【前回の話】
先日、面白い調査を見ました。
STEM教育という言葉を知っている人は、子供の教育に対する関心が高いという調査結果です。
私はSTEM教育というのは最近の本によく出てくる普通の言葉だと思っていたのでこの話は意外でした。
STEMとは、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスの頭文字です。
これにアートをつけて最近流行っているのがSTEAMという言葉ですが、これはSTEMの本質とは別の概念を付け加えただけのもので、単なる思いつきのようなものです。
それはともかく、STEM教育という言葉から受ける印象の第一は、こういう訳の分からないアルファベットは使わないでほしいということです(笑)。
日本の教育が遅れていると思う最も大きな理由は、このように横文字が多すぎることです。
それは結局、日本の風土や文化に根差した教育というものを作り出せない教育者が、海外からのものをただ日本に移植しようしているからだと思います。
教育界は、戦後すぐのなし崩し的に欧米文化を受け入れた時代からほとんど進歩していないように思えます。
ところで、私はこのSTEM教育というものに、基本の80%は賛同していますが、残りの20%は何か不足しているものがあるような気がしていました。
それが、最近になって日本文化の根底に流れている重要な要素がないからではないかと思うようになりました。
日本にも、江戸時代から、STEM教育の長い歴史がありました。
だから、種子島の鉄砲もすぐに作ることができ、零戦や隼も作ることができたのです。
しかし、そこにあるのは単なるサイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスではありませんでした。
それだけなら、誰がやっても同じです。
話は飛びますが、戦時中の日本にも、原爆を開発する計画があったようです。
しかし、その計画を知った天皇が、たとえ戦争に勝つためと言ってもそういう兵器を開発してはならないと研究を止められたのです。
日本人であれば、この感覚はよく分かると思います。
このことに似た話は、日本の歴史には数多くあります。
ただそれが、今の歴史教育の中に、ほとんど伝わっていないだけです。
サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティクスの四つの言葉だけでは、「敵に勝つとはためとはいえそういう非間的な兵器の開発はやめよう」という発想は出てきません。
むしろ、日本以外の外国の常識は、「目的は手段を正当化する」です。
日本は違います。「君子財を愛す、これを取るに道有り」の文化です。
手段にも、人の道というものがあるのです。
天皇の終戦の詔勅でも、その根底にあったのは、人類にこれ以上非人間的な行為をさせてはならないという意思でした。
負けそうだから戦争やめようというのではなかったのです。
当時の世情を知らない人には理解しにくいでしょうが、人類がこれ以上無意味な殺傷することを辞めさせたいと思って終戦を宣言したのです。
これも、ほとんどの日本人なら分かると思います。
どっちが正しいかということよりも、もう争うのはやめよう、同じ人間なのだからという心理です。
しかし、余計なことですが、当時のアメリカは、日本の本土空襲を行い、木造家屋をどれだけ効率よく延焼させ、国民の被害を大きくするかということだけを考えていたのです。
これがSTEM教育の限界です。
合理的ではあって人間味のないSTEM教育を緩和するために付け加えられたのが、アートという概念ですが、それはSTEM教育の本質とは結びついていません。
これに対して、日本には、明治時代の初めから和魂洋才の精神がありました。
洋才は、もちろんSTEMでいいのです。
しかし洋才だけに走れば、武器の開発は核兵器にまで進み、更に今日のように核兵器を超える兵器の開発へと進みます。
その科学技術の進化をコントロールする力は、アートという概念にはありません。
日本は、江戸時代に既にヨーロッパのどの国よりも多くの鉄砲の生産量を誇っていたと言われています。
しかし、戦国時代が終わり平和な社会が来ると、それとともに鉄砲の進化も止まりました。
ヨーロッパでは、鉄砲は次々に改良され、より強力な武器へと、武器そのものが科学技術によって進化していきました。
STEM教育は、今の文脈で語られる限り人間の幸福のための教育にはなっていません。
科学技術という洋才の外枠をコントロールする和魂という中心がないからです。
しかし、和魂は、平和とか人類愛とかいうような空虚な言葉ではありません。
日本文化における和魂の精神を支えてきたのは、言葉ではなく所作だったのだと思います。
言葉は、ある生きた中身を外から表す結果であって、言葉自体が生きた中身なのではありません。
大事なのは、その言葉が意図する内容を行為することであり、その行為という所作の中に日本文化の本質があります。
身近な例で言えば、玄関で靴をそろえるというのは、あとから来た人が気持ちよく入れるようにするためです。
靴をそろえるときの人間は、平和や人類愛などという言葉を考えているわけでありません。
