少人数クラスやオンライン学習用の分科会場を作りました。
Zoomの会場なので、zooにかけて動物広場としました。
https://www.mori7.net/teraon/zoo.php
これは、オンラインで何人かのグループ勉強している生徒が、そのグループからいったん出て個別に話をしたいときなどに使います。
動物広場の会場に入るときは、名簿に生徒コードを入れてもらいますので、どの会場が利用されているかわかります。
ですから、まだ使われていない会場を使うことができます。
こういうZoom会場を多数作れば(100か所ぐらい)、生徒と先生の話も、電話やskypeを使わずに分科会場に移動して行うことができるようになります。
この分科会場/動物広場は自由に使って結構ですので、ご興味をお持ちの方は試しに入ってみてください。
その際、ほかの人とぶつからないように、生徒コードのある人はできるだけ生徒コードを入れておいてください。(ぶつかっても別にかまわないと思いますが)
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生徒のペースで、分科会を自由に利用できるように分科会場を作りました。
これで、先生とのオンラインの授業が終わったあとも、生徒どうしで集まって勉強の話の続きをすることができます。
だんだん部活のノリになってきました(笑)。
今後、この分科会場を100か所ぐらい作る予定です。
将来は、言葉の森の全講師がその分科会場で授業をするようになると思います。
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作文力をつけるいちばんのポイントは、事前の準備です。
事前の準備で特に大事なのが、テーマに関連した話をお父さんやお母さんとしてくることです。
予習シートや構想図を利用すれば、子供は自然に親に話を聞くようになります。
また、オンラインの少人数クラスでは、関連したyoutubeの動画などを紹介しているので、それらを見ながら対話を行えば更に楽しく話が進みます。
この親子の対話の中で、子供の語彙力や思考力が育っていきます。
子供たちが今行っている勉強のほとんどは、子供だけが取り組むものが多いはずです。
子供の勉強だから、子供が自分でやるというのは、答えのある勉強の場合はそれでいいのです。
しかし、作文は答えのない勉強ですから、親子で話す度合いによって、深くもなり浅くもなり、広くもなり狭くもなっていきます。
この親子の対話は、子供にとってだけでなく、親にとっても楽しい時間になります。
特に、学年が上がると子供との接点が少なくなりがちなお父さんにとっては、貴重な親子の触れ合いの機会になります。
そして、子供の考える力が最も育つのは、点数のつく勉強によってではなく、この親子の触れ合いと対話の中でなのです。
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言葉の森の作文課題は、小3からは、題名課題と感想文課題になります。
小2までは、自由な題名で書いていたので、小3の題名課題になると、誰も最初はとまどいます。中には、自由なままの方がいいと言う子もいますが、しばらくすると、題名課題の方が焦点が絞れていいと言うようになります。
しかし、初めての感想文課題のときは、どの子もほとんど書けないのが普通です。
実は、小3では感想文課題をやるのはまだ無理があるのですが、今の学校教育の中では、小学校低学年から感想文の宿題を出すところが多いので、それに対応するためにやっているのです。
さて、この題名課題も、感想文課題も、どちらも事前の準備が作文の出来を左右します。
料理では材料七分に腕三分という言葉がありますが、作文も同じです。いい材料が仕入れてあれば、あとはどういうふうに書いてもいい作文になるのです。
この材料集めで大事なことは、自分の体験だけではなく、両親に聞いた話や、今の社会で起きている話を盛り込んでいくことです。
取材によって材料の幅が広くなると、そのテーマを見る視点も一段と高くなってきます。
例えば、11.1週の小6の作文課題は、「うちにある古い物」ですが、単に家の中にある古くなった道具やおもちゃを持ち出して書いてみても、深い感想は書きにくいものです。
ところが、ここに、日本の歴史の中にある古いもの、世界文化遺産の例などを結びつけると、古いということの意味をもう一段深く考えることができるのです。
そして、こういう材料集めに、お父さんやお母さんが参加すると、子供と一緒に家族の知的な対話が生まれるようになります。
子供が小学校高学年になると、父親は子供との共通の話題がだんだん少なくなります。すると、自然に親子の話題が勉強や成績の話だけになってきます。
小中学生のころの思考力は、親子の対話によって育つので、家族でいろいろなテーマを幅広く話し合う機会があるといいのです。
こういう話し合いは、父親が単身赴任の場合でも可能です。
遠方にいるお父さんが、ハングアウトやskypeのグループ通話で参加できるような形で、毎週の家族の対話の時間を決めておくのです。
