小1~小6の2.3週の授業の動画をアップロードしました。
鳥の村の学年ごとの資料室でごらんください。
https://www.mori7.net/tori/index.php?k=10
なお、鳥の村の発表室は画像アップロードにエラーが出ていましたが、現在はアップロードできるようになっています。
ただし、今後動画などをアップロードされる場合は、googleフォトなどにアップロードしたものの共有リンクのURLを貼り付けていただくようになります。
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千代田区立九段中等教育学校 A.Kさん
(担当講師より)
ほんとうに粘り強く勉強していたKさん。作文の課題も、納得がいくまで何度も何度も書き直していました。
今年の作文の問題は難易度が高かったようですが、何とか頑張れたということでした。
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子供が学校ごっこをするとき、やりたがるのは生徒役ではなく先生役の方です。
普段、生徒だから飽きているのかもしれませんが、先生の方が主役に近い感じがするからです。
だとしたら、普段の勉強も、先生役としてやってもらえばいいのです。
もちろん、大人数でみんなが先生役をやったらわけがわからなくなりますから、全員が順番に先生役をやれるような人数でです。
教えてあげることと、教えもらうことと、どちらが楽しいかと言えば、教えてあげる方です。
これは、家庭での親子関係でも同じです。
普通、親が教える役で、子供は教わる役です。
すると、親の方は、つい熱心になって教えすぎてしまうことがあるのです。
本当は、子供は自分で考えて、「やっとわかった」と言いたいのですが、親が熱心に教えると、自分の力でわかる前に、人にわからされてしまうのです。
そういう勉強は、能率がよいように見えても楽しくはありません。
小学校低中学年のころに親に教えられすぎると、子供は小学4、5年生のころから、親に教えてもらうことを嫌がるようになります。
それは、自分で苦労してわかりたいという気持ちがわいてくるからです。
だから、親や先生は、子供がまだ小さいころから、教えるのを途中で止めることを学ぶ必要があります。
すぐに簡単に教えられることでも、「うーん、どうしたらいいんだろうねえ」と一緒に悩んであげるのです。
少人数クラスでは、みんなが先生役ができます。
そのときの本当の先生の役割は、これまでの教える先生の役割と少し違ってくるのです。
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これからの勉強の仕方は、子供が、教わる役ではなく教える役をするような形になります。
その方が勉強が楽しいし、理解もより深まるからです。
そのために必要になるのが、少人数で学び合う仕組みなのです。
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amazonの売れ筋ランキングの「教育・学参・受験 > 小学教科書・参考書 > 国語」の分野で、「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」という長い書名の本が(笑)、ベストセラー1位となりました。
あらためてご、購入いただいたみなさん、ありがとうございました。
この本の読解の章がしっかり読まれると、国語の読解問題は満点近くになる人が増えると思います。
そうすると、国語の試験は、読解問題よりも記述や作文を中心にする方向に進みます。
しかし、記述問題は、採点の基準があいまいで誤差も大きいので、将来は、作文の試験をしっくり見る方向に行くと思います。
そのとき、この本の作文の章が、更に役に立つようになります。
「風が吹いたら桶屋が」の話のようになりましたが。
2019/2/9 4:30
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毎日、こんなことばかり無邪気に書いているようですが(笑)、おかげさまでamazonの「参考書>国語」部門で1位になりました。
この本の読解の章は、子供に教える授業の教材としても使えると思います。
しかし、もっといい活用の仕方は、入試問題集などをもとに、選択問題の理詰めの説明を子供自身にさせることです。
勉強というのは、ただ聞いているだけよりも、自分から発表する方が面白いからです。
本当は、そういう教材を、読解検定問題作成委員会(仮称)で早く作りたいのですが、それを始めると、今でも遅れているほかの仕事が遅れてしまうので、もう少し落ち着いてからになります。
そのときは、また、みなさんのご協力をお願いします。
国語の得意な子は、読解問題を解くときに、すごく集中して読みます。
理詰めに読もうとすると、自然にそういう読み方になるのです。
しかし、ほとんどの子は、普通に読んで、普通に答えを選びます。
それは、ひとつには、理詰めに読むという方法を知らないからです。
もうひとつには、普通に読んでも、国語の場合はある程度の点数は取れるからです。
「これは当たったけど、こっちははずれた」とか(笑)。
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※その後、「在庫あり」に戻りました。2/9 3:00)
先ほど、amazonのページで、「読解・作文力」の本が、「通常1~2か月以内に発送します。」という表示になっていました。
在庫がなくなっているそうですので、お急ぎの方は、楽天ブックス(
https://books.rakuten.co.jp/rb/15782780/)や、ご近所の書店でご購入くださるようお願いします。
しかし、この調子だとamazonの順位は上がりませんが(笑)。
なお、ご購入前でも、購入される予定のある方は、小冊子郵送をお申し込みください。
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amazonの在庫がなくなり1~2か月待ちになっていますので、楽天ブックスやご近所の書店へ
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栄光学園中学校 T.U.さん
(担当講師より)
5年生の秋から受験勉強に専念されましたが、それまで毎週自分なりに目標を立てて、作文に取り組んでくれていました。
本当に嬉しいです。おめでとうございます!
