昔、数学でベン図というものを習いました。
そのときは、あたりまえのことを言っているだけような気がしていました。
しかし、ある高校入試の問題を見て、それなりに役に立つのだと思いました。(一種の頭の体操に過ぎないのかもしれませんが)
問題は、こういうものです。(都立新宿高校の小論文の問題の一部)
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/12300617270.jpg
これは、言葉の上で考えても頭が混乱するだけです。
しかし、ベン図を書くと、図形的にわかるのです。
それがこれ。
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/12300617271.jpg
やはり、教科書に載っているようなことは、それなりに先人の知識の積み重ねとして意味があるのだと思いました。
ただし、今の教科書の難点は、独学ができないことです。
先生が教えることを前提に作られているので、説明が少なすぎるのです。
塾の教材でも、そういうものが多いと思います。
いちばんよくないのは、問題だけが載っていて答えは先生が持っているという問題集です(笑)。
そして、授業に出てから答え合わせをするのです。
ひとりで答え合わせをして先に進む勉強の仕方に比べると、何倍も能率の悪いやり方だと思います。
ところで、私が、仕事の上で数学が役に立つと思ったのは、ホームページでいろいろな図形を作っているときでした。
図形で円グラフを作るときや、あるデータから傾向線を引くときに、昔の高校の数学の教科書を取り出して、円の方程式や最小二乗法の考え方を復習したのです。
そんなものは、習ったことさえすっかり忘れていたので(笑)。
文系に進む人でも、数学の確率の素養はこれから必要になります。
理系に進む人でも、日本史や世界史の知識は役に立ちます。
就職試験の一般教養問題は、中学の教科書があればほとんど対応できます。
中学、高校の教科書は、特に高校の教科書は、卒業してからも捨てずに残しておくと、いつか役に立つときがあると思います。
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昔の作文小論文試験はのどかでした。
「○○時代にいちばんがんばったこと」のような課題が与えられて、それで作文を書いていればよかったからです。
こういう課題でしたら、少し練習すれば、すぐに合格作文が書けました。
しかし、今はそうではありません。
まず、問題文の量が膨大です。そして、時間が限られています。
しかも、複数の文章を読ませるスタイルが増えてきました。
そこに、資料を読み取る要素や、数学的な考え方をする要素が盛り込まれて、どんどん複雑化していったのです。
たぶん今は、出題している人自身が、合格レベルの作文を書けないのではないかと思います(笑)。
では、どこで合否を決めているかというと、みんなが同じようにできない中で、比較的できのよかったものが合格になるということなのです。
本当は、こういう難しすぎる作文試験の課題を1題だけ出すのではなく、普通に書けるやや難しいぐらいの課題を2題か3題出した方が、実力は正しく評価できます。
しかし、それでは時間がかかりすぎるのと、それ以上に採点に手間がかかりすぎるので、今のような難しすぎる課題になっているのです。
ゴルフでは、プロとアマの差は、うまく行っているときはあまりないのだそうです。
うまく行かないときに、プロとアマの差が出るのです。
作文試験も似ています。
書きやすい課題のときは、実力の差はあまり出てきません。
書きにくい課題になったときに、実力のある子は根性で書き上げてくるのです。……根性って(笑)
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けん玉の動画、理科実験の話、古典の暗唱、読んでいる本の紹介など、一見脈絡のない流れのように見えますが、共通しているのは、みんな自分なりに決めたことを自由に発表していることです。
こういう勉強は、遊びに似ています。
先生に褒められるからとか、いい点数がつくからとかいう動機ではなく、友達が面白いことをやっているから、自分も負けずに面白いことをやろうという動機で勉強をしているのです。
論語にもあります。
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」
真面目な子は、義務感で勉強できます。
だから、真面目な子は最初から成績がいいのです。
しかし、義務感でやっていることは、義務がなくなれば自然にやらなくなります。
一方、楽しみでやっている子は、それが楽しいと思う限り続けることができます。
その差は、先に進むほど大きくなり、いつの間にか、楽しみでやっていた子の方がずっと先に行っているということが多いのです。
