作文の勉強は、通信教育で行われていることが多いと思います。
通学形式の作文教室ももちろんありますが、これは運営が少し難しいところがあります。
それは、進度の異なる複数の生徒を同時に教えるカリキュラムのないところが多いからです。
言葉の森の場合は、もちろんその進度別のカリキュラムがあります。
言い換えれば、言葉の森が日本で初めて小1から高3までの進度別の作文指導のカリキュラムを作ったということです。
しかし、そういう指導の流れがはっきりしている教室の場合でも、通学教室では、ひとりでもおしゃべりな子がいたり、質問ばかりする子がいたりすると、教室全体の運営が難しくなります。
作文の勉強というのは、言葉を使った考える勉強なので、ほかの教科の英語、数学などの勉強に比べると、言葉の雑音にきわめて弱いところがあるのです。
ですから、家庭で作文を書く場合でも、テレビの音声が背後で流れているような環境では、高学年の作文はまず書けません。
そういう静かな環境を作るという点で、通学教室は運営が難しくなるところがあるのです。
通信教育は、家庭で個別に行う学習ですから、家庭内で雑音がない状態を作れば、通学教室のような問題はありません。
しかし、その分、通信教育は強制力がないので、続けにくいという問題も出てきます。
子供が小学4年生のころまでであれば、作文の課題もそれほど難しくありませんし、何よりも親の言うことをまだよく聞く年齢ですから、提出が滞るということはあまりありません。
しかし、小学校高学年になり、中学生や高校生になり、生徒本人の自主性に任せて勉強するような年齢になると、通信教育の強制力のなさが次第に表面化するようになってくるのです。
これまでの通信教育は、たとえ言葉の森の電話通信指導であっても、先生からの電話の説明のあと、作文を書き出し、書き上げるのは本人の自主性に任されていました。
そのため、電話の説明をよく聞いていても、実際の作文は書き出せず、翌日以降に持ち越してしまうという生徒がよくいました。
ところが、今回、言葉の森が始めた寺子屋オンラインという少人数の通信指導では、この問題が根本的に解決する道筋が見えてきました。
寺子屋オンラインは、当初、子供たちの作文を発表し合うという形で進めていました。
正確には、作文を発表し合うというよりも、作文の準備を発表し合うということで、予習シートや構想図の発表、そして読書紹介などを中心とした運営をしていました。
しかし、発表だけで1時間近く取って授業が終わってしまうと、そのあとの作文は、本人が別の時間に独自に取り組まなければなりません。
これは、高学年の難しい作文を書く生徒にとっては、やや負担の大きいことになります。
そこで、今度、寺子屋オンラインの少人数クラスでは、学年別の個別指導と、それに並行する形での作文実習を中心に行う形にしました。
発表の方は逆に短時間にし、読書紹介などを中心とするものにとどめ、作文の発表と交流は月に1回の発表交流会で行うことにしました。
この形であれば、学年別の個別指導は、電話通信の個別指導と同じで、しかも同じ学年の他の生徒の準備も聞けるので、より充実した内容になります。
そして、その個別指導が終わったあとは、その場で会場を移動して作文実習を始めることができます。
1時間の授業の終わりには、全員が再び集まり、どこまで作文を書いたかということがチェックできます。
そのあとその作文を書き終えるまで、その会場にいるというようにすれば、作文を書き出す率は百パーセントで、最後まで書き上げる率も百パーセントに近いものになります。
通学教室の利点は、提出率百パーセントということです。
そのかわり、通学教室では、集中して作文を書けない状況がたまに生まれることがあります。
集中して学習できるというのは、通信教育の利点です。
そのかわり、強制力がないので提出率が低下するというのが通信教育の弱点でした。
寺子屋オンライン方式の少人数クラスは、この通信教育と通学教育の両方の利点を生かし、両方の弱点を解消できるものになります。
また、寺子屋オンラインクラスの更に優れたところは、全国の生徒が対象ですから、生徒数が多くなればなるほど、学年別・進度別の指導がしやすくなることです。
そのかわり、少人数指導の運営をするための独自のノウハウが必要になりますが、これはシステムをプログラミングすれば何とかなります。
現在、作文指導とは別に行っている発表学習コースでは、読書好きで独創的な生徒が集まり、毎回充実したコミュニケーションを交わしているクラスがいくつもあります。
これから、寺子屋オンラインの少人数作文クラスが多くなれば、そういう燃える作文クラスというものも多数生まれてくると思います。
このために、現在、寺子屋オンラインクラスの作文を指導できる、言葉の森の講師資格を持つ先生をウェブで募集しているのです。
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先生の電話指導を受けたあとも、作文がなかなか書き出せないという生徒がこれまではいました。
しかし、オンラインの少人数クラスなら、もうそういうことはありません。
