言葉の森合宿所の周辺に、クヌギやナラの木がうっそうと茂っていました。
晴れている日も、空がところどころしか見えないぐらいです。
そこで、日当たりをよくするために、樹木の伐採をしてもらいました。
クレーン車で木をつるしながら、伐採するのです。
さすがプロです。
自分がやったら、1日で1本もできないだろうと思いました。
渡部組土木さん、ありがとうございました。
記念に、木の切り株を一つもらってきました。
でも、何に使うかなあ(笑)。
クレーン車到着。
木に登って電動ノコギリで伐採。
事前に、枝は切ってもらっていたので、今日は幹の部分です。
木のてっぺんまで登ってやるのです。
一日がかリの作業でした。
建物の周辺はもうすっきり。これで日当たりがよくなりました。
山のように積もっていた枯れ葉も片付けたので周囲もすっきり。
連休あたりから、もう使えそうです。
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31日に那須の合宿所に行ってきました。
前回は、鹿の湯で48度のお湯に入ってきましたが、その熱いこと。
今回は44度でゆっくりのんびりしてきました。
という話じゃなかった(笑)。
今回の目的は、スズメバチのトラップを設置することと、建物周辺の樹木の伐採を見ることでした。
木を伐採してもらったあと、夜中に表に出ると、これまで樹木しか見えなかった空に、満月が明るく浮かんでいました。
12月に行ったときは吹雪で、最初の仕事は雪かきでした。
今回は、落ち葉の掃除。
地上に落ちたドングリが、あちこちで根を出していました。
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言葉の森が今、寺子屋オンラインの少人数クラスで目指しているのは、これまでのような知識を詰め込む勉強ではありません。
現在でも、辞書持ち込み可の試験があるように、将来は、スマホでもノーパソでも何でも持ち込み可の試験をするところが出てくると思います。
それは、実際の仕事や生活では、何でも持ち込んでやっているからです。
そうすると、調べればわかるような知識よりも、何が必要かを判断する力の方が重要になってきます。
その判断する力が、問題を発見し作り出す力です。
では、そういう力はどこを見ればわかるのかというと、それは、作文と読書と対話のレベルを見ればわかります。
しかし、それらは指導にも評価にも手間がかかるので、学校ではあまりやられていないだけなのです。
寺子屋オンラインの作文の少人数クラスで考えているのは、作文の準備段階の充実です。
今はまだスタートしたばかりなので、生徒が書いた作文の発表などを行っていますが、それらは発表交流会のときにできるので、今後の毎週の授業では、どういう準備をしてきたかという準備のレベルを充実させていく予定です。
そのためには、毎週の作文の課題に合わせて(低学年の場合は実行課題集を参考にして)、生徒がお父さんやお母さんに取材し、自分で調べたり考えたりして材料を集めてくることが家庭での学習の中心になります。
互いの交流の中でよりよい作文を書くということが勉強の目的ですから、目に見える目標としては、試験に合格する作文、コンクールに入賞する作文を目指します。
そのために、コンクール入賞作文の紹介や、受験作文の問題と解説の紹介なども行います。
この紹介では、それをもとに特に何かをするということではありませんが、これらの紹介を通して、入賞や合格にどういうことが要求されるのかがわかってくると思います。
この少人数クラスの作文の中で身につくものは、第一に作文力です。どんなテーマでも、読み応えのある作文を書く力が身につくようにします。
ですから、作文が苦手だという子の場合は、少人数クラスよりも、担当の先生との一対一の電話指導で書く力をつけていく方が向いています。
しかし、もちろん苦手な子でも、やる気さえあれば、準備の段階を充実させることでいくらでも読み応えのある作文を書くことができるようになります。
第二に、家庭力です。これは、家庭でお父さんやお母さんと子供が、日常的に対話をし協力をする習慣を作ることです。
だから、保護者の関わりが特に重要になってきます。先生にお任せするという勉強では、知識や技術は身につきますが、肝心の思考力や創造力や共感力は育ちません。
子供時代は、過ぎてしまえば短い時間ですから、子供の勉強に関わることを負担と思わずに、子供と触れ合う楽しい機会だと思うことが大事です。
第三に、発表力です。これは、作文以外のほかの少人数クラスの勉強でも共通していますが、5、6人の少人数で全員に発表する機会があると、どの子も必要なことを的確に話す力が身につきます。
今の子供たちの中には、何かを聞かれても、すぐ「わかりません」とか「ありません」とか言う子がいます。それは実際に、わからなかったりなかったりするよりも、考えて答えるという面倒な作業をさぼっている場合が多いのです。
これからの試験は、ペーパーテストよりも、口頭試問のような形が増えるはずですから、必要に応じてすぐに発言できる力を育てておくことが重要になります。
第四は、創造力です。これは、言葉の森の作文指導の方針として、表現の上手だけでなく、内容のよさを重視しているからです。