しかし、その所作を繰り返す中で、自然にその場にはいない他の人に対する思いやりが生まれてきます。
目的は手段を正当化するという考え方からは、正しい目的であれば、手段は汚くてもかまわないという考えが自然に生まれるでしょう。
動作あるいは所作を美しくする文化からは、手段の美しさを基準にして目的をコントロールする考え方が生まれます。
この世界には、競争や勝敗があります。
競争に勝つことは第一の目的ですが、その目的と同じくらい大事なのが、競争する相手に対する共感や思いやりです。
その共感や思いやりは、目的においてではなく方法において現れてきます。
科学技術の持つ合理性という目的は、どこからも制約されない大義名分として成り立っています。
その大義名分と異なる価値観は、日本文化の中に流れているさまざまな所作の中にあるのです。
わかりやすく言えば、日常的に美しい動作を心がけている人にとっては、勝つという目的のためには手段は汚くてもよいという考えは生まれません。
オリンピックでドーピングが話題になることがあります。
また一方、日本の選手やサポーターが、試合のあと自分のいた場所をきれいに片付けて帰ることが話題になることもあります。
部屋をきれいに片付け、グラウンドに一礼をして帰る人が、次はどのように見つからないように反則をするかなどということは考えつきもしないのが普通です。
落とした財布が返ってくるのは、そういう法律があるからでも、罰則があるからでもありません。
すべて日常的な所作の延長に、自然にそのような姿勢が生まれてくるのです。
ここに、単なるSTEM教育の、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスだけではない、新しい日本的な科学技術教育の可能性があります。
言葉の森では今、発表学習クラスで、理科実験や社会調査をもとにした自由研究の発表を行っています。
発表学習で大事なことは、ただ受け身で知識を吸収することではなく、自分から進んで調べたり実験したり経験したり工夫したりすることです。
つまり、そこにある行為(所作)の中に、日本文化を伝えるきっかけがあります。
これから、単なるSTEM教育ではない、日本的な文化科学教育として、発表学習クラスの教材を作っていきたいと思っています。
▼発表学習クラスの授業から
「顕微鏡(けんびきょう)で野菜の皮を観察」
https://youtu.be/qPJ_55sKWvg
「料理を作ったこと」
https://youtu.be/h2l67_HGvRo
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
針供養をやる家庭は、もうありませんが、長年使って小さくなった鉛筆を捨てるとき、心の中で「ありがとう」という気持ちになる人は多いと思います。
仕事も勉強も、基本は合理性に基づいていますが、単なる合理性を超えたものを持つのが日本文化です。
その合理性を超えた文化を、科学技術教育の中でも生かしていくことができると思います。
科学技術教育は大事ですが、それ以上に大事なのが科学技術を支える心の教育です。
しかし、心の教育は、抽象的な道徳の話として行われるものではなく、科学技術の実践の中で行われるものなのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。発表学習クラス(0)
6月の読解検定が、先ほど終了しました。
この試験は、百点を取ることが目標なので、かなりハードルが高い試験です。
毎月、百点合格者は、全体の10%程度です。
今回の百点は、小2と小4の2人の生徒でした。
難しい問題文を読み、厳密に解く問題ですから、読む力と解く方法の両方が必要になります。
この試験でコンスタントに百点近い成績を取れるようになると、国語の実力は完成と言ってよいでしょう。
しかし、学年が上がるにつれて読み取る文章も難しくなってくるので、国語力の完成も学年ごとになります。
対象学年は、小1から高3までです。
高3で百点を連続して取れるようになった人は、センター試験でも百点近い成績を取れるようになります。
今回、惜しくも百点にならなかった人は、×になったところの理由をよく考えて次回また挑戦してください。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
読解検定は、百点だけが合格ですから、かなりハードルの高い試験です。
しかし、国語は理詰めに考えれば百点を取れる勉強なのです。
また、たとえ百点を取れなかったとしても、理詰めに考える練習をした生徒は必ず国語の成績が上がります。
また、ついでに英語の成績も上がるのです(笑)。
それは、英語の選択問題も、易しく作られた国語の選択問題と同じ性質のものだからです。
国語の得意な生徒と苦手な生徒は、問題の解き方が違います。
得意な生徒は、「絶対に正しい答えを選んでみせる」という強い集中力で取り組みます。
だから、×になると、ときどき電話で問い合わせをしてきます。
「どうして、ここがこうなんですか」という質問です。
