今日は対話の大切さということについてお話します。
国語力というのは、もともとは日本語力です。日本語を駆使する力は、生活の中で育ちます。これに対して勉強中で育つ国語力は、漢字の書き取りや熟語やことわざを覚えるような知識的な日本語力です。
日常生活の中で、日本語に接する機会はいくつかに分けられます。一つは、対話です。もう一つはテレビです。三つめは読書です。そして、もう一つ毎日の暗唱というのも、これからは生活の中での日本語の機会に含まれるようになると思います。
家族との対話は、手軽で効果が極めて高い日本語の学習機会です。これは幼児期から中学生高校生になるまで活用できます。なぜかというと、話をしながら相手の反応に合わせて手加減ができるからです。
学力のある子に共通している生活習慣は、親子の対話が豊富だということです。親が知的で面白い話をすることによって子供の思考力や知的好奇心が育っていきます。逆に、親が断片的なこと、例えば「○○しなさい」というようなことしか言わなかったり、あまり話をしなかったりすると、子供の考える力は育ちません。
では、親子の対話を充実させるためにはどうしたらいいのでしょうか。
対話のきっかけになるものは、親子共通の話題にできるものです。それには、親子で読む本、親子で見るテレビ、親子で取り組むイベントなどがあります。
我が家では、長文を親子の共通の話題にしていました。
(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
今日は、テスト力について説明します。
まず、テストと関係ないようですが、絵をかくときの技術について話します。上手に手をかく人は、細部までしっかり見てかきます。
例えば、人の顔を書くときに、顔とはこういうものだろうという先入観でかくのではなく、実際に細かいところを見ながらかいていきます。
小さい子供が立体図形をかくときに、見えない裏側をかいてしまうことがあります。同じように、大人でも見てかくのではなくて、こう見えるだろうという先入観でかいてしまうことが多いのです。
この絵をかくときと、テストで答えを書くときの人間の心理に共通性があります。
中学生高校生のテスト問題の取り組み方を見ていると、絵をかくときと同じように、厳密に細部まで見る子と、そうでない子との差があることがわかります。
この厳密に細部まで見る力がテスト力です。したがって、テスト力は実力そのものではなく、実力を100%発揮するための力です。しかし、このテスト力があるかないかで、テストの成績は大きく上下します。
生徒の多くは、だいたいこっちの方があっていそうだということで答えを書きます。8割ぐらいの確信で答えを書いてしまうのです。すると、その答えが合っていたら、「ああ、よかった」でおしまいになり、その後の蓄積に結びつきません。
大事なのは、絵をかくときと同じように、細部まで厳密に見て判断するということです。そして、その判断の過程を記録に残しておくことです。記録に残さないと、何日かあとにテストが返ってきたときに、自分がなぜその答えを書いたのかを忘れているので、やはり蓄積にならないからです。また厳密性を高めるためには、理詰めで判断できないものは空欄にして、×にしてもらうというようなことも必要です。
テスト力をつけるためには、ある程度マンツーマンのチェックが必要です。つまり、その子供がどこで厳密性を放棄しているかを見る必要があるからです。ですから、テスト力をつける勉強は、家庭で親がやっていくのがいちばんです。
そのためにもちろん、親の姿勢も大事になります。一つはテストの点数だけで一喜一憂せずに、必ずその内容を見ていくということです。もう一つは、100%理詰めに説明するように心がけることです。そして、大人が理詰めに説明できない問題はできなくてもよい問題だと割り切るぐらいの厳密性が必要になります。
数学や理科や社会の問題は、もともとそれらの分野にあいまいさが少ないので、実力とテスト力の間の差は大きくありません。しかし、国語の問題と、国語力が必要とされる大学入試の英語の問題は、テスト力と実力の差が大きく出てきます。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