だから、子供時代は、楽しさを味わうことが第一で、義務感で我慢することは第二です。
そして、その楽しさを、学問の楽しさや創造の楽しさへ発展させるのが社会の役割なのです。
▼けん玉、暗唱、読んでいる本の紹介
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カリキュラムがあって、覚えることが決まっていて、それをテストでチェックしてできるまでやらせる、という勉強の仕方であれば、誰でも安心できます。
しかし、そういう勉強ばかりであったら、子供は勉強というものはつまらないものだと思うでしょう。
今の教育は、そのつまらない勉強に砂糖をまぶして面白く見せようとしているように思えます。
勉強は、工夫をすれば、その勉強の中身そのものが面白くなる可能性を秘めているのです。
発表学習で大事なことは、全員が発表することです。
そのためには、それぞれの子が事前に準備をすることが必要になってきます。
準備なしに、ただ授業を聞きにきて、問題を解いて帰るという勉強に慣れている子は、最初は戸惑います。
発表を楽しめるようになるためには、低学年のうちから発表に慣れておくといいのです。
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子供の好きなものは、人それぞれに違います。
親にとっては、そのどこがいいのか全然わからないようなものが好きな子もいます。
よくあるのが、電車の好きな男の子で、一般に母親はその心理がよく理解できません。
しかし、その好きなものが、その子の探究心の源になります。
だから、その好きなものを生かして、それを学問の方向に発展させていくといいのです。
これまでの世の中は、覚えなければいけない体系的な知識が先にあり、子供の興味は後回しでした。
しかし、これからは、子供の興味関心が先にあり、その興味関心を生かして体系的な知識を身に着けていくようになります。
そのために大事なことは、子供の好きなものに、親も一緒に関わってみることです。
すると、その子供の興味を学問の方向に発展させる道筋が見えてきます。
そして、その学問を更に創造の方向に発展させていくのです。
今回の動画で紹介する小3の男の子は、電車好きです。
電車に乗った動画の紹介のあと、モーターの仕組みと電気の流れについての発表をしてくれました。(動画にはその研究発表の部分は入れてありません)
▼電車の好きな子のクリスマスプレゼント
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勉強の出発点は、子供の興味や関心です。
強制や褒美ではありません。
いちばんの理想は、同じ興味や関心を持っている子供どうしが、共通の話題をもとに、その興味や関心を学問の方向に発展させていくことです。
子供がゲームばかりしていると嘆くお母さんは多いと思います。
しかし、ゲームによっては、かなり頭を使うものや創造的な工夫を必要とするものがあります。
また、体を動かすゲーム、外に出かけるゲーム、友達と協力するゲームなども生まれています。
これからのゲームの世界は、次第にそういう文化的なものになっていくでしょう。
だとしたら、ゲームの禁止を考えるより前に、お母さんやお父さんも一緒にゲームをやってみるといいのです。
すると、そのゲームへの興味を、学問や創造へと発展させる道筋が見えてきます。
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発表学習クラスの授業の様子です。(発表している子は小5です)
わずか3分ほどの発表ですが、この準備のために1時間以上かかっているはずです。
これと同じ知識を、先生の話を聞いて授業を受ける形で理解するのであれば、しばらくたつとすぐに忘れてしまうでしょう。
だから、学校では、それを忘れさせないようにテストをするのです。
しかし、もともと自分で興味があって覚えた知識ではありませんから、その知識もテストが終わればすぐに忘れてしまうのです。
大人になってから子供時代を思い出してみると、覚えているのは、先生に聞いたことではなく、自分が言ったことやしたことばかりです。
今は情報機器が発達しているので、優れた教材がふんだんに手に入ります。
しかし、そこで見たり聞いたりしたことは、やはりテストがなければすぐに忘れてしまうでしょう。
そのかわり、自分が調べて考えたことを発表し、ほかの人からの質問を受けたり感想を聞かされたりすることは、そのときの情景ととともにずっと記憶に残ります。
そして、大事なのは、知識が残ることばかりではなく、その過程で自分から進んで考える力が育つことなのです。
2020年の入試改革に象徴される、これから求められる学力は、覚えた知識中心の学力ではありません。