そういう質問をしてくる生徒は、みんな成績がよくなります。
だから、大事なのは取り組むときの姿勢なのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。読解力・読解検定(0)
先日、面白い調査を見ました。
STEM教育という言葉を知っている人は、子供の教育に対する関心が高いという調査結果です。
私はSTEM教育というのは最近の本によく出てくる普通の言葉だと思っていたのでこの話は意外でした。
STEMとは、サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスの頭文字です。
これにアートをつけて最近流行っているのがSTEAMという言葉ですが、これはSTEMの本質とは別の概念を付け加えただけのもので、単なる思いつきのようなものです。
それはともかく、STEM教育という言葉から受ける印象の第一は、こういう訳の分からないアルファベットは使わないでほしいということです(笑)。
日本の教育が遅れていると思う最も大きな理由は、このように横文字が多すぎることです。
それは結局、日本の風土や文化に根差した教育というものを作り出せない教育者が、海外からのものをただ日本に移植しようしているからだと思います。
教育界は、戦後すぐのなし崩し的に欧米文化を受け入れた時代からほとんど進歩していないように思えます。
ところで、私はこのSTEM教育というものに、基本の80%は賛同していますが、残りの20%は何か不足しているものがあるような気がしていました。
それが、最近になって日本文化の根底に流れている重要な要素がないからではないかと思うようになりました。
日本にも、江戸時代から、STEM教育の長い歴史がありました。
だから、種子島の鉄砲もすぐに作ることができ、零戦や隼も作ることができたのです。
しかし、そこにあるのは単なるサイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティックスではありませんでした。
それだけなら、誰がやっても同じです。
話は飛びますが、戦時中の日本にも、原爆を開発する計画があったようです。
しかし、その計画を知った天皇が、たとえ戦争に勝つためと言ってもそういう兵器を開発してはならないと研究を止められたのです。
日本人であれば、この感覚はよく分かると思います。
このことに似た話は、日本の歴史には数多くあります。
ただそれが、今の歴史教育の中に、ほとんど伝わっていないだけです。
サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、マセマティクスの四つの言葉だけでは、「敵に勝つとはためとはいえそういう非間的な兵器の開発はやめよう」という発想は出てきません。
むしろ、日本以外の外国の常識は、「目的は手段を正当化する」です。
日本は違います。「君子財を愛す、これを取るに道有り」の文化です。
手段にも、人の道というものがあるのです。
天皇の終戦の詔勅でも、その根底にあったのは、人類にこれ以上非人間的な行為をさせてはならないという意思でした。
負けそうだから戦争やめようというのではなかったのです。
当時の世情を知らない人には理解しにくいでしょうが、人類がこれ以上無意味な殺傷することを辞めさせたいと思って終戦を宣言したのです。
これも、ほとんどの日本人なら分かると思います。
どっちが正しいかということよりも、もう争うのはやめよう、同じ人間なのだからという心理です。
しかし、余計なことですが、当時のアメリカは、日本の本土空襲を行い、木造家屋をどれだけ効率よく延焼させ、国民の被害を大きくするかということだけを考えていたのです。
これがSTEM教育の限界です。
(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
日本では、STEM教育を普及させようとい声が生まれていますが、本当はもっと先に行く必要があります。
なぜなら、サイエンスも、テクノロジーも、エンジニアリングも、マセマティックスも、既に日本にはあり、むしろその限界を多くの人が感じているからです。
その限界とは、ひとことで言えば、心のない科学が発展しても、世の中はよくならないということです。
しかし、心とSTEMは対立するものではありません。
もっと大きな枠の中で一致するものなのです。
種子島に鉄砲がもたらされたときの日本にあったのは、すでに普及しているSTEM教育でした。
しかも、そこにあったのは、今言われているSTEM教育よりももっと大きな枠組みを持ったものだったのです。
その日本のSTEM教育を広げていく必要があります。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。未来の教育(31)
言葉の森は、これまで作文・小論文の指導を中心に行ってきましたが、現在、読解検定、暗唱検定、発表学習クラス、合宿教室、教育相談など、作文の枠を超えたものにも数多く取り組んでいます。
また、今回、自主学習をクラス単位で行うようにし、中学入試、高校入試も含めた全教科の学習指導をオンラインで行うようにしました。
