●動画:
https://youtu.be/jAixgriTBRE
先日から、授業の修了時に、子供たちに何かひとことを言ってもらうことにしました。
「このあと、何をするか」でもいいし、「今日、学校であったこと」でもいいし、「将来の夢」でもいいし、「自分の趣味」でもいいし、要するに何でもいいからひとことを言うということです。
すると、担当している子供たちは、全員何かひとこと、それなりに面白いことを言うようになりました。歌を歌ってくれる子もいました(笑)。時間は、全体で5分もかかりません。
子供たちは、自分が主体的に参加できる場が好きです。しかも、その中で他の生徒との交流も生まれればなお楽しくなります。
読書紹介の場合も、時間があるときは、紹介のあとの質問感想を言ってもらうと、それぞれいいことを言います。そして、参加している生徒どうしが知的な交流を通して親しくなります。ただし、これは学年が同じぐらいで、質問や感想を言いやすいクラスの場合です。
今の学校や塾では、生徒が自ら発言する機会はほとんどありません。
先生が一方的に喋り、生徒はたまに答えさせられるだけです。
未来の学校は、言葉の森のように少人数のクラスで、全員に発言する機会があるものになっていきます。
勉強の中心は家庭学習、授業は生徒が発表と交流をする場、講師は教えるのではなく生徒の進捗状況と理解度をチェックし、必要に応じて保護者との連絡をとる、というスタイルの学習がこれからの新しい教育の形になります。
小、中学生、高校生の子供たちの成長に影響があるのは、親や先生ももちろんそうですが、それ以上に同じ世代の子供たちです。
言葉の森では、今、「講師の部屋」という、講師それぞれの掲示板を作っています。
これは、まだほとんど活用していませんが、将来は、先生と生徒の連絡の場だけでなく、生徒どうしの交流の場にしていく予定です。
すると、そこで、卒業した生徒も時どき立ち寄り、先生に現状報告をしたり、後輩にアドバイスをしたりするようになります。
ちょうど、通学教室に、卒業生がたまに遊びに来るような感じです。
夏のサマーキャンプも、将来は、卒業した生徒も含めた同窓会のようなものにしていく予定です。
子供たちは、同世代の子供たちとの交流の中で成長します。
そのためには、その交流の場としてのオンラインクラスで、全員の発言の機会があることと、勉強の中身が創造的であることが重要です。
創造的な勉強という要素が特に強いのは、作文クラスと創造発表クラスですが、そのほかの国語読解、算数数学、英語などのクラスも、工夫によっては、創造と発表の学習になります。
例えば、国語読解クラスでひとつの問題文の内容についてディカッションをするとか、算数数学クラスでオリジナルに作った問題を発表するとか、英語クラスで英語のスピーチをするとかいうようなことです。
そういう創造的な勉強を行うためには、その土台としての学力も十分についていなければなりません。
学力は勉強の最終目的ではなく、より創造的な学力を作るための土台です。
それは、子供たちの勉強のゴールが、大学入試に合格することではなく、その先の実社会で自分らしい仕事をすることだからです。
こういう子供たち一人ひとりの個性を生かし創造性を育てる教育を行っていきたいと思います。
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子供たちの多くは、学校や塾の勉強に退屈しています。
それは、生徒が主体的に参加する勉強になっていないからです。
先生の話を聞いて、テストを受けるだけの勉強なら、家庭学習で十分間に合います。
ただ、家庭学習だけでは不安だから、みんな、とりあえず学校や塾に行っているのです。
本当は、教育の仕組みを根本的に変える必要があるのです。
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●動画:
https://youtu.be/UYf1mnEd2k4
プログラミング学習の特徴は、創意工夫の余地があることです。
しかし、創意工夫だけが前面に出ると、自分の技術を高める過程よりも、創意工夫の結果に目が行くようになります。
すると、授業は、学習の時間ではなく、趣味の時間のようになります。
やりたいことのイメージがはっきりしているのはいいことですが、その途中の過程がとりあえずコピペで間に合わせるということになると、作品ができても応用力が育ちません。
プログラミングの学習は、退屈なようであっても、最初はテキストどおりに進んでいくのがいいのです。
ところで、プログラミング学習が、将来どう生きてくるかということですが、プログラミングを習ってそれが仕事として成り立つということはまずありません。また、そういうことは目指さない方がいいと思います。
しかし、自分が仕事をするときに、それが新しいオリジナルな仕事であればあるほど、プログラミングの知識を生かして工夫ができるということは出てくると思います。
私(森川林)も、言葉の森の仕事を立ち上げるときに、プログラミングの知識はかなり役立ちました。
しかし、プログラミングが役に立つということよりも、もっと大事なのは、プログラミングに取り組むことによって、新しいことに好奇心を持つ精神が育つということです。
この好奇心は普遍的なもので、ある分野で知的好奇心を持つ人は、他の分野でも同じような知的好奇心を持つこようになります。
世の中には、古いままの方が好きな人もいて、そういう人と新しもの好きの人が組み合わさって、社会はうまく運営されていると思いますが、どちらが大事かというと、やはり新しいものをすぐ吸収しようとする精神を持つ人の方です。
プログラミングの知識の体系はそれなりに大きなものなので、全体像を知るには、ある程度の時間がかかります。すると、社会人になってから、必要に応じてプログラミングの学習をするということはまずできません。
ある程度の時間のある、小、中学生、又は、高校生のときに、プログラミングの全体像を知るところまで進んでおく必要があるのです。
今のプログラミング教育は、導入部分がビジュアルプログラミングで、それを卒業してコードプログラミングに進むという流れになっていますが、一方でノーコードプログラミングという分野も生まれています。
将来、コードを書いてプログラムを作るというのは、ごく一部の専門的な人だけの仕事になり、ほとんどの人は、ビジュアルにいろいろなパーツを組み合わせて目的を達成するという方向に進むと思います。
先日、プログラミングの仕事を専門にしている人が、「コードを書いたら負けだ」というようなことを言っていました。自分でコードを書くのではなく、クラウドサービスなどで使えるものをうまく組み合わせる方が能率のよい仕事をするためには大事だというのです。
この考えでいくと、今やっているプログラミング学習は、そのうち、「おじいさんが昔の歌を知っている」という程度の過去の遺物になる可能性が高いと思います。しかし、そのときに、新しいものに取り組もうとした知的好奇心の姿勢は、新しい時代になっても、形を変えて生きてきます。
だから、小、中学生のうちに、プログラミング学習をある段階まで進めておくことが大事なのです。そして、ひとつの分野に満足せず、次々と新しい分野に取り組んでいくのです。
小、中学生、高校生は、教科の勉強も忙しいはずですが、教科の勉強だけにとらわれず、幅広く新しい時代の知識に取り組むようにしてください。
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プログラミング学習のような新しい学習は、「面白そうだからやってみたい」という人と、「知らないから、やりたくない」という人の二通りに分かれます。
「面白そうだからやってみたい」という人は、どの分野についても、同じ好奇心で取り組もうとします。だから、成長するのも早いのです。
小、中学生は、何でも新しいものに取り組んでみようという姿勢で臨むことです。
それが、知的好奇心のあrふ人生を生きるということなのです
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