アインシュタインの伝記の中に、こんな話がありました。
アインシュタインは、当時のドイツの自由のない学校生活が嫌いでした。
しかし、学校で勉強をすろかわりに、家で叔父さんに数学の代数などを教えてもらうことによって、勉強の面白さに目覚めたというのです。
また、バイオリンの先生が厳しかったために、バイオリンを習うことがを嫌いでした。
しかし、家で母親と一緒にバイオリンを遊びで弾いているうちに、音楽の楽しさに目覚めたというのです。
このときの家庭の雰囲気は、目標に向かってがんばるというものとは対極のものだったでしょう。
点数を上げるためにとか、試験に合格するためにという目標を持って習うのではなく、習うこと自体の楽しさがあったから自然にそれを身につけていったのです。
子供の読書や勉強についても同じことが言えます。
親は、子供に「勉強をさせる」とか、「本を読ませる」とかいう発想をしがちです。
しかし、勉強も、読書も、本当は楽しいものです。
それは、人間の知的好奇心を満たし、新しい世界を知る喜びに満ちたものだからです。
子供に「何かをさせる」というのではなく、親子で「勉強を楽しむ」「本を楽しむ」という考え方をすれば、新しい可能性が広がってきます。
勉強も、読書も、子供時代だけのものではありません。
親も勉強と読書を楽しむことによって、子供と共通の土俵で親子の交流をしていくことが、これからの家庭文化のひとつの理想の姿になると思います。
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発表学習クラスの話ですが。
親子で勉強するのは、楽しいが大変だという声もよく聞きます。
しかし、その大変さというのが、創造する大変さであれば、その大変さもやはり楽しいことなのです。
創造する勉強は、学校で教わるだけの勉強よりも、子供たちにいろいろなものを残していると思います。
苦しいのを我慢してやるものが勉強だと思っていれば、子供は成長して、勉強嫌いになります。
楽しく創造的なものが勉強だと思っていれば、子供は一生勉強好きになります。
だから、子供が小さいときこそ、親の勉強観が大切になるのです。
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暗唱の勉強を始めたものの、途中で難しく感じてだんだんやらなくなるということがあると思います。
家庭学習の長所は自分のペースで勉強できることですが、短所は、親と子の間でなれあいというか、妥協が生まれてしまう場合があることです。
発表学習クラスで、暗唱の練習を選択した生徒は、先生が毎週暗唱のチェックをするので、そういう親子の妥協が生まれにくくなります。
親の方も、ただ「暗唱しなさい」と言うよりも、「来週先生にチェックしてもらうのだから、暗唱しなさい」と言う方が言いやすいですし、子供もその方が納得できます。
また、逆に、親が子供に勉強をさせすぎているようなとき、先生が、「そんなにやらなくていいですよ」と、親子の緩衝の役を果たす場合もあります。
実は、こちらの方が多いような気がします(笑)。
1対1の勉強は、どうしてもやりすぎたり、やらなさすぎたりしがちです。
親と子と先生との二人三脚でバランスよくやっていくのが、これからの子供の勉強のスタイルになると思います。
そのためにも、今後は保護者懇談会や保護者面談をできるだけ気軽に頻繁に行っていきたいと思っています。
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子供がどういうところで賢くなるかというと、それは勉強によってではなく、親子の対話と、読書と、子供自身が熱中できる何かによってです。
だから、家庭学習も、ただ勉強させればいいということではなく、親子の対話に結びつくような形で勉強を進めていく必要があるのです。
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寺オン作文クラス発表学習クラスの5.3週の授業の動画をアップロードしました。
この動画を見て、次の週の予習をしてください。
授業の動画は、youtubeなどを引用しているものが多いので、限定ページに入れています。
ハイパー作文の授業の動画は、特にyoutubeなどの引用はなく授業だけですので公開しています。
▽ハイパー作文中学入試5.3週
https://youtu.be/KxfcCKfcejc
▽ハイパー作文高校入試5.3週
https://youtu.be/m5H6GouoJiA
これは、作文を書くというよりも、実際の入試問題を見て、お父さんやお母さんと話し合うための資料として使ってください。