言葉の森には現在60名の作文講師がおり、その多くは10年、20年以上の経験を持つベテランの講師です。
また、現在森林プロジェクトの作文講師資格講座を合格した講師が100名以上います。
これらの現状をもとに、7月から、言葉の森を「オンラインスクール」という形で定義することにしました。
したがって、作文指導も、オンラインスクールの中の作文の指導という位置づけになり、発表学習クラスや自主学習クラスも、オンラインスクールの中のそれぞれのクラスという位置づけになります。
当面の実際の指導運営は、これまでと変わりませんが、将来はオンラインスクールという面を更に大きく打ち出していき、授業時間の枠も午前中から夜間にまで広げていく予定です。
言葉の森に現在参加されている方も、今後、言葉の森を、学習塾や学校と同じようなものとして参加、活用していってくださるようお願いします。
具体的には、海外の方はオンラインの日本語補習校として利用できます。
国内での不登校の方はオンラインのフリースクールとして利用できます。
学校から帰ってひとりで家で留守番をしている方はオンラインの学童クラブとして利用できます。
学習塾に通っていた方は、言葉の森を新しい学習塾として利用できます。
また、言葉の森を長年受講してきた方は、言葉の森の同窓会に参加することができます。
また、長年、言葉の森の生徒の保護者としてご子息の勉強を見てきた方は、その経験を生かして、言葉の森の講師の資格を取り、言葉の森これからの教育に一緒に参加していただけるとよいと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
経済や政治や自然環境の行き詰まりと同じようなことが、教育の世界でも起きているように思います。
簡単に言うと、勉強は昔よりもさせられるようになっているが、学力はむしろ低下しているようなのです。
子供たちがもっと自由に楽しく遊びながら、学力も向上するという方法があると思います。
そして、学力以外の文化度も向上する教育があるはずです。
それをオンライン教育として目指していきたいと思います。
子供たちの全面的発達を促す教育のためには、家庭との連携が欠かせません。
子供たちの成長に最も深い関わりを持つのは家庭だからです。
オンライン教育の利点は、子供たちが就学できる年齢になる前からの教育にも関与できる点です。
そして、教育は、先生という職業の人がやるだけのものではなく、すべての人が社会生活の一部としてやるようなものになっていくのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。オンラインスクール(0) 言葉の森のビジョン(51) 未来の教育(31) 森林プロジェクト(50)
この連絡は、6月からの自主学習クラスの体験学習をしている方に、6月21日にお送りしました。
■4週目の実力試験について
自主学習クラスは、自分で立てた計画で勉強を進めていくのが基本ですが、現在の実力や得手不得手を把握しておく必要があるため、4週目に実力試験を行います。
これは、実力を見て、今後の勉強の方向を検討するためのものですから、できない問題があってもかまいません。
今回は、問題集の一部をお送りしましたが、次回以降は、1年間分の問題を問題集という形で購入していただく予定です。(一部は市販のもので価格は1,500円ほどです。)
※6月は、今回同封している問題をご利用ください。
■保護者懇談会について
自主学習クラスは、定期的に保護者懇談会を行います。
生徒の授業の後半15分程度で行う予定で、日程は「鳥の村」のカレンダーに記載しご連絡します。
■公立中高一貫校対策の問題集
小5、小6の生徒で、公立中高一貫校対策の問題集を希望される方は、ご連絡ください。
(授業の中で、又はお電話、保護者掲示板などで)
小学5年生……「公立中高一貫校対策問題集理系F」1,700円(送料含む)
(このあと、勉強の進捗状況を見て、文系F、理系S、文系Sなどと続く予定です。)
小学6年生……「公立中高一貫校適性検査対策速習と完成理系」3,000円(送料含む)
(このあと、勉強の進捗状況を見て、速習と完成文系、実戦問題集などと続く予定です。)
■高校入試対策の問題集
中学3年生には、高校入試対策の問題集を用意しています。
生徒の実力を見ながらおすすめします。
■小5以上の生徒は、7月に志望校の過去問の購入を
7月上旬に、今年度の入試の過去問が発売されます。
小5以上の生徒は、志望校の過去問を購入しておいてください。
過去問は、自分で解くのではなく、答えを書き写して読んでください。
大体の傾向がわかることが大事ですので、過去問はお母さんやお父さんと一緒に見ておいてください。
■勉強ノートや試験のアップロードについて
勉強の様子を把握するために、勉強ノートと、返却された試験などをアップロードしていただく予定です。
現在、先生だけが見られるアップロードページを作っていますので、それができ次第、アップロードの仕方などをお知らせします。
