昨日3/13(水)の保護者懇談会で出された質問のうち、追加の説明が必要だったものを掲載します。
まず、英語の暗唱についてですが、大事なことは、日本語の暗唱が基本で、英語はその余録のようなものとして位置づけておくことです。
英語の暗唱で、英語力は確かにつきますが(野口悠紀雄さんも「『超』英語法」の中でそのことを強調しています)、しかし、あらゆる学力の基礎となるのは日本語ですから、日本語の暗唱を確実にやっておくことです。
ですから、言葉の森の暗唱検定も、英語の暗唱は、日本語の暗唱検定5級が合格したことが条件になります。
本当は、日本語の暗唱検定初段の合格を目指してからがいいと思います。
英語の暗唱を始める時期は、小学4年生からです。そのころは、知識的な理解以前に言葉として丸ごと英語を吸収できるからです。
しかし、小3以下で英語をやるのは、日本語力の発達が阻害されるので、小3までは、あくまでも日本語力の充実を中心にしておく必要があります。
英語の暗唱のリンクは、「暗唱検定文集」の中にあります。
▽暗唱検定文集
https://www.mori7.net/mine/as2.php
なお、暗唱に関して、齋藤孝さんの「日本語速音読」の本についての質問がありました。
一見、暗唱よりも簡単そうに見えますが、そういう中途半端なものをやるよりも、暗唱という形で実力をしっかりつけることが大事です。
斎藤さんは、いろいろなものを引用して次々に本を出していますが、その中には実績のないものもかなりあります。
言葉の森の暗唱検定のように、確実にやっている人がいて成果が出ているものを中心にやっていくことが大事です。
もうひとつの質問は、学習塾でも作文の授業があるようになって、選択しないことができないので、言葉の森の作文と両方やることになったという話がありました。
子供さんにとっては大変だと思いますが、言葉の森の作文を基本にしてがんばってやっていってください。
その学習塾で意見文の宿題があったが、どう書くかという質問がありました。
言葉の森では、意見文は中1から始めることにしていますが、小学校高学年の生徒でももちろん書けます。
ただし、小学生のころは、意見よりも実例を充実させる時期なので、意見文の前の説明文を中心に勉強をしています。
意見文の書き方の基本は、次のようになります。
1.第一段落は、状況実例と意見。(意見だけにする場合もあります。)
2.第二段落は、その理由又は方法と、その理由や方法の裏付けとなる体験実例。
3.第三段落は、第二の理由又は方法と、その裏付けとなる社会実例。(調べた話ではデータが入るとよい)
4.第四段落は、第一段落の意見への反対利権に対する理解を書きながら、再度自分の意見を書く。
作文の結びの5行に、自作名言を入れる。
4つの段落は、同じぐらいの長さで書いていけるといいです。
森リン大賞のページに、小5から高3(社会人)まで毎月の代表作品が載っていますから、それらを参考にして中高生がどういう文章を書いているか見ておくと意見文を書くときの参考になると思います。
▽森リン大賞の記録「森リンの丘」
https://www.mori7.net/oka/moririn_seisyo.php
なお、森リン大賞の代表作品を載せるのは小5以上にしています。
小1から小4の生徒の作文も優れたものがありますが、その時期の作文を載せると、保護者の方が自分の子供の作文と比較して、子供を煽ることが多く、それがもとで作文が苦手になるケースが多かったからです。
作文については、上手な子の作文と比較するようなことはせず、自分の子供の作文のいいところだけを見ていくようにしてください。それが実力を伸ばすいちばんの方法です。
昨日の新小5・小6の保護者懇談会の資料の説明の動画です。(質問と応答の部分は入れてありません)
▽新小5・小6の保護者懇談会の資料の説明
https://youtu.be/IRO58pkgdjg
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昨日は、夜8:15~9:00までの保護者懇談会でした。
昨日参加していだいた方の小学5、6年生の子供さんは、受験する子が大半だと思います。
受験が迫ると、のんびりしたことはやっていられないという気持ちになりますが、大きく見ると、みんな実力のとおりの社会人になっていきます。
途中の受験や合否の結果は、どっちの道で進んだかの違いぐらいです。
受験の合否で人生の明暗が分かれるようなことは、今の世の中ではありません。(昔は多少そういうことがありましたが)
だから、子供の本当の実力を育てることを第一に考えて子育てをしていくといいと思います。