作文の課題は、ウェブで見ることができますから、お父さんも事前に子供の作文課題を見て準備をしておけば、更に充実した話になります。
こういう親子の対話は、小学校低学年のころからつけておけば、高学年になっても自然に続けられるようになります。
小学3年生の題名課題と感想文課題になったころから、家族で作文の課題について話をする時間をとっていくと、作文の勉強と家庭の対話が連動して、勉強面でも子供の生活面でもより充実した取り組みができるようになります。
今週から、小3~小6のオンエア講座「作文と勉強」モニターを始めました。
その際に、作文の課題に関連したyoutubeの動画を参考資料にしました。こういう動画などを見ながら親子で作文の課題についてのいろいろな対話をしていくと面白いと思います。
小3「たまごやきを作ったこと」
・半熟目玉焼きの作り方
・卵を片手で割る方法
・卵を立ててみる
小4「わたしの好きな食べ物」
・世界で一番美味しい食べ物 ランキングベスト50
小5「木のぼりをしたこと」
・道具を使った木登り
・縄を使った木登り
・手と足の力で木登り
小6「うちにある古いもの」
・日本世界自然遺産]
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思考力は、思考することによって育ちます。
しかし、普段の生活で、子供が思考する必要のある場面というのはなかなかありません。
ところが、作文のテーマに関連した話をお父さんやお母さんとするときは、子供は思考力を働かせて親の話を聞きます。
この親子の対話が、理解力、語彙力、表現力、つまり思考力のもとになる力を育てていくのです。
https://www.mori7.com/index.php?e=3289
よく思考力を育てる教材というのがありますが、教材では思考力は育ちません。
思考力は、考えて話を聞いたり、考えて話をしたりするという人と人との対話の中で育ちます。
その対話の相手としていちばんいいのが、やはりお父さんやお母さんなのです。
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昨日の保護者懇談会で、発表学習クラスの運営についていろいろな要望がありました。
そのひとつは、同学年の作文構想図の交流をもっと時間をかけて行いたいというものです。
しかし一方、異なる学年、特に上の学年の人の発表を聞くのがとても参考になるという声もありました。
もうひとつは、親どうしが話し合う場もあるといいという意見でした。
小学5年生以降は、作文の課題が難しくなるので、子供にとっても親にとっても本格的な勉強が始まるような感じになります。
しかし、異なる学年の子供たちが集まって発表したり感想述べあったりする場も独自の意味があると思います。
そこで、今考えているのは次のようなことです。
第一に、学年混在の全体の発表のあと、それぞれの生徒が自分の興味や関心に応じて別の分科会場で話を続け、終了時間になる前にまたメイン会場に戻ってくるというやり方です。
例えば、その分科会としては、同学年の作文構想図の話し合いをする分科会、読んでいる本を紹介する分科会、暗唱の練習をする分科会、静かに実習をする分科会など、自由に決めて友達を誘い、そこで子供たちが自分の手で会議を運営するのです。
最初の全体の発表に1人5分かかるとして約30分、各人の希望による分科会で15分という時間配分です。
そして、メイン会場に戻り、全体の会合が終了したあとにも、また引き続き自分たちで分科会に戻って話を続けることができるというふうにしたいと考えています。
第二は、保護者の交流の場所を、Google+コミュニティの「寺子屋オンライン受付所」の中に、学年別のカテゴリーとして作り、そこで同学年の子供を持つ保護者が自由に意見交換をするという形を考えました。
これはもちろん、ほかの学年のところに行って書き込みをすることもできます。
ということで、早速、「寺子屋オンライン受付所」に学年別のカテゴリーを作りました。
ご意見ご要望またご質問などがある方は、Google+コミュニティに書き込んでくださるといいと思います。
寺子屋オンライン受付所
https://tinyurl.com/y72h7azq
また、今後できるだけ勉強終了後のミニ懇談会も行うようにしたいので、保護者の懇談会と子供の分科会が重なってもいいように、それぞれの家庭では、パソコンやスマホの端末を2台用意されるといいと思います。
ただし、その場合、複数の端末が近くにあるとお互いのスピーカーの音をマイクが拾ってしまうことがあるので、ヘッドセットを用意するか、別の部屋で行うようにしてください。
オンラインの少人数クラスは、たぶん日本初の新しい試みなので(笑)、今後も多くの方の要望を取り入れながら運営を工夫していきたいと思います。
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オンライン少人数クラスでの勉強がこれまでの勉強と異なる点は、自分がよりよい発表をすることが勉強だというところです。
これまでの勉強は、ただ聞くだけという形が多かったので、子供たちはTV番組を見るような姿勢で授業を受けていました。