お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強の基本は簡単です。
1冊のテキストを何度も繰り返して確実に自分のものにすることです。
しかし、人に教わる授業だと、いろいろなことを1、2回しか教わりません。
だから、中学生、高校生は塾に行くよりも自宅で勉強した方がずっとよくできるようになるのです。
志望校の過去問は、7月の初めごろに出ます。
小学5年生は、早速それを買っておくのです。
そして、できなくていいので、問題を見て答えを見て、1年間分を全部読んでみるのです。
それは、生徒だけでなく、お父さんやお母さんも一緒に読みます。
すると、全体の見通しがつくので、その後の勉強の能率が上がります。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。自主学習クラス(0)
見るだけのオンライン学習ではなく、参加するオンライン学習です。
知識を詰め込む勉強ではなく、創造し発表する勉強です。
文字による発表だけでなく、音声、表情、画像、動画を組み合わせた発表学習です。
こういう学習の仕方が自然に生まれたのは、言葉の森がもともと「作文」という答えのない勉強をする教室だったからです。
▽木曜日の寺オン作文クラスの授業から
https://youtu.be/1ecdzoarLhM
このクラスは小4から小6の生徒が5人勉強をしています。
そのうち1人はフィリピンから、1人はタイから参加している日本人の子供です。国際色豊かです(笑)。
みんなよく準備をしてきている優秀な子供たちです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
子供に勉強を教えるというのは、理屈の上では簡単です。
知識のある大人が、知識のまだない子供にその知識を教えれば
いいだけだからです。
そして、子供がその知識を吸収したかどうかをテストをして試すのです。
しかし、こういうこれまでの勉強の仕方が限界に来ています。
これまでの勉強の仕方が限界に来ているのは、ひとつには、子供の学力と文化の差が大きくなったからです。
学校によっては外国人の子供が半数以上いるところもあるようです。
しかし、格差が大きいだけならブレンデッド教育のような方法で対応できます。
もっと大きな問題は、子供が受け身で学ばされるのでなく、自分から主体的に参加して学びたいという気持ちを持つようになったからです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺オン作文クラス(2)
国語96点、数学93点、英語96点、理科94点、社会96点。これは、今月初めて中学の定期テストを受けたある中学1年生のテストの点数です。
この生徒は、自主学習クラスに週5回参加して勉強していました。
勉強の内容は、国語の問題集読書と数学の問題集が中心でしたが、定期テストの前には、テスト対策のアドバイスをしました。
中学生は、テスト1週間前から、テスト対策に取り組み、出題範囲を完璧に勉強するのです。
完璧にという意味は、数学であればその出題範囲の問題集の問題が全部できるようにすること、英語であれば出題範囲の英語の教科書の暗唱と暗書ができるようにすること、国語の勉強は普段やっているので、テスト対策は出題範囲の漢字と文法をできるようにすること、理科と社会とその他の教科は、出題範囲の教科書またプリント5回以上読むことです。
どれも、普通のことですが、中学生がひとりで勉強するとなかなかこういうことはできません。
例えば、出題範囲の教科書を5回読むということは、読むだけというのが不安な気がするので、ひとりではなかなかできないのです。
塾に行くと、その学校の過去問の対策を教えてくれるというようなところもあります。
しかし、それは一種のカンニングのようなもので本当の実力にはなりません。
本当の実力とは、出題範囲を繰り返し学ぶことによって、その内容を完璧に自分のものにすることです。
自主学習クラスの勉強の基本は、自分で勉強することですから、先生が何かを教えるわけではありません。
もちろん、わからないことについての質問があれば、それは答えますが、基本は自分で決めた勉強を自分でするというやり方です。
塾に行って先生の授業を聞くというような勉強は、先生の授業の面白さが勉強の中身になります。
子供たちは、面白い授業や、役に立ちそうな話を聞くと、そこで何か学んだ気がします。
しかし、本当に力がつくのは、人の話を聞いているときではなく、自分で実際に演習を繰り返すときなのです。
これは、もちろん小学生の場合も当てはまります。
お母さんが、子供たちの勉強をどうするか考えるときに、真っ先に思いつくのは塾に行かせることだと思います。
自宅で、市販の教材をやらせたり、通信教育の教材をやらせたりする人はあまりいません。
自宅学習や通信教育は、ひとりで勉強するという点で不安があるからです。
学習塾に行かせると、子供の勉強の様子が親からは見えなくなるので、しっかり学んでいるような気がして安心できます
しかし、実際には、塾で授業を受けることは、学校で授業を受けることと変わりません。