3年前、小6の生徒の保護者から相談がありました。
学校の先生との面談で、勉強がよくできるから中学受験をしないともったいないとかなり真剣に言われたとというのです。
私は、実力があれば、どちらに行っても同じと言いました。
結局その子は中学受験はせず、公立中で楽しく過ごし、今年の高校入試で合格しましたが、行った先はやはり同じようなところでした。(同じよりもよかったかもしれません)
この子が、大学生になり、社会人になるころには、途中で受験をしたかどうかとか、合格したかどうかということは、結局どちらでも同じだったと、更に思うようになると思います。
実力さえつけておけば、途中のことは一応真剣に取り組むとはしても、それほど運命の分かれ道のように大きく考える必要はありません。
お父さんやお母さんは、受験の合否が自分の人生に大きく影響したと思いがちですが、それは昔の社会がインターネットというツールも、グローバルなマーケットもなく、少数のマスメディアが支配する国内だけの狭いヒエラルキーのシステムに閉ざされていたからです。
これからは、そういう過去の価値観が通用しなくなるのだということを前提に、子供の教育も大きく考えていく必要があります。
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横浜サイエンスフロンティア高校 T.I.さん
(担当講師より)
作文もメキメキと上達していましたが、勉強もコツコツとがんばっていたのだと思います。
特色検査(自己表現検査)では、言葉の森で勉強したことがとても役に立ち、合格したのは言葉の森のおかげと、お母様よりうれしい言葉をいただきました。
合格、おめでとう!
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小学生時代の学力の基本は読書です。
特に小学4年生までは、勉強面で難しいことはないので、読書さえしていれば学力の面での心配は要りません。
逆に言うと、小学4年生でいくら学校の成績がよくても、読書量が少ない生徒は学年が上がると成績が頭打ちになります。
それぐらい、子供の勉強生活で読書の役割は重要なのです。
よく、どういう本がよいかと聞かれることがありますが、よい本を選ぶこと以上に大事なのが、毎日読む習慣をつけることです。
読書好きになるから本を読むようになるのではなく、毎日読む習慣を続けるから読書好きになります。
本を読まない子は、いい本がないから読まないのではなく、読む習慣がないから読まないのです。
しかし、もちろんよい本というものはあります。
例えば、教室でよくすすめる「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ著)は、どの子も貸すと一日で読んできます。内容は、大人が読んでも面白いものです。しかし、何の賞も取っていません。
昔は、よい本の選び方を聞かれると、日本の読書環境は充実しているので、小学4年生までは、書店に行って並んでいる本がいい本と考えてよいと言っていました。(小学5年生以降はやや違いますが)
しかし、今はそれはあまり当てはまりません。なぜなら、子供におもねるような売れ行きよい本ばかりが積んであるので、子供は自然にそれらを選んでしまうからです。
いちばんいいのは、やはり図書館を利用することで、日曜日は家族全員で図書館に行って本を借りてくるという生活を家庭の文化にすることです。
図書館の子供向けの本は、物語文の本と説明文の本に分かれていることが多いと思いますが、説明文の本(ノンフィクションコーナー)には、書店ではなかなか手に入らない良書があります。
子供の興味や関心に応じて、説明文の本を読めるようにすると、読書の幅が広がります。
書店で本を購入する場合、参考になるのは本の奥付で、何度も印刷されている本はそれだけ多くの人に評価されている本なので、本を選ぶ際の基準になります。
また、これまでに人気のあった本をシリーズ化した、青い鳥文庫、フォア文庫などのコーナーがあれば、そのコーナーの中から選ぶようにすれば安心です。
しかし、子供は表紙と題名だけで本を選ぶので、必ず一緒に行ったお母さんが中身を見てみることです。
インターネットを利用して本を購入する場合、全国学校図書館協議会の課題図書が参考になります。
全国学校図書館協議会のウェブサイトにも、これまでの読書感想文の課題図書の一覧表があります。
http://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/pastbook/612015.html
これらの本の中で古いものは、1円で買えるものがあるので(送料が250円かかりますが)、良書を選ぶ参考になると思います。
