前回の記事に引き続き、小1オンライン相談会で出された質問に関して、こちらからお答えした内容を載せておきます。
7.
課題の音読を嫌がるという質問がありました。
特に長い長文は嫌がって、短い長文ばかりを読みたがるということです。
これは、行数を区切って例えば10行だけ読むとか、「。」(句点)3つ分だけ読むとかというふうにしておくといいです。
要は、毎日読むという習慣をつけることが大事ですから、量は少なくてもいいのです。
ただしその代わり、早く読めるようになったからといって途中で追加させないことです。
決めた分量が早くできたら、褒めるだけにして、追加しないことが大事です。
追加をさせる勉強になると、子供はやがてだらだら勉強するようになります。
そのだらだら勉強の弊害はあとあとまで残ります。
8.
勉強のタイミングについて質問がありました。
学校から帰ってすぐという習慣ができるといいです。
しかし、それができていない場合、今から習慣を作るのは難しいかもしれません。
朝ご飯の前の時間が、毎日確実にできる時間帯ですから、朝ご飯前に勉強をする習慣を作るのが理想的です。
また、夕ご飯の場合などもよい勉強時間です。
ご飯のあとは、基本的に勉強しない方がよく、特に作文は書かない方がいいです。
食後に頭を使う勉強をするのは、かなり無理があります。
特に、高学年の作文は、食後は避けることです。
食後は、頭を使わない読書をする時間にあてるといいと思います。
9.
私立の小学校で、算数や国語の問題が難しく、平均点が30点から40点のテストがよく出されるが、どうしたらよいかという質問がありました。
学校の先生は、よく趣味的に難しい問題を出します。
教育ということをあまり考えていないからです。
だから、学校のペースに合わせずに、親が点数ではなくその試験の内容を見て、それが子供にとって必要かどうかを判断して重点を決めておくといいです。
必要ではないと思う場合は、できなくてもいいと割り切ることが大切です。
家庭で予習をする場合、教科書をもとに教えるのは無理があります。
教科書は、学校の先生が教える仕組みで作られているからです。
「これでわかる○○」シリーズの参考書兼問題集のように、解説が詳しく書いてある市販の教材をもとに、親の自己流の教え方ではなく、その参考書に書いてある教え方で教えていくとわかりやすくなります。
10.
国語の読解問題ができないという相談がありました。
学校のテストや市販の難しい問題集のテストの場合、できなくてもよいものもかなりあります。
点数ではなく内容を見て、解けるべき問題かどうかを親が判断することが大事です。
できるべき問題ができていない場合、市販の問題集などをやる必要はありません。
国語力は、国語的な生活時間の長さによって決まってきます。
問題集を解くような勉強は、その問題集の勉強が終わったらおしまいです。
面白いから、空き時間にときどき問題集を開いて問題を解という子はまずいません。
これに対して、読書は、興味の持てる本だと少しの空き時間にも続きを読むようになります。
国語力は、国語の勉強をさせることではなく、読書の楽しさを味合わせる方向でつけていくことです。
国語の成績のよい子は、国語の問題集を解くような勉強はまずしていません。
ただし、学年が上がった場合は、読書だけでは易しい文章ばかりになる可能性があるので、問題集読書を並行していくといいです。
11.
暗唱の文章を、正しく読まずに自分なりに読んでしまうという質問がありました。
暗唱をするときは、最初の読み方だけはゆっくり正確にすることが大事です。
最初に間違って読んだものを、あとから直すことはまずできないと考えておくことです。
それぐらい、最初の数回の読み方は大事なのです。
ゆっくり正しく読めるようになったら、そのあとはできるだけ速く読むようにします。
速く読むときは、歩きながら読むなど体を動かしながら読むようにするのがコツです。
こういうコツがわかるためにも、子供に暗唱をさせる前に、親が暗唱の練習を実際にしてみるといいと思います。
12.