内容のよさとは、個性、挑戦、感動、共感などがあることで、更にその先に、その子らしい個性的な発見や創造があることです。
これからの世の中は、与えられた問題で正しい答えを出すようなことは、人工知能がいくらでもやってくれるようになります。
今、プログラミング教育や英語教育が流行っていますが、プログラミングの技術も、英語の翻訳技術も、やがて人工知能の守備範囲になってきます。
「こういうことをプログラミングしてほしいんだけど」「……ジー……。ハイ、デキマシタ」という具合です。
そうすると、プログラミングができるということよりも、何のためにどういう問題を解決したいのかという問題創造力が大事になってくるのです。
その問題創造力は、社会人になれば仕事創造力になります。
これからは、与えられた仕事をこなす人よりも、仕事を創造する人が必要になってきます。
そのためには、子供時代から、創造的なことの価値を意識する機会を増やしておく必要があるのです。
以上のような、作文力、家庭力、発表力、創造力を目指すのが、寺子屋オンラインの作文少人数クラスです。
(次は、自主学習クラス、思考発表クラスについて書く予定です。)
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短期的に考えればマーケティングが大事になりますが、長期的に考えればビジョンが大事になります・。
これは子育てでも同じです。
短期的には、明日のテストの勉強をすることが大事ですが、長期的に考えれば、もっと大事なことがあります。
明日のテストには答えがありますが、ビジョンには答えはありません。
その答えのない世界を考えることが楽しいと思っていくといいのです。
結構自由な国のように見えるアメリカでも、学校に行かずに家庭学習(ホームスクール)だけで勉強している人は少数です。
しかし、その家庭の子供たちに共通していることは、学力が優れていることもありますが、それ以上に自由な時間がたくさんあることなのです。
このことからわかることは、子供の学力は、先生に教えてもらっているときにつくのではなく、家庭での自学自習の中でつくということです。
その自学自習に、親子の対話が加わるから、単に勉強ができるだけではなく、思考力も共感力もある子が育っていくのだと思います。
今は共働きで、多忙なお母さんが多いと思います。
しかし、小学生時代には、あらゆることに優先させて、子供と関わる時間を確保していくといいのです。
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勉強もよくでき性格もよいという子からときどき聞く言葉に、継続の大切さということがあります。
家庭で、折に触れて継続ということを言われているのだと思います。
よくできる子は、何か特別な方法を集中して身につけたのではなく、平凡なことを毎日欠かさずにやってきたのです。
例えば、毎日音読を続けているとか、毎日読書を続けているとかいうことです。
生活面で言えば、毎日決まった時間に起きるとか、決まった時間に勉強するとかいうことです。
ある時期に熱中して取り組むとか、新しいやり方を試すとかいうことももちろん大切ですが、基本になるのは誰でもできる平凡なことを毎日欠かさずに続けるということです。
江戸時代の寺子屋の勉強法も同じでした。
基本となる学習法は、素読という、四書五経などのテキストを何度も繰り替えし音読しその言葉を自分のものにするという方法でした。
その平凡な誰でもできる勉強法で育った子供たちが、明治期の日本の急速な近代化の推進力となったのです。
その原則は、今の時代も変わりません。
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「どんな子でもできるようになる勉強法――そのコツは毎日続けること」
https://www.mori7.com/index.php?e=2928
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あるとき、全然作文が書けない、書けても間違いだらけ、しかも字数もほんのわずか数行だけ、そして、何よりも文章がほとんど読めないという小学校高学年の子が、言葉の森の教室に来ました。
本人もお母さんも、どうしたらいいか途方に暮れていました。
その子とお母さんに説明した勉強法は、何しろ毎日、長文を音読すること、できれば暗唱するぐらいまで読むことでした。
音読は、ただいろいろな文章を音読すればいいのではありません。
その文章を暗唱できるぐらいまで同じものを繰り返し読むことが大事です。
ところが、大抵の子は、同じものを繰り返し読むのは退屈するので、次々に新しい文章を音読したがります。
それでも音読をしないよりはましですが、繰り返し読むのに比べて効果はぐんと落ちます。
学校で音読の宿題を出すところが増えてきましたが、全体に繰り返しの回数が少ないのではないかと思います。
その子の学校はそういう宿題がなかったので、言葉の森の長文の音読だけを毎日続けました。
その子は漢字がほとんど読めなかったので、言葉の森のサイトで全部ルビ振りにしたものを印刷して、同じものを1週間読むということにしました。
そして、それに加えて毎日の読書も必ずやってくるようにしたのです。