人の話を聞くよりも、自分が話した方が力がつくのは、取り組み方の熱意が違うからです。
ふと、茨木のり子の詩の一節を思い出しました。
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学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ったところ
飛び立つと
森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生まれ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
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昨日の発表交流会で、イチゴのヘタは、花びらかガクかという議論がありました。
そのときに、子供たちがあれこれ考えて話している様子が、まるで何かがごちゃまぜに発酵しているような感じで面白かったです。
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作文指導をしていると、保護者の方からよく聞かれる相談の中に、もっと上手にするにはどうすればいいのかということがあります。
作文を見てそれをより上手になるように直す、という添削の方法によって上手にできる範囲は限られています。
作文を上達させるためには、直すよりも先に作文力を伸ばす必要があるのです。
伸ばす前に直していくと、そのときは多少よくなったように見えても、そのまま直し続けて上達するわけではありません。
それよりも、自分の書いたものが直されるというストレスで、子供は作文を書くことがだんだん負担になってくるのです。
直すよりも先に伸ばすことを考えるというのが、作文の勉強の基本方針です。
しかし、そういう考え方で作文指導を行っているところは、学校や塾も含めてほとんどありません。
では、伸ばすためにはどうしたらいいかと言うと、それは準備をすることなのです。
その準備とは、第一に題材の準備です。
あるテーマについて、子供の考えた実例だけでなく、お父さんやお母さんの体験談も話してあげるのです。
また、自分で調べる力がある子供であれば、そのテーマに関連する資料をデータが入るような形で調べるのです。
第二に、そのテーマについて親子で話し合うことです。
大人の視点を知ることで、子供は、感想をより深めて書いていくことができます。
題材をふくらませていくことと主題を深めていくことが作文の準備で、その準備ができた上で書いた作文の表現を工夫して行くという形で作文を上達させていきます。
その表現の工夫とは、低中学年であれば個性的なたとえ、高学年や中高生であれば(言葉の森で自作名言と呼んでいる)光る表現などです。
書き終えたあとの作文については、その作文のよく書けたところを褒めるだけというのが基本です。
作文は、直して上達させるのではなく伸ばして上達させるという基本を忘れないように子供の作文を見ていってください。
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子供の作文を直して上達させるというのは、教える側の自己満足にすぎません。
作文は直ったように見えても、子供の作文力は変わりません。
何度も同じように直されている間に、子供はだんだん書くことを嫌がるようになります。
作文を直すよりも先に、作文力を伸ばす必要があるのです。
作文力は、書くことで力がつく部分と、読むことで力がつく部分とがあります。
しかし、ほとんどの人は、書くことだけで作文の勉強を見ています。
書いたあとの作文をどう直すかということよりも、書く前の作文をどう準備するかということの方が大事なのです。
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ハイパー作文の5.1週の動画をアップロードしました。
これは、小学校高学年、中学生の受験作文の予行演習として説明しているものです。
この課題で作文を書く必要はありませんが、問題と解説を見て、お父さんおかあさんと似た例を話し合ってみるといいと思います。
>
https://youtu.be/wKNt7sHQxA0
※ハイパー作文の動画は、オンライン発表作文クラスの高学年、中学生向けの資料として載せているものです。
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受験作文の書き方を5分で解説しています。(中学受験向け、高校受験向け合わせて10分です)
短い動画ですが、重要なところに絞って解説しているので受験生には参考になると思います。
この解説を書くのに平均して1本15分ぐらいかかっています。
こういう解説が、もう1,420件にもなるので、今度この一部を出版する予定です。
これで、小中学生の受験作文の解答レベルがぐんと上がるのではないかと思います。
そうすると、人間の手による採点はますます大変になるので、早く人工知能による採点を導入するといいと思います。