作文を書き終えるまで、そのクラスにいなければならないし、ほかの生徒も先生も一緒にいるので、自然に作文を書き出す環境が整っているからです。
今後、寺子屋オンラインに参加できる生徒を増やし、学年別・進度別のクラスを増やせば、そのクラスでの毎月の発表交流会も充実したものになると思います。
技術革新の進歩が速いので、一度作ったやり方も次々に変えていかなければなりません。
こういうのを面白いと思う人と、大変だと思う人に大きく二つに分かれると思います。
言葉の森は、もちろん面白いと思う方なので、一緒にやっている人は大変です(笑)。
そして、このあと更にAIの飛躍的な進歩があるので、今常識に思われていることも、これから大きく変わってくると思います。
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毎月4週目の清書をパソコン入力で送ってもらった場合、自動的に森リン採点が行われます。
その森リン点が最も高かった作品が森リン大賞となります。
小学4年生以上でローマ字入力ができる人は、自分でパソコン入力する練習をしていくといいと思います。
パソコン入力(タッチタイピング)の練習の仕方は、
1.それぞれのキーを打つ指を決めて入力するようにします。
2.自分の好きな歌を1曲歌いながら、その歌詞を入力するようにします。(これならテキストなどを見ずに、パソコンの画面だけ見て入力を続けることができます)
3.毎日10分を目安に続けます。(上達のコツは、短い時間でも毎日続けることです)
4.全部打ちきれない場合は、続きをお父さんやお母さんに打ってもらいます。
これで、すぐにパソコン入力が上手にできるようになります。
今は、音声入力で作文を書いている人もいます。
中学生の人などで時間がないときは、音声入力を利用して作文を仕上げていくといいと思います。
▽音声入力の仕方はこちらの記事で。
https://www.mori7.com/index.php?e=3322#e3322
■
■8月の森リン大賞(小5の部123人中)
「痛い」のあとには楽しみがある。
幸村
「熱いよー。痛いよ-。」
ぼくが三年生の頃、災難がぼくに降り注いだ。友だちと庭で花火をして遊んでいたら、誰かがけったロウソクがぼくの足に当たった。あまりに熱くて大泣きした。近くのプールにあわてて飛び込んだがなかなか冷えない。急いで車に乗って、亀田総合病院に行った。「あ、かめだ。」<だじゃれ>
ここで、友だちの父親で心臓外科医の先生に
「このきずあとは、死ぬまで残るよ。」
と言われてしまった。ぼくはショックで頭がまっ白になった。そして、悲しみを感じた。死ぬまできずあとがのこるなんて信じられない。けれども、悪いことばかりではなかった。ふつうは入れない病院の裏側を見れたり、幸いにも友だちのお父さんが医者で近くに病院があったりしたから、ひがいも少しはおさえられたにちがいない。しかし、まるであざのようなきずあとは消えていない。
祖母に、
「痛かった思い出ある?」
と聞いた。すると、
「小学六年生の時に、廊下を大急ぎで走っていてね。それで、角で小さい子とぶつかっちゃたな。向こうは頭だったから『あまり痛くない。』と言っていたけれども、わたしは鼻で一週間以上あざが出来ちゃった。それから廊下は走らないようにしたよ。」
と思い出しながら教えてくれた。ぼくも、痛い思いをしながらも学んだことはある。よそ見をしながら、階段を下りていったらつまづいて転んでしまった。それからは、階段を上り下りするときはよそ見をしないようにしている。
ぼくは痛みを感じるメカニズムを調べてみた。刺激を受けた皮膚は未末梢神経に信号を送る。そして、伝わった刺激は神経線維を通り、感覚神経を通じて脳に伝わるのだ。痛みとは人に警戒心を持たせて危険から生命を守る危険信号であることも学んだ。
ぼくは、人間にとって痛みとは苦しみと楽しみをそろえた試練だと考える。この試練を達成したときに楽しいことや新しい発見があるものだ。花火のように、時にはリスクがあっても、それを体験したときに新たな発見へとつながることもある。痛みを感じるということで、人は自分の生命を守るのである。
■8月の森リン大賞(小6の部123人中)
親孝行をいつかしたい
らるせ
「じゃあ行くよー。」
私の家族はこの間、兵庫県の宝塚市に家族で旅行に行った。なぜ宝塚になったのかというと、私がだいの宝塚歌劇団のファンで、まだ本場の宝塚市でミュージカルを観たことが無かったから行けることになった。それが決まってミュージカルのチケットが取れたと聞いた日、私は嬉しくて何もできなかかった。そして、朝8時の便の飛行機に間に合うように朝早く家を出た。
2~30分後。羽田空港の駐車場に到着した。
「見えたー!」
心の中で叫んだ。
空港が見えた時、私は宝塚にやっと行けるという、ワクワク・ウキウキした気持ちが込み上げてきた。朝早かったから、家ではなく空港でご飯を食べた。そして荷物、つまりトランクを預けに行った時。私たちが予約していた飛行機がエンジン不具合のため運休になってしまったという話を聞いた。家族そろって一瞬動きが止まった。まるで銅像のように。思わず父は何回も聞いていた。