その知識を使って自分なりにどう考えるかという学力です。
そういう学力を育てる場が、少人数の勉強面での交流なのです。
▼「お米の歴史、似た言葉(発表学習クラス)」
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人間は、何かを覚えるためにこの世に生きているわけではありません。
何かを作り出すことが中心であり、その準備として覚えることがあるのです。
子供時代は、人より多く覚える時期ではなく、作る姿勢を育てる時期です。
作る姿勢が育っていれば、覚える勉強は、必要になったときに集中してできるようになるのです。
子供はみんな、発表する勉強が好きです。
その勉強をするための第一の条件は、余裕があることです。
しかし今、ほとんどの家庭は、親も多忙で子供も多忙です。
だから、まず親がどうにかして時間を捻出し、子供と一緒にいる時間を作ることです。
その時間の中で、知的な創造を楽しむ工夫をするのです。
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茗溪学園中学校 K.H.さん
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これまでの勉強は、聞く勉強でした。
聞いて理解して、覚えたことをテストで確認するような勉強を、長い間人類は続けてきました。
しかし、そういう勉強で得た知識は、これからの社会ではだんだん出番がなくなります。
知識は、基本的なものと、自分が特に興味があるものだけに絞られるようになり、あとは必要に応じていつでも外にあるものを利用すればよいという考え方になるのです。
以前、海外の大学入試で、受験生がスマホを使って外部と通信しカンニングするという事件がありました。
対策は、試験会場へのスマホ持ち込み禁止と考えるのではなく、カンニングできるような知識はもうテストする必要がないと考えることなのです。
では、そのかわり何が必要になるかというと、これからは「聞く知識」ではなく、「作る知識」や「発表する知識」が必要になるということです。
それは知識というよりも、「作る学力」「発表する学力」です。
寺子屋オンラインのクラスでは、いろいろな生徒が、自分のオリジナルな実験や工作をもとに、関心を持ったことを調査し研究し発表しています。
その過程で、準備をしたり失敗をしたりやり直しをしたりするので、作る勉強は、聞くだけ勉強よりもずっと時間がかかります
しかし、その時間の中で残るものが、これから必要になる本当の学力なのです。
ところで、小学校低中学年の場合は、ここに親の関わりが必要になります。
子供が何かに興味を持っても、その興味を「作る勉強」や「発表する勉強」に発展させるためには、親が準備を手伝ったりアドバイスをしたりすることが出てくるからです。
現在は、共働きで遅くまで仕事をして帰るお母さんが多いので、子供の「作る勉強」の手伝いは、時間的にかなり負担がかかります。
しかし、この時間を捻出して、子供と知的で創造的な時間を共有することが、あとになって必ず生きてきます。
これからの勉強は、能率よく知識を覚えることではなく、時間をかけて自分なりに考えることになるからです。
▽はんこ作りの研究と発表(寺子屋オンラインクラスの発表の例)
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点数を上げるための勉強の秘訣は、出題範囲を繰り返し読むことです。
しかし、これはあまり面白い勉強ではありません。
だから、必要なときに集中して取り組めばいいのです。
日常的に行う勉強は、もっと楽しいものであるべきです。
楽しむための勉強の秘訣は、その勉強する対象の事物と関わり、親と関わり、友達と関わることです。
これは、勉強を楽しむことであるとともに、その子の今の人生を楽しむことなのです。
勉強は楽しいものであるべきです。
その楽しさがあるからこそ、途中の過程の苦しさものりこえられるのです。
これは、苦しいことを我慢するのが勉強だという考えではありません。
我慢してやるようなことは、我慢する必要がなくなればやらなくなるからです。
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小学3年生以上は、作文の題名が決まっています。
題名が決まっている課題では、お父さんお母さんに取材することが大事になってきます。
例えば、「私の好きなスポーツ」という題名で書く場合、自分の体験だけで書くこともできますが、それを両親に取材することによって実例が立体的になっていきます。
その複数の実例を一つにまとめる感想が、作文の主題になります。
実例が複数あると、主題はその複数の実例に共通する、より抽象的な主題になってきます。