そのアイデアは実はあるのです。今の森リンとは違う仕組みですが。
いつか時間ができたらそのプログラミングをしたいと思っています。
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保護者懇談会でよく出る質問が、いろいろな教科の勉強の仕方です。
勉強の基本は、ごく簡単で、1冊の参考書を繰り返し読むか、1冊の問題集を解けない問題がなくなるまで繰り返し解くかということだけです。
繰り返しの回数は、4、5回です。
どんなに難しい問題も、4回もやればほとんどができるようになります。
成績が上がらないのは、いろいろなことをまばらにやっているからです。
例えば、塾からもらったプリントもやって、学校から出された宿題もやって、通信教育の課題もやって、市販の問題集もやってというような、いろいろな勉強を1回だけやるようなことを増やしているから、時間ばかりがかかって力がつかないのです。
ところが、そういうことを話しているうちに、ふと、勉強よりも大事なことがあるのを多くの人が忘れがちなのではないかと思いました。
勉強よりも大事なものは、読書です。
成績は、勉強をすれば誰でも上がるようになっています。
しかし、本を読んで考える力は、すぐにはつきません。
表面に見える成績の差よりも、この読書力の差の方がずっと大きいのです。
毎日本を1時間読んでいる子と、毎日本を10分しか読まない子の読書量の差は、数年たてばかなり大きなものになります。
しかし、その差は表面には出てきません。
この表面に出てこないところに、本当の実力があるのです。
作文も読書と同じです。
毎週1回作文を書く子と、学校の宿題が出たときだけ作文を書く子との、考える力の差は数年立てばかなり大きなものになります。
その考える力とは、その子の内面を豊かにする力のことです。
読書や作文と並んでもう一つ大事なことは、自分で主体的にやってみることと、何かに熱中する経験です。
与えられたことを与えられたとおりにやるのは、時間がかかりません。だから、能率よく見えます。
勉強の多くは、こういう能率のよいやり方で組み立てられています。
これに対して、子供が何かに興味を持ち自分から進んでやろうとすることは、無駄が多く、遠回りのことばかりやっているように見えます。
しかし、この経験があとで生きてくる本当の実力になるのです。
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「勉強をコントールする力をつける――そのための親の勉強観」
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今、子供たちの身の回りには、さまざまなやらなければならないことが押し寄せています。
それは、大人も同様です。
最近、時間が不足するという人が増えているのは、生活の本質に関係のないような雑事があまりにも増えてきたためです。
大人の場合は、それでも自分で計画を立てて自分の生活をコントロールすることができます。
しかし、子供はこれからそういうことを学ぶ時期にいるのですから、自分で生活をコントロールすることはまだできません。
だから、親が子供に、大事なことで継続することと、大事でないことで適度に抑制することを教えてあげる必要があります。
それは食べ物の好みのコントロールと同じで、子供が好きな甘いものばかり食べさせるのではなく、野菜などもきちんととることをすすめることと共通しています。
子供の時間のコントールを考えるときに、大事になってくるのが、親の勉強観です。
学校や塾で言われたとおりにやっていると、子供の勉強時間はどんどん長くなります。
どの先生も、自分の教えていることが大事だと思っているからです。
その結果、誰からも何も言われない読書の時間が削られてしまう子も多いのです。
小学生のころは、長い目で見れば、勉強よりも読書の方が大事です。
今の成績をよくすることに追われて、読書を後回しにしている子は、かえってあとで伸びなくなります。
例えば、漢字の書き取りテストなどをすれば、出来不出来の結果がすぐに出ます。
結果が出るものは、誰でもつい優先してしまいます。
しかし、読書はしてもしなくても、結果として出てくるものはありません。
だから、読書は置いておいて、まず漢字の勉強をということになってしまいがちなのです。
両方できるのがもちろんいいのですが、どちらが大事かと言えば、明日の漢字のテストより今日の読書の方です。
これは、異論のある方も多いと思いますが、これまでいろいろな子供たちを見ているとそういうことがわかるのです。
だから、親は、できるだけ長期的な視野で子供の成長を考え、子供の生活時間を考えていく必要があります。
思考発表クラブでは、毎週、子供たちに今読んでいる本を紹介してもらいます。
互いの本の紹介が刺激になるのか、どの子もいい本を選んできます。
こういう読書を柱とする勉強をしていくことが、将来の子供たちの大きな力になっていくと思います。
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勉強の結果は、外からすぐ見えます。だから、多くの人は勉強を先に考えてしまいます。