塾に行って力がつくのは、与えられた宿題を家庭でしっかりとやってくる場合だけです。
力がつくのは、授業を聞くことによってではなく、家庭で勉強することによってなのです。
ところが、学習塾が子供たちに出す宿題は、個々の生徒の実情に合わせたものではありません。
どの子も同じように、誰にでも当てはまるような全体的な宿題をやるようになっていることが多いのです。
ですから、真面目にその宿題を全部やろうとすると、そのことで時間がかなり取られます。
自分が本当に力を入れたい勉強だけをして、自分にとって必要でない勉強が省略できればいいのですが、塾や学校は全員一律に同じことを要求するので、真面目な子ほど宿題に追われ、読書をしたり自由に考えたりする時間がなくなっていくのです。
勉強は、個人個人の実情に合わせて自宅でやっていくのが最も能率がよい方法です。
しかし、今の子供たちの多くは、人にやらされる勉強をして忙しくなっていると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強の基本は、解くことではなく読むことです。
解く勉強のほとんどは1回で終わってしまいます。
だから、解く勉強で得たものは、解けたことがわかったというだけなのです。
読む勉強は、繰り返すことができます。
算数や数学の勉強についても、難しい問題に出合ったら、解くことを考えるのではなく、まず答えを読むことです。
受験勉強はすべてこのやり方でやっていけます。
人間が本当に考える時間を作るのは、受験までの勉強ではなく、もっとほかのところでなのです。
勉強にはいろいろ逆説があります。
人に教えてもらう勉強よりも、自分でやる勉強の方が早く力がつきます。
問題集は問題を解くものではなく、問題と答えを読むものです。
(受験までの)数学は、考える勉強ではなく覚える勉強です。
熱心に1回だけやるよりも、適当であっても数回繰り返した方が知識は定着します。
作文を上達させるには、書くことに力を入れるより読むことに力を入れることです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。中学生の勉强(21) 自主学習クラス(0)
△6月17日の満月の一日前の月
文章は短い方がいい
長い文章は読まれない。
また、長い作文は書くのに時間が掛かるから、後回しになりがち。
それを解決する方法が四行詩。
ルールは、四行で書くことだけ。超簡単(笑)。
(音声入力で誰でも長文が書けるようになる時代には、かえって短く書くことが求められるようになる。)
模試の点数が低かった子
大手塾の模試で読解の点数が低かったという小3の子。
それは、塾に行っている子に有利な問題が出されていただけ(笑)。
塾で国語力はつかない、というか、つける力はない。
読解力は、問題集読書と読解検定で本人が自らつけるもの。
(6月の読解検定は6月22日。)
初めての定期テストで高得点
返ってきた、中1の初めての定期テストはすべて90点台だった。(100点はまだなかった。)
それは、先生が教えたからではなく、生徒が自分で勉強したから。
その方法は、数学は1冊を完璧に、英語は教科書を暗唱暗書、国語は漢字と文法(あとは普段の問題集読書)、理社は教科書の5回読み、試験前の勉強は、手を使って解くよりも、ただ繰り返し読む。
ひとことで言えるほど簡単(笑)。
(勉強の仕方がわからない人は、自主学習クラスに。)
教えない教育
耕さない農業がある、というと農業関係者から何か言われそうだが。
同じく、治さない医療がある。これはやや話が複雑になるが、外から簡単に治すと更に悪化して再発するという意味。
同じように、教えない教育があるはず。
植物に自然成長力があり、身体に自然治癒力があるように、頭脳には自然理解力がある。
(それを「読書百遍意自ずから通ず」と言った人がいる。)
四行詩の方法
四行詩は、形は四行であること。(五行目は注釈として書くことがある。)
中身は、創造と笑いがあるように心がけること。
創造はちょっとむずかしいが、笑いは簡単(笑)。
ほらね。
(wでもよい。)
※自分でも四行詩を書いてみたという方は、コメント欄にどうぞ。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
1000字の文章だと書くのに30分はかかり、誤字などをチエックすると1時間ぐらいになることが多い。
そうすると、ほとんどの人はそんな時間はないから、書こうと思ったことも、結局形にならない。
そういう人のために、四行詩という方法を広めたいと思っています。
by四行詩普及委員会(いつできたんだ、そんなもの。)
作文、小論文試験が広がらないのは、採点するのに手間がかかるから。
それを解決する方法は三つある。
第一は、自動採点をすること。
第二は、作文検定を生かすこと。
第三は、条件を決めて四行で書くようにすること。
と書いていて、全部言葉の森でやっていることだと気がついた(笑)。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。四行詩(13)