すると、ある時期から急に作文が長く書けるようになり、数年たつと同学年の生徒よりも語彙の豊富な立派な文章を書けるようになりました。
そして、高校入試では、数年前には考えることもできなかったような第一志望の高校に合格したのです。
その間、やっていたことは毎日の音読と読書だけです。
大事なことは、その音読と読書を毎日一日も欠かさず続けたことです。
勉強でうまくできないことがある子の勉強の仕方には特徴があります。
それは、お父さんやお母さんが、あるとき集中して教えるような勉強の仕方をしていることです。
休みの日に数時間集中してそのことを教え込むような勉強の仕方をすると、確かに何とかできるようになります。
しかし、そこで、親も子もくたびれ果ててしまうのです。
そして、しばらくすると、またもとの何もしない状態に戻ります。
ある時期集中して勉強するという勉強スタイルは、お父さんやお母さんの教え方だけでなく、子供の勉強スタイルにも出てきます。
そういう子は、やっているときはすごくがんばっているように見えます。
しかし、そういう勉強法では効果が出ないので、やはり自分はその勉強は苦手なのだと思ってしまうのです。
小中学生の勉強に、苦手ということはありません。ただ、毎日やる仕組みを作っていないだけなのです。
勉強の基本は、あるときたくさんではなく、毎日少しずつです。
言葉の森の自主学習クラスも、この毎日少しずつが自然にできるようになることを目的にしています。
特に、国語問題集読書のような勉強は、家庭でやるとすぐに飽きてしまいます。
成果がすぐに目に見えないような勉強こそ、この毎日少しずつという勉強の仕方が大事なのです。
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ときどき、どんな勉強の仕方をしたらいいか聞かれることがあります。
また、どんな本がいいか聞かれることがあります。
いい勉強の仕方も、いい本ももちろんありますが、何よりも大事なことはそれを続けることです。
だから、親の役割は、子供にあるひとつのことを続けさせることなのです。
大人でも、その人の持ち味は、何をがんばったかとかいうことよりも、何を続けてきたかということにあります。
これから、子供たちの教育にも、多くの高齢者が参加するようになると思いますが、そのときに役立つのは、学歴や資格よりもまず、その人がそれまで続けてきた仕事の経験です。
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忘れ物をしたり、遅刻したりする子がいた場合、その忘れ物をしたことや、遅刻したことを叱っても、あまり効果はありません。
人間は、叱られることによって、よい習慣を身につけるのではなく、褒められることによって少しずつよい習慣を身につけていくからです。
だから、親や先生の役割は、子供が失敗したことを叱ることではなく、子供に成功させるようなやり方をさせ、その結果成功したことを褒めることなのです。
評価の本当の役割もそこにあります。
テストというと、子供を冷たく評価して、できていないところを指摘することが目的のように考えている人も多いと思います。
しかし、テストの本当の役割は、そのテストの目標ができるようにさせて、その結果を褒めることにあるのです。
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「うまく行っていないときほど、その中でのよいところを褒める」
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勉強でも作文でも、うまく行っていないときは、本人でもわかります。うまく行ったときに比べて手応えがないのです。または、明らかにうまく行かなかったという感覚があります。
そのときに、周囲にいる人、特に身近なお母さんなどに、そのうまく行っていないところを指摘されると、わかってはいても、やはりがっかりするのです。
それは表面に出る注意だけではありません。お母さんが、渋い顔をして心の中で思っているだけでも、子供にはそういう感じが伝わります。
何も言われなくても、子供は自信をなくしていくのです。
だから、うまく行かなかったときや、失敗したときほど、お母さんはそのうまく行かなかった中でのよかったところを褒めてあげることです。
そして、子供が明るい気持ちになったところで、毎日の読書と音読とそのほかの自習を気長に続けていくのです。
そういう日常を何度も繰り返しているうちに、ある日ふと気がつくと、いつの間にか、こんなにできるようになっていた、と思うときが来るのです。
こういうお母さんの気長な忍耐力を支えるものは、お母さん自身の心の安定です。
そのお母さんの心の安定には、お父さんの協力と感謝が必要です。
しかし、たとえそういう協力的なお父さんがいなくても(笑)、お母さんは自分の力で自分の心を安定させ、子供にはいつも明るく褒めて接することです。
その方法は、そう決心することです。
「自分は、この子のいいところだけを見ていつも褒めていくようにしよう」と決心すれば、それが次第に自分の天性のようになっていくのです。
