暗唱検定には、これまでに約25名の人が合格しています。
小学校2、3年生の生徒が比較的多く、小学5年生や6年生の生徒もいます。
これまで、暗唱検定は6分以内、読み間違い1か所以内としてきましたが、百人一首などは6分以内では苦しいので、これからの暗唱検定は、7分以内、読み間違い1か所以内とします。
なぜ速く間違えずに読むようにするかというと、暗唱というのは、思い出して言うのではなく、丸ごと自分の身体の一部になっているかのように言うことが大事だからです。
しかし、百人一首のように、独立した歌が並んでいるようなものを暗唱する場合は、ある歌と次の歌の間に関連性がないので、かなり覚えにくくなります。
このようなときに、早く連続して言えるようにするには、それぞれの歌の頭文字だけを先に覚えて、それからその歌を覚えるという方法があります。このやり方は、勉強などで何かを覚えるときにも使えます。
しかし、そういう形で覚えると、覚えるのは早くできますが、流れるように暗唱するようになるには逆に時間がかかるようになります。
音読を繰り返すだけで暗唱できるようにするという方法は、最初は時間がかかりますが、いったん暗唱できるようになると淀みなく言えるようになります。
どちらの方法でも、最終的にはスムーズに暗唱できるようになりますから、自分のやりやすい方法で取り組んでいくといいと思います。
暗唱の仕方などでご質問のある場合は、facebookグループの「暗唱の小道」やオープン教育の掲示板などをご利用ください。
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実は、こんなに暗唱のできる生徒がいるとは、最初は思っていませんでした。しかし、結構みんながんばっていて、しかも高学年の生徒までしっかりできているというのは驚きました。
暗唱は毎日の積み重ねですから、気の長い勉強です。だから、お母さんの協力があって初めてできると思います。
暗唱検定の約3,000字の制限時間を7分としました。(これまでは6分)
それは、百人一首の暗唱の場合、6分では苦しいところがあったからです。
しかし、7分というのは、1文字も間違えずに淀みなく読んで初めて達成できる速さです。
なぜこのように速く完ぺきに読むのが大事かというと、思い出しながら読むような読み方では、その暗唱が自分のものにならないからです。
暗唱の理想は、ちょうど九九を唱えるような感じの読み方をすることです。
ありがとうございます。7分まではまだまだ先は長いですが、頑張って続けていきます。
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「子どもはどこかに着くことを望んでいるのではないのです。かれはただ歩きたいのであって、かれをほんとうに助けようとするなら、おとなは(自分と)同じ歩調で歩くことを期待したりしないで、かれのあとからついていかなければなりません。子どものあとについていくことの必要性をここで明らかにしましたが、それは、まさに教育のあらゆる側面とあらゆる領域での一般に通ずる規則なのです。」「モンテッソーリの教育」(あすなろ書房)より
子供が、勉強で何かわからないことがあると、大人はすぐに教えようとします。しかし、このすぐに教えようとすることが子供の成長を阻害していることが多いのです。それは子供が自分で考える楽しみを味わえなくなるからです。
ところが、見た目には、すぐに教えた方が早く身についたように見えます。これが錯覚を生み出します。
教えてもらって理解したことは、時間がたつと忘れます。
自分の内面から考えて理解したものでないと、それは単なる知識ですから、忘れるのも早いし、ほかに応用することもできません。
当面の成績上昇には役立ちますが、長い目で見ると学力の向上には結びつかないことが多いのです。
では、どうしたらいいかというと、大人は教えたくなる気持ちをいったん抑えて、ワンテンポ遅く対応するようにするのです。
例えば、子供が算数の問題でできなかったところを持ってきて、「わからないから教えて」と言ってきたら、そこですぐに教えるのではなく、次のように言うのです。
「これは難しいね。お母さんにもよくわからないから、もう一度解法を読んでみて、もしわかったら教えてね」
それでもなお子供がわからないという場合は、教えてもかまいません。
しかし、この教えることをワンテンポ遅らせる対応を続けていると、子供はだんだん自分で考えようとする姿勢を持つようになります。