「本当に運休なんですね。本当なんですよね。じゃあ、次の便の飛行機には乗れますか?ちょっと探していただけますか?」
凄く慌てていた。そうでないと、兵庫(大阪)に着いてからの予定が狂うからだ。あーまた始まる。何が始まるかというと、夫婦喧嘩だ。私は運休という言葉を聞いたとたん、始まると思った。
「あなたがゆっくりご飯を食べているから~~ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・・・・」
次に言い訳をする父
「だって~~ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・・・・」
「もうしょうがないじゃん!!!」
私がけんかをおさめる。そこにいた担当の人もこの状況を見て困っていた。・・・・・・・・・1時間後。次の便の飛行機に席はバラバラだが乗れることになった。これを聞いた父と母は安心したようだ。1時間前は喧嘩していたのに、今となってはもう仲良しだ。このように喧嘩する二人だが、喧嘩をしないと父はすごく面白い。変な面白くない冗談を言ったり、虫みたいに不思議な行動をしたり。私の父はとにかく何をするかわからない。だからこそ、私の家族は充実していて、楽しいのだと思う。だから、たくさんの場所に連れて行ってくれたり、面白がせてくれたりする家族にいつか親孝行ができれば良いと思う。
こうして、旅行はあっという間に楽しく幕を閉じた。大好きな宝塚を観ることが出来たし、おいしいものも食べることが出来て最高の旅行だった。
人間にとって、家族とは大切な宝物で、励ましの存在であると思う。私にとても優しく面白く接してくれる人は、家族以外いないと思うから、これからもこの気持ちを忘れず家族を大切にしたいと思う。永遠にこのような雰囲気の家族でありますように。(笑)
■8月の森リン大賞(中1の部79人中)
チームワークを大切に
なっち
「がんばるぞ。」
私は、ときには「チームワーク」というものが、必要とされることは必ずあると思う。そして、一人では、絶対にできないこともあると思う。そんなときに、仲間というものが存在され、助け合い、喜びを分け合い、味わうものなのではないだろうか。私は、チームワークを大切にすること必要だと思う。
その理由は第一に、チームワークがなければ成り立たないことがたくさんあると思うからだ。例えば私は、小学六年生の運動会で組み立て体操をしたことがある。組み立て体操は、一人で行う演技もあるが、二人以上で行う演技の方が多い。サボテンやタワーやピラミットなどの技は協力しないと上手くできない。特に、クラス全員で作るピラミットはチームワークがしっかりしていないとできない。一人でもずれていたり、やる気がなかったりして心が一つになっていなければ素晴らしい演技にはならない。そのために、私のク
ラスでは、
「せえの」
という大きなピラミットを作ることにした。すると、最初はバラバラだったのがきれいに軽く乗れ、ピラミットを作れるようになった。作れるようになるまで、みんなで何回も練習し、苦労したがピラミットを作れたときはとてもうれしかった。運動会本番でもみんなで心を一つにしてピラミットを成功させることが出来た。私は、そのときチームワークって大切なんだと改めて感じた。チームワークがなければ成り立たないことはたくさんあると私は思う。そのときにどうやって心を一つにして行うことが出来るかということが大切だと私は思う。
その理由は第二に、チームワークによって味わえる喜びがあるからだ。例えば私は、小学五年生のときに毎年行われる球技大会でTボールというのをした。Tボールとは、野球を少し簡単にしたものだ。だから、野球なんてやったことない私にでもできるスポーツなのだ。一つのクラスで二チーム作って他のクラスと戦う。そして、一番強かったチームが優勝だ。私達のチームは、その優勝に向かって作戦を考えた。私のチームには、野球を習っている男の子が一人いた。その男の子を四番目に登場させ、満塁の所にホームランのように打ってもらうという単純な作戦だ。すると、この作戦が案外上手くいき、私たちの試合では得点版を暇にさせなかった。次の試合もその次の試合も相手のチームを負かし、私たちのチームは、なんと決勝まで来てしまっていた。私たちのチームワークは、みるみる高まっていった。私たちは、うれしくて円陣まで組んで決勝に挑んだ。すると私たちのチームは、相手チームにヒットすらまともに打たせず、私たちのチームだけどんどん点を入れていき試合は終了した。私たちは、あまりの嬉しさにみんなで大声で喜んだ。今、」私は中学生になったが、今でもあのときのまるで奇跡のような優勝は覚えている。私は、そのときチームワークにより、味わえる喜びがあることに気づいた。
確かに、個性をうずめて、チームワークを重んじるのは、良くないという意見もある。しかし、「よい友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。」という名言があるようにチームの輪を重んじながら自分も努力してチームを高める勇気が必要だ。だから、私はチームワークを大切にすることは必要だと思う。これから、チームワークを大切にしなければ成し遂げれないことがあれば、組み立て体操のときやTボールのときのように仲間と協力して成し遂げたい。