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作文のテストというと、できていないところを指摘することのように考えている人がよくいます。
しかし、テストというのは、そのテストをきっかけにして、これまでできなかったことをできるようにさせることにあります。
例えば、字数がなかなか伸びない生徒も、テストだからということで、先生が協力してこれまで書けなかった字数まで書くようにさせると、それが自信になり、その字数まで書く実力がつきます。
先生の役割は、冷たく評価することではなく、子供と一緒に目標を達成することにあるのです。
作文のテストのとき、「今日は、千字まで書かなかったら不合格だからね」と冷たく言う先生と、「今日はテストだから、先生と一緒に千字まで書くようにがんばろう」と熱く言う先生と、どちらいい先生かと言えば、もちろん一緒にがんばろうとする先生の方です。
そして、更にいい先生は、言葉だけでなく、子供に実際にその目標の字数まで書かせてしまう先生なのです。
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勉強は理解することであって、覚えることではないと考えている人が多いと思います。
しかし、それは実は逆なのです。
掛け算の九九を考えてみるとわかると思いますが、掛け算を一覧表にして理解して覚えようとすれば、暗唱よりもずっと長い時間がかかります。そして、不正確にしか覚えられません。
音読をして暗唱する覚え方であれば、覚えようという意識をしなくても、自然に口をついて出るようになります。
しかも、その記憶が一生残るのです。
勉強には、理解する知識と、身体化する知識の両方が必要です。
暗唱は、身体化する知識の方です。
百人一首の暗唱をすると、日本語の語彙や情感が身体化されるのです。
そして、効果はそれだけではありません。
学校の勉強で、中学生ぐらいになると、いろいろと覚えなければならない知識が出てきます。
暗唱をしている子は、それらの知識を習得する度合いが速いのです。
暗唱検定に合格する子が増えています。
しかし、まだひとりで家庭で暗唱に取り組むだけでは途中で挫折してしまう子もいるようです。
そういう子供たちのために、寺子屋オンラインの発表学習クラスでは、希望する生徒に毎週暗唱のチェックも行うようにしています。
子供はやはり、ほかの友達と一緒に勉強を共有することで楽しく続けることができるのです。
発表学習コースの詳しい案内は、下記のページをごらんください。
発表学習コース案内
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「暗唱検定3級の暗唱長文のルビの一部訂正――百人一首の暗唱の仕方」
https://www.mori7.com/index.php?e=2820
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暗唱検定の3級は、百人一首です。
ルビ振りで一部訂正や追加がありましたので、今3級を練習している人に、訂正の箇所が分かるものをお送りします。
ウェブの長文の方は直っています。
https://www.mori7.net/mine/as2.php
百人一首は、一首ずつ区切られているので、続けて暗唱するのが難しいと思います。
コツとしては、五七五七七の最後の七と、次の歌の最初の五をできるだけ区切らずに読むことです。
例えば、最初の二首では、「……露に濡れつつ、春過ぎて……」のように読むのです。
音読をしていると、その音読が耳に残るので、無意識のうちに、次の歌が出てくるようになります。
また、歌のつながりを、イメージ化できるストーリーにして、「露の玉の中から、春がポコンと飛び出してきた」のようにしてもいいと思います。
歌の頭文字だけを続けて覚えるという方法も、早く覚えるには有効ですが、そういう知的な操作が入ると、思い出しながら読むという読み方になるので、なかなか早くは読めません。
頭文字で覚えたものであっても、できるだけ音読だけで続けて頭に残るように読んでいくようにしてください。
百人一首は、本などでも豊富に出ていますが、暗唱するための教材は1種類に絞ってください。
人間は、その歌が教材のどの辺にあったかということも含めて記憶するので、教材が2種類以上になると、急に覚えにくくなります。
音読の繰り返しで自然に覚えるという方法のコツがわかると、いろいろな勉強に応用できます。
また、毎日暗唱の練習をしていると生活に張りが出てくるので、ほかのことも積極的に取り組めるようになります。
お父さん、お母さんも、子供さんと一緒にぜひ暗唱に取り組んでみてください。
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暗唱のいちばんいいやり方は、動きながらやることです。
だから、歩きながら暗唱したり、体を動かしながら暗唱したりすると、楽に暗唱できるようになります。
また、ゆっくり読むのではなく、できるだけ早口で読むことです。
こういうことがわかってくると、何かを覚える必要があるときに、すぐに取り組めるようになります。
暗唱の効果で意外なのが、元気が出てくることです。
それから、歩いて出かけなければならないときに、歩くことが退屈になりません。