そして、やがて、すぐ人に聞くのではなく、自分で考えてみる方が楽しいと思うようになるのです。
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子供が何かわからないことでつまずいているとき、先生が、
「じゃあ、教えてあげようか」
と言うと、
「あ、待って。言わないで。自分で考えるから」
と言う子がよくいます。
人に教えてもらうより、自分でわかりたいというのが人間の本来の姿なのです。
勉強というのは教わるものだと思っている人が多いと思いますが、本当は、教わるよりも自分で考えて理解する方がずっと楽しいのです。
確かに教えてもらったことはすぐに忘れますね。(^^♪
人生には、すぐに答えが見つからないことが多いので(笑)、自分で考える習慣をつけておくことは大切ですね。
自分で考えて理解できたという成功体験を積み重ねることが子供の自信につながるのでしょうね。
ついつい口も手も出したくなる我が子の勉強……。
自分で調べたり、考えたりしながら、自分なりの答えに辿り着けるように誘導するのが親の役目……ということですね。
親は「待つ」という我慢を覚えないといけないですね。
教えないこと、これは賢い子を育てるテクニックかもしれません。
確かに「ちょっと待って。」と言うと、解き終わっていることが多いです。(^^♪
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言葉の森の通信作文教室のよいところは、毎週担当の先生からの電話指導があることです。
普通の通信教育は、ビデオの一斉授業だったり、赤ペンの先生がいるとしてもその先生と接触があるわけではなかったりするので、最初の物珍しい時期が過ぎると、子供が飽きてしまうことがあります。
言葉の森の場合は、担当の先生がその子の反応を見ながら話をするので、先生はいろいろ工夫が必要になりますが、その分子供は意欲的に取り組めます。
しかし、私は、この状態はまだ不十分だと思っていました。
第一は、子供どうしの交流の機会が少ないことです。小学生も4年生以上になると、先生と生徒の関係よりも、生徒どうしの関係の方が重要になってきます。友達がやっているから自分もやるというようなことがよくあるのです。マンツーマンの通信教育では、その点が不足します。
第二は、電話指導では10分間の声だけのやりとりになってしまいます。話をするだけでも十分ですが、やはり相手の顔が見えた方が話にも実感がこもります。
そこで、今取り組んでいるのが、寺子屋オンエアやオンエア講座など、ハングアウトを使って生徒と先生、又は生徒どうしが画面を見ながらやりとりする仕組みです。
その6、7人の少人数のグループというのは、勉強をする上でかなり効果があります。それは、参加者全員が発言したり発表したりする時間的な余裕があるからです。
また、オンラインの授業ですから、教科や進度によるクラス分けがかなり細かく対応できます。今はまだ人数がそれほど多くないので、そういう細かいクラス分けはしていませんが、これから生徒が増えれば、どの生徒も自分に合ったクラスを選べるようになります。
だから、これからのこのオンエア指導を増やしていきたいと思っています。
しかし、私は、この細分化されたオンラインのグループ授業もまだ不十分なところがあると思っています。それは、やはり、人間にはリアルな接触も必要だからです。
そこで考えているのが、夏休みや土日などに子供たちが合宿教室で勉強をしたり遊んだりする仕組みです。
自然の多いところで、日中は学年の違う子供たちが自由に遊び、夜と朝はそれぞれが自分の学年と進度に応じた勉強をオンラインで行うという形の取り組みです。
現在、この合宿教室、森の学校オンエアを具体化しようと思っているところです。
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のびのび成長できそうです。
時間を有効に使うことができ、一日一日が楽しくなりそうです。
最近は、自分の目的のために勉強するのではなく、勉強自体が目的になっているように感じます。机上の勉強のほかに、めいっぱい遊ぶことも大切ですよね。自然から学ぶこともたくさんあります。森の学校楽しみです。
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創造的な仕事をしている人に、意外と勉強が苦手だった人が多いのです。
最近読んだ本で言うと、賀来(かく)龍三郎さん、土井利忠(天外伺朗)さん、それからさかなクンです。
