作文力を向上させる方法で、最も大事なことは、読む力をつけることと書く準備をしてくることです。
その書く準備の中心になるのが、親子の対話です。
しかし、親子の対話は、作文の勉強の単なる手段ではなく、それ自体がひとつの目的です。
その対話によって、親も楽しみ、子供も楽しみ、対話の過程で互いの中に創造的なものが生まれてくることが大事なのです。
理想を言えば、お母さんと子供が二人きりで対話をするよりも、家族の中で両親も兄弟も含めてみんなで対話をするほうが話は広がります。
時には、お父さんとお母さんの二人で話が盛り上がり、子供は聞いているだけということになってもいいでしょう。
そういう家族の対話が、子供の成長にとって最も大事な栄養素になるのです。
今はまだ、現代の競争社会に生きることが前提になっているので、よい結果を残すことが目的になりがちですが、本当の目的は創造を楽しむことで、結果そのものは決して本質的なことではありません。
学校で勉強している知識のほとんどは、大きくなれば忘れてしまうでしょう。
しかし、人間との関わりで学んだことは、子供の心の中に残ります。
それが、子供が将来成長して、自分なりの何かに挑戦するときに生きてくるのです。
作文読解の勉強も、創造発表の勉強も、自主学習の勉強も、親子の対話を生かしながら取り組んでいってください。
お父さんやお母さんは忙しいので、子供の作文の準備としての取材に対応することは大変だと思う人がいるかもしれませんが、本当は、子供の知的な成長に関われることは楽しいことです。
しかも、そういう時代はあっという間に過ぎ去ります。
だから、親子の対話で大事なことは、できるだけ楽しく話をすることです。
話だけが弾んで、作文の結果には何も出てこなかったとしてもそれはそれでいいのです。
学力には、実力をつけるための学力と、勝負に勝つ力をつけるための学力とがあります。
国語力に関して、実力をつけるための学力が読む力で、勝負に勝つための学力が解く力になります。
読む力をつける方法は、難しい文章を読むことです。
具体的には長文の音読です。
解く力をつけるための方法は、問題を解くことです。
そして間違えたところの理由を明確にすることです。
しかし、問題を解く勉強を中心にすると、実力がなかなかつかないばかりか、勝負に勝つ力もあまりつきません。
確かに、問題を解いている間は、勉強をしている気がします。
そして、○がつくと嬉しく、×がつくとがっかりするので、それなりに勉強をし終えた感じがします。
ところが、○がついたということはやらなくてもよかった問題をやったということなので、本当は時間の無駄なのです。
例えば、小学1年生がカタカナをしっかり書けたので○をもらったというのであれば、できたことが分かってよかったとも言えますが、小学6年生がカタカナを全部正しく書けて○がついたと言っても、それが何か意味あることにはなりません。
○がついたということ自体は、できたことが分かったというだけで何の力にもなっていないのです。
しかし、×がついた問題についても、それがなぜ×でどうしたら○になったのかという理由まで理解できなければ、その×には意味がありません。
算数数学の場合は、×を理解することによって次回からは○にするということができますが、国語の場合は×の理由を考えて、次回から○にするという勉強の仕方をする人はほとんどいません。
それは、国語の問題の×を○にするための方法論がどこでも教えられていないからです。
この方法論が、「
小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」に書いてある方法です。
しかし、国語の問題を解く方法は、いったん理解できれば、成績を上げることはかなり早くできるようになります。
問題を解く方法は、受験直前でもすぐに効果が出ます。
しかし、問題を読む力は、もっと長い時間がかかります。
だから、ほとんどの人にとって大事なことは、問題を解く力をつけることよりも、問題を読む力をつける方なのです。
その読む力をつける方法が長文音読です。
文章というものは、繰り返し読むことによって理解が深まります。
1回だけ深く読んで、内容が頭に入ったかどうかテストするという方法ではなく、軽く何度も繰り返して読むことによって自然に深く読めるようになるというのが文章を理解する方法です。
この繰り返し読むというやり方は、高校生ぐらいになり勉強の自覚ができた生徒では黙読でも続けることができますが、普通は黙読で繰り返し文章を読むようにすると、途中で斜め読みになったり難しい文章を読んでいる場合は眠くなったりしてしまいます。
ですから、問題集読書のような難しい文章を繰り返し読む練習は、音読にすることが条件になるのです。
しかし、音読は、慣れないうちは退屈で張り合いのない勉強ですから、次のような読み方も許容していくことが大切です。
それは、小声で読むこと、早口で読むこと、棒読みで読むこと、ふざけて読むことなどです。
どのような読み方をしてもよいので、何しろ音読で文章を読むことを繰り返すことが大事なのです。
ただし、小声や早口で読んでいいとは言っても、近くで聞いている人が内容を理解できる程度の小声や早口であることが条件です。
日本の戦後の教育は、アメリカからの教育論の影響で、理解を偏重する教え方や学び方が広がりました。
そのため、今でもほとんどのお父さんやお母さんは、理解を優先した教育を考えがちです。
これに対して日本の伝統的な教育は、理解する教育ではなくただひたすら反復するという教育でした。
それが今でも、掛け算の九九や、剣道や柔道など武道の型を繰り返す練習に表れています。
英語教育の國弘正雄氏は、英語の学習法として只管朗読(しかんろうどく」ということを述べました。
これは、仏教の只管打坐(しかんたざ)をもじった言葉ですが、こういうひたすら繰り返すという教育法が日本の伝統的な教育だったのです。
理解する教育では、理解の早い子と遅い差が生まれ、その差は次第に埋められないものになってきます。
しかし、繰り返す勉強については、時間の早い遅いの違いはあっても誰でも同じようにできるので、誰もが同じように実力をつけることができます。
例えば、欧米での掛け算の教育のように、書いて覚えるような理屈を先行したやり方では、できる子とできない子の差が生まれます。
しかし、日本の九九のように繰り返し音読して覚えるという方法であれば、できない子はほとんどひとりも生まれません。
国語の実力をつける方法は、問題集読書で音読を繰り返すということが一番で、これが最も短期間で国語の実力をつける方法なのです。
もちろん、短期間と言っても効果が出るのは半年後ぐらいですから、気長に続けていくことが大切です。
今はまだ問題集を解くような方法でいろいろな教材が出ていますが、どんなに優れていると言われる教材でも、問題を解くようなスタイルの勉強では時間がかかる割に実力はつきません。
一方、最近少しずつ出てきた音読を繰り返すような教材は、最初の何回かはできたとしても、それだけでは家庭で続けることはまずできません。
言葉の森の自主学習クラスで、問題集読書の長文音読を続けていくのがいちばん能率のよい国語の学習法なのです。