インターネット端末で読める本には、まだ子供向けの本が少ないようですが、いずれもっと普及するようになるはずです。
1冊の本を6台の端末(PCも含む)で共有できるので、家族全員で同じ本を読むことができます。
読む習慣をつけることとよい本を選ぶことが読書生活の両輪ですが、それらを実現する方法として、作文クラスと発表学習クラスで毎週行っている読書紹介があります。
毎週の読書紹介で本を読む習慣ができたとか、他の人の紹介してくれた本を参考に読書の質が変わったとか、みんなに紹介する手前よい本を読むようになったとかいう声が出ていました。
やはり、子供は親や先生に言われてやるよりも、友達がやっているのを見てそれをやるほうが自然にできるのだと思います。
昨日の、保護者懇談会の質問時間には、読書に関する話がかなりありました。
(ただし、下記の動画は資料の説明だけで、質問時間での話は載せていません。)
▽新小3・小4保護者懇談会資料の説明(2109.3.12)
https://youtu.be/oroKVPOqDvs
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子供の知的生活の基本は読書です。
特に小学4年生までは、家庭では勉強よりも読書が優先です。
宿題が多くて読書をする時間がなかったら、お母さんが宿題をやってあげるぐらいです。
読書さえできれいれば、勉強はできてもできなくても関係がありません。
読書力のある子は、勉強をやればすぐにできるようになるからです。
親は子供にいい本をすすめる必要があります。
今の社会では、子供におもねる本が増えています。
怖い本とか、気持ちの悪い本とか、「おしり」とか「うんこ」とかばかり書いてある本です。
子供は、もっと美しい感動のある本の面白さを味わうべきなのです。
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下に掲載したのは、昨日の新小1、小2の保護者懇談会の冒頭の説明資料です。(約10分)
保護者の方から、質問を受け付けました。
その中で、子供が作文をいやがる、音読がわずか数行なのにいやがる、どうしたらよいかという質問がありました。
小学校低学年のころは、幸福な子供時代を過ごすことが第一ですから、いやがるようなことはしない方がいいのです。
しかし、それでは何もしないことになってしまうので、いやがらずに楽しくやれるような工夫をすることです。
そのためには、子供に「勉強させる」という考え方ではなく、「子供と一緒に知的で創造的な生活を楽しむ」という考え方で考えていくといいのです。
作文の場合であれば、親子で作文の題材を探しに行く、親子で作文の構想図を書く、親子で作文を書く、又は、寺オン作文クラスで同じ学年の友達と一緒に勉強する、というようなやり方です。
何もしないでぼんやり過ごすよりも、そういう積極的な生き方で暮らした方が楽しいからです。
音読の場合であれば、親子で一緒に読む、親子で暗唱の練習をする、又は、先ほどと同じですが、寺オン作文クラスで暗唱の発表をするというようなやり方です。
そして、どの場合も、そのあとは大いに褒めるのです。その褒め方も、かなりオーバーに喜んで褒めるのです。
子供は褒められるのがうれしいというよりも、お母さんが喜ぶ姿を見るのがうれしいからです。
子供がつまらなそうな顔をしていたら、どうしたらおもしろくできるかを考えて、その場でいろいろ工夫してみるのがお母さんの役割です。
その工夫というのも、それほど時間をとるものにする必要はありません。
いちばん簡単にできるのは、親子で楽しくお喋りをすることです。
何しろ、子供が笑顔で過ごせる時間をできるだけ長くすることが、小学校低学年の生活の基本です。
いやいや勉強させるよりも、笑って過ごす方が、子供はずっとよく成長するからです。
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昔の子供は、勉強は学校でするもので、家に帰ったら遊んでばかりいました。
そして、遊びが終わると、ほかにすることがないから、親子で話をしたり本を読んだりしていました。
それが子供の知的生活だったのです。
今は、学校から帰って、ドリルを解くような勉強をしぶしぶやったら、あとは、テレビを見たりゲームをしたりという受け身の生活で時間を過ごす子が多いと思います。
知的生活のトータルで考えると、昔の子供の生活の方がずっと知的だったと考えることもできます。
大事なのは、勉強らしい外見ではなく、子供が積極的に何かに取り組んで生きているということなのです。
低学年のころの勉強は、問題集を解かせるよりも、親子で知的な生活を楽しむようなものにしていくといいのです。