それはなぜかというと、答えのある解き方の決まっている勉強をすることに興味がわかなかったからではないかと思います。
だから、逆に、答えのある勉強の解法を身につける勉強を長期間やっていると、成績が上がるのに反比例して創造性や思考力が失われていくのです。
では、どうしたらいいかというと、受験勉強は受験の一時期に集中して取り組むことで、それまでは自分の好きなことにたっぷり時間を費やすことです。
創造性と勉強の関係をよく表している賀来龍三郎さんの話です。
「私は父の仕事の関係で、中学校は戦前の中国の青島(チンタオ)中学に学んだ。数学と物理を教わったのが秋山先生という高等師範学校出身の教育熱心な先生だった。秋山先生いわく、『公式など覚えなくていい。それより十分理解することが大事で、理解していればいつでも自分で導きだせる。難しい公式を覚えて応用問題を解こうなどということは考えるな。ただし、中等教育ではレンズの焦点を測る公式と電圧の公式(電流と電圧と抵抗の関係式)だけは覚えておきなさい。それだけはいくら導きだそうと思ってもできないから』。私はクソ真面目な生徒であったので、その教えを忠実に守った。
その後、旧制五高の理科に進学したが、そのときまではその教えでよかった。しかし終戦後、大学に進学するために、いざ受験する段になって公式を覚えないという勉強方法がいかに不利かということを思い知らされた。東大の工学部を受験したのだが、公式を作りながら解いているうちに一問目で二時間のほとんどがすぎてしまい、受験に失敗したのである。
このため私は当時、「秋山先生はけしからん、あんなこと教えるからいけないんだ」と非常に恨んだ。やはり受験には暗記した公式を基にさっさと解いていく受験テクニックが必要なのだと思った。
ところが、実社会に出てみて、私は再び秋山先生の教えが正しかったことを身をもって感じるようになったのである。東大受験に失敗した後、戦後の混乱が続く中、小学校の代用教員や病気になったりしての回り道を経て、九州大学の経済を卒業して、一九五四(昭和二九)年キャノンに入社した。
キャノンに入社して、仕事の中で様々な問題にぶつかる。しかし、どれもこれも前もって決まった答えなどない。ただ時間は十分ある。テーマによっては一カ月でも半年でも一年でもじっくり考えることができる。そうすると、どんな難問でも解決できる。
多くの人は考えることが面倒くさくなり、『会社生活なんて面白くない』ということになるのだが、私は逆に入社早々から仕事が楽しくて仕方なくなってしまった。十分な時間の中で考えることで、答えは必ず見つけられる。これこそ創造的教育のおかげではないかと、秋山先生の教育方針を再評価したのである。」
ただし、「自分の好きなことにたっぷり」というだけでは、リスクが大きいと考える人もいると思います。
そのときに参考になるのが、江戸時代の寺子屋教育です。
自主的に取り組める勉強で基本をしっかり身につけさせ、子供たちがのびのびと遊ぶ時間もたっぷり確保していました。
これが、小中学校時代の勉強の理想だと思います。
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今しかでいないことをしっかりやり、受験勉強は一気に集中するとよさそうですね。
創造性を育てることが教育の大きな目標であると考えると、子供の作文の見方も違ってきそうですね。
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子供は、読書によって成長します。
すると、親は、子供によい本を読ませようとして、ためになる本だけを読ませてしまうことがあります。
しかし、そういうためになる本は、一般に子供にとってはあまりおもしろいものではありません。
その結果、薬を飲むような義務感で本を読むようになると、読書に熱中するという経験ができなくなります。
読書好きの子は、熱中する本に出合うと、夜寝るのも惜しいぐらい夢中になって読むものです。
小学生のころにそういう熱中する本に出合った子は、読書の楽しさがわかるので、中学生になっても、高校生になっても、試験の前でも、本を読む生活は途切れることがありません。
しかし、そういう熱中した読み方を味わっていない子は、読む必要がなくなると自然に読まなくなるのです。
今、高校生でほとんど本を読まない生徒が増えていますが、それは小学校時代に熱中した読書の経験がなかったからではないかと思います。
読書で大事なことは、読書の傾向を難しい本に進めていくことですが、それと同じぐらい大事なのは、本人が好きなおもしろい本をふんだんに読むということです。