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近い将来、AIによる小論文自動採点の時代が必ず来ると思います。(もう、あるのかもしれませんが)
すると、入試の中身は、○×試験よりも作文試験の方が中心になるでしょう。
作文力の方が、○×の知識よりも、本当の学力との相関は高いはずからです。
しかし、この場合の作文力は、文学的な表現力よりも、経験力や思考力に近いものになります。
文章をこね回すような表現力ではなく、豊かな経験と深い思考が評価されるようになるからです。
森リン大賞は、小4までは作文を載せていません。1位の作文を掲載しているのは小5からです。
どうしてかというと、小4までの生徒のお母さんは、1位の作文とわが子の作文を比べて、必ず何かひとこと言いたくなるからです(笑)。
そして、それを言うことによってプラスになることは何もなく、かえってマイナスになることしか出てこないからです。
親は、自分の子を他人と比較せずに、自分の子のいいところだけを見ていくことが大事なのです。
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△水引草
寺子屋オンラインの授業は、今後、実習時間の確保、学年分け、定期テストなどの改良とともに、クラス数も増やして、誰でも利用しやすいようにしていく予定です。
ところで、この寺子屋オンラインシステムの拡充のためには、現在の言葉の森の講師の人数では間に合いません。
現在の講師はそれぞれ担当時間が埋まっているため、新しく時間を割くことが難しいからです。
そこで、更に多くの講師を、森林プロジェクトの寺子屋オンライン作文講師育成講座で募集することにしました。
その募集の前提として、言葉の森では、講師の役割を次のように考えています。
まず、勉強の重要な要素は、教室、教材、教師などだと考えられています。
しかし、私はいちばん大事なものは、一緒に学ぶ友達と、教育の目的だと思います。
今の学校や塾で行われている勉強の多くは、答えがある問題のその正しい答えを早く見つける勉強です。
そのため、答えを見つける勉強の発展した形は、難しい問題を解く勉強という方向に進みます。
それは結局、難しい問題を出すことによって子供たちに差をつけて評価することを目的としているからです。
しかし、勉強の本来の目的はそうではなく、すべての子供が必要な学力をつけることと、そしてその基本となる学力を生かして、創造的な学力を育てることです。
例えば、算数の問題でも、難問を解く力よりも、自分で新しい問題を作る力の方が重要になってくるのです。
創造力を育てるという勉強の目的にとって重要なのは一緒に学ぶ友達です。
子供たちは、勉強にしても、遊びにしても、他の人との関わりがあることによって意欲的に取り組めるからです。
こういう教育の目的を考えると、先生の役割というものはこれまでとは大きく違ったものになってきます。
これまでの先生は、教えることを中心とした仕事をしていました。
そのため、現在も学校の教科書は、教えることを前提にして作られています。決して、独学で学べるようには作られていないのです。
しかし、教科書以外の市販の問題集や参考書の中には、子供が保護者と協力して独学で学べるような仕組みのものも数多く作られています。
また、ネットを使ったビデオ授業のように、子供がその授業を視聴するだけで、新しい勉強の中身を習得できるようなものも増えています。
すると、先生の役割は、ますます勉強を教えるということからは遠ざかります。
そしてそのかわり、参加する子供たちの集団を活性化し、仲間はずれを作らず、みんなが協力し励まし合いながら勉強進めていくような、動的なクラスを作ることが重要な仕事になってくるのです。
もちろん、先生には、教える教科の知識があるに越したことはありません。
しかし、小中学校の義務教育の範囲の勉強は、大人であれば既に一度は学び終わった内容ですから、少し時間をかければ誰でもできるようになるのです。
寺子屋オンラインは、単に勉強を教える教育ではなく、従来の学力とともに新しい思考力・創造力・共感力・発表力を伸ばす教育として広がげていく予定です。
その寺子屋オンラインの少人数クラスをカバーする先生は、教える先生よりも、子供たちの集団を活性化する先生です。
そういう先生を、今後、
森林プロジェクトの寺オン作文講師育成講座で募集していきたいと思っています。
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今の教育は、次第にティーチングからコーチングの方向に向かってします。
先生が知っている知識を、その知識をまだ知らない生徒に教えるというのは、インターネットがなかった時代の古い教育です。
