山形大学附属小学校 Y.Iさん K.Iさん
▽担当の講師から
男の子と女の子のふたごの兄弟です。
当日は、出題傾向が変わりドキドキしたと話していました。
グループで話し合い、みんなの意見と自分の意見を比較して作文を書くような問題だったということですが、二人とも作文は簡単に書けたので自信があったということでした。
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プロとアマの違いは、調子のよいときには出てこないと言われます。
調子の悪いとき、アマチュアは大きく崩れることがあります。
プロは調子の悪いときでも崩れることを最小限にとどめ、自分のペースを保つことができるというのです。
なぜこのような違いが出てくるのかというと、それは自分に対する自信に差があるからです。
プロになるまでに猛練習をしたことがある人は、ピンチになったときも、「自分はこれまでこれほどやってきたのだからこんなことを克服できないわけがない」という自分に対する確信が根底にあります。
勉強でもスポーツでも音楽でも、ある一つの分野で本当の力をつけようと思えば、限界まで無理をするぐらいに取り組む必要があるのです。
ときどき、「少し忙しいからしばらく休みたい」と言ってくる人がいます。
これは、何の習い事でもあることであり、無理をせずに休むということは、それはそれでもちろん大事なことです。
しかし、もし自分がその分野で本当の実力をつけたいと思うのであれば、無理をしても続けるということも必要なときがあるのです。
それは、その無理がその後の自信につながるからです。
作文試験のように、文章を限られた時間で書きそれを評価されるという場面は人生の中でいくつか出てきます。
知識中心の試験であれば、調子の良いときと悪いときで大きな差は出ません。
しかし、作文のようなすべてゼロから作り出すものは、調子の良いときと悪いときの差が大きく出るのです。
そして、たまたまうまく書けないときは、ほとんどペンが進まないようなことも出てきます。
そのとき、ピンチを逆転する力は、「これまで長い間やってきたのだから」、「忙しいときも休まず続けてきたのだから」という自分に対する確信のようなものなのです。
だから、子供が忙しくなり作文が書きにくい状況になったとき、保護者の方はその状況を短期的に判断せず、長期的に見て、何とか工夫して時間を捻出し、少しでも書き続けるようにするという勉強の進め方をしていくといいと思います。
そういうふうになんとかして続けようという姿勢で親が取り組んでいると、子供の勉強に対する姿勢も違ってきます。
生活全体については、無理をしないことが基本ですが、これと決めたことについては、それが勉強であっても音楽であってもスポーツであってもまた何かの趣味の分野であっても、ある程度無理をして頑張ることが大切なのです。
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無理をするかしないかということは、一律に言うことはできません。
小学生時代は、基本的には幸福に暮らすことがいちばんですから、その意味では無理をしない方がいいのです。
しかし、「無理を言う親がいてこそ子は育つ」という言葉もあります。
ある場面では、無理を言うことも必要で、それはそれぞれの家庭の価値観によるものですが、その子の生き方に関するものについては、無理をすることが必要なこともあるのです。
勉強の無理としつけの無理は違います。
勉強では無理をさせず、しつけでは無理をさせることが大事です。
例えば、算数の退屈な計算問題を何ページもさせるというのは勉強の無理です。
遅刻しないとか、物事を続けるとか、挨拶をするとか、きちんと返事をするとかいうのはしつけの無理です。
勉強で無理をさせないのは、小学生はまだ自覚して勉強する時期ではないからです。
しつけで無理をさせるのは、小学生はしつけがまだ自覚できない時期だからです。
似ていますが、微妙に違うのです。
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中学入試の問題レベルの文章で、主に小学5年生、6年生を対象にした読解検定を行う予定です。
検定試験の問題を多数作る必要があるので、読解検定委員会という形で解答の解説を書く人を募集します。
また、ひとりで解説を書くと不十分なところが出てくる可能性があるので、同時に解説の検収を行う人も募集します。
当面は、小学5、6年生が対象の読解検定ですが、将来は、小学1年生から高校3年生まで受検できるものにしていきます。
この読解検定を受けていると、合格するために解説を読むようになるので、読解の点数は必ず上がります。
高校3年生の場合は、今のセンター試験で満点が取れるあたりが目標になります。
進度は、現在行っている暗唱検定と同じような流れにします。