読書には、この両方が必要なのです。
おもしろい本というのは、大人から見るとくだらない本に見えることがあります。
しかし、そのくだらない本に熱中する一方で、難しい本のおもしろさもだんだんわかってくる、そういう読み方が読書の理想だと思います。
そのためには、いつも何冊かの本を並行して読んでいくことです。
人間の頭は、複数の本を同時に読んでもそれぞれの話を別のものとして理解できるようになっています。
ためになる本や、難しい本は、ページ数がなかなかはかどりません。だから、そういう本を読むのと並行して、本人の好きなおもしろい本も読めるようにするのです。
その並行読書に役立つのが付箋をつけて本を読む方法です。
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小学校低学年のころは、勉強の中身よりも、自主的に勉強をするという勉強の姿勢の方が大事です。
同じように、読書も、いい本を読むというよりも、夢中になって読むという読み方の方が大事なのです。
読書に夢中になるためには、自分が本を読んでいることを意識しないぐらい読書に慣れている必要があります。
よく、本に熱中しているときは、近くで呼んでも聞こえないという子がいます。
そういう子は、息をするのと同じぐらいの感じで、自然な動作として本を読んでいます。
そういう読み方ができるようになるためには、おもしろい本をたっぷり読む必要があるのです。
そして、子供にとっておもしろい本は、大人から見ると往々にしてくだらない本であることが多いのです。
同じ本ばかり本でいないd、え持っち違う本を読ませた方がいいのでは・・・という心配をすることは無さそうですね。好きな本は、満足するまでたっぷり読むのがいいのです。
良い本との出会いは、いろいろな本をたのしく読んでいるなかにあるのですね。
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小学生のうちは、難しい勉強をする必要はないと私は思っています。
しかし、読書については、読めるのであれば、小学生のうちからできるだけ難しい本を読んだ方がよいと思っています。
この両者がどう結びつくかというと、それは次の図のような関係になっているのです。
┃易しい┃難しい
━━╋━━━╋━━━
大事┃ 2 ┃ 1
━━╋━━━╋━━━
小事┃ 3 ┃ 4
━━╋━━━╋━━━
読書の難しさは1(第1象限)の難しさという意味です。
勉強の難しさは4(第4象限)の難しさという意味です。
小学校低中学年の算数で難しい問題を作ろうとすると、読みにくい問題文にするような方向に進みます。これは、重要でない難しさです。
小学校低中学年の算数の勉強自体は重要ですから、難しいものをやるよりも基本をしっかりやっておけばいいのです。
読書の場合は、事情がやや異なります。
それは、本を書く人が、重要でないことを難しくわかりにくく書くという動機を持たないからです。
だから、難しい本の場合は、意味があって難しいことが多いのです。
受験の問題として出されるようなものは、重要ではないが差がつきやすいという難しい問題です。
そして、難しい勉強は、易しい勉強よりも時間がかかります。
すると、難しい勉強をすることによって、その子の勉強以外の自由な時間が圧迫されてしまいます。
では、重要ではないが難しい勉強はどのように取り組めばいいのでしょうか。
それは、受験の前などで、その勉強が必要な短期間に集中して取り組むのです。
重要でない難しい勉強は、パズルのような勉強ですから、その解法パターンを集中して覚えれば短期間で成績が上がります。短期間というのは、半年からせいぜい1年です。
そして、受験直前でない時期は、易しい難しいにかかわらず、大事なことを中心にやっていくといいのです。
大事なことというのは、将来社会に出てから役に立つことです。
それは、主に、読書と経験です。
だから、小学生のころは、勉強は短い時間で終えて、その分読書と遊びに時間を費やしていくといいのです。
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難しい勉強をすることも大事です。
それは、難しいことが苦にならなくなるからです。
世の中には、大事なことだが難しいことがあります。
そういうことに遭遇したときに、諦めずに取り組むことができるからです。
読書は難しい方がいいと言うと、難しい本やためになる本しか読ませなくなる人がいます。