暗唱検定は内容が難しいので、いつからやったらいいかという質問がありました。
幼児や小学校1~3年生は、意味がわからなくても読み方さえわかれば暗唱ができます。。
だから、暗唱検定の取り組みは、なるべく早くやっておくといいです。
小学4年生以降になると、暗唱の文章を覚えようという気持ちが出てくるので、かえって暗唱が難しくなります。
繰り返し音読すれば自然に身につくという感覚をつかめるのは、小学校低学年のころです。
その感覚をつかんでおくことが大事です。
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勉強の仕方のコツを知っていると知らないとでは大きな差があります。
大抵は、そのつど親が軌道修正しながらやっていくので問題はありませんが、それでも最初によいやり方を知っておくことは大事です。
近道だと思ってやっていたことが、実はあとから見ると遠回りだったということがよくあるからです。
子育てには、やりすぎの問題と、やらなさすぎの問題の両方があると思います。
これまで見てきた範囲で言うと、やらなさすぎの方はあとで何とかなりますが、やりすぎの方は何とかするのにかなり時間がかかります。
小学校低学年のころは、子供が素直なので、特にやりすぎになりやすい時期です。
これを避けるには、低学年のころから子供の自主性を大事にしげおくことです。
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小1オンライン相談会で出された質問に関して、こちらからお答えした内容を一部加筆して載せておきます。
1.
学校で国語の音読の宿題があるが、それとは別に音読をする余力がないという声がありました。
勉強の中心は、家庭で決めた学習で、その補助的なものが学校の宿題です。
音読を2つ別々に同じ時間に続けるのは、子供にとって心理的な負担があります。
家庭で独自に決めた音読は、朝ご飯前に、学校の音読の宿題は夕方の勉強に、と分けておくと負担がありません。
家庭で独自に決めた方が優先で、学校の方はできないことがあっても構わないというふうに重点を変えておくとよいと思います。
勉強は家庭で決めた方針を最優先にしておくことです。
2.
幼稚園年長で、入学前の準備としてやっておくことという質問がありました。
勉強の先取りはする必要はありませんが、読書と対話によって日本語力を育てることだけは重点的にやっていくとよいと思います。
また文字を書く練習は、小学校に上がってからという考えもありますが、子供が書くことに興味を持ったまま放置しておくと自己流に書き方を覚えてしまいます。
興味を持ったときが、その勉強を始めるのに最適な時期ですから、文字をていねいに書く練習だけをさせておくとよいです。
ただし、やりすぎないようにすることが大事です。
3.
ゲームを禁止するかどうかという質問がありました。
小学校3年生までの子は、親が禁止すればそれを守らせることができます。
しかし、高学年になってもその禁止のスタイルを続けることはできませんから、低学年のうちから子供が自分でコントロールする練習をさせておくとよいのです。
時間を決めてゲームをやらせる、あるいは退屈なときは本を読んだらゲームを何分してもよいというふうにするやり方が考えられます。
ただし、子供が自分で時間をコントロールすると言ってもできないのが当然ですから、何度も忍耐強く親が子供に関わって少しずつ自分でコントロールする力を育てていくということです。
子育ては、一度言っただけでできるようになるということはありません。
親子で協力して、子供の自立心を育てていくということでやっていくといいと思います。
4.
漢字の勉強を嫌がるという質問がありました。
その原因は、難しい問題集をやらせているかからではないかと思います。
答えを書いて○×をつけるような漢字の勉強は、時間がかかるだけで身につきません。
単純に、学校の教科書の漢字をきれいに何回か書くというパターン化した練習にしておくとよいと思います。
5.
小3まで英語はやらない方がよいというが、英語を聞くだけならいいかという質問がありました。
聞くことがいちばんよくないので、CDなどをかせるのは避けた方がいいです。
また、親が英語と日本語の両方を話すということも子供にとってはよくありませんから、海外で暮らす場合も親は家庭の中では日本語だけで子供と話すようにするといいです。
日本で英語の勉強をする場合は、小4からで、最初は英語の音読暗唱を中心にしていくといいです。
ただし、学力の中心は日本語ですから、何よりも日本語の生活を充実させていくことが大事です。
6.