作文検定、暗唱検定、読解検定がそろったあとは、記述検定も作成していきたいと思います。
詳細は、森林プロジェクトの掲示板などでお知らせする予定です。
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読解検定の短期的な目標はもちろん国語の成績を上げることですが、長期的な目標は読む力をつけることです。
ですから、短期的な目安はセンター試験で満点が取れるようになることですが、長期的には難しい本をばりばり読む力をつけることです。
そして、将来は、この読解検定の延長で、高校生大学生を主な対象にした読書検定を行っていきたいと思っています。6
読解検定委員会はどなたでも参加できる形にします。
保護者の方も大歓迎。
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1.4週の寺子屋オンラインの授業の動画アップロードしました
寺子屋オンラインの1.4週は発表会ですが、新しい作品をアップロードする人は、下記の動画などを参考にしてください。
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今度、かんき出版から読解力と作文力の本が出ますが、そこに書いてある読解と作文の方法は、かなり理系的なものです。
理詰めで解く読解と、論理的な構成をもとに書く作文ですから、評価の基準も客観的です。
従来の国語の勉強は、教える人の主観による面が多かったので、共通の感性を持っている人にはわかるが、そうでない人にはわからないというものでした。
言葉の森は、設立当初から、客観的に誰でも共通してわかる作文を目指してきました。
そのために、項目指導という事前指導の方法を作り、また森リンという自動採点ソフトも作りました。
読解についても、多くの人のやっている読解問題の解き方は、合っていそうなものを選ぶということでした。
それを、言葉の森では、合っていそうでないものをなぜ合っていないかという理屈を明確にしながら選ばないという方法に切り替えました。ややこしいですが。
その解き方を理解した子供たちは、すぐに読解の成績が上がりました(詳しくは、本をごらんください)。
記述についても、言葉の森の指導法は、対比を意識して書くという方法です。
これで、記述問題も、焦点のはっきりした文章として書くことができるようになりました。
作文も、読解も、記述も、実力がつくだけでなく、うまく書けなかったり、選択を間違えたりした場合も、どこが原因でそうなったのかがわかります。
だから、確実に実力がつき、迷わずに勉強を進めていけるのです。
ところで、これまで言葉の森では、作文の方は作文検定試験ということで検定の枠組みを作っていましたが、読解の方は、質問があるときに答えるだけで特に何もしていませんでした。
それは、作文を書くだけでも時間の負担があるのに、その上読解まで勉強するとなると、生徒も保護者も大変だと思ったからです。
しかし、国語の成績を上げたいという人は多いと思います。
そして、国語の成績のかなりの部分は、読解問題として作られています。
漢字の読み書きの問題は、やれば誰でもできるようになるのでいいのですが、読解の方は勉強の仕方がよくわからないという人が依然として多いようでした。
そこで、今ある作文検定に続いて、今後は読解についても客観的な読解力を測定する読解検定試験というものを始めていきたいと思っています。
これは、ただ読解の試験をするだけでなく、どうしたら点数を上げることができるかということを理解しながら解く試験になりますから、確実に読む力がつきます。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」に、東大・京大の学生の読解力と、早稲田大・慶應大の学生の読解力の差が出ていました。東大・京大の学生の方が、有意に早稲田大・慶應大の学生よりも読解の点数が高いのです。
しかし、私はこれは実力の差だとは思っていません。
東大・京大の学生は、理詰めに解く読解の解き方を身につけています。
これに対して、早稲田大・慶應大の学生は、理詰めに解くのではなく普通に読んで解いているだけなのです。
理詰めに解けば満点近い成績が取れます。普通に読んで解くだけでは満点は取れません。
これが読解の点数の差になって表れています。
だから、早稲田大・慶應大の学生も、理詰めに解く読解の方法を身につければ、東大・京大の学生と同じ点数は取れるようになると思います。
さて、作文検定は、昔は会場がないとできませんでした。
だから、ある程度の人数が集まることが条件でした。
しかし、今は、ウェブ会議システムを使えば、自宅で受検することもできます。
ちょうど今の暗唱検定と同じ仕組みです。
ただし、読解検定は、解くのに時間がかかりますから、特定の日時を指定して行う形になります。