今だったら、子供に、「今度の日曜日、お父さんと一緒にオタマジャクシとりに行こうか。どういうところにいるか調べといて」というようなことが、知的な生活です。
そういう楽しい生活の方が、子供の頭はずっと活性化するのです。
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作文の学習で大事なことは、書いたあとの添削ではなく、書く前の準備です。
書く前の準備がしっかり行われていれば、作文は自然に充実したものになります。
そして、充実した作文を書くことが実力になります。
これがもし、あまり準備をして来ずに適当に作文を書いたとしたら、そのあといくらていねいな添削をしても、作文力は上達しません。
いい作文を書こうとするから、作文力がつくのです。
いい作文を書こうとする意欲は、友達との交流の中で生まれます。
先生の評価ももちろん大切ですが、学年が上がるほど、子供たちは先生よりも友達の目を意識するようになります。
寺オン作文クラスでは、生徒一人ひとりがその週に書く作文の準備を発表します。
そして、その発表に対して、やはり生徒一人ひとりが質問や感想を言います。
この発表と感想は楽しいものですが、ここであまり時間をとると、肝心の作文の実習時間が少なくなってしまいます。
そこで、発表の時間も感想の時間も、できるだけ設定した枠内で行うようにしてもらいます。
寺オン作文クラスの運営は、まだ始めたばかりですが、参加する生徒はどの子も生き生きと発表し感想を述べ、作文も毎回力作を書いています。
これからの作文教育は、この少人数クラスの形で発展していくと思います。
以下は、かなり長い、音声だけの動画ですが、子供たちが楽しく発表し感想を述べている様子がわかると思います。
▽寺子屋オンライン作文の授業の中での発表と感想(土900-0309)
https://studio.youtube.com/video/JH1yb3y8pIM/edit
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寺オン作文クラスの授業の様子です。(音声のみ)
オンラインなので、直接会ったこともない子供たちが、昔からの友達と話すように楽しげに話している様子がわかると思います。
最初は話すのが苦手だったような子も、慣れてくればすぐにみんなと同じように話をします。
しかも、作文の準備や読書紹介という話す内容があるので、誰でも話をしやすいのです。
この日は、次の週からクラスを分けてしまうという、全体で話すのは最後の週なので、発表と感想の時間をゆっくり取りすぎてしまいました。
しかも、この授業のあと、子供たちどうしで読書紹介もやってもらったので、そのあと作文を書くと、昼近くまでかかった子もいるのではないかと思います。
次回はもっと手短にできると思います。
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昭和学院秀英高等学校
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志学館高等学校(SS特待) T.N.さん
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京都市立堀川音楽高校指揮科/相愛高等学校作曲科 K.Y.さん
(保護者の方より)
この度受験コース前よりお世話になり作文の作り方、文章の書き方等、ずいぶんと大人っぽくなった様に思います。本をよく読む習慣がついていないので文を作るのも苦手としておりましたが、先生のコメントをいただきながら少しずつ毎週積み重ねたものが本人の実力になっていったと思います。また学校生活が落ち着きましたら、今度は国立大学へ進路にむけてまたご指導お願いします。
(担当講師より)
ご進学おめでとうございます。理想の未来に近づいてください。心より応援しております。
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3月21日(木祝)に読解検定を行います。
https://www.mori7.net/jform_pre.php?f=dks201903
その学年別問題文のページができました。
https://www.mori7.net/dokken/
問題文の量が多いので、あらかじめ読んでおいていただくように問題文は別途郵送します。
海外から受検される方は、申し訳ありませんが、ウェブからプリントしてくださるようお願いいたします。
問題は、試験日当日に公開します。