小学生新聞は、何を取ったらいいかという質問がありました。
読み応えがあるのは毎小です。
説明文的なコラムが充実しています。
朝小は見栄えがいいですが、時事的なニュースのような記事が多く読むところがあまりありません。
作文の投稿欄が充実しているのは朝小です。
しかし、つい先日から毎小も投稿欄に作文を載せられるようになったようです。
(つづく)
▽構想図
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今回は、小1の生徒を中心にしていましたが、次回からはそのほかの学年についても行っていく予定です。
ふと思ったのは、いろいろと悩みの深いお母さんは、お父さんがあまり話し相手になっていないのではないかというということです(笑)。
身近にちょっと相談できる人がいるというのは大事だと思いました。
私は、いつも同じことを言っていますが、やれ英語だ、漢字だ、問題集だなどと勉強を工夫するよりも、いちばん大事なことは、毎日しっかり本を読んでいることです。
読書さえできる子であれば、勉強は何もしなくても大丈夫です。
学校でちゃんと教わらなくても、家で少しやればすぐにできるようになるからです。
むしろ工夫するのは、その読書の内容を充実させていくことです。
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現代は、何でも素早く処理のできる時代です。
ボタンを押せば、すぐに答えが出てくるというような環境が増えてくると、学力についても特別なよい方法やよい教材があれば、明日からでもすぐにうまくいくように思いがちです。
それでも、大人は、現実世界でいろいろな苦労をしているのでそれほど単純にはなりません。
問題は、子供です。
子供は、今のようなスピーディーな環境のもとでは、何でもすぐに成果が出て当然のように思ってしまうのです。
しかし、どんなことでも、価値あるものは、長い時間をかけて身につくというのが本当の姿です。
何度も繰り返しているうちに、自ずからできるようになるというところに学力向上の秘訣があるのです。
それは、もちろん「よい方法」というものを否定するわけではありません。
しかし、たとえどんなによい方法であっても、それを続ける意志がなければ自分のものとして定着することありません。
その点で、子供に繰り返しの大切さを教えるもは、勉強の出発点とも言えるのです。
その繰り返しの大切さを実感させるのによい方法として暗唱があります。
暗唱検定の一つの級は、約3千字の暗唱です。
これを一文字も間違えないように暗唱できるようにするのに約3か月かかります。
逆に言えば、毎日10分間、3か月続ける意志力さえあれば、幼稚園の子供から社会人の大人まで誰でも暗唱できるようになります。
先日、言葉の森の暗唱検定で、初めて初段に合格した小学4年生の生徒がいました。
初段の暗唱は、約1万2千字を30分以内に読むことです。
もちろん、何も見ずにです。
この生徒は、たぶん何ヶ月も、毎日10分の暗唱を日常生活の中で続けていたのでしょう。
このように、毎日同じことを続けていくという意志力があれば、こういう生徒はただ記憶力が鍛えられというだけではありません。
もちろん、記憶力は、将来かなり役に立つと思いますが。
続ける意志を持てる人は、これから、どのようなことに取り組むことがあっても、「続けていればできる」という気持ちを持つことができるのです。
これが、「雨だれ岩をも穿つ」という言葉を実感として理解できるようになることです。
この続けられる人とすぐ諦めてしまう人の差が、実は世の中で最も大きな差です。
学力向上の秘訣は、続けることができるかどうかにあります。
それを無理なくできるようにする機会のひとつが、暗唱検定なのです。
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思いつくことや始めることは、誰でも比較的簡単にできます。
差がつくのは、それを続けることができるかどうかです。
もちろん、時には方向転換が必要なときもあります。
しかし、圧倒的に大事なのは続けることができるかどうかなのです。
知っていることと、できることは、かなり違います。
それがわかる身近な例は、テストです。
実力よりも成績が悪いという場合は、知っているところでとどまっているのです。
先日も、高校1年生の生徒が、「物理ができなかったのですが、どうしたらいいですか」と聞きに来ました。
いろいろなアドバイスはできるでしょうが、私が言ったのは、「それは、勉強していなかったからだと思うよ」(笑)。
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受験作文で、体験実例を入れるケースがあります。
特に、公立中高一貫校の受験では、具体的な自分の体験を入れることがよく求められます。
なぜかと言うと、これまでの大学入試の小論文の模範解答などのように説明と意見だけで書いてしまうと、小学生の場合は、どれも似たような文章になってしまうからです。