しかし、本当に大事なのは、その子の内側を豊かにすることです。
それが読書と作文と経験です。
子供が成長してから大切だったとわかるのは、成績ではなく内面の豊かさの方なのです。
大きな山があり、その狭い一本道をみんなが競争して登っていったというのが、工業時代の教育でした。
文化時代の教育は、そうではありません。
一人ひとりが自分の個性の山を、特に誰とも競争する必要はなく登っていけばいいのです。
その登っていく途中で、ツールとしての学力が必要になります。
その学力をつけるのが勉強であって、勉強自体が競争の目的ではありません。
子供の教育を考えるとき、親や先生のそういう大きな教育観が必要になると思います。
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今回の記事は、遠い未来の話まで含めたビジョンです。
言葉の森の教育の目標は、子供たちの個性、知性、感性を育てることと、日本を守りよりよい国にしていくことです。
その二つを両立させるビジョンが、ひとことで表すと、「明日の日本を支える子供たちを育てる」という言葉です。
子供たちの学力や人間性や創造性を育てることと、日本を守り発展させることを、次のような形で実現していきます。
まず当面は、オンラインの作文や学習を進め、本当の役に立つ学力を育てる教育を行っていくことです。
その背景には、現在の受験学力が本当に役立つ学力になっていないという考えがあります。このことは、またいつか書きたいと思います。
将来、このオンラインの少人数クラスの教育は、そのままオンラインの学校になるようにして行く予定です。
多数の少人数クラスが集まった形が、一つの学校になるということです。
この少人数のオンラインクラスを支える先生は、森林プロジェクトのメンバーです。
小中学生の子供たちの教育で最も大事なのは、教える先生の人間性です。
人生経験のある高い理想を持つ先生が、子供たちの共感力や文化力を育てることが第一の条件で、その先生の学歴などは関係がありません。
むしろ、関係がある経歴としては、学歴ではなく職歴の方です。
このオンラインの少人数クラスを統合したオンラインの学校は、オフラインの「森の学校」と連携するようにします。
森の学校は、自然の豊かな田舎に作り、オンラインで学ぶ子どもたちが年に何回かその森の学校で交流できるようにします。
そして、森の学校の周辺に子供たちや先生たちが継続的に集まるようになれば、そこが学問や教育を核にした一つの町になっていきます。
ちょうど城下町や門前町と似たような経過で、学校を中心に輪のように形成される町で、学輪町というようなものになっていくのです。
その学輪町で進めていくことが二つあります。
一つは、子供たちの創造的な教育を、よりリアルな形で行うことです。
オンラインでは十分にできない様々な設備や素材を用意して、そこで子供たちが実際の手作業で創造的なものを作る環境を作っていくのです。
この創造は、子供たちだけでなく、大人も行えるので、ここから創造的なリアルなものの生産が生まれます。
もう一つは、子供たちを教える森林プロジェクトの先生が、自分の得意な分野を生かして新しい教育科目を作っていくことです。
江戸時代に様々な新しい文化が生まれたように、これからの時代は既存のメジャーな文化に限定されない個性的で多様な文化が生まれる時代になります。
限られた科目で全員が同じゴールを目指して序列化されるような社会ではなく、各人が自分の個性と関心を生かしてその個性的な分野で第一人者となるような文化の多様化の時代がこれから生まれるのです。
そして、その創造的な文化は、その文化を教える仕組み自体がひとつの産業になり、日本の経済発展に寄与していくことになります。
これが、創造文化教育産業です。
このようにして、日本の国内で軌道に乗った「森の学校」や「森林プロジェクト」のシステムを、次は世界に輸出していきます。
その際に、システムを輸出するだけではなく、そのシステムの根底にある日本の文化というものも世界に広げていくのです。
それは、日本の文化をそのまま他国に広げるというのではなく、日本の文化の精神を他国の文化を活かす形で広げていくということです。
世界が日本のような国になれば、地球はもっと平和で穏やかで創造的で幸福な星になっていくと思います。
さて、日本の国土面積は、海洋まで含めると世界第6位です。
「日本の国土面積は約38万k㎡で世界61位。しかし領海と排他的経済水域(EEZ)は計447万k㎡で、海の広さなら米国、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダに次いで世界6位だ。日本の近くには深い海が多く、EEZ内の海水の体積で比べると世界4位という計算もある。」(朝日新聞Globeより)
中国が、ユーラシア大陸に向けて現代のシルクロードを作ろうとしているように、日本は、東に広がる海洋に向けて新しい日本列島を作っていくことができます。
その新日本列島を形成する土地は、メガフロートです。