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読解力がつく作文・感想文というのは、ただ作文を書くから読解力がつくのではありません。
自分なりに長文を読み、自分なりに考えて、自分なりの力作文を書くから読解力がつくのです。
作文の勉強をしている人は、作文を書くことが目的のように思っていますが、作文を書くというのは結果です。
目的は、書く前に、書くことを決めてくることであり、感想文の場合は事前に長文を読んでくることであり、お父さんやお母さんに取材したり自分でデータを調べたりしてくることであるのです。
小学校高学年や中学生になると、要領のいい子は、長文をあまり読まずに、ヒントを参考にしてそれなりにまとまった作文・感想文を書いてしまうことがあります。
作文だけを見ると、作文の勉強をしたように見えますが、それでは本当の力はつきません。
一方、事前に長文を読み、自分なりに考えたことを一生懸命に書く子もいます。
そういう子は必ず実力がついてきます。
書かれた作文という結果だけ見ると、違いはあまりないように見えても、その前の書く過程よって、将来の実力の伸びは大きく変わってくるのです。
ところで、通信教育の弱点は、作文を書く前の過程があまり見えないところにあります。
これが、寺子屋オンラインという少人数クラスだと、事前の準備がよくわかります。
それは、みんなの前で、自分の書くことを発表する機会があるからです。
作文を書くとぃうのは、小学校高学年以上の生徒にとっては、かなり精神的負担の大きい勉強です。
だから、小学校低中学年のころまでは、自分ひとりで作文の勉強ができたとしても、高学年からはある程度の枠組みがないと勉強ができません。
その枠組みのひとつとして有効なのが、オンラインの少人数のクラスです。
自宅ではなかなか作文が書けないという人は、寺子屋オンラインの作文クラスの体験をしてみるといいと思います。
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作文の勉強の本質は、書いた作文という結果にあるのではなく、書く前の考えたり調べたりする過程にあります。
だから、書いた作文を赤ペンでいくら詳しく添削しても、作文はある程度以上は上達しません。
それよりも、書く前の準備に力を入れるような勉強の仕方をする必要があります。
そのひとつが、小学生に渡している予習シートです。
もうひとつが、事前の準備をみんなの前で発表する寺子屋オンラインクラスのような枠組みです。
以前、教室に通っていた大学入試を目指す一浪の生徒が、教室で作文の練習をしたあとに言っていました。
「作文を書いたあとは、もうほかの勉強する気がしなくなっちゃうんですよね」
これが、ほかの勉強だったら、「数学の勉強が終わったから気分転換に英語の勉強でもやろう」となるのですが、作文の場合はそうではありません。
それぐらい、作文を書くというのは、高学年以上の生徒にとって精神的エネルギーを使う勉強なのです。
それをよく知らないお母さんは、「休んだ分も入れて、今日は三つ書いちゃいなさい」などと気楽に言うことがあるのです(笑)。
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発表学習の2.2週の授業の教材を作るのが遅れてしまいました。
この教材作りは、いずれ言葉の森の講師や、森林プロジェクトの講師や、寺オンの講師や、あるいは参加している保護者の方にも手伝って作ってもらおうと思っています。
さて、その教材の中で、理科の授業を作るために、小6の「電気と音」というところ見ていました。
電気は、光にも熱にも動きにもなるが、音になるのはどうしてかということは、実は私はよく知りませんでした。
たぶん、電気による動きを振動として音に変換しているのだろうと思いましたが、それがどういう仕組みで作られているかということは知らなかったのです。
そこで、スピーカーの仕組みというのを調べてみると、磁石の周りにコイルを巻いて、そのコイルに電気が流れるようになっています。
電流と磁石で、フレミングの左手の法則(というのが、いつも、どっちがどうだったか忘れてしまいますが)によって運動が生じるということです。
これを見て、なるほどと思うと同時に、こういう仕組みを子供たちが自分で調べて発表するとしたら面白いだろうと思いました。
たぶん、そういう発表があると思いますが。
ところで、もしこれが、先生が一斉授業として教えるのであれば、言葉の説明だけではほとんどの子がぼんやり聞いているだけだと思います。
実際に実験をするのは、時間がかかるのでなかなかやれないと思いますが、たとえ実験をしたとしても、生徒は多少喜ぶぐらいで、やがてすぐに忘れてしまうのではないかと思います。
ごく一部に、そういう自然の仕組みに感動して科学者を志す子がいるかもしれませんが、大多数の子は、試験に出る範囲の勉強だけして済ませてしまいます。