これからは、知識はそれぞれの生徒が自主的に習得し、その成果を互いに発表し合い、友達との交流の中で創造的に発展させるという学び方になってきます。
そういう時代の先生の役割は、これまでとは大きく変わったものになってくるのです。
寺子屋オンラインの少人数クラスは、通学教室よりも能率がよく、通学教室よりも友達と仲よくなれるクラスです。
しかし、その分、先生の勉強の進め方に工夫が必要になります。
今は、そのためのノウハウを蓄積しているところです。
ここで、ほかのところでは得られない、作文と発表を中心とした創造的な教育を広げていきたいと思っています。
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寺子屋オンラインシステムの運営で、第三に考えていることは、自主学習コースで、毎月、学年別の定期テストを実施することです。
テストの実施については、以前から行うことを考えていましたが、生徒の進度に応じてどのような形で行うかという仕組みづくりが難しかったので、実施が先延ばしになっていました。
自主学習コースの現在の教材は、誰でも入手しやすい市販の問題集で解説の詳しいものを中心にしています。
国語については、問題集読書を毎日続ければ必ず国語力が上がります。これ以外に国語力を上げる効果的な勉強法はないと言ってもいいぐらいです。
算数数学については、普通レベルの問題集が百パーセントできるようになれば、小中学校の算数数学もほぼ完璧にできるようになります。ほとんどの生徒は、難問の入っている問題集が八割ぐらいしかできないまま勉強を続けているから成績が上がらないのです。
理科・社会については、学校で教科書を中心に学ぶだけで十分です。小学校低中学年のころから、学校の教科に合わせて家庭で理科も社会もやるようにするから、いたずらに多忙になるのです。
基本的な問題集で自分のペースで勉強を続けられるという点で、自主学習コースは理想的な勉強スタイルなのですが、小中学生でまだ勉強の自覚がないうちは、できなかった問題もできたことにしたり、よくわからない問題もそのまま済ませたりということが起きてきます。
そのために、定期テストをしたいと思ったのですが、市販の教材のままだと、その教材を生かしたテストを作るのはかなり時間がかかります。(既に、小1から中3まで一応作ってはあるのですが、まだ問題数が少ないため)
そこで、個別指導の学習塾で使われていて定評のある問題集を、算数数学、英語に絞って取り入れることにしました。
国語については、現在の市販の国語問題集を引き続き利用し、テストについては、毎月第4週に読解マラソン集の読解問題を行うようにします。この読解マラソン集の問題で満点が取れれば、国語の読解力は完璧と言っていいからです。
算数数学と英語については、個別指導塾の問題集をもとにしてテストを定期的に行うようにします。これで、本人も保護者も学寮kの状況がより正確に把握できるようになります。
学校や塾のテストは、差をつけることを目的としているので、80点取れたからいいとか、90点取れたから安心だということになりがちです。
しかし、本来、テストは100点を取らなければならないものです。基本的な学力については、完璧にできていなければならないのです。
そのかわり、自主学習コースでは、その学年の学力が完全についたら、学年の先取りをして学習を続けていきます。
このようにしていけば、受験期に、受験に特化した勉強をするようになったときもすぐに対応できるからです。
これまで、言葉の森で作文の勉強をしている生徒の保護者から、教科の勉強について相談されることが多かったのですが、今後は、この自主学習コースに参加してもらう形で、教科の勉強はカバーできるようにしたいと思います。
自主学習コースは、通常の個別指導塾の2分の1から3分の1の受講料で、利益よりも生徒へのサービスとして行うクラスですから、効率よく教科の勉強をしたいという言葉の森の生徒はぜひ参加されるとよいと思います。
(つづく)
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勉強の基本は自主学習です。
自分のペースで、重点を決めてやっていくのが最も能率のよい勉強の仕方です。
この勉強姿勢は、学年が上がるにつれて効果を発揮してきます。
社会人の勉強の基本は独学です。
変化の速い時代には、独学でなければ必要なことを学ぶことができないからです。
子供も、大人も、教えてもらうのを待っていては、どんどん遅れてしまうのです。
勉強は、できる子だけができればいいというのではありません。
全員が、例外なくできなければならないのです。
この勉強の典型が暗唱です。
暗唱は、早い遅いの違いはあっても、やれば誰でもできるようになるからです。
同じように、テストも、全員が百点を取ることを目的として行わなければならないのです。
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寺子屋オンラインシステムとは、Zoomというウェブ会議システムを使った少人数のオンライン教育の仕組みのことです。
