●動画:
https://youtu.be/c5sWn8NgCcw
小学生の子供たちの勉強の仕方を見ていて、よく疑問に思うのは、小学生なのに勉強をやりすぎている子と、小学生なのに勉強をやりなさすぎている子がいることです。ちょっとややこしいですが。
やりすぎている子の問題はよく書くので、今回はやりなさすぎている子の問題を中心に話します。
その前に、簡単に、やりすぎている子の問題を言うと、小学生のころの勉強はどんなに先に進んでいるように見えても、それはみんなの学年が上がればすぐに追いつかれてしまうことです。
それなのに、小学生のころの貴重な時間に読書とか自分の好きな遊びとかを制限して勉強に時間をかけるのは、本当にもったいないと思います。
そして、もうひとつ、小学生のころに勉強をやりすぎている子の問題は、中学生になっても、高校生になっても、自分のための勉強ではなく、人に見せるための勉強になりがちなことです。
例えば、自分にとって簡単にできる問題を難題も解いて時間を費やすような勉強の仕方を、中学生や高校生になっても続ける子がいるのです。
それは、たぶん机に向かって座っている時間を長くすることが勉強だと思っているからです。
しかし、やりすぎている子の問題はこれだけにして、今回はやりなさすぎている子の問題です。
オンライン夏期講習で、オンラインの授業のある日は勉強するが、それ以外の日は問題集のページが進んでいないという子が時々いました。
勉強の基本は自学自習の家庭学習ですから、毎日自分で決めた勉強の時間を持っていることが大切です。
その毎日の勉強を、1週間に数回かオンラインクラスの授業に出ることによって、チェックしてもらうというのが、オンラインの授業の本来の姿です。
ところが、オンラインクラスの授業に出たときだけ勉強をして、あとは何もしないという子もたまにいます。
それでは、もちろん力はつきません。
作文の勉強でも、その日に頑張って書くことが大事なのではなく、事前の準備を準備してくることが大事だということと同じです。
授業に出たときと、次の授業に出るときの間に何をするかということが大事なのです。
その毎日の勉強の仕方の基本になることをオンラインクラスで行っているのです。
小学生のころに勉強の習慣をつけておけば、受験期になっても、その勉強の習慣を強化するだけでいいので、特別な負担はありません。
しかし、そのためには、毎日の勉強時間は、子供が普通にやればすぐに終わるぐらいの量に限定しておく必要があります。
世間のお母さんにきわめてよくある考え方は、勉強は短い時間よりも長い時間やった方がいいという考えです。
時には、子供がその日の課題を早く終わらせると、もったいないからと言って、勉強を更に追加させるお母さんがいます。
そういうお母さんは、想像力と共感力が不足していると思います。
もし、自分が子供だったとしたら、早く勉強を終わらせたときに追加の勉強をさせられてどう思うかということです。
そういう追加の勉強をさせられた子は、そのときはしぶしぶやると思いますが、次回からは、だらだら勉強をして時間をかけて終わらせようと思うはずです。
こうして、能率の悪い勉強の仕方が身についてくるのです。
実は、こういう家庭は意外と多くて、言葉の森の通学教室に通っていた子の中にも、作文を時間をかけて書いている子に聞くと、「だって早く帰ると勉強させられるから」という子が時々いました。
家庭学習の勉強は、子供が、「これなら早く終わらせてあとは遊ぼう」と思えるぐらいの短時間にして、しかし、そのかわり毎日同じようにやるというのが基本です。
こういう毎日の家庭学習の習慣がついていない子は、算数数学や英語が苦手になりがちです。
なぜかというと、算数数学と英語は、その場の知識と理解だけで済む勉強ではなく、比較的長い期間の積み重ねが必要な勉強だからです。
そのかわり、毎日の勉強の習慣として取り組めば、誰でもできるようになる勉強なのです。
家庭学習の習慣をつけるためには、子供の小学1年生からの最初の方向付けが大事です。
短い時間でいいので、毎日の勉強の時間を決めることと、それを子供がすぐに取り組めるくらいの量にとどめておくことです。
また、これは私の個人的な考えですが、何かの理由があって勉強を休んでしまった場合、それを翌日に持ち越して皆勤賞を目指すなどということはやらない方がいいと思っています。
私は、自分自身も、また子供に対しても、休んだ分をあとで取り戻すということはしたことがありません。
休んだのはもう過去のことなので、それはそれでおしまいにすればいいと思っていたからです。
ただ、世の中には、そういう考え方とは正反対に、皆勤賞を目指し、しかもそれを楽しくやっている人がいることは認めます。
自分の人生観に合ったことをやるというのが大事なのかもしれません。
しかし、何度も言いますが、私は皆勤賞を目指したことは一度もありませんが、結果として40年近く仕事を1日も休んだことがありませんでした。
インフルエンザで高熱のときも、平気で授業をしていたぐらいです。
しかし、昨年は無理矢理に入院させられて(笑)、強制的に休まされましたが。
ということで家庭学習の基本は、毎日やること、しかし、無理をしたり長時間やったりしないということで、特に大事なのは、毎日ということになると思います。
犬の世界にあだ名という概念はありません。なぜなら、名前そのものがあだ名のようなものだからです。
動物病院の診察券には、社長さんの名字をつけて「中根ゆめ」と書かれていますが、名字は取ってつけたようなもので、ほとんど意味はありません。
私の名前は、明るい希望を感じられるような名前がいいという社長さんの要望により、ママが考えてつけてくれました。
でも、中には私のことを「ゆめ」と呼ばない人もいます。
この前亡くなったおじいちゃんは、私のことを「クロ」と呼んでいました。
M先生は、私のことを「こいぬくん」と呼びます。
二人とも、私が女の子だということを完全に忘れています。
それはともかく、この「クロ」とか「こいぬくん」とかという呼び名が犬にとってのあだ名になるのでしょうが、こんなふうにあだ名がついている犬はほかにはあまりいないのではないかと思います。
もしかしたら、二つもあだ名があるのは、私がちょっとしたゆーめー人(犬)だからかもしれないなあなどと考えているうちに、今日もまた夢の世界へと入っていくのでした。おやすみなさい。