数多くの新しい島が海洋に作られ、それらの島がそれぞれ独特の特区を形成できるようにすれば、そこでさまざまな社会や文化の実験が行なわれます。
そこで、旧来の日本では既得権益のためにやりきれなかった新しい試みを次々に実現していくのです。
このようにして、日本だけでも、新しい社会のビジョンを作り、更にそれを世界に広げていくことが、日本をよりよい国にしていく展望です。
この創造教育と日本教育の世界化と並行して行なっていきたいのは、人間の幸福を育てることを目標とした心身教育です。
これまでの人類の歴史を見て、イエスキリストやブッタや聖徳太子や空海のような様々な優れた人物が実際に存在していたことを考えると、あらゆる人がそのレベルまで達するような教育が生まれる可能性はいつか実現すると思います。
そのときにこそ、地球が、この広大な宇宙の中で、真に生命の理想を実現する惑星になっていくのだと思います。
図は、森の学校の前身となる夏休みの那須合宿教室のイメージです。(馬はまだいません。プールもまだありませんが。)
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今回の記事は、超長期のビジョンです。
しかし、こういういい世の中が意外に早く来るのではないかという気がします。
人間の思いついたことは、いつか必ず実現します。
足元は見ずに、いつも遠くの山の向こうを見て仕事をしていきたいと思います。
いい世の中を作るのは簡単です。
みんながいっせーのせで、いい人間になればいいだけだからです。
理屈の上では何も困難なことはないので、何千年たってもそうならないのは、自分の利益だけを考える気持ちがまだ人間の中にあるからです。
だから、これからの教育に必要なものは、受験学力ではなく、本当の学力、共感力、文化力、創造力になると思います。
エゴイズムは、もちろんあってもいいのです。
しかし、誰かが言ったように、「我もよし、人もよし、我の方がちょっとよし」ということでやっていけばいいのです。
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算数や数学の問題で正解を答えるというのは、解法のパターンさえ理解すれば誰でもできます。
しかし、その問題を自分で作るとなると、ただ数字を入れ替えるだけでもかなり難しい勉強になります。
というの、は問題集に載っているような問題の多くは、すっきりした答えが出るように作られているのに対して、自分で作る問題はその答えがすっきりするようなところまでなかなか行かないからです。
国語の問題の場合も同じです。
大学入試センター試験で高得点を取るのは、問題文を緻密に読み取る練習をすれば誰でもできるようになります。
しかし、そういう緻密な読み取りを必要とする選択問題を作るのは、問題を解くことの何倍も難しいのです。
考える力のある生徒は、この問題を作る勉強の方に関心を示します。
それは、問題を解くことが、狭い決められた道を歩くような作業であるのに対して、問題を作ることは、自分の持っている力を総動員できるからです。
問題に答える勉強であっても、穴埋め問題や選択問題より、記述式の問題の方が記入の自由度が高まります。
そして、実力のある生徒ほど、記述問題の方を好みます。
ところが、採点する側にとっては、選択問題や穴埋め問題は機械的な作業で採点できるのに対して、記述問題や作文小論文問題は採点に非常に手間がかかります。
しかし、子供たちの真の学力向上を考えた場合、たとえ採点の手間がかかっても、子供たちが自分で考える形の勉強をすることが大事です。
これからの少子化は、むしろこういう充実した勉強をするために有利な条件になると思います。
言葉の森で行っている作文の勉強は、答えのない勉強です。
新しく始めたオンライン発表学習も、答えのな勉強です。
答えのない勉強は、ある意味で手を抜くこともできます。それが、かつてのゆとり教育のマイナス面として指摘されたことです。
しかし、今言葉の森で行っている発表学習クラスの多くは、毎回かなりレベルの高い発表をしています。
このレベルの高い発表学習を普遍化することが、これからの日本の教育の課題になると思います。
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解ける問題を喜んで解く子は、解くことが嬉しいというよりも、答えが合っていて褒められることが嬉しいのだと思います。
本当は、解ける問題を解くというのは、面白くも何ともないことです。
面白いのは、何ができるかわからないが、自分で作ってみるという創造性のある問題の方です。
そういう本来の勉強に触れる機会を増やしていきたいと思っています。
算数や数学の問題を作ってみるとわかりますが、本当は世の中には、すっきりした答えの方が少ないのです。
自分で問題を作るというのは、自分がこれまでやってきた勉強の世界が実は人工的なものだということを知る上でプラスになると思います。
そして、そういう子は、模範解答を探すよりも、自分で模範解答を作り出すようになるのです。
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