Zoomの利点は、第一に、マイクやカメラの設定でトラブルがほとんどないことです。
そのため、初めての人でもZoomの会場のリンクをクリックすれば、そのまま自然に参加できます。
第二に、ブレークアウトセッションという分科会の会場をメイン会場の中に作れることです。
必要に応じて参加者が分科会に分かれることができるので、柔軟な運営ができるようになりました。
第三は、参加人数に制限がないことです。
かなり大勢の人が同時に参加しても、動作が遅くなったり画面が粗くなったりすることなくスムーズに運営ができます。
当初、このZoomを使って、子供たちが自由な研究発表のできる思考発表クラブ(現在の名称は、発表学習コース)を行ってきました。
子供たちが、自分の研究や実験をあらかじめ画像や動画でアップロードしておき、Zoomの会場でそれらを画面共有で見ながら各自が発表するという勉強です。
この発表学習コースで、子供たちの思考力や創造力や発表力がトータルに伸びているという実感があったので、今年から作文指導についても、寺子屋オンライン作文コースという名称でスタートさせることにしました。
しかし、作文コースの方も、発表学習コースのように発表と交流の時間を長く取ったために、週1回の授業のあと、別に作文を書く時間を取らなければならないということになってきました。
こうなると、高学年の難しい作文を書く生徒には、負担が大きくなると考えたので、今後は、全体の発表を少なくし、個別指導の時間と作文実習の時間を多く取るようにしようと考えています。
これが、寺子屋オンラインシステムの運営の変更点として、第一に考えていることです。
実習の時間を確保できるようにすると、作文はその日のうちに仕上げるられようになります。
作文を書き終えるまでZoomの会場にいるということにすれば、ある程度強制力があるので、電話指導だけではその日のうちに書き上げられなかった子も、最後まで書き上げることができるようになります。
その意味では、高学年や中高生の生徒の方が、この寺子屋オンラインシステムの作文コースは利点が大きいかもしれません。
個別指導と作文実習を行うと、Zoomの教室の中での交流が少なくなるので、その分、作品を発表するgoogleコミュニティの中で、ほかの人の作品にコメントを書けるような形で交流を深めていきたいと思っています。
個別指導については、生徒と先生が1対1で行うこともできますが、Zoomの特性を生かして、同学年の生徒2、3人が合同で行うことを考えています。
そうすると、同学年の同じ課題で、他の生徒がどういう準備をしてきたかがわかるので、自分の書く作文の参考にもなると思います。
寺子屋オンラインシステムの運営で、第二に考えていることは、少人数のクラスをできるだけ同学年か近い学年にまとめることです。
自分より高学年の生徒の発表は参考になりますが、それは全体の発表交流会の見学で行えるようにし、普段の学習は同学年の生徒で共通の課題や関心のもとに行えるようにしたいと思っています。
(つづく)
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Zoomを使った寺子屋オンラインシステムの教育は、大きな可能性を秘めています。
それは、特に、思考力や創造力や発表力という点数になりにくいものの教育に向いているからです。
成績を上げるだけなら、ビデオ授業でも、同じ学力の生徒の一斉指導でも、それぞれの生徒に併せた個別指導でもできます。
しかし、これから求められる新しい学力は、従来の授業形態ではなかなかできません。
少人数を維持したままて集団授業が行えるというところに、寺子屋オンラインの特徴があります。
その特徴を生かす工夫を今しているところです。
先日まで、携帯電話の代わりにskypeを利用などと言っていましたが、今はskypeよりZoomです。
また、作文の画像をアップロードするというのは、昔は限られた人だけでしたが、今は次第にその方が主流になりつつあります。
今後は、作文の画像も、言葉の森のページにアップロードするのではなく、自分のgoogleフォトなどにアップロードしてそのリンクを言葉の森にアップロードするようになると思います。
最近は、手書きで書くのに時間がかかるからという理由で、音声入力で書く子も何人か出てきました。
これらは、社会全体のAI化、デジタル化の流れの一環なので、これから加速することはあっても後戻りすることはありません。
こういう新しいことは大好きです(笑)。
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国語の得意な子は、国語の問題集を解くような勉強をしていません。
何もしないのに得意なのです。
国語の勉強の本質は、文章を読み取ることですから、特に問題を解くテクニックを知らなくても、読む力のある子は大体できます。
100点を取ろうとすると、問題を解く技術が必要になりますが、普段のテストではそういうところまでする必要はありません。
読む勉強が解く勉強よりも大事だといういちばん大きな理由は、その勉強にかける絶対量が違うからです。