周りの景色を見ながら、自分の好きな文章を暗唱して歩いていけるのです。
日本語の暗唱だけでなく、英語の暗唱もこのやり方で身につけることができます。
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3月から、寺子屋オンラインという少人数のクラスを始めています。
このオンライン少人数クラスのいいところは、必要に応じてすぐにクラス分けができることです。
例えば、全体の人数が10人いて、学年がばらばらだった場合、全体の話のあとすぐに、同じ学年別別に数人ごとにクラスを分けて話を進めることができます。
しかも、そのときに参加している子供たちは、日本全国どころか、世界中の異なる地域から来ることができるのです。
もちろん、実際には時差があるので、同じ時間帯に勉強する生徒は、時差の近い地域に限られますが、それでも日曜日のイベントなどはより広い範囲から参加者が集まれます。
オンライン少人数クラスのもうひとつのいいところは、友達と正面を向いて話ができることです。
通学教室の場合は、机の並び方は、多くの場合横並びになるので、全体に向かって話がしにくいところがあります。
しかし、ディスカッションなどがしやすいように机を円形に並べたら、今度は肝心の勉強がしにくくなります。
オンラインのクラスの場合は、みんながお互いの話を正面から聞けて、しかも、勉強するときには自分の机に集中して取り組むことができます。
そして、こういう形で勉強面で毎週交流している子供たちが、夏合宿などでたまにリアルに会うのです。
すると、これが不思議なことに、初めて会った子供どうしでも、初対面という気が全くせずに、学校などの同じクラスの友達と会うような雰囲気で交流が始まるのです。
こういう交流が続いていくと、やがて生徒が高校生になり大学生になり、言葉の森を卒業するようになったあとも、同窓会の形で交流が続くはずです。
そして、そういう卒業生たちが、夏合宿で後輩の子供たちの面倒を見るようになるのです。
オンライン少人数クラスとか、オンライン懇談会というと、まだ、「パソコンが苦手だから」とか「やったことがないから」と、敬遠する人が多いと思います。
しかし、実際にパソコンやタブレットで入ってみれば、設定なども何も必要なく、そのまま自然に普通の会話が始まります。
わからないことがあれば、その場で聞けばすぐに解決します。
これからは、オンラインの少人数クラスが、学習形態の中心になってくると思います。
だから、言葉の森が考えているのは、その先の話です。
インフラは、誰でも同じように利用することができるようになります。
しかし、大事なのは、新しいインフラを利用することではありません。
そのインフラに何を載せるかということです。
その載せるべき内容は、これまでの単に知識を詰め込むテスト中心の教育ではなく、創造性と共感力と思考力を育てる教育なのです。
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「個性と創造性を伸ばす教育は、人間の交流の中から。そして人間の交流を支えるツールは、オンライン教育」
https://www.mori7.com/index.php?e=2817
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オンラインの教育のいいところは、アットホームな雰囲気で勉強ができることです。
それぞれの生徒が、自分の家で勉強に参加するのですから、先生が生徒に、
「今、どんな本読んでる」
などと聞くと、生徒が、
「あ、ちょっと待ってて」
と、ごそごそと横に置いてある本棚を探して見つけてくるということがよくあります。
また、何か複雑な連絡がある場合は、先生が、
「お母さん、いるかなあ」
と聞くと、
「います。おかあさーーーーん」
「はあい」
などという場面もよくあります。
また、子供どうしは、お互いに東京と大阪のように遠く離れていて、会ったこともないのに、他の人の本の紹介や趣味の紹介を見て、
「おもしろそうなので、自分もその本を読みました」
とか、
「自分も、家でその実験をしてみました」
などということがときどきあります。
しかし、これまでの形式の勉強をオンラインにするだけでは、こういう交流はできません。
勉強の仕方も、オンラインに合わせて、自学自習+発表学習に変えていく必要があるのです。
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オンライン教育は、もはや可能性の段階ではなく、現実に効果を発揮する段階になっています。
しかし、それは、デジタル黒板とか、デジタル教科書とか、タブレット端末とかいう外見だけの新しいICT教育とは全く別のものです。
言葉の森の教材の基本は、あくまでも紙です。そして、作文の基本は手書きです。
教育とは、身体感覚に根ざしたものでないと身につかないからです。
ただのインフラだけだったら、言葉の森の真似ばかりしているブ○○○○○○や、べ○○○と同じになってしまいます(笑)。
こういうところは、宣伝文句なども、言葉の森がこれまで書いていたこととそっくりです。
だから、言葉の森は、付け焼き刃では真似のしようのない哲学に基づいた教育をしていきたいと思っています。