ところが、もしこれを自分の実験・研究としてみんなの前で発表する機会があったら、その勉強は、単なる勉強とは言えない面白いものとしてその子の心の中に残るでしょう。
今、発表学習で勉強している子供たちの発表の中には、毎回とても優れたものがあります。
わずか数人でその発表を聞いているのがもったいないようなものもかなりあります。
これをもっと広げることができれば、子供たちにとって、勉強は、もっとわくわくするものになると思いました。
学校や塾で行われるテストに間に合わせるためには、こういう勉強のわくわく感は必要ありません。
テストに出そうなところを詰め込んでしまえばいいからです。
しかし、その子の長い人生を考えると、勉強に感動した経験というのは必ずあとで生きてきます。
糸川英夫(日本の宇宙工学の父)が科学者を志した動機は、高校のときの理科の授業に感動したからだったそうです。
価値ある仕事の背後には、こういう感動があります。
感動があれば、必要な知識の詰め込みはいつでもできますが、詰め込みだけがいくらあってもそこから感動は生まれません。
だから、小学校時代は特に、勉強の面白さに感動する機会を持つことが大切なのです。
算数の勉強にも、感動はあります。
小学3、4年生までの算数は、計算技能の習熟のような勉強が中心ですから、あまり面白いとは言えません。
しかし、考える要素が出てくる小学5年生以降になると、算数の問題の中に、難しいパズルを解くようなものが出てきます。
これももし、他人から与えられたテストとして難しい問題をやらされるとすれば、面白いどころか苦痛になることが多いと思います。
人間は、難しいこと自体が嫌いなのでありません。人からやらされる難しいことが嫌いなのです。
その反対に、自分から進んでやることであれば、一般に易しいことよりも難しいことの方を選びます。それは、人間にはもともと向上心があるので、難しいことの方が楽しくできるからです。
だから、算数の勉強も、自分で問題を作ってみんなの前で発表するような形であれば、時間はかかりますが、難しいほど楽しい勉強になります。
大事なことは、子供たちが自分から進んでやることなのです。
発表学習クラスに参加している子供たちの中には、暗唱の練習をしている子もよくいます。
この暗唱も、みんなの前で発表するから、面白く続けられる面があります。
ただし、、作文クラスの場合は、いろいろな発表が多すぎると作文を書く時間が遅くなってしまうので、暗唱については、今後、作文クラスでは行わず、発表学習クラス中心に行おうと思っています。
さて、暗唱には、、日本文化の伝統になじみ、語彙が豊富になり、表現がなめらかになり、考えが深くなり、ものの見方が豊かになるというそれ自体の効果がありますが、それとともに当然ですが、記憶することが苦にならなくなるとい効果があります。
暗唱に慣れている子は、試験前の必要に応じての詰め込み勉強も楽にできるようになります。
理科や社会の知識的な勉強は、教科書や参考書を、寝っ転がりながら何度か読むだけでほとんど頭に入ってしまいます。別に寝っ転がらなくてもいいのですが、それぐらい簡単だということです。
小学生の場合は、ドリルをやらせるようなあまり面白くない勉強ではなく、自分から発表するつもりで行う楽しい勉強に時間を割き、その一方で暗唱を行い、テスト用の勉強としては、教科書の出題範囲を読書がわりに4、5回読むという形の勉強をしていくといいのです。
ところで、小学校時代は比較的面白かった理科の勉強が、中学に入ると急につまらなくなる気がします。
それは、どうでもいいと思われる理科的な知識が次々とテスト用に出されるようになるからだと思います。
この中学の理科も、もっと感動のある勉強にする工夫ができると思います。
そのポイントはやはり、子供たちが自分で取り組む勉強にするということです。
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人間にはもともと何か興味のあるものがあると、それを学問的に深めたいと思い、創造的に生かしたいという気持ちがあります。
この学問的、創造的というのが、発表学習の理念です。
なかなかそこまで行くのは難しいので、ただの発表になってももちろんいいのですが。
今は、多忙な子が多いので、テストに出る範囲だけ済ませればいいという勉強になりがちですが、本当はテストに出ないようなことまでやりたくなるというのが、勉強の本来の姿です。
勉強は、テストやドリルとしてやらされるから、あまり面白くないのです。
本当は、教科書を4、5回読めば大体のことは頭に入るので、あとは必要に応じてその知識がどのへんに書いてあったか思い出せればいいのです。
それを覚えなければいけない知識として勉強しようとするから時間がかかり、もっと面白いほかのことをする時間が足りなくなります。
だから、将来、テストというものは、教科書でも辞書でも何でも持ち込み可というものになると思います。
その方が、子供たちの学力はずっと向上するでしょう。
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