だから、模範解答的な文章を書くのではなく、自分の体験の裏付けを生かしながら書くという形で作文試験が出されるようになっているのです。
しかし、ここで大事なことは、誰でもよくあるような一般的な体験実例を書くのではなく、実例の内容そのものに価値があるような書き方を工夫することです。
それが、個性・挑戦・感動・共感のある体験実例です。
しかし、試験の本番で、作文の課題に合わせてそのような価値ある体験を見つけるということなかなかできません。
そこで、あらかじめ自分の過去の体験の中で使えそうなものを見つけておくことが大事になります。
ところが、この個性・挑戦・感動・共感があるような体験というものは、子供だけではなかなか見つけることができません。
子供が作文の課題の準備をするときに、親が、価値ある体験を一緒に考えてあげるといいのです。
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人間は、自分のよさというのは意外とわからないものです。
身近な他人に指摘されて、初めてわかるということがあります。
受験作文の準備をするときの体験実例は、自分で考えるだけでなく、親子で価値ある過去の実例を探すようにしていくといいのです。
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現在の入試は、国数英理社などの主要教科の試験が中心になっています。
これらの教科の中でも、特に差がつくのは数学と英語です。
反対に、あまり差がつかないのは国語です。
なぜかと言うと、数学と英語は知っているかどうかという知識の差が点数の差となって現れるからです。
数学を考える教科という人がいますが、入試の数学は考える教科というよりも、解法を数多く身につけてそれをあてはめる教科です。
ですから、難問の解き方の解法を覚えるのに時間をかけた人の点数が上がるという仕組みになっているのです。
こういう入試が本当の学力を評価していないのではないかという反省から、現在、入試改革が行われようとしています。
しかし、今考えられている2020年度の入試改革は、今の採点技術の水準を前提にした不十分なものです。
それは例えば、国語の記述の問題や作文の問題が極めて少ない字数で行われるというところなどに表れています。
しかも、その少ない字数の記述式の問題であっても、実際に採点するとなると採点する側の負担は○×式の試験に比べて比較にならないほど大きなものになります。
だから、中途半端に記述式の問題を出すよりも、○×式でのテストの方がコストと効果を考えた場合、ずっとよいものだというのが今の採点の技術の水準です。
ところが人工知能を利用すれば、作文小論文の採点が一瞬で人間よりも正確にできる時代がやってくるのです。
これについては、私にも確かな見通しがあります。
人工知能だけの採点では不安があるという場合は、しばらくは、人工知能の採点で第一次の合格枠を絞り、その狭められた枠の中で人間が採点するという方法も考えられます。
しかし、いずれは、大学入試程度の小論文であれば、人工知能だけで十分な評価ができるというようになるでしょう。
この人工知能による作文小論文採点が行われるようになると、国数英理社の教科の試験は、現在のようにガラパゴス化した難問ではなくなります。
高校の教科書レベルの学習が、全教科にわたってしっかり行われているかどうかというごく普通のものになってきます。
作文力小論文力というのは、言葉を変えて言えば考える力と表現する力です。
この考える力思考力と、表現する力作文力さえあれば、他の教科の勉強は、基礎となる学力さえあれば、必要に応じていくらでも進めていけるようになります。
だから、教科の学力は、全教科にわたる基礎学力がついていればそれで十分なのです。
このように考えると、これから脚光を浴びる本当の学力は作文力ということになります。
しかし、今の作文指導のほとんどは、小学校は小学校の生活作文で完結していて、中学はまた中学の作文で完結し、大学入試の小論文はそれだけで完結するという連続性のないものになっています。
必要なのは小学校低学年の生活作文のレベルから考える要素が段階的に入っていき、小学生の作文が、自然に中学生、高校生、そして社会人の作文力につながっていくような指導の流れを作ることです。
これが、言葉の森が35年前から行っている作文教育です。
だから、一人の先生が、ある生徒を小学生から高校生まで指導するということがあるのです。
こういう作文指導を行っているのは、今のところ言葉の森だけだと思います。
子供の教育に求められるものは、時代によって変化します。
江戸時代は、読み書き算盤と並んで、馬術や剣術が教育の中心でした。
しかし、今、馬術や剣術を習っているような子は、趣味の世界をのぞいてはまずいません。
現代の教育は、制限時間内に多数の難問を解く受験教育が中心になっています。
このため、解法を身につけるとか、捨てる難問を見極めるとかいう本来の学力とは関係のない技術が重視されています。
しかし、これからは人工知能をはじめとした科学技術の発展によって、そういう不自然な教育が是正される時代がやってきます。