入試の作文は、生徒の持っている知識だけでは十分な実例が書けませんから、父さんやお母さんと話し合いをすることが、普段の作文以上に大切になります。
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5.3週の予習の動画をアップロードしました。
国語、算数・数学、理科とも「解く問題」ではなく、「作る問題」を中心とした授業です。
百点のない勉強なので、自分でやれるところまでやるという形になっています。
これは、作文も同じで、漢字の読み書き問題は百点がありますが、作文は作る勉強ですからそういうものがもともとありません。
だから、ここで本当の勉強力というものが出てくるのです。
国語と理科は、真の学力と相関の高い教科だと言われています。
確かに、本当の意味で勉強が好きな子には、国語と理科が好きな子が多いようです。
両方の教科に共通するのは、いくらでも想像をふくらますことのできる自由度があることです。
反対に、いちばん自由度がなく面白みのない勉強は、国語の文法ではないかと思います(笑)。
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久しぶりに、森林プロジェクトの交流会を行います。
この森プロ交には、まだ講師資格講座を受講していない方も含めて、森林プロジェクトに関心のある方はどなたでも参加できます・。
参加者が集まった時点で、テーマを決めてテーマ別に分科会形式で行います。
ですから、5、6人の少人数でじっくり話ができるとい思います。
参加される方は、一応コメント欄に書いておいてください。
(既に以前の連絡でコメントに入れてくださっている方はそれでいいです。)
会場は、言葉の森のホームページ→生徒ページ→中庭です。
中庭というのは、Zoomの会場です。
いつでも入れるので、初めての方はテスト接続をしておくといいと思います。
▽日時
5月9日(水)20:30~
▽中庭
https://zoom.us/j/156334327
・カメラはオフのまま参加してくださって結構です。
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日本の教育をもっとよくしたいと思っている方、大歓迎。
自分たちのできることからやっていきましょう。
今後、森林プロジェクトと寺子屋オンラインを結びつけることで、より大きな可能性が広がると思っています。
というのは、寺子屋オンラインであれば、実地の研修などもできるようになるからです。
これからの日本の教育をよくするためには、より多くの人の参加が必要になります。
まだ準備段階ですが、新しい未来の教育を目指してともにやっていきましょう。
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「氷川清話」に、こういう話が載っています。
海舟が若いとき、英語の勉強をしたいが辞書を買う金がないので、辞書を持っている人からその辞書を借り、夜中に全部書き写したというのです。
日中は仕事をしている身です。暖房もない寒い部屋で、夜中にひたすら辞書を書き写し、翌朝、その辞書を借りた人に返し、また次の日の夜中に借りて書き写したのです。
そして、1冊まるまる書き写したあと、それを売って生活の足しにし、もう1冊を自分用に書き写したということです。
私は、これを読んだとき、今のコピー機がある時代だったら、こういう苦労はしなかっただろうと思うと同時に、辞書を2冊も書き写すという気迫が、新しい時代を切り開く力と共通のものだと思ったのです。
このことでよく考えるのは、今の生活には、わずらわしい苦労がたくさんあるということです。
頭で考えれば数秒でわかることが、手で作業をするとなると、何時間も時には何日もかかります。
しかし、これが三次元の世界の特徴です。
私たちは、時間と空間のある世界に生きているので、時間と空間を経過しなければ目標に到達することはできません。
このことが不便であるとともに、これが実は創造の源でもあるのです。
子供たちの勉強でも、頭で考えて理解すれば、今のテストの範囲ではすぐできるようになることが、手で作業をするとなると、長い時間がかかります。
そして、手を使った作業は、時には間違えたり失敗したりします。
しかし、この無駄な遠回りのように見える時間が、本当は、子供たちが勉強を生きている時間なのです。
それは、勉強に限らず、仕事や人生についても言えることだと思います。