この読解検定は、語句の知識を問うような問題は出さず、また国語の穴埋め問題のようなものも出さず、ただ読解力を見ることに純粋に絞った試験にする予定です。
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読解検定の先に予定しているのは、読書検定です。
この読書検定の重点は、高校生と大学生です。
高校生以上で、古今の古典を読破することが目標です。
暗唱検定を行うようになってから、暗唱の自習を多くの人が続けられるようになりました。
今後は、作文検定と読解検定も同じように取り組めるようにしたいと思っています。
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オンラインの少人数クラスのいいところは、全員、発表ができることです。
そして、その発表に対して、やはり全員が感想を述べることができることです。
これは、少人数クラスだからできることで、個別指導や一斉指導では、こういう全員参加型の授業というのはできません。
今、アメリカでは、ブレンディッド教育という教育方法が生まれています。
リアルな学校に生徒が集まり、そこで、個々にオンラインの授業を受けるという形の勉強です。
オンラインの授業は個別のメニューとして行えるので、どの生徒も自分の進度に合わせた学習ができます。
すでに日本でもこういう形の授業は行われていると思いますが、今後、このブレンディッド教育的な勉強の仕方が、教育の主流になってくると思います。
先日、言葉の森の港南台教室というリアルな教室で、新しく参加した生徒に、オンラインの作文の授業に参加してもらいました。
横浜の港南台の教室に来て、一緒に勉強する生徒は、東京だったり、大阪だったり、兵庫だったり、シンガポールだったり、ベトナムだったりとさまざまなところから参加しています。しかし、それでお互いに何の違和感もなく、話をして交流ができるのです。
1時間半近くの授業を行ってみて、今後この、通学教室でありながらオンラインで学習するというスタイルが授業の主流になるだろうと思いました。
この場合、通学するのは教室でなくてもいいのです。ある家庭に近所の子が数人集まり、そこで学年別のオンラインの授業を受けるという形であれば、子供は自宅か自宅のすぐ近くで、全国にいる同学年の友達と密度の濃い勉強ができるようになります。
この言葉の森の少人数クラスは、ブレンディッド教育と似ていますが少し違います。
ある意味で、ブレンディッド教育の先に行くものになると思います。
ブレンディッド教育では、みんなが同じ場所に集まり、勉強の内容はオンラインで個別に行うという形です。
言葉の森の少人数クラスで大事にしていることは、全員に発表する機会があり、全員に感想を述べる機会があるようにすることです。だから、どの子も主体的に参加できます。
もちろん、ブレンディッド教育のような個別メニューの勉強をすることもできます。
しかし、それ以上に大事なのは、受け身の勉強をするのではなく、自分から主体的に取り組む勉強を行いそれを発表し、他の生徒と交流することなのです。
しかし逆に、この少人数クラスの教育を、従来の勉強と同じつもりで受けようとすると、かえって中身の乏しい勉強になってしまう可能性があります。
それは、友達の、それぞれに工夫はしていても拙い発表を聞くよりも、優れた専門家の授業を聞いた方がずっと能率よく勉強ができるはずだからです。
だから、授業を受けることに意味があるのではなく、自分が発表するために研究したり実験したりという工夫をすることに意味があるのです。
その勉強の仕方を、具体的に算数数学の例で言えば、従来の勉強は、先生から難しい問題の上手な解き方を教えてもらうことでした。
しかし、発表型の学習の場合は、自分なりに理解できた問題をもとに、自分が似た問題をできるだけ面白く作ることになるのです。
なぜ面白く作る必要があるかというと、少人数クラスには、同年齢の自分の発表を聞いてくれる友達がいるからです。
優れた先生からいい授業を聞くことと、自分が似た問題を作って発表することと、どちらがあとまで残るかといえば、それは大体において、自分が発表した勉強の方です。
そして、今後インターネット学習が広がると、優れた先生というものは、実際の教室にいる先生ではなく、ネットの向こう側にいる少数のタレントのような講師に限られていくのです。
少数のタレント講師による一律の授業を、多数の生徒が、個別メニューの中でとは言っても同じように受け、その理解度を測るためにテストが課せられるとしたら、勉強の能率は上がっても従来の受け身型の勉強とあまり変わりません。
これからの時代に必要なのは、自分から進んで何かを作り出すことですから、聞いて理解する能力以上に、創造的に考えて発表する能力が求められるようになります。
受け身の勉強の終着点は満点を取ることですから、誰がやっても同じ結果になります。しかし、発表する勉強はそれぞれにその個性が表れます。
