親子の対話とは、親から子への知識の伝達ではありません。
親が知っている知識を教えるだけなら、それは親子でなくても本でもインターネットでもテレビでもできます。
特に子供が小さい場合は、知識は圧倒的に不足していますから、親の話はつい知識を教えることになりがちです。
しかし、そういう状態で対話を続けているだけでは、子供が高学年になりある程度知識を持つようになると、対話をすることがなくなるのです。
知識は、自然に増えていけばいいものです。それよりも大事なのは、考える力です。子供が小さければ、その子の知っている知識の範囲で考える話をしていくのです。
そのためには、親自身がいつも、なぜだろう、どうしてだろう、もっといいやり方はないか、と考えていることが必要になります。
そして、その親の考えたことを、子供相手に対等の立場で話していくのです。
こういう話の仕方であれば、子供が大きくなるほど、対話の中身が充実してきます。
だから、子供との対話は、子供に話すような内容ではなく、親しい友だちに話すような内容でできるだけ知的に話していくことです。
そのために、もうひとつ大事なことは、親がいつも本を読んで新しい知識を身につけていくことです。
言葉の森では、子供たちによく、「読書は毎日」と話しています。実は、これは大人も同じなのです。
毎日本を読んでいれば、自然に子供との対話も中身のあるものになります。
子供の考える力を育てるのは、単なる勉強ではなく、こういう親子の対話なのです。
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子供に勉強力をつける上で最も大事なものは、考える力です。考える力と言うと抽象的ですが、もっとわかりやすく言うと、考えることを苦にしない力です。更には、考えることを楽しむ力と言ってもよいでしょう。
計算の練習や漢字の書き取りやいろいろな知識の習得は、時間をかけさえすれば誰でもできます。小学校低中学年のころの勉強は、このような、やりさえすれば誰でもできるようになる勉強です。
しかし、小学校高学年になると、次第に考える問題が出てきます。国語では、環境や言語や文化や人生などという分野の文章が多くなります。算数では、計算のルールをあてはめるだけでは解けない問題、自分なりに図を書いてみないとわからない問題が出てきます。理科でも社会でも同様です。
そのときに、考える力のある子は、そういう問題を面白いと思い、考える力のない子は、そういう問題を面倒と思います。ここで、面白いと思える子は、その後の勉強がどんどん進んでいきます。
だから、小学校低学年のころは、考える力の土台を作ることが大事です。
しかし、その考える力は、勉強をすることではつきません。低中学年の時期に、国語や算数の問題集をいくら解いても、考える力は育たないのです。
考える力は、親子の対話の中で育ちます。
親と子の間の話というと、多くの場合、親が一方的に注意をしたり、説教をしたり、説明をしたり、理解させたり、わからせたりするような形が多いと思います。親が中心で、子供はそれに従うものという形になりやすいと思います。
しかし、これでは考える力は育ちません。
親子の対話では、親と子が対等の人間としてお喋りを楽しむというような話し方が大事です。ちょうど、親が同年代の友達と話すような姿勢で、相手とのやりとりを楽しむような雰囲気で話を進めていくのです。
そして、その対話の中で、親ができるだけ自分の子供のころの体験談を話してあげます。
また、小さい子供が相手のときは、ダジャレやギャグや冗談や笑いを入れて、できるだけ面白い話をしていきます。そのためには、親が自分の言った冗談を楽しむような気持ちも必要です。
しかし、そういう楽しい話でありながら、話の内容は、大人相手に話すような真面目な内容や難しい語彙も取り入れて、子供を一人前の話相手として扱っていくのです。
子供を子供として扱うのではなく、一人前の話相手として扱い、親自身が子供との話を楽しみ、子供の言うことを大人の話を聞くように尊重して扱っていると、子供の思考力は育ちます。
言葉の森の作文・感想文の勉強をしていると、毎週の長文の音読がこういう対話のきっかけとして活用できるようになります。
「考える力と親子の対話――そのきっかけとしての長文の音読」
https://www.mori7.com/index.php?e=2324
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子供は、日々向上しています。
親子の対話を楽しむためには、子供の成長に見合った面白い話を親も常に考えていくことです。