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今の時代は、能率が価値あることと思われています。
しかし、能率だけを考えると、結局人間は全部機械で置き換わった方がいいということになりかねません。
能率の対極にあるものが個性です。
個性とは、単に人と違うことではなく、その人がその人として生きる原点のようなものです。
プログラミングの仕事をしていると、ほんのちょっとした変更が、システム全体の大改造につながることがよくあります。
簡単な思いつきを実現するだけでも、すぐに数時間、場合によっては数日もかかってしまうことがあるのです。
こういう経験から、プログラミングは、自分の仕事としてやる分にはいいが、人に頼まれてやるものではないとつくづく思ったことがあります。
しかし、たぶん、将来は人工知能が、こういう面倒なことはやってくれるようになります。
大事なことは、プログラミングの技術を身につけることではなく、思いつきができる人間になることだと言われるような時代が将来やってくるのだと思います。
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言葉の森のスマホアプリは、今回アップルが新しい登録の仕組みにするために、やむをえず終了することになりました。
これまでご利用くださったみなさん、ありがとうございました。
なお、言葉の森のアプリは、ウェブで代替できるものがほとんどでしたので、今後アプリの更新は考えていません。
生徒や保護者や関係者のみなさんとは、ホームページやfacebookやメルマガやオンライン懇談会などで情報交換をしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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言葉の森のスマホアプリを終了します。
昨日まで新しかったことが、今日には古くなっているような感じで、世の中の変化はかなり速いというのが実感です。
これから新しく出てくると思うのが、既に何人もの方が言っていますが、自動翻訳で世界中の人が言語の壁なく会合できるようになることです。
だから、これからの新しいトレンドは、特に日本の場合、海外への発信になると思っています。
言葉の森のスマホアプリは、これまであまり活用していませんでした。
それは、私(森川林)がスマホをあまり使わず、ほとんどパソコンで仕事をしていたためです。
将来は、スマホとパソコンを超えたデバイスができると思います。
それは、googleグラスのようなもので、空中に仮想のキーボードや画面があるという形になるのではないかと思っています。
いつごろできるかなあ。
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小さな修正や追加が続いたために、わかりにくくなっていた「寺子屋オンライン」の案内を全面改訂しました。
内容的には大きく変わったことはありませんが、これから参加する人にもわかりやすくなるように名称を統一しました。
少人数クラスの作文は、「寺オン作文コース」としました。
少人数クラスの学習で、これまで思考発表クラブや自主学習クラスとしてやっていたところは、「寺オン学習コース」としました。
オンラインで行う個別指導の作文で、これまでオンライン作文としてやっていたところは、「ウェブ作文コース」としました。
オンラインで行う個別指導の自主学習で、これまでオンライン自主学習としてやっていたところは、「ウェブ学習コース」としました。
この変更に伴い、これまで通信作文コースと呼んでいたところは、「電話作文コース」と呼ぶことにしました。
通学作文コースは、これまでと同じ「通学作文コース」です。
| 個別電話指導 | 少人数寺オン指導 | 個別寺オン指導 | 個別通学指導 |
作文 | 電話作文コース | ■寺オン作文コース | ■ウェブ作文コース | 通学作文コース |
学習全般 | | ■寺オン学習コース | ■ウェブ学習コース | |
「寺子屋オンライン案内」の方は、わかりにくいところを修正しましたので、読みやすくなっていると思います。
https://www.mori7.net/teraon/
▽「寺子屋オンライン案内」の最後のページの記事の引用です。
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■■江戸時代の寺子屋の光景
江戸時代の寺子屋の特徴は、次のようなものでした。
1.男女貧富の差なく、誰でもが勉強に参加できた。
