ひらがなばかりで漢字を書く子がいます。
男の子に多いのですが、漢字で書けないわけではなく、漢字で書くのに時間がかかり面倒だからひらがなで書くということです。
これを、「習ってる漢字は全部使って書くように」とか、「辞書を引きながら書くように」とかいう形で指導すると、書くスピードが落ちるので嫌がります。
どうしたらよいかと言うと、漢字で書けそうなところはふりがなを振るような形で小さい字でマス目の横に書いておくといいのです。
作文を一通り書き終えた段階で、その原稿をgoogleドキュメントの音声入力で読み上げます、。
すると、ほとんどのふりがなの部分は正しい漢字に直るので、それを見ながら作文を漢字の部分を書き直すのです。
このように、作文を書く作業と漢字を書く作業を分けて行えば負担はなくなります。
両方を一度にやろうとするから、面倒に思ってしまうのです。
作文だけを先に書き、漢字に直す作業をあとでまとめてやるようにすると、次第に最初から書けそうな漢字は漢字で書くようになります。
子供の勉強をしやすくするために、ITの技術をどんどん利用していくと良いと思います。
寺子屋オンラインで作文を書いている子供たちの上達が、かなり早いことに気が付きました。
ある週に軽く話したことが、次の週にはもうできていることが多いのです。
例えば、小学3年生の子に、
「4年生になったら、また説明するけど、段落は三文ぐらいを目安につけていくと読みやすくなるよ」
と話すと、いつの間にか、そういう段落のはっきりした作文を書いているのです。
書き出しの工夫でも、いつも、会話の書き出しで始める子が多いので、
「そのときの情景がわかるように書いていくというのが目標だから、会話でなくてもいいんだよ」
と話すと、次の週から、もう情景がわかる書き出しを工夫してくる子がいるのです。
そのほか、「『お父さん』『お母さん』でもいいけど、上級生になったら『父』『母』と書いていくようになるよ」
と話すと、上級生でない子が、「私の母は……」などと書いてきます。
そして、最初は、字数も十行ぐらいをやっと書いていた子が、いつの間にか、作文用紙に何枚も書くようになっているのです。
もちろん、内容も個性的になり、毎回お母さんやお父さんに取材し、表現も工夫し、字も丁寧になりと、その効果を挙げればきりがないほどです。
どうして、上達が早いのかを考えてみると、次のような要因が思い浮かびました
第一は、授業の内容を保護者も共有できることです。
Zoomには、レコーディングの機能があるので、子供の約1時間の勉強の様子を、保護者もあとで見ることもできます。
すると、子供のするべきことがわかるので、親も協力しやすくなるのだと思います。
第二は、やはりみんなの前で、自分の予習を発表するからだと思います。
その週の作文にどのようなことを書くか、準備してきたことを発表するので、事前にお母さんやお父さんに似た例を取材し、自分なりに似た話を考えておかなければなりません。
作文は、「準備七分に腕三分」の世界ですから、準備の段階ですでにいい作文が書ける土台ができているのです。
しかも、大事なことは、これが無理な勉強ではなく、子供たちの自主性を生かした楽しい勉強になっていることです。
読書紹介の場合でも、もしこれが、読書のグラフをつけて、読んだ冊数を互いに競い合うような形で進めていけば、それほど楽しいものにはならないと思います。
寺子屋オンラインクラスの読書紹介は、グラフなどは何もなく、そのかわり全員が発表します。それも、誰が何を発表してもいいのです。
毎回、「かいけつゾロリ」を発表する子でも、その本のどこが面白かったかを説明するときは、生き生きとしています。
それを見ていて、昔のことを思い出しました。
うちの子供2人も、小学生のころ、「スラムダンク」という漫画を、何十回も読み込み、それぞれの場面やセリフを細部まで覚えていました。
私は、当時は漫画というものを、「読んでもいいが、繰り返して読むべきなのはもっといい本」と思っていましたが、今ふりかえってみると、どういう本であっても、子供が繰り返し読みたくなる本は、その子にとって必要な本なのだと思うようになっています。
小学生の子供たちは、親や先生が言うことは大体素直に聞きます。
それは、反抗するだけの力がまだないからです。
しかし、子供時代の「いい子」は、いい子であった度合いが強いほど、あとで、「いい子」ではなくなります。
そうならないようにするためには、自主的な子にしていく必要があるのです。
自主的な子は、自分の判断で、親の言うことを聞いたり、自分の意見を主張したりします。
そういう自然な親子関係を作っていくことがこれから大事になると思います。