そのときに必要になるのが、作文力を中心とした本当の学力なのです。
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言葉の森が作文教室を始めたとき、全国で、作文を教えているような教室はどこにもあありませんでした。
だから、すべてオリジナルに、小学生から社会人まで一貫して学べるような教材を作ったのです。
この教材の基本は、今でもほとんど変わっていません。。
人工知能(AI)の導入で変わるのは、職業だけではありません。
教育の内容も大きく変わります。
今、進められている2020年度からの入試改革も、今考えられている水準よりも更に大きく変わります。
それは、辞書になる教育から、辞書を使える教育へという、教育の本来の姿に戻ることなのです。
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勉強で一番大事なことは、意欲をもって取り組むことです。
試験の前日の勉強の能率は、普段の勉強とは何倍も違います。
受験の一年間の勉強の密度は、受験がまだ意識に上る前の勉強とやはり何倍も違います。
この意欲を持たせる方法として行われやすいのが、競争や賞や罰で意欲づけをすることです。
しかし、本来持っていない意欲を、競争や賞罰で持たせることは、あとになってマイナスの面を生み出すことがあります。
また、自分の内面から出た意欲ではなく、外から与えられた意欲というものは、自分の生き方として定着しません。
子供に、自然な意欲を持たせるにはどうしたらいいかということが勉強を進める上でのひとつの大きな課題です。
今、思考発表クラブで、本の紹介と作文の構想図や自由な経験の発表を行っています。
この発表には、評価も競争もありません。賞も罰もありません。
しかし、どの子も、自分が発表したり、他の人の発表に感想を述べたりすることによって、自然に意欲的な取り組みになっています。
これからは、こういう形のオンラインの生徒どうしが発表したり感想を述べたりする学習がだんだん増えてくると思います。
勉強は、独学で自分のペースでやっていくやり方が最も能率がよいのですが、同時に、人間は同じような関心を持つ友達と一緒に学び合うことで意欲を持つことができます。
自学自習型の勉強と参加交流型の勉強の組み合わせで、能率と意欲の両立する勉強をこれから作っていきたいと思っています。
そして、こういう勉強の要になっているものが作文です。
ここで、話が少しややこしくなりますが、作文は必ずしも文章を書くことではありません。
文章を書いて発表するつもりで考えることが、作文の本質です。
だから、構想図を書いてそれを発表するところまで行けば、それで作文は半分以上できたことになります。
簡単に言えば、その構想図を読んで説明するところを音声入力でテキスト化すれば、それがそのまま作文になります。
話し言葉の文章の密度と、書き言葉の文章の密度は違いますが、構想図を媒介することで話すことがそのまま作文に近い文章になるのです。
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意欲を持たせることは大事ですが、自然に持たせなければなりません。
賞や罰で意欲づけをしようとすると、賞や罰がないと動かない子になってしまいます。
意欲の多くは、人間との関わりの中で出てきます。
小学校低学年の場合は、お母さんやお父さんの関心がその子の意欲になるのです。
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これまでの日本の社会では、よくできたものを手本として真似することが一つの学力となっていました。
しかし、他の人の真似を上手にできる力では、いつまでたっても二番手にしかなれません。
これからの社会は、それぞれの人が自分の得意分野で一番、あるいは第一人者となることが求められる社会です。
人の真似を上手にするだけでなく、自分の独自のものを作り上げていくことが重要になってくるのです。
答えのある勉強は、最初から高いレベルの学習ができますが、そこから先にはなかなか進めません。
一方、答えのない勉強は、最初はそれほど高いレベルではありませんが、自分の力でいくらでも先に進んでいけます。
作文を書く勉強は、答えのない自分で作りだす勉強です。
この自分で作り出す勉強が、その子の創造力を育てていきます。
答えのある勉強の大部分は、記憶力でカバーできます。
考える問題と言われているものも、多くは解法の記憶でできるようになります。
だから、小学生のころの勉強は、創造力を伸ばす作文と、記憶力を伸ばす暗唱と、読書と対話と、自然や人間と関わる経験を中心にしていくといいのです。
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漢字を覚えたり、問題集を解いたりする勉強は、誰でもある程度充実した勉強として取り組めます。
これに対して、作文のような勉強は、手を抜くことも力を入れることも本人次第です。