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子供が何か質問すると、自分で調べなさいとか、自分で考えなさいとか、先生に聞きなさいとか言ってしまうお母さんは多いと思います。
それは、子供が自分の力でやるようにさせたいという気持ちの表れかもしれませんが、このやり方は実はよくないやり方なのです。
なぜかというと、子供は、「自分で○○しなさい」と言われると、話が面倒になるので、次第にそういう質問を親にしなくなるからです。
それで、静かになってよかったと思ったら、大間違い(笑)。
子供の質問をもとにした学力向上のチャンスが、どんどん少なくなっていくということだからです。
小学校低学年の場合は特に、子供が何かを聞いてきたら、お母さんがすぐにその場で答えてあげたり、一緒に楽しく考えてあげたりすることが大事です。
すると、子供はどんどん質問をするようになります。
この質問と応答のやりとりが、子供の学力を育てていきます。
子供の学力は、学校や塾で育つのではありません。
家庭での親子の対話の中で育つものなのです。
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「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2812
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小学1年生で勉強することなど、たかが知れています。どの教材でも誰が教えても、大差ないものです。ですから、市販の教材でも通信の教材でも自由に選んで、身近なお母さんが教える形で十分に勉強できるのです。
しかし、大事なのは、このときの勉強の仕方です。勉強の中身そのものは誰でもできる(できなければならない)基本的なものなので、どういう教材をどう教えてもできるようになります。しかし、そのときの勉強の仕方は、実は千差万別なのです。
そして、このときの勉強の仕方が、その後の子供の勉強の仕方の土台になります。だから、この時期は、何をやるかとか何を身につけるかということよりも、どうやるかということが大事になってくるのです。
では、どうやればよいのでしょうか。
まず第一に大事なことは、明るく楽しくやることです。少学校低学年は、苦しい勉強をする時期ではありません。苦しい勉強の方がやりがいが出てくるのは、もっとずっとあとになってからです。小学1年生のときは、できるだけ楽にできるように、少しでも子供が困っていることがあったら、どんどん手助けしてあげることです。
これは、作文でも同じです。低学年の子に、無理に自分の力で書かせる必要はありまぜん。楽に書かせることが大事で、そのためにはいくらでも助け舟を出してあげることです。
しかし第二に、自分のペースで自主的にやる勉強スタイルを作ることです。そのためには、何をいつどういう順序でやるかということを、一つの流れとして作り、子供が自分の意思でその流れに乗るようにすることです。
よく、お母さんが、「次は、これ。それが終わったら、今度はこれ」と指示するような勉強の仕方をしている家庭が多いのですが、それでは、やらされる勉強になってしまいます。勉強の開始は、親が指示しないと始められないこともありますが、どういう順序でやっていくかということは、子供が自主的にやるような仕組みを作っておくことです。
(つづく)
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学力は、学校や塾でつくのではありません。
家庭の対話の中でつきます。
だから、作文力をつけるためには、予習シートなどをもとにした親子の事前の対話が第一です。
その親子の対話ができるようにするには、親が子供との対話を楽しむという姿勢を持つことです。
親はどんなに忙しいときでも、子供が何かを聞いてきたら、気持ちを切り換えて楽しく答えてあげることです。
小学1、2年生でよくできる子の場合、親が難しい問題集で勉強させてしまうことが多いと思います。
しかし、小学生のころの問題集の難しさというのは、実は意味のない難しさです。
それは、わざとわかりにくい遠回りの説明をしたり、ややこしい間違えやすい計算をしたりという難しさにすぎないからです。
そういう難しさは、年齢が上がれば自然に誰でもできるようになります。
難しい問題は、年齢に不相応な難しさを子供に要求することで、勉強嫌いの子を作っているだけです。
では、難しい問題はやる必要がないかというとそうではなく、それは受験期の半年か1年前から集中してやればいいのです。
受験期の難しい問題も、あまり意味のある難しさではありませんが、そういう難しい問題を解くことは、高学年の子供にとっては頭の体操のような面白さがあるからです。
そして、その難しさに意味があるとすれば、それは物事を緻密に厳密に考える習慣が身につくということだと思います。
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実力をつけることと、勝負に勝つこととは違います。
しかし、この区別をせずに、実力をつけるべき場所で勝負に勝つような勉強をしたり、逆に勝負に勝つべきところで実力をつけるような勉強をしたりしてしまう人も多いのです。