その問題を見て45分間で解き、ウェブから解答を送信していただくという形になります。
ウェブからの送信ができない方は、お電話で解答番号を言っていただく形でも結構です。
▽高校3年生の問題文のサンプル
(こういう問題文が4つあります)
ウェーバーは 読解検定長文 高3 冬 1番
ウェーバーは、十九世紀ロシアの
文豪、トルストイに非常に注目していて、合理化の問題を考えるときにトルストイにたびたび
言及しています。
そのトルストイの『人生論』の中にこんなエピソードが
紹介されています。
あるところに水車小屋で粉ひきをしている男がいました。
彼は自然の
恵みの中で朝から晩まで
一生懸命働いていたのですが、あるとき水車のメカニズムに興味を持ちます。そして、水車が引きこまれてきた川の水によって動いていると理解すると、今度は川の研究に熱中してしまい、気がついてみれば、本来の仕事である粉をひくことを忘れてしまっていた――というものです。
トルストイのテーゼは
徹底的に「反科学」です。科学はわれわれが何をなすべきかということについて何も教えてくれないし、教えてくれないばかりか、人間の
行為がもともと持っていた大切な意味をどんどん
奪っていくと考えました。
漱石も
彼らとまったく同じことを言っています。
「
野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に
纏うものを
捜し出し、自分で
井戸を
掘って水を飲み、
又自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに
我慢をして居れば、……生活上の知識を一切自分に備えたる点に
於て完全な人間と
云わなければなりますまい」(講演『道楽と職業』)
だからと言って、
漱石もウェーバーも、進んでいく時代の流れには
抗えないと考えていました。ウェーバーの言葉を借りれば、「認識の木の実を食べた者は、もう後には
戻れない」のです。
このような中で、私たちはどのような知性のあり方を信じ、あるいは選びとっていったらいいのでしょうか。
人類学者の
レヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」的な知の可能性を探ってみることです。ブリコラージュとは「器用仕事」とも訳されますが、目前にあるありあわせのもので、必要な何かを生み出す作業のことです。私はそれを拡大
解釈して、中世で言うクラフト的な熟練、あるいは身体感覚を通した知のあり方にまで∵
押し広げてはどうかと考えています。
科学万能の流れの中で、迷信や宗教などは
駆逐されていきましたが、それらは完全に消えたわけではなく、ニーチェ的に言うと「背面世界」となってこの世の
片隅にちりばめられて残りました。その中に「土発的」な知(自然の移ろいの中に生きて、そこから発するような知)の伝統がささやかに息づいていました。
それらは一時
絶滅寸前までいったのですが、いままた少しずつ見直されているような気がしています。
じつは、このことを考えるたびに、私は自分の母のことを思い出すのです。母は、言わば前近代的な宗教の伝統や習慣を守って生きていた人でした。四季の行事、
歳時記的なこと、人の生き死に、成長、
衰退への考え方など、そのありようはまるで
旧暦の世界のようでしたが、
驚くべきことに、それは
循環を
繰り返している自然の
摂理とぴったり
一致していました。ですから、人間が本当に知るべきことは何なのかを考えるとき、そこにもヒントがあるような気がしています。
(
姜尚中『
悩む力』による)
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読解検定の問題文のページを公開します。
この読解問題を解き、自分がどこが合っていてどこが間違っていたかを理詰めに理解すれば、国語の成績は必ず上がります。
これは、これまで教えた中学生も、高校生も例外なく姓ぜきが上がったからです。
ただし、基本的な読む力は必要なので、理詰めに解く解き方を理解してもなかなか成績が上がらない場合は、問題集読書を並行してやっていく必要があります。
解く方法と読む力の両方があれば、国語の読解問題は完璧です。
そして、余った力は作文力を向上させる方に回せばいいのです。
読解検定の問題は、「読解・作文力が身につく本」に書いてある読解問題の解き方をもとにして作られています。
この検定試験で理詰めに解く解き方を身につければ、国語の成績は安心です。
ただし、読む力の基本は必要なので、難読力と速読力は、問題集読書でつけていく必要があります。
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