しかし、それは、かえって逆効果です。それに、子供がかわいそう(笑)。
面白い本をたっぷり読まないと、読むことが好きになりません。
読書力のある子は、くだらない本も、難しい本も、両方楽しんで読んでいます。
その時期でなければできないことをたっぷり経験しておくことで、バランスの取れた大人になるのでしょうね。
「将来社会に出てから役に立つことを中心に」という点はあたりまえのことですが、忘れてしまいがちですね。
目の前の点数に一喜一憂するのではなく、子供の経験値を増やしていくことが大事なのだなあと思いました。
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言葉の森では、通信指導で作文の授業を受けている子がほとんどで、通学で授業を受けている子は、全体の5~10パーセントです。
通信指導でも、担当の先生が毎週生徒の自宅に電話をして指導をするので、電話指導のすぐあとに勉強を開始すれば、通学の教室と同じ流れで勉強できます。
また、今は、ネットの活用によって通信だけでいろいろなことができます。音声のやりとりだけでなく、映像のやりとりもできるので、時間や場所の制約はほとんどありません。
しかし、通信指導の唯一の弱点は、子供たちどうしのリアルな交流ができないことです。
学校がなぜ楽しいかというと、休み時間に友達と遊ぶ機会があることです。そういうちょっとした交流が子供たちにとっては大事なのです。
そこで、言葉の森では、春休みや夏休みを利用して遠足や合宿の企画を行っています。
この合宿の柱は、第一に子供・父母・講師の交流、第二に自然との触れ合い、第三に寺子屋的勉強です。
実際に、合宿に参加した子供たちは、短い日数の交流であっても、一緒に遊んだり食べたり寝泊まりした友達をよく覚えています。
しかし、1泊か2泊の合宿ですから、交流と遊びが中心で、勉強的なことはあまりする時間がありませんでした。
そこで、言葉の森では、今後長期滞在もできる合宿も行えるようにし、勉強の時間も普段と同じように確保できる自然寺子屋合宿というものを考えています。
以下は、そのための未来のアイデアです。
まず、参加できる生徒は、言葉の森の生徒だけでなく、日本及び世界の小中学生です。
特に、アジアでは、現在日本語教育熱が盛んなので、日本語を学ぶために短期留学をしたいという小中学生が参加できるようにします。
子供どうしの交流や、自然との触れ合いなどは、企画をすればすぐにできますが、問題は多様な言語や多様な学習進度を持つ子供たちの勉強です。
この勉強の方法が、自学自習です。
スタディサプリなどの映像授業の教材を使い、解説の詳しいテキストを使えば、ひとりでもある程度の自学自習はできますが、そこに担当の先生の勉強チェックが入るようにします。ちょうど寺子屋オンエアのような仕組みです。
また、自学自習の勉強の中には、暗唱検定に向けた暗唱の練習、kindleを利用した読書などの時間もあります。なぜkindleによる読書かというと、1端末に何百冊でも入り、外に遊びに行ったときも自分の読みたい本を持ち運べるからです。
担当の先生は、ネットでつながった先生ですから、その合宿所にいる必要はありません。自宅のネット環境を利用して、合宿所にいる子供たちの勉強チェックをして、質問があればその質問にも答えます。
だから、アジアの子供たち、例えばベトナムの子は、ベトナムにいる先生からベトナム語を併用して日本語教育の勉強チェックを受けることができます。インドネシアの子はインドネシアの先生から、台湾の子は台湾の先生から自学自習の勉強をチェックしてもらうのです。
ネット教材を利用した自分に合った勉強の自学自習+その子の進度に合った担当の先生による勉強チェックという仕組みがあれば、いろいろな言語、学年、進度の子が同時に同じ場所で自分に合った勉強ができます。
そして、勉強が終わったら、その多様な言語、学年、進度の子が、一緒に自然の中で遊ぶのです。
その合宿所で子供たちのリアルな世話をするのは、その地域に住んでいる人たちで、この教育を理解してくれる人たちです。
また、その勉強の様子や遊びの様子は、随時ネット配信をして、自宅にいる家族が子供の様子を安心して見ていられるようにします。
こういう形で長期間の自然寺子屋合宿を行えば、参加者は自分の希望に合わせて、長い日数も短い日数も自由に選んで参加できるようになります。
そして、中には、1年中そこで合宿して勉強をし、たまに家族のもとに戻るというような子も出てくるかもしれません。
