのは主に戦略面です。中学生本人は、戦闘や戦術ぐらいまではできますが、勉強の大きな方針というのはまだ無理だからです。
そして、たまに、勉強の内容について質問があったとしたら、それは勉強のできる大人(主に先生)に聞くようにすればいいのです。
今は、塾に行っている中学生がほとんどなので、塾に行っていないと不安になるという心理はあると思います。
だから、塾に行ってもいいのですが、勉強を塾に百パーセント任すようでは、時間がかかるだけで、実力はあまりつきません。
中学生で成績のいい子は、必ず親が子供の勉強に何割かかかわっています。
言葉の森の勉強も、今後この親の関与ということをもっとバックアプできるようにしていきたいと思っています。
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10月29日の講演会は、作文の話が中心ですが、やはりこの親の関与の仕方という話もします。
親が関与できるというのは、実は楽しいことなのです。
「家庭で子供に作文を教えるライフワーク」講演会in横浜10.29
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中学生は、みんな真面目に勉強しています。
試験前は、寝る時間も惜しむような勉強もしています。
しかし、肝心の大きな方針というものがなく、目先の狭い視野でがんばっていることも多いのです。
それをアドバイスできるのは、親しかいません。
親は、子供の小学生のときはできるだけ手を抜いて、中学生になったらできるだけ本人任せにせずに、ということが大事なのです。
https://www.mori7.com/index.php?e=2712
中学生で成績のいい子は、親がしっかり勉強の内容面にも口を出しています。
本人任せ、塾任せでは、時間ばかりかかるようになります。
中学生のころに、親が勉強を見てやれるから、高校生になって自分で勉強ができるようになるのです。
ついつい、親が手を出したくなってしまう我が子の勉強……。
ぐっと我慢するのも親の勉強なのだろうと思いました。
塾に行くことも、受験をすることも、情報や周りに流されず、しっかり自分で見極めていきたいですね。
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このたび、言葉の森では、作文教育に関連する講演会を開催することにいたしました。
今回は、言葉の森の35年間12,000人の子供たちの作文指導の経験に基づいた「作文の教え方とそれをライフワークにする方法」の講演です。
この講演では、次のような方に向けたお話をする予定です。
○お子様が小中学生で、家庭で作文を教えるコツを知りたい方、また、まだお子様が小さいが将来そういうことをしてみたい方。(お子様が受験直前の方にも参考になる話をします。)
○自分で既に教室を開いていて、そこに作文指導のコースも付け加えてみたいと思っている方。
○国語や作文を授業などで教えていて、更によい指導をしたいと思っている方。
○定年後の将来の自分のライフワークを見つけたいと思っている方。
○森林プロジェクトに参加し、現在作文指導を行っている方。
○インターネット技術を使った新しい教育の可能性に関心を持っている方。
参加を希望される方は、言葉の森までご連絡くださるようお願いいたします。
詳細は、下記のページをごらんください。
「家庭で子供に作文を教えるライフワーク」講演会
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これは、ただの講演会ではなく、これからの日本の未来の教育を考えた講演会です。
世の中で、まだ誰も言っていないことを中心にお話しする予定です。
しかし、あまり飛びすぎてもいけないのでほどほどに。
言葉の森の持ち味のひとつは、年季が入っていることです。何しろ、世の中に作文教室という言葉自体がないときから作文教室を始めたからです。
もうひとつは、先端技術を迷わずに取り入れていることです。だから、科学的な作文指導と国語指導なのです。
そして、もうひとつは、講師の人柄がみんなとてもいいことです。これは、私のせいではありません(笑)。なぜか、そうなったのです。
一生続けられる仕事になりそうです。
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