この個性どうしのぶつかり合いの中で必要になるもう一つ能力がコミュニケーション力です。
コミュニケーション力とは、単に自分の言いたいことを上手に表現する力だけではありません。
相手のいいところを見る力や、困っている相手を助ける力や、又は、批判に対しては正しく反論する力や、逆にみんなを楽しくまとめる力などの総合力です。
そういうコミュニケーション力は、実際に同年齢の子供たちと接する中でしか育ちません。
このコミュニケーション力を、遊びやスポーツや音楽のような非言語的なものだけでなく、作文や学習という言語的、知的なものを中心に行っていことができるのが、オンラインの少人数クラスの学習の特徴です。
この記事の末尾に紹介する動画の中で話している生徒は、小2から小4までの学年です。
小学校低中学年から、こういう形で、毎週自分の研究してきたことを発表し、読んでいる本を紹介し、ほかの人の発表に対して感想を述べるということを続けていけば、子供たちの思考力とともに、コミュニケーション力も育ちます。
これが発表型の勉強の、ほかでは代替できない利点なのです。
ところで、このように自分からテーマを見つけてオリジナルに研究し発表を行うということができる生徒は、小学生の場合は高学年のそれもかなり優秀な子に限られます。
だから、小学校低中学年の場合は特に、子供たちの研究や発表を手助けしてあげる保護者の役割が必要になります。
現代の社会では、ほとんどの大人は仕事に追われていますから、子供の研究発表に余裕を持って付き合う時間が取れる人は一人もいないと思います。
しかし、子供の成長にとっては、限られた時間ではあっても、この親子の知的な交流がとても大切なのです。
この親子の関わりの中で、子供は、勉強の中身だけでなく、勉強に対する姿勢や、物の見方考え方や、物事が思いどおりに行かなかったときの対処の仕方など、人生をたくましく生きる知恵を学んでいくのです。
▽オンラインクラスの互いの発表に対する感想(小2~小4)
※今、寺オン講師育成講座で募集しているのは、この授業のように、生徒どうしの発表や感想を司会してくれる先生です。
作文講師資格講座の受講が済んでいる方は、ぜひこの寺子屋オンラインの講師育成講座にお申し込みください。
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ほかの人の発表に対して感想を言う場合、小学校低学年の子のほとんどは、隣にいる(ことが多い)お母さんやお父さんに、「ねえ、なんて言う?」などと聞いてから話をします。
そう聞くのは、もちろん真面目な子だからです。
これまで、間違ってはいけないということをしっかり学んできたので、感想のような自由な発言についても間違ったことを言ってはいけないという気持ちが働くからです。
しかし、そういう子もすぐに、お父さんやお母さんに聞かずに自由に自分の思ったことを話すようになります。
些細なことのようにも見えますが、こういう自立心も、机上だけで学べるものではなく、やはり実際の行動を通して学ぶものなのです。
小学校時代の勉強は、基礎的な知識や技能を身につけるだけですから、それほど面白いものではありません。
それを何とかみんなにさせるために、宿題があったり、テストがあったり、賞があったり、罰があったりするのです。
これに対して、友達との遊びやお喋りは、止められてもしようとします。
それは、自分から進んで自由にできることが楽しいからです。
勉強にも、こういう自由で自主的な要素を取り入れていくことができると思います。
では、基礎的な知識や技能の方はどうするかというと、それは、家庭で自学自習をする習慣をつければ、特に長い時間をしたり、難しい問題をしたり、先取りの勉強をしたりする必要なく、普通にできるようになります。
小学校時代、普通にできていれば、中学生や高校生になってから必要を感じたときに、すぐに本格的な勉強ができるようになります。
それまでは、遊びとともに、読書と対話によって考える力をつけていけばよいのです。
そこに、寺子屋オンラインの作文や発表が加われば、更に充実した学力と学ぶ姿勢が育ちます。
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寺子屋オンラインの作文クラスでは、生徒が互いに作文の予習の構想図などを発表します。
今回は、構想図のかわりに、実際の作文を何人かに発表してもらいました。
アップロードした動画は,小5と小4の生徒の作文の発表ですが、自分の体験談のほかに、調べた話や聞いた話を組み合わせて密度の濃い作文になっています。
こういう文章を書くには、文章力だけでなく、思考力や感受性も必要です。
また、こういう作文の発表を聞く人も、自然にその作文から多くのことを学びます。