それが、小学校5年生以降の主題中心に考える作文の元になっていくのです。
もし、自分の体験実例をひとつ書くだけでそのまま感想を書くとすると、その体験が面白かったとかつまらなかったとかいう、体験に密着した感想になってしまいます。
それでは、深い感想というのは出てきません。
感想を深めるために、複数の実例で立体化していくことが大事なのです。
そしてまた両親に取材した話は、そこに両親の生き方や考え方が自然に盛り込まれています。
そういう話を聞くことが、子供にとって作文を書くこととは別の考える勉強になっているのです。
▼お父さんお母さんに聞いた話(寺オン作文の授業から)
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難しい本で、しかし興味を持って読める面白い本というのはなかなかありません。
難しくて面白くない本か、面白いが内容が薄い本が、どちらかであるのが普通です。
しかし、両親との話は、難しい内容を興味を持って面白く聞けるように話してくれることが多いのです。
だから、両親と話をする機会を増やすと、子供の考える力が育っていくのです。
小学4年生までの作文の課題では、親がそれほど準備しなくても、子供にいい話を聞かせてあげることができます。
しかし、小学5年生以上の課題になると、親が事前に似た話を考えておく方がいいのです。
例えば、食事の習慣における日本と欧米の文化との違いなどという話を、お母さんが台所で大根かなにかを切っているときに突然聞かれても、すぐにはいい話は出てこないからです。
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△写真は、言葉の森事務局の新しいメンバー、文鳥のブン。誕生後1か月ですが、だいぶ飛べるようになりました。
習い事が多くて時間がとれない、という子がいます。
インターネットの情報過多と同じで、自然に任せれば、見なければならないと思うものが次第に多くなってくるのです。
そこで、断捨離が必要になります。
そのときの基準は、今の役に立つだけでなく、生涯役に立つものかどうかということです。
もちろん、それは、あとになってみないとわからないことです。
しかし、どの子にも基本的に大事なものは、読書と作文と対話と自由な時間です。
要するに、理解力と思考力と表現力と創造力を育てることが基盤となって、ほかのものも生きてくるのです
そして、そのほかに、自分がすごく好きなものがあれば、それを大事にしていくことです。
始めてから3か月で成果が出て、次に移るという忙しいやり方ではなく、小学1年生から始めて、高校3年生まで、更には大学生、社会人になってからも続けられるものを第一の基準としていくのです。
また、今の社会では、人工的な環境で一日を過ごしてしまうことも多いので、生き物を飼ったり、自然に触れたり、友達と遊んだりする時間も意識的に大事にしていくことです。
学校の今の勉強に役立つかどうかということよりも、その子の将来の生き方にプラスになるかどうかということを第一に考えていくのです。
以前、小学校低学年で、学校の宿題が多くて勉強が忙しいからと、読書は家でしないで行き帰りの電車の中だけで済ますという子がいました。
低学年のころは成績がよかったのですが、高学年になるとどんどん成績が低下していきました。
読書のような根を育てることを後回しにして、そのときのテストや宿題という表面に出る花や葉を育てることを優先していたからです。
しかし、もちろん人間はいつでも変化できます。
その子もたぶん、すぐには表面に出ないものの大切さに気づいて、いつか本格的に何かに取り組むだろうと思います。
しかし、そういう遠回りをしなくて済むように長期的な目でものを見ることができるのが、人生経験のある親の役割だと思います。
(つづく)
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昔、塾で作文の宿題があるので見てほしいというお父さんがいました。
それが塾の成績にも響くかもしれないというのです。
その子は、まだ低学年です。
親の気持ちはわからなくはありませんが、そういう短期的な視野で子供に勉強をさせていると、あとで大変だろうなあと思いました。
というよりも、塾の宿題ならその塾で見てもらうのがいちばんいいと思ったのですが(笑)。
今の子供たちは、全体に忙しすぎのように思います。
受験勉強の1年間は忙しくても当然ですが、それ以前の時期はのんびり暮らすのが普通です。
のんびりした生活の中で、自分の好きなことをしたり読書をしたりする方が、あとになって必ず生きてくるのです。
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