読む勉強の中身は、読書や問題集読書ですから、長時間読んでも大して苦になりません。
それどころか、読むのが楽しくなると、ちょっとした空き時間にも読み続けるようになります。
解く勉強は、勉強のような作業が続くので、少しやるとくたびれます。
30分や1時間もやれば、もうそれ以上はやりたくなくなるのが解く勉強です。
そして、気持ちだけは、しっかり勉強をした感じがしてしまうのです。
楽しく本を読んでいる子と、苦しく国語の問題を解いている子を比べれば、苦しく国語の勉強をしている子の方が成績がよくなりそうですが、実は反対です。
では、解く勉強は必要ないかというと、そうではありません。
入試の国語の場合は、1点差を競うような性質の国語ですから、緻密に解く技術が必要になります。
しかし、それは試験の直前で十分に間に合います。
その直前の勉強が効果を上げるためにも、読む力をつけておく必要があるのです。
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作文の勉強で読む力がつくのは、感想文を書くために、毎日長文を読むからです。
学年相応よりもやや難しい文章を読んでいると、その読む勉強で国語力がついてくるのです。
課題の長文を音読するというのは、短時間でできる効果的な勉強法ですが、なかなか続けられません。
それは、問題集を解くような勉強に比べると、音読は勉強した跡が残らないので張り合いがないからです。
そのうえ、声を出して読んでいると、たいていはお母さんに読み方を注意されます(笑)。
だから、学年が上がるにつれて、「音読は自分の部屋でやる」などと言ってやらなくなるのです。
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社会を良くする最も有効な方法は、子供たちを良い子に育てることです。
日本は、盗難などの犯罪が極めて少ない国だと知られています。
落とした財布が高い確率で戻ってくる国は、日本以外であまりありません。
それは、罰則があるからでも、監視カメラがあるからでも、社会人教育が行き届いているからでもなく、そういう子どもたちが育っているからです。
日本では、「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざを誰でも知っています・。
また、他人のために尽くした人が報われるという昔話を子供のころから数多く聞かされています。
これらは、主に家庭教育によって行われたものです。
確かに、学校教育でも、助け合いをの精神を学ぶことやチームワークを大切にすることなどは教えられます。
しかし、それは共通の家庭教育の文化が背後にあるからこそ、有効なものになっているのです。
ところが、これからは異なる家庭環境の子供たちが増えてきます。
2016年の厚生労働省の統計によると、1年間に日本国内で生まれた赤ちゃん約100万人のうち3万人以上が両親又はどちらかの親が外国人となっています。
これからは、異なる家庭環境や文化背景を持つ子供たちが増えてくるのです。
だから、これからの教育は、家庭教育も含めたものにしていく必要があります。
「学力の経済学」では、幼児期の教育が大きな成果を生み出すということが述べられています。
しかし、私はその調査を見て、幼児期の教育そのものよりも、むしろそれと並行して行われた家庭訪問の方にその後の子供たちの成長の源泉があったと思うのです。
ここが、「学力の経済学」の中で見落とされている点です。
この家庭教育を含めた教育をどのように進めていくかということが、これからの教育の課題です。
私は、その答えが寺子屋オンライン教育にあると考えています。
それは、第一に、誰でも距離に関係なく、しかも低コストで、教室に参加することができるからです。
第二に、寺子屋オンライン教育の中心になる作文教育や発表教育は、家庭での親子の対話を学習の重要な要素とするからです。
第三に、寺子屋オンラインの授業のあとすぐに、講師と保護者との懇談を行うことができるからです。
第四に、これらの教育が、個別教育でもなく集団教育でもなく、5、6人の少人数教育というすべての子供が参加し発表するかたちで行うことができるからです。
これまで、この寺子屋オンライン教育は、学年が混在する状態で行われていました。
しかし、今後、学年別にクラスを分け、子供たちの共通の関心に基づいた課題に取り組めるようにしていきたいと思っています。
そのためには、寺子屋オンラインの教育を行える多数の講師が必要になります。
現在、
講師育成講座の参加者を募集しているのは、こういう背景があるからです。
寺子屋オンライン教育は、全国(全世界)どこからでも参加できるとともに、参加者のさまざまなニーズにも応えられる多様性を持っています。
現在は、作文を中心とした勉強が主流ですが、既に国語、算数数学、理科などの教科の勉強にも取り組めるようになっており、更に読書紹介や暗唱発表などの独自の学習にも取り組めるようになっています。
