「われ十五にして学に志し」から始まる孔子の言葉があります。
この人生の区分は、多くの人にとって納得できるものです。
15歳は、子供が初めて勉強に対する自覚を持つ時期です。
それまでは、人に言われたり、褒められたり、叱られたりしながら、主に他人の意志で勉強してきた子供が、15歳を境にして自分自身で勉強する必要性を自覚するのです。
昔、15歳が元服の時期で、その年齢から成人としてみなされるということも、この年代の持つ性格の故だと思います。
「三十にして立つ」とは、30歳になると、自分ひとりで何か始める時期が来るということです。
「四十にして惑わず」というのは、その自分の意志で歩き始めた道を、自分で選んだものとして続けて行こうという決心をすることです。
「五十にして天命を知る」というのは、50歳になると、その自分の進んできた道が自分の天命で、これから行っていくことが自分の意志を超えたものだという気持ちになっていくことです。
「六十にして耳順う(したがう)」とは、さまざまな否定的な事柄や障害や困難が出てきても、それを平然と受け入れて前に進むことができるようになるということです。
子供を育てていく場合、この大きな年齢区分を前提に考えていくことが大切です。
「十五にして学に志す」というように、子供が自分の意思で勉強の必要性を感じ、勉強の面白さに目覚めるのは15歳の中学3年生のころからです。
だから、それまでの子育てはこの15歳の自立の時期にふさわしい準備をしていくことです。
15歳までは根を張ることが大切で、まだ早く花を咲かせるような時期ではないということが、親が押さえておく最も大切な考え方だと思います。
「三十にして立つ」というように、これからの社会では、多くの人が自分で独立して何かを始めるような生き方になると思います。
それは、独立起業という形もあるでしょうし、副業やフリーランサーのような形もあるでしょうし、定年後の自立ということもあるでしょう。
いずれにしても、他人や組織に依存するだけの生き方ではなく、自分ひとりの決断で生きていくような時期がやってくるのです。
この自立のための準備が、15歳以降の人間の生き方になると思います。
子育ては、年齢によって重点が大きく変わってきます。
今は、多くの人が勉強や成績のようなところを重視していますが、それは人間形成のごく一部です。
「三十にして立つ」ところまでを考えれば、勉強や成績よりもある意味で大事なことは、愛情のある生活、幸福な生き方、自主性のある行動、何かに熱中する経験、読書に没頭する時間、自然と触れ合う機会、友達と深く関わる経験などです。
これらのバランスをいつも考えていくことが、十五にして学に志し、三十にして立つための子育ての大きな前提になると思います。
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子育ての目標は、いい大学に入るところまでではありません。
まして、いい高校に入ったり、いい中学に入ったりするところまでではありません。
それが当面の目標になることはあり、そのために全力で取り組む必要が出てくることはありますが、本当の目標はもっと先にあります。
では、その本当の目標の目安はどこかと言えば、子供が「三十にして立つ」ところまでだと思います。
それは、子育て中の親が、まだ三十代か四十代かせいぜい五十代なので、それ以上先のことは子育ての問題ではなく自分の問題になるからです。
年端のいかない小さな子供を見るときも、その子が「三十にして立つ」様子を想定して見ることです。
今は、親よりも、先生よりも、全く低いレベルにある子供たちが、やがて親や先生と対等になり、いろいろな面で親や先生を乗り越えていくようになるのです。
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昨日、思考発表クラブの小学6年生の作文構想図の発表を見ていましたが、どれも非常にレベルの高いものでした。
11.1週の課題は、「家にある古いもの」ですから、自分の引き出しを開けて適当に小さいころ使った古いものなどを例に挙げて書くこともできます。
けれども、発表された構想図には、どれもお父さんやお母さんに聞いた、家庭の古いものにまつわるさまざまなその家庭の文化的な話が盛り込まれていました。
この、互いの発表を聞いてそれぞれの生徒が自分の考えたこととまた違う他の人の考え方を知ることも、みんなの大きな刺激になったと思います。
勉強の成果を発表するという場があると、まずその発表に向けて、家族の関わりが生まれてきます。
しかも、その発表は正解や優秀作品という答えや目標のある発表ではなく、それぞれの個性を活かした答えのない発表ですから、家庭での親子のふれあいも創造的で前向きなものになります。
また第二に、同年齢のほかの子供たちが見ている前で発表するという気持ちがあると、自然に自分の中のよりよいものを出して行こうという気持ちになります。
このよりよいものを出したいという思いが、実力の向上につながるのです。
みんなの発表を見ていて、こういう互いの作品の発表の場を、普段作文を書いている生徒全員が、もっと日常的に参加できる機会を作っていってもいいのではないかと思いました。
プレゼン作文発表会は、これまで何度か特別の企画として日程を取って行ってきましたが、今後もっと日常的に機会を作っていくことを考えています。
その具体的な方法は、オンライン作文に参加している生徒が、月に一回ある程度時間の幅を決めてその中で自由に発表する場を作るというやり方です。
オンラインの企画への参加は、最初は敷居が高いと感じる人が多いと思いますが、やってみると意外と簡単にできます。
今後、このオンラインで生徒どうしが、作文だけでなく他の算数や理科の勉強も創造的に発表するようなやり方を自主学習クラスで作っていきたいと思います。
その場合の発表というのは、例えば算数であったら問題集をもとに自分のオリジナルな似た問題と解説と解答を作ることです。
理科の場合でしたら、理科実験や工作などを、実際に自分で行ったり作ったりしてみることです。
正解を要求される答えのある勉強は、発表にはあまり向きません。
答えのある勉強のほとんどは点数に還元されてしまうので、満点を取ることが目標という、ある意味で味気ないものになりがちです。
こういう質的な違いのない量的な評価だけの発表は、子供たちの意欲をあまり引き出しません。
答えのない創造的な世界で自分らしい発表することが、勉強の最も強い動機になるのだということを、これまでの思考発表クラブの発表を見て感じてきました。
今後の作文指導も、作文以外の勉強の指導も、このような実力と面白さの両立するやり方で進めていきたいと思っています。
【参考までに小4~小5の生徒の構想図の例】
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生徒たちの読書紹介や作文構想図の発表を見ていて、みんなのレベルが高いことにいつも感心します。
また、生徒どうしも互いに張り合うというのか(笑)、読書の紹介なども結構難しいものや個性的なものを選んできます。
ただし、これは小4以上になると自然にそうなるようで、小3以下のころは、むしろただ楽しいだけの発表の方がいいように思います。
週に1回の発表ですが、子供たちがみんな昔からの知り合いのように話しているところが面白いです。
実際には、横浜と名古屋と九州となど、いろいろなところからの生徒が参加しているのですが。
子供たちの発表の場は、これからもっと広がると思います。
勉強は、このように発表の場と、自学自習の場があれば、それで十分ではないかと思います。
こういう場を運営する人は、講師というよりも、みんなを活気づける司会者という感じです。
この運営に携わる人を、これから森林プロジェクトなどで依頼していきたいと思っています。
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