特に、海外から留学する形で来た子は、長期間の滞在型の勉強になることが多いと思います。
こうして、日本のある自然の豊かな山奥で、又は海辺で、日本と世界の子供たちが、日本語教育を中心として全教科の勉強を自学自習で学び、自然の中で交流するというちょっと不思議な学校ができるのです。
更に、この学校が何年も続くと、中には講師の中で、ついでにそこに住んで自分の仕事と子供の教育を両立させたいと思う人も出てくるかもしれません。
そういう人たちが増えてくれば、そこにその人たちの需要に基づいたいろいろな供給の仕事が生まれるようになります。
また、講師の中には、自分の得意分野を生かし、ネット教育で世界中に新しい講座を発信するような人も出てくると思います。
そういう新しい創造的な仕事が生まれるようになると、その合宿の学校を中心とした地域は、単なる人口増によらない新しい価値を生み出すようになります。
こうした学校を中心とした町の発展は、学輪町と呼ぶことができます。ちょうど、お寺を中心に発展した町を門前町と呼ぶのと同じです。
こういう学輪町が日本中の自然の豊かな田舎に生まれ、それらの町が、日本語教育を中心とした国際教育と新しい文化創造の場になっていくのです。
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使っていない田舎の土地を無償で提供してくれるという方がいらっしゃったので、こういう話が急に具体的になってきました。
将来は、廃校になった学校などを利用すれば、更に大規模な日本語国際教育の場ができると思っています。
来年の合宿は、まだ言葉の森の生徒中心になると思いますが、そのあとはベトナムなどアジア各国から子供留学生を受け入れたいと思っています。
その際、アジアの子供たちのオンエア講師になる人は、facebookグループの「日本語for外国人の島」にいる人から募集したいと思います。
楽しそうな構想です。実現する日を楽しみにしています。
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昨年度は、受験作文コースの生徒の特別講評を1人1編までということでやっていました。これは、普段担当の先生が講評しているのとは別の視点で講評するもので、かなり効果があったと思います。
今年度は、オンエアでやった方が質問などもその場で答えられるのでいいと思い、毎週土曜日の10:30からオンエアで企画することにしましたが、今のところ、特別講評を依頼した方は1人しかいません。
せっかくの機会があるのに、もったいないと思いますので、受験作文コースの生徒の保護者の方はできるだけご参加ください。
受験作文コース以外の方は有料ですが、受験作文コースの方は無料で参加できます。
事前に作文をアップロードしておいてくだされば、その作文について特別の講評を行います。
また、作文講評以外に、受験作文への取り組み方などの話もしますので、参考になることが多いと思います。
参加のお申し込みは、言葉の森のホームページの「受験作文父母ゼミ」というところからお願いします。
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受験作文というのは、実力をつけるための作文ではなく、合格するための作文です。
ですから、時間内に、字数いっぱいまで、上手に書くという条件があります。
上手に書くというのは、ある程度テクニックでカバーできることなので、そのやり方を知っているかどうかでかなり差があります。
今週の言葉の森新聞は、そのコツを載せる予定です。
作文の試験というものは、そのときのテーマによって出来不出来が左右されるので、先が読めない不安があります。
しかし、言葉の森のやり方でやると、その不安がほとんどなくなります。それは、自分の実力の最もいいものを出せるという見通しがつくからです。
言葉の森の生徒は、普段あまり得意でない子も、試験のときは字数いっぱいまでしっかり書いたと言ってくる子が多いです。
今日は特別講評ありがとうございました。親の心構えや、作文の工夫、今までまったく気づかなかった点も教えていただきました。作文の丁寧な添削もありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
Kくんは考える力があるということがよくわかります。
いい表現をたくさん作っておくといいと思います。
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