普段の作文の勉強は、実力をつけるための勉強です。
だから、読書をしたり、対話をしたり、いろいろな経験をしたり、また長文音読をしたり、問題集読書をしたりすることが必要になります。
一方、受験作文の場合は、合格するための勉強になります。
そこでは、実力をつけるための要素ももちろんありますが、それよりも、今ある実力の範囲でいかにいい作文を書くかということが重要になります。
寺子屋オンライン作文クラスは、少人数の生徒が交流しながら作文の練習をするクラスなので、こういう勝負に勝つ要素も含めた勉強をしようと思いました。
具体的には、小学校低中学年はコンクールに入選するような作文を書く練習、小学校高学年は中学受験の作文試験に合格するような作文を書く練習です。
中学生の高校入試作文小論文、高校生の大学入試小論文まで入れると、一つのクラスでは収まり切らないと思うので、当面は小学生対象でやっていきます。
以下は、授業の資料です。
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■あかいじどうしゃ
第20回文部大臣賞 小学1年生
「プップッー。」
つくばのお山のほうから、またあかいじどうしゃが、はしってきました。せんとうのたけしくんが、
「あかいくるまだぞー。」
と、大きなこえでいったので、ぼくはびっくりしました。みつおくん。ゆきおくんもあおちゃんもすすむくんも、まっすぐになって、しんかんせんのようにあるきだしました。あかいくるまは、すうーと、ぼくたちのれつのわきにとまりました。まどから大つ先生のめがねのかおがでて、キョロ目がめがねの中でくるくると、ぼくたち六人のかおをみました。
うしろのまどから、ながつか先生、しば先生、よしわら先生の三つのかおがくびをだしました。ぼくは、びっくりしてとまってしまいました。くるまがとまるときまって四つのかおが、いちどにくびをだします。
「よく一れつにならんでいるな。」
「あるきかたが、とてもじょうずね。」
「えらい、えらい、りこうだなあ。」
「きをつけてかえるのよ。」
先生たちは、くちぐちにいろいろいいます。くるまからおりて、まえから、たけしくん、みつおくんと、あたまをなでてから先生たちは、ひとりずつあたまのてっぺんに、大きなまるをかきました。たけしくんは、手でかおをかくして、
「うふふふ。」
と、くびをひっこめました。ぼくも、
「くっくっくっ。」
と、わらってしまいました。みんなかめのこみたいに、くびをひっこめてわらいました。先生たちは、手をふりながら、くるまはまたはしりだして、とおくに小さくなっていきました。
あかいじどうしゃは、大つ先生がうんてんして、まい日、わたしたちのまちをひとまわりします。ぼくたちが一ねんせいにはいってからいままで、がっこうがえりのあるきかたをみてまわっているので
どこをはしっていても、ぼくたち一ねんせいのれつをみつけると、きまって
「プップッー。」
と、あいずしていきます。あかくてかっこいいので、どこからでもすぐ目だってわかります。
「あっ、あかいくるまだよ。右がわ一れつ。」
と、みつけた人が大ごえでいうと、ばくたちは、まっすぐまえをみて、さっさとあるきます。よそみなんかする人はひとりもいません。
「プップッー。」
と、ならして、手をふりながらとおりすぎたとおもうと、とおくのほうにとまって、ぼくたちがいくのをみていたりすることもあります。
このまえ、二十五ごうたいふうのとき、と「ちゅうのさくら川が大水になって、ルる田んぼも、水がいっぱいになりました。いねのほが、あたまだけだして、みちだけがみえていました。そのときも、あかいじどうしゃは、水じょうじどうしゃのようにはしっていきました。川のはしのところにとまって、四人の先生が、ぼく「たちのことを、みていてくれました。雨がやんでも、川の水は、うずをまいてながれ、はしの上にとどきそうになっていました。ぼくたちは、こうもりをもって、「ながぐつをブッカ、ブッカならしながら、がんばってあるきました。やっとはしのところまでくると、大つ先生が、
「たにしくん、うまいぞ。」
と、大きな手で、たけしくんのあたまをなんかいもなでまわしました。たけしくんは、がっこうがえり、たにしとりばかりしていたので、たにしくんというなまえを、もらってしまいました。たにしのように目をほそくして、くびをひっこめたので、みんなが、あははとわらいました。ながつか先生が、
「あめかぜの日は、みちのはしはあぶないから、このへんをあるくのね。」
と、あるいてみせました。あぶないところをとおりすぎると、あかいじどうしゃは、手をふりながらはしっていきました。ばくは、くるまが小さくなるまで、手をふってさよならしました。
あかいじどうしゃは、ぼくたちがかえるのをみて、うれしそうにはしるときと、おこったようにはしるときがあります。ぼくたちが、かえりにランドセルをほうりなげて、たにしとりにむちゅうになったり、くわがたむしを、ぼうしの中にいれて、あたまのてっぺんをあるかせたりして、みちくさしていると、おこったようにおそろしく大きく、
「ブッブッブッ。ブッブッブッ。」
と、ならして、とまってしまいます。
一れつになって、さっさとあるいてかえるときは、うれしそうに、