2.子供たちは、時にふざけたりいたずらしたりしながら、自由にのびのびと勉強した。(画像の中に、いたずらをしながら勉強している子供たちが何人も描かれています)
3.勉強の中心は、素読、書写、算盤などで、先生が講義するよりも、子供たちが自学自習で取り組むものが中心だった。
この寺子屋教育によって、日本は当時世界一の識字率を誇り、それがのちの日本の急速な近代化を可能にしました。(当時の日本の識字率70~80%、同時代のヨーロッパ先進国の識字率20~30%)
この寺子屋教育の本質はひとことで言えば、子供の自主性の尊重と、子供・家庭・地域の信頼関係に基づいたつながりでした。
言葉の森の寺子屋オンラインは、この江戸時代の寺子屋教育の本質を現代の科学技術と教育文化の中で再生しようとするものです。
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これからの教育で大事になるものは、真の学問を学ぶ力、家庭力、文化力、創造力を育てることだと思います。
ところが、今の教育は、受験力、順応力、点数力、競争力をつけることに偏っています。
そして、真面目でよくできる子ほど、その古い教育に過剰適応しているように思います。
東大の推薦入試や京大の特色入試がその理念として求めているような子を育てることが、これからの新しい教育の目標です。
(それは、合格するテクニックを身につけるという発想とは対極にあるものですが。)
これからの子育てのイメージをひとことで言うと、全教科がよくできているだけではだめなのです。そういう人は世界中にたくさんいるからです。
どれか一つの教科が飛び抜けてよくできているでもダメなのです。そういう人もたくさんいるからです。
だれもやっていないようなことに熱中していることが第一の条件です。
第二は、その上で全教科も一応はできているということです。
そして、その土台の上で、社会に出たら大きな冒険をするのです(笑)。
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現在の教育界のいちばんの問題は何かと言うと、過ぎ去りつつある過去の教育に多くの人が過剰適応していることです。
その一方、これからの世の中で要求されるようになる教育を、多くの人が夢物語のように考えていることです。
この変化は、ここ数年急速に進んだことなので、まだ実感を持って考えている人は多くありません。
教育の現場に近い人よりも、一歩離れた場所にいる人の方が未来を確実に予測しているように見えます。
落合陽一さんの「日本再興戦略」という本を読んだとき、私が普段思っていることが、より正確に、より説得力を持って書かれていると思いました。
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しかし、すぐにこの新しい教育に進もうとすることは、当事者にとってリスクが高いと思われると思います。
だから、今の教育で成果を上げつつ、未来の教育も担保するという二正面の教育を行っていく必要があります。
その未来の教育の最も重要なポイントは、創造力を育てる創造教育です。
そして、その創造教育の基盤になるのは、創造性を大切にする家庭文化です。
思考発表クラブ(寺オン発表学習クラス)の生徒たちの発表を見ていて、家庭の文化の創造性ということをしばしば感じました。
旧世代の人にとっては、「そんなことに時間をかけるよりも、もっと能率よく答えの書いてあるものを読んで覚えればいい」というような実験や観察を多くの子供たちが生き生きとやっていました。
こういう子供たちが、これから学力をつけて、世の中に新しい価値を創造していくのだと思います。
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過去の教育の目標は、人間が歩く辞書になることでした。
そういう科挙的な教育が、AIに取って代わられるようになることがわかったのは、ここ数年の話です。
その端的な例が、囲碁ソフト、音声認識、google翻訳などの急速な精度の向上です。
しかし、その歩く辞書を超えた教育の目標をまだ多くの人が持っていないように思います。
学校や塾や予備校は、答えのあることを教える機関です。
その答えが目的で、子供はその答えに近づくための手段でした。
しかし、本当は子供自身が目的です。
そういう子供自身を目的として見る見方は、家庭でしかできません。
これが、家庭教育の考え方です。
学校半分、家庭半分がこれからの教育の姿なのです。
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