少人数のよさというのは、全員が発表できることと、聞く人もそれを他人事ではなく、自分の身近な人の経験として読み取ることができるという点にあります。
今後、こういう発表や交流ができる作文のクラスをたくさん作っていきたいと思います。
▽オンラインの作文発表の様子(小4・小5)
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子供たちの作文の発表を見ていると、学年が上がるにつれて語彙が増えるとともに、内容がだんだん個性的になっていることがわかります。
作文を書くことで個性や創造性が育つというのは、こういうところでも感じられると思います。
1,000人近い会員が、毎週こういう作文を書くのですから、その合計の文字数に比例して、子供たちの個性的なものの見方が生まれているのだと思います。
――敷島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞ真幸くありこそ――柿本人麿(万葉集)
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よくある例ですが、海外、例えばフランスなどで交通事故を起こしたとき、日本人が(自分が特に悪いわけでもないのに)、「すみません」と言ってしまうと、その言質をとられ裁判で不利になるそうです。
しかし、普通の日本人であれば、というよりも、日本文化を身につけている人であれば、事故の責任がどちらにあるかということよりも、相手の気持ちを考えて、とっさに、「すみません」という言葉が出てくるものです。
ところが、日本でも、そうでない人はいるのです。
ときどき感じるのは、「こちらはお客様だぞ」という態度で話してくる人です。
知人に話す場合Gは、それなりのニュアンスというものがあります。それと同じように話せばいいのですが、いかにも相手よりも自分の方が偉いという態度で話すのです。
それで、私は、いけないことですが、ときどき喧嘩をしてしまいます(笑)。
ずっと以前、ふりかえか何かで、早朝に電話をしてほしいと言ってきた海外在住の保護者の方がいました。
私は、それでは講師が負担がかかるので、別の方法を提案しましたが、その人は、「客である生徒と、そちらの先生とでどちらが大事なんですか」などという言い方をしたのです。
それで、私は、「もちろん大事なのは講師の方です」と言ったら、その後何かいろいろ話しましたが、結局そのふりかえはしないことになりました。
これがもし、知人に何かを頼むとしたら、相手に負担をかけるような依頼は自然に遠慮するはずです。
もし頼むとしても、本当に申し訳ないがというニュアンスで話をするはずです。
それが、いかにも当然の権利のように言うところに、日本文化とは異なるものを感じたのです。
これは、子供たちの作文についても言えます。
一方的に相手を批判するような文章は、考えの浅さとともに、相手に対する配慮のなさを表しています。
中学生以上の作文の、「反対意見に対する理解」というのも、この、考えを深めるためと、相手のよいところを理解するための練習です。
書き方は、「確かに、(自分の考えとは違う)こういう考え方にも理解できる点はあるが」という形です。
このように書くことによって、相手の立場に対しても理解を広げていくのです。
欧米の作文指導では、こういう指導はあまりないと思います。
ところで、一応ことわっておきますが、私は喧嘩をしたような相手に対しても、全くその気持ちをあとまで残しません。
人間というものは、いろいろな場面でいろいろなことを言うものですし、常に変化していくものですから、一度や二度のことで良いとか悪いとか決めるものではないからです。三度や四度になっても同じです。
相手はどう思っているかしりませんが、本当はみんないい人で、たまたま場面場面で違う役割を演じることがあるというだけだと思っています。
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多様な文末表現の指導なども、日本的な作文指導のひとつです。
英語では、「○○は△△である」という単純な言い方がほとんどです。
日本語では、主に相手に対する配慮から、「である」だけでなく、「だろう」「と思われる」「かもしれない」「のはずだ」「と言いたい」などさまざまな語尾の変化があります。
これが、日本語が論理的でないひとつの理由とされることがありますが、論理は文章の中身にあるのであって、語尾は単なる配慮です。
欧米の作文指導を一度研究したことがあるのですが、偶然、言葉の森が中学生以上に行っている作文指導とかなり似ていました。。
中1でやっている、意見を書いてその理由を述べるというような構成の仕方です。
しかし、中2でやっている総合家の主題というのはなかったようです。
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