「プップー。たいへんじょうずですよ。」
と、きもちよくはしっていきます。そんなとき、ぼくは、あかいじどうしゃはいいな、だいすきとおもいます。きょうもあしたもそのつぎも、あかいじどうしゃははしります。
■「木材」の写真
都立桜修館中 2014年 500-600字
右の「木材」の写真を見てあなたが考えたことを分かり やすく書きましょう。 字数は,五百字以上, 六百字以内とします。
(書き方)
○ 題名,名前は書かずに一行目から書き始めましょう。
○ 書き出しや段落をかえた時は、ますを一字あけて書きましょう。
○ 文章全体の組み立てを考え,適切に段落がえをしましょう。段落がえをしてあいたますも一字と数えます。
○ 読点→や句点→・かぎ→「などはそれぞれ一ますに書 きましょう。ただし,句点とかぎ→ 。」は、同じますに書きましょう。
○ 読点や句点が行の一番上にきてしまうときは,前の行の 一番最後の字といっしょに同じますに書きましょう。
○ 文章を直すときは,消してから書き直しましょう。
●解説
生き方の主題で。
第一段落と第四段落で木材の写真に関連したことが書いてあれば、展開部分の第三、第四段落は、木材から離れてもよい。
第一段落は、説明。「形も大きさも少し違う木材が、少しずつずれて並んでいる。私は、この写真を見て、大きい子の上に小さい子が乗り、少しずれ落ちそうになりながら遊んでいる様子を連想した。木材と同じように、人間もそれぞれ似ているが違うところがある。木材は、その違いをうまく組み合わせることによって家を作る材料になる。人間も、違いをうまく組み合わせることによって、社会が成り立つのではないかと思った。……」など。
第二段落は、方法1。「だから、ひとつには、その違いを認めることだ。今の社会は、人間を同じような規格に合わせてしまうことがある。例えば、流行なども、みんなが個性的に思っているようなことがかえって同じような行動になってしまうことがあると思う。私たち一人ひとりが、互いの違いを尊重することが、より豊かな社会を作っていくもとになると思う。……」など。
第三段落は、方法2。「もうひとつには、規格からずれていることが、進歩のもとになると考えることだ。日本の歴史を見ても、新しいことを始める人は、ほとんど常に周囲との摩擦を覚悟しなければならなかった。私は、昔、『おじいさんのランプ』という短編を読んだが、そこに出てくる主人公の巳之助さんは……」など。
第四段落は、書き出しに戻ってまとめ。「木材は、もともと生きている木から切りだされたものだ。だから、性質も違うし、大きさや形も違う。しかし、その違いやずれをうまく組み合わせることが、丈夫な建物を作る土台になる。私も、これから中学生になり、いろいろな人に出会うと思う。そのとき、……」など。
■自然は曲線を創り、人間は直線を創る(湯川秀樹)
東京都立西高校 2006年度 600字 50分
●解説
一見難しそうなテーマに見えますが、実は簡単(笑)。
象徴的なテーマは、生き方の主題で考えると書きやすくなります。そこに、現代の社会的な問題を加えれば更に優れた内容になります。
第一段落は、状況実例と意見。「時間というものの自然な姿は、区切りなくゆるやかに流れていくものだ。それはひとつの曲線のように滑らかに流れていく。しかし、人間は、その曲線にカレンダーという形で階段状の直線をつける。その直線化した時間の区切りによって、日常生活を送ることができるからだ。私は、人間の持つ直線性を生かしながら、それを自然の曲線にできるだけ近づけるような生き方をしていきたい。」など。
第二段落は、その方法1と実例。「そのためには、第一に、逆説的に見えるかもしれないが、直線の科学を更に発展させることだ。例えば、ディジタルという区切り方についても、昔のコンピューターのフォントは、ぎざぎざの文字でいかにも人工的な感じがしたものだ。しかし、ディジタルの度合いが更に細かくなると、それは次第にアナログのなめらかさに近いものになった。直線性ときわめることによって曲線にかぎりなく近づくということだ。数学で言えば、円の面積を求める発想も、もともとを円を無数の三角形に分割するころから生まれた。……」など。
第三段落は、方法2と実例。「第二には、自然に学ぶことだ。人間の創った直線は確かに、社会に大きな恩恵をもたらした。例えば、医療における手術や薬のようなものだ。ある病気には、直線的にある薬が対応するという発想で、医学は発展してきた。しかし、今、見直されているのは、自然治癒力をたかめるというような曲線的な考え方だ。……。」など。
第四段落は、反対理解とまとめ。「確かに、直線は世界を人間化することに役立ってきた。しかし、人間自体がひとつの自然の存在だ。直線と曲線を対立的に考えるのではなく……。」など。
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勝負が面白いと思うのは、中学生ぐらいまでの話です。
高校生になると、勝敗よりも、自分自身の向上の方が面白いと思うようになります。
しかし、人間は怠け者なので、最初は勝敗のある世界で向上への意欲を持つということもあるのです。
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