話の中身がないと、人は他人を批評するようになります。
大人どうしの場合は、それでもいいのですが(よくないか)、子供相手に話すときは、単なる批評ではなく、子供が楽しめるような建設的な話をしていく必要があります。
だから、子供相手の対話の方が、大人との対話よりもずっと工夫が必要なのです。
高学年になって力を発揮するために必要なのは「考える力」の土台作り。機械的に詰め込む勉強ではなく、親子で会話を楽しむことで力が自然についてくるのですね。
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「やり抜く力 GRIT(グリット)」という本に、成果をもたらすものは、才能ではなく、「やりぬく力」だと書かれています。
これは、実証的な調査研究なので、説得力があります。
日本には、「石の上にも三年」という言葉があります。
結果が見えないようなものについても、やり続けていると、そこから自ずから開けてくるものがあるということです。
こういう人生観は、その人の生活すべてにわたっていると思います。
これまで見てきた子供たちについても、やりぬく力のある子は、そのときは特に優れているように見えなくても、長い年月の間に必ず力をつけ、最初から才能があるように見えた子を追い越していきます。
このように考えると、子供に何か習い事をさせるときも、長く続けられるものを選ぶことがいいのだと思います。
小1から始めて高3まで続けられるようなものがあれば、それを中心にして子育てをしていくのです。
ただし、それは子供が好きなものであることが前提になります。
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言葉の森の生徒には、小学校低学年から始めて高3まで続ける子がよくいます。
もちろん一本調子に続けられたわけではなく、そのときどきに小さなスランプがあったのだろうと思います。しかし、文章を書く生活が、習慣のようになり、書くことが苦にならないばかりか書くことが好きになって、大学生になり社会人になっていったのです。
その子たちが小学生のころ言葉の森の作文を始めたときは、大学入試のことなどは考えていなかったと思います。しかし、勉強をしているうちにいつの間にか中学生になり、高校生になり、大学入試でたまたたま小論文があったという人も多かったのです。
長く続ける生徒の中には、小学生から高校生までずっと同じひとりの先生に教わっていたという人もいます。毎週1回作文を書き、その作文をもとに先生と話をしていると、半ば家族のような感じで互いの考えていることがよくわかるようになってきます。
こういう人間どうしのつながりを更に進めるために、今、大学生や社会人になった言葉の森の生徒を対象に「学問コース」を始めようと思っています。
これは、大学生のころに読んでほしい本をもとに、ネット上で話し合いをするような形のコースです。
言葉の森を卒業した人に、そのうち連絡が行くと思いますから、楽しみに待っていてください。
「小1から始めて高3まで作文の勉強を続ける子」
https://www.mori7.com/index.php?e=2323
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大事なのは、才能よりも継続です。
一つのことをやり遂げることのできる人は、それが積み重なっていつか大きな成果を上げるようになるのだと思います。
私の母は、いつも、「がんばらなくていいよ」「大変だったら休みなさい」「のんびりやりなさい」ということばかり言っていたので、私は「やりぬく力」とは正反対の生き方をしてきました。
皆勤賞のようなものは一度も取ったことがないし、そういう発想自体と無縁でした。
しかし、考えてみると、仕事を始めてからもう数十年、一度も休んだことがないなあと思いました。インフルエンザのときも授業をしていたし(笑)。
納得です。続けるからこそじわじわと実力がついてきますよね。あれもこれもではなく、じっくり続けられる習い事を選んでいきたいです。
まさに継続は力なり。
私も一時の集中力は強かったけれど、継続力は有りませんでした。その時は気づかないのですが、やめた後に、当時、自分よりずっと下手だった子が長く続けることですごく上手になっているのを目の当たりにし、継続は本当に力になるのを実感しましたが、時すでに遅し。若い人たちに、私のような思いをしないでほしいなぁと切に願います。
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