植物に人間の気持ちが伝わるという実験があります。
塩谷信男さんが、切り取った葉っぱに、何もしない葉っぱ、声かけをする葉っぱ、気持ちを伝える葉っぱなどというような区別をして何日か置いてみたところ、何もしない葉っぱはすぐに枯れてしまったのに、気持ちを伝えた葉っぱは長い期間青々ととしていたというのです。
植木でも、人間が話しかけたり触れたりして、関心を持たれるような育て方をすると、虫がつきにくいということがあるようです。
植物でもそういうことがあるのですから、人間でも同じようなことがあるはずです。
特に、心が素直な子供たちは、そういう影響を最も受けやすい存在です。
だから、子供を成長させるものは、食べ物とか習い事とか、お金をかけて外側から与えるものではなく、子供にとって最も身近な存在であるお母さんが、その子を見つめて、話をして、聞いてあげ、なでてあげて、その存在をそのまま肯定して認めてあげることなのです。
今の世の中では、子供は常に社会の側から評価される圧力の中で暮らしています。
勉強ができるとか、何かの役に立つとか、社会からの評価がよければ認められるが、評価がよくなければ認められないという環境の中で暮らしています。
何かができたから褒められるということは、もしそれができなかったら自分は褒められる価値がないのだというメッセージを子供に送っていることと同じです。
だから、母親は、子供がよくできたときも、よくできないときも褒めてあげることが大事なのです。
出来の悪い子がいた場合、お母さんはそこで悩むべきではありません。
せっかくのこの人生を、出来が悪いという形で登場してきているならば、その役割を楽しんで生きるというふうに発想を切り替えるのです。
出来の悪いことも含めて、それはその子の価値ある個性だというふうに発想を転換する必要があります。
なぜなら、出来のよいい子が普通にまともな人生を送ったとしても誰も何とも思いません。
しかし、もし出来の悪かった子が、将来社会人になって、こんなに楽しく暮らしているのだということを示すことができれば、それは出来のよいい子が普通にまともに暮らしているよりも、何倍も個性的で、また多くの人に希望や与えることになるからです。
子供には、できる子、できない子、いい子、だめな子というふうに分類する圧力が、社会の側からは常に送られてきます。
小さい子供には、まだすぐにその圧力をはねかえす力はありません。
だから、お母さんが、その出来の悪いことも含めて、あなたがいちばんいい子なんだよというメッセージを常に送ってあげる必要があるのです。
人間の成長の最も大きな要因は、身近な人からの愛情のこもった眼差しであって、それさえあれば子供は正しく幸福に成長していけるのです。
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言葉の森の教室に来る子で、ときどき、「ただいまあ」と言って入ってくる子がいます。
そのあと、「あ、まちがえた」と言いますが。
また、先生を呼ぶときに、ときどき「お母さん」と呼ぶ子がいます。
そのあと、「あ、まちがえた」と言いますが。
教室の居心地がいいのは、先生が、いつも、よくできたところを褒めているからです。
できなかったところを注意して、ほかの生徒と競争をさせてがんばらせるというようなことをしていないからです。
そして、そういうのどかな勉強の仕方で、みんな上達していくのです。
親の役割は、子供にあれこれ習わせて、よくできる子に育てるというようなことではなく、「あなたはそのままでいい子なんだよ」という単純なメッセージを、どんなときにでも子供に伝えていくことです。
「勉強ができない? いいんだよ、そんなこと(笑)」
「失敗しちゃった? いいんだよ、そんなこと(笑)」
「あなたが楽しく暮らすことがいちばん大事なんだから、いろいろ困ったことがあっても、その困ったことを楽しみながら暮らしていけばいいいんだよ」
ということを子供に伝えていくことなのです。
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私が尊敬している人の一人、増田俊男さんは、2020年11月の米大統領選のあとに、株価の大暴落が始まり、ハイパーインフレになると言っています。
なぜ増田さんを尊敬しているかと言えば、日本のことを真剣に考えているからです。
私が尊敬するもう一人の人、副島隆彦さんは、2024年の新札はデノミの布石だと言っています。
原田武夫さんや、原田さんを紹介している金の玉造さんも同じように言っています。
割合はどうなるかはわかりませんが、わかりやすい形では、今の福沢諭吉の1万円札が、新千円札の北里柴三郎になるということでしょう。
では、そのように予測される未来に対して、私たちはどう対処したらいいのでしょうか。
経済や金融の専門家は、「金(きん)を買え」と言います。
それは一理ありますが、金を食べて暮らすわけにはいきません。
金を買うほど余裕のない人は、食糧生産を自分で始めるとか、あるいは食料を備蓄するとかいうことを考えます。
それも一理ありますが、それは、未来を志向した対策ではなく後ろ向きの対策です。
金を買うよりも、もっと流通性のある仮想通貨を買うべきだという人もいます。
ペイパルの創業者であるピーター・ティールさんは、仮想通貨をデジタルゴールドを呼んでいます。
アマゾンなどのネットショップの商品も、今後仮想通貨で購入できるようになるだろうことを考えると、仮想通貨は金よりも使い勝手がよさそうです。
しかし、それももちろん後ろ向きの発想です。
なぜ後ろ向きかというと、自分だけ助かればよいという考えだからです。
では、前向きの発想とは何でしょうか。
前向きの発想とは、これまでの、古い、バブルで吹き飛ぶような、人間の真の幸福に結びつかない、GDPを引き上げるだけの、旧来の仕事にしがみつくのではなく、それらの古い価値観から脱却した新しい仕事を始めることです。
その新しい仕事の基準は、ひとことで言えば、ほかの人に喜ばれることをするということです。
喜ばれるというのは、その仕事の対象となる人の幸福、向上、創造、貢献に資することです。
しかし、これまで特に何の準備もしてこなかった人が、仕事としてできることは限られていると言う人が多いと思います。
そうではありません。
最も直接的にできることは、明日の日本の創造の担い手となる子供たちを育てることです。
子供たちの教育に、知識や技能は必要ありません。
知識や技能は、既にさまざまなところで提供されています。
そして、人間が本気になれば、必要とされる教育の知識や技能はすぐに身につくものだからです。
大事なことは、知識や技能ではなく、子供たちを一人の例外もなくその子の最もよい状態になるように育てようという志です。
そういう考えで、森林プロジェクトの寺オン講師育成講座を始めました。
展開が当初の予定よりも遅れていますが、今後、言葉の森が全教科の学習をカバーするようになることに対応して、同じような考えを持つ人と幅広く協力していきたいと思っています。
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私の中には、新しい未来の社会のイメージがあります。
だから、これから大きく見れば、世の中はよくなります。
しかも、驚くほどよい世の中になると思っています。
と思いつつも、足もとを見ると、ぬかるみの道が延々と続いているようです(笑)。
しかし、何度か道を曲がると、突然ぬかるみが終わり、新しい明るい道が山頂まで続いているようなところに出るのです。
これからの教育の主人公は、子供自身です。
先生は、脇役です(笑)。
主人公の立場で行動する人が、最も成長するからです。
子供全員が主人公になるためには、人数は少なすぎず、多すぎず、全員が対話に参加できる規模でなければなりません。
そういうクラスを寺子屋オンラインで作っていきたいと思います。
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