今後は、参加する生徒の希望に応じて、英語暗唱やロボットプログラミングなどにも、更には音楽や絵画などの芸術活動にも取り組めるようになると思います。
家庭教育と結びついた寺子屋オンラインの少人数教育によって、これからの日本の教育は大きく変わっていくと思います。
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これまでは、学力だけがあれば何とかなるという時代でした。
これからは、学力だけでなく、人と協力する力とか、他人に対する思いやりとか、勇気とか、情熱とか、誠実さとか、学力以外のものが重要になります。
その学力以外のものを育てる場は、今のところ家庭しかありません。
家庭教育力の差がおおきな差になる時代になってきたのです。
家庭教育が大事だと言っても、自分の家の家庭教育に自信を持てる家庭はありません。
どの家庭でも、試行錯誤しながら子育てを行っています。
勉強はどのくらいしたらいいのか、テレビはどのくらい見せてもいいのか、本はどのくらい読ませるか、ゲームやスマホはどうしたらいいのか、そういうことがすべてまだ日本の教育文化として確立していません。
だから、多くの家庭では、とりあえず勉強だけできればいいとなってしまうのです。
しかし、これからは、勉強以外のものの重要さがますす大きくなる時代です。
夫婦共働きの多忙な両親に合わせた新しい家庭教育を作っていく必要があるのです。
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小学4年生の作文がよく書ける子のお母さんは、次のような疑問を持つことが多いと思います。
それは、作文もよく書けているし、読書もよくしているが、中学入試の作文や読書としては、このままでは不十分なのではないかという疑問です。
言葉の森では、小学5年生の課題から感想文課題が増え、その感想文のもとになる長文も急に難しいものになります。
この小5からの課題は、しっかり書けばそのまま中学入試の作文と同じことが要求されるものなので、準備もかなり大変になります。
このため、小4から小5に切り替わるときに、急に作文が書けなくなる子も多いのです。
小4から小5への質的な変化というものは、算数の分野でも同じようにあります。
それまでの、特に考えなくても作業的に解ける算数から、考えないと解けない算数に内容が大きく変化していくのです。
この変化は、子供の精神年齢の成長に対応したものです。
小学4年生のある意味で無邪気な小学生の感覚から、物事を構造的にとらえ、背後にある抽象的なものの本質に気づく時期が小学5年生なのです。
小学4年生で作文をよく書ける子は、楽々と書いている印象を受けます。
読書についても、遊びと同じような軽い感覚で何冊も読んでいきます。
それを見ていると、お母さんは、もう少し苦労するような作文や読書をさせる必要があるのではないかと思ってしまいます。
しかし、そこで年齢を超えた先取りをするよりも、今の年齢に合ったことを十分に満喫しておくことが大切になります。
知的なことに関しては、先取りの学習は意味がありますが、精神的なことに関しては、先取りするよりも今の精神年齢に合ったことを確実に消化していく必要があるのです。
だから、小4で作文がよく書ける子は、今の生活作文を更に充実させて、小学生時代の記念となる作文をたっぷり書いておくことです。
それだけではものたりないというのであれば、コンクールの入選を目指すというような方向でがんばるといいのです。
読書も遊びも、小学4年生の無邪気な時期にできることを十分にしておくことです。
その土台の上に、小学5年生の考える作文や考える読書が育つようになります。
そして、何よりも子供時代は、その子供時代を幸福に生きることが最も大切で、将来の準備のためにする苦労のようなものはできるだけ少なくしておく方がいいのです。
それは、やがて子供自身に、自ら苦労を求めて挑戦することに喜びを感じるような時期が来るからです。
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知的なことは、先取りをさせることができますが、精神的なことは先取りができません。
ある精神年齢にならないと、頭ではわかったつもりでも、実感ではわからないということがあるからです。
大事なのは、その子の精神年齢に合ったことを十分に満喫させることで、それが次の成長の土台になります。
それぞれの時期にその子が最も幸福だと感じる生き方をさせることが、最も自然で人間らしい生き方なのです。
「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉がありますが、作文や読書にも似たところがあります。
子供が楽に楽しく自由自在に書いているように見えると、もっと難しい、苦しんで書くようなことをさせたいと思ってしまうのです。
しかし、はいはいの時期には、しっかりはいはいをさせることが大事です。
楽しんで書いている時期には、しっかり楽しませることが大事なのです。
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