本日は、大記憶力というものについて述べたいと思います。
記憶力については、右脳による記憶左脳による記憶など、脳の構造に関連させた理論があります。しかし、本当のところは、脳の構造と記憶にどういう関係があるのかまだわかっていません。
記憶力に関しては、私はもっと単純に考えています。
記憶力の基本になる短期記憶は、七つぐらいの事柄であればすぐに覚えられるという記憶です。これを、わかりやすくいうと、記憶を入れるためのコップが七つあるということです。つまり人間はそのぐらいの数ならランダムな事柄でもその場ですぐに覚えられるということです。
この七つのコップそれぞれに仕切り板を入れて一つのコップを細分化し、あたかもコップの数が増えたかのように操作する技術、これが記憶術です。
大記憶力というのは、コップの数は変えずに、仕切り板による細分化もせずに、コップ自体の大きさを大きくして、コップではなくバケツで運ぶというような記憶力です。
通常の生活では、人間はすべての人に生まれつき等しく備わっている七つの短期記憶で生活しています。
限られた数のコップを真面目にコツコツ勤勉に使うのが勉強です。ですからよく勉強ができる人は、よく努力した人とみなされています。
では、コップをバケツにするとはどういうことでしょうか。
人間の体にはもともと外界からの必要に応じて適応するという力があります。私は記憶力も、この適応力ではないかと思います。
例えば、夏の暑いところで運動をしていると最初は汗をたくさんかきます。しかし、運動を続けていると、だんだん汗をかかない体になってきます。
アフリカなどの熱帯地方で暮らしている人たちは、暑い時でも流れるような汗をかくのではなく、皮膚の表面にうっすらと汗をかくのだそうです。これは、効率から言えばいちばんいい汗のかき方です。
汗をかく目的は、水分を蒸発させることによって体を冷やすことにあります。流れるような汗のほとんどは無駄な汗で、むしろすぐに蒸発するぐらいのわずかな汗が皮膚の表面を覆っているのが能率のいい汗のかき方です。
長文暗唱で、意味のある人まとまりの文章を覚える場合、通常一度ですぐに覚えられる文字数は、30文字程度です。
これが100文字ぐらいの文章になると、10回から15回反復しないと覚えられなくなります。逆に言えば、反復すればだれでも覚えられます。
この100字ぐらいの文章を何十回も反復していると、100字の文章をひとまとまりのものだとみなす力がついてきます。これが、例えば貝原益軒が「100字の文章を100回暗唱する」と述べた勉強法の背景にある理論です。
シュリーマンも塙保己一も本多静六も同じように、通常の量よりも多い分量の記憶を反復することによって、ひとまとまりの記憶の要領を広げていったのです。
中村天風は、道ですれ違った人の服装の細部まであとで思いを起こすことができたそうです。これを、左脳ではなく右脳で見ていたからだと言う人もいます。しかし、ここで右脳や左脳という言葉を使って説明をすると、記憶の仕組みがかえってわかりにくくなってしまいます。中村天風の記憶力も、適応力の一つの表れで、通常の人が個々別々に見ている複数のものごとをひとまとまりの大きい単位で見ていたということではないかと思います。
速聴や速度も、同じです。大量のものを通常の量とみなすぐらいに記憶の容量が増えていくという適応力が、これらの能力の背景にあります。
記憶力というものは三つに分けて考えることができます。
第一は、単語帳で単語を一つずつ覚えるような努力型の記憶です。これは、時間をかけてがんばるしかありません。
第二は、単語をイメージ化したり、ストーリー化したり、場所に結びつけたりして覚える技術型の記憶です。これが記憶術です。
そして第三は、単語帳の単語を一つずつ覚えるのではなく、単語帳を1ページずつ覚えるというような拡大型の記憶です。これが大記憶力です。
現在学校で行われている勉強の基本的な能力は記憶力にあります。大記憶力を身につければ、すべての教科が得意分野になるということも夢ではありません。
そして、だれもがこのような大記憶力を持つようになったとき、選抜のためのテストはもはや無意味なものになるでしょう。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)