だから、本当に実力のある子は、作文のような勉強の方を好むのです。
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かつての日本の社会は、高度経済成長に見られるように満ち潮の時代でした。
この時期には、多数派に属することが有利な選択でした。
なぜなら、自分が先に進めば後からついてくる人が次々と現れるという状況だったからです。
この満ち潮の時代の価値観に、まだ多くの大人の人は影響されています。
「寄らば大樹の陰」というのは、周りにも多くの樹木が生まれてくる時期には正しい選択だったのです。
就職でも、大きい企業に入ることは、社会と企業の成長に伴って自分も成長することでした。
ところが、現在は、日本の社会は引き潮の時代に入っています。
その原因は、日本の社会で新たに消費するものがなくなってきているからです。
その結果、社会が停滞し、その影響で少子化が進んでいるのです。
こういう社会では、多数派に属しているほど、社会の停滞に伴って、自分の位置は下降していきます。
しかし、少数派に属していれば、社会の停滞にも関わらず、自分の位置は固定してます。
それどころか、かえってそこに新たな個性を求める人が集まってくる可能性があるのです。
そして、実は、その個性の中から、次の時代の新しい需要が創造され、それがやがて新しい満ち潮の時代を生み出すのです。
比喩的に言うと、満ち潮の時代には、狭い入り江から広い海洋に出た方が可能性が広がりました。
しかし、引き潮の時期には、狭い入江に戻っていく方が、そこで安定した新しい生き方ができる可能性が生まれます。
満ち潮の時代は、多くの人に共通する正解がある時代でした。
大きな海に出ることが、ほとんどの人にとっての正解だったからです。
引き潮の時代は、それぞれの人が自分の個性に合わせて正解を見つけ出さなければなりません。
だから逆に、個人の可能性がさらに広がっている時代だとも言えるのです。
これを具体的に子供の生活にあてはめると、次のようなことが言えると思います。
例えば、これからの社会では、スポーツや音楽などの趣味の世界で、みんなと同じことをやっても先は見えています。
その世界でプロになったり一流になったりすることは、市場そのものが小さくなる中で、今後ますます難しくなってきます。
これが、もし市場が年々拡大する時代であれば、コーチングプロのような形でも、自分の技術を生かす道はあったでしょう。
しかし、引き潮の時代には、一番になるか一番に近い位置のものしか自分の技術を生かすことができなくなります。
このことを多くの人が感じるようになれば、社会の関心は次第に自分の個性を生かすという方向に進んでいきます。
そのときに、ある一つの個性で先に進んでいる人が、あとから来る人の目標となります。
新しい目標になるということは、そこで新しい需要が生まれるということです。
最近よく話題として登場する「さかなクン」の誕生には、そういう現代の状況を象徴する意味があります。
同じことは、勉強の世界についても言えます。
満ち潮の時代には、主要教科というものに代表される多数派の教科に力を入れることが生き残る道でした。
その分野で上位につけば、それを教える仕事も数多くあったからです。
しかし、ここでも、引き潮の時代には、一番に近いものしか生き残ることができなくなります。
ところが、自分の得意なある分野に限定された学習に取り組んでいれば、その分野で第一人者になることは、多数派の教科で第一人者になるよりもずっと容易です。
個性というものは、持って生まれたものはごくわずかで、その個性を育てるものは、ひとことで言えばその個性にかけた時間です。
ある分野で、人よりも先に長い時間をかけていれば、それ以上の時間をかけられる人は理論的には出てきません。
後の人がいくら時間をかけても、先の人はそれと同じ時間をかけることができるからです。
だから、できるだけ早く自分の個性を見つけ、それに時間をかけられるようにしておくといいのです。
これからの時代の舵取りは、難しくなってきます。
みんなと同じことをしないことが正解になってくるからです。
しかし、その分、自分の個性を生かせる面白い時代になっているとも言えるのです。
言葉の森の作文指導や思考発表クラブも、実はそういう観点で取り組んでいます。
そして、個性を支える基礎学力は、自主学習クラスの自学自習で確保し、個性を実際の自然や人間との関わりの中で生かす機会は、自然寺子屋合宿で作り、それらを運営する主体は、森林プロジェクトで募集するという教育モデルを考えているのです。
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現代は、恐竜の時代から哺乳類の時代に移行する時期です。
この時期に大切なことは、過去の蓄積を守ることではなく、新しい未来の可能性を試してみることです。
そして、それを大変だと思うのではなく、面白いと思うことです。
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