●動画:https://youtu.be/G9NwMpjWgaA
●ランキングの表示を追加しました
勉強をしていても、自分が今どういう位置にいるのかがわからないと、目標を持ちにくいものです。
そこで、読解検定と作文について、自分の位置がわかるランキングの表を作りました。
今後、国語、算数数学、英語のランキングなども追加していく予定です。
▼ホームページ→「よく使うリンク」→13.ランキング
https://www.mori7.com/as/4463.html
▽作文字数ランキング
https://www.mori7.com/oka/sk_rank.php
(月ごとの自分の字数の順位がわかります)
小学生の作文力は、作文の字数と高い相関があります(もちろん、例外もあります)。
作文の字数が少しずつ増えていれば、作文力が上達していると考えることができます。
字数の平均は、小1は100~200字、小2は200~400字、……小6以上は600~1200字です。
森リン点の評価も、1200字を上限としているので、少学6年生、中学生、高校生は1200字まで書くことを目標にしていくといいです。
▽森リンランキング
https://mori7.com/moririn/moririn_rank.php
(月ごとの自分の森リン点の順位がわかります)
小学生の作文力は字数との相関がありますが、パソコンで作文を書いている場合は、字数よりも森リン点との相関が高くなります。
▽読検ランキング
https://www.mori7.com/dokken/md_rank.php
(3ヶ月ごとの自分の読解検定の順位がわかります)
▽森リンベスト
https://www.mori7.com/moririn/mori_best.php
(月ごとの学年課題別の森リンベスト10です)
▽読解検定得点賞
https://www.mori7.com/dokken/dk_rank.php
(1年間の読検88点以上を取得した人の学年課題別ランキングです)
●できるだけニックネームを決めてください
オンラインクラス一覧表やランキングの表などは、ニックネーム(ペンネーム)又は生徒コードのひらがなで掲載されています。
ニックネームを決めておくと、自分の場所がわかりやすくなるので、できるだけニックネームを決めておいてください。
https://www.mori7.com/sato/hennkou.php
(できるだけ4文字以内でお願いします。ニックネームはいつでも変更できます)
●講師と保護者・生徒とのコミュニケーション
講師と保護者・生徒とのコミュニケーションを図るために、個別れんらく板だけでなく、クラスごとの発表室からも連絡のやりとりができるようにしました。
今後、個人面談なども随時できるようにしていく予定です。
●作文は、授業のあるその日のうちに書き上げ、送信
作文は、負担の大きい勉強なので、その日のうちに仕上げないと、学年が上がるにつれて提出できない課題がたまる傾向があります。
途中までしか書けていない場合でも、(つづく)などと書いて、書けたところまでを提出するようにしてください。
その日のうちに提出できない場合は、個別れんらくで、先生あてに事情を説明してください。
また、過去のたまった作文は、あとからやろうと思わずに、新しい課題だけを取り組むようにしてください。
●春期講習を行います
3月26日~
https://www.mori7.com/teraon/shlist.php?kjb=20230326
国語読解、作文、創造発表、英語、プログラミングなどの春期講習を行っています。
授業の内容の詳細は、それぞれのクラスの発表室の中ででお知らせします。(現在、作成中)
●授業には遅刻しないこと
授業には、必ず開始前に入っておくようにしてください。
1、2分の遅れであっても、遅刻をする習慣が身につくと、社会に出てから信用がなくなります。
●勉強の中心は家庭学習、読書紹介も家庭学習のきっかけに
勉強の中心は家庭学習です。
読書紹介も、授業で読書紹介をすること自体が目的なのではなく、そのために毎日本を読むようにしたり、説明しやすいように付箋をつけて準備したりすることが目的です。
また、読む本の内容も、低学年の生徒は、絵本や絵の多い本だけではなく、字の多い本を読む習慣を作ってください。
また、小学校高学年以上の生徒は、物語文の本だけでなく、説明文や意見文の本を読むようにしてください。
中高生向けの本は、ネット書店で「岩波ジュニア新書」「ちくまプリマー新書」などと検索すると見つかります。それらを参考に、自分の興味関心があるものを読むようにしてください。
●最近読んだ面白い本
「東大よりも世界に近い学校」(日野田直彦)
https://www.amazon.co.jp/dp/481328597X
直接の勉強の役に立つというよりも、これからどういう学力を育てることが大切かという国際的視野を持つ教育論が参考になります。
私の意見ですが、
1)現在の学校の勉強は、受験のために、勉強として大事なことよりも、差のつきそうなことを中心に行われています
2)そのため、将来役に立たない難問で、生徒に差をつけるためのテストになっています。
テストは本来全員が満点を取れるようにするためのものなのに、生徒に差をつけることが先生の仕事のようになっています。
3)そのような勉強でいい成績を取るためには、知識や解法を時間をかけて詰め込む必要があります。
読書や趣味などの時間を削り、狭い範囲の勉強をしすぎる生徒は、あとで伸びません。
4)親も子も、入試が勉強のゴールのようになっていて、本当のゴールである社会に出て仕事をすることが忘れられています。
しかし、仕事とは、いい会社に入ることではなく、どういう会社に入っても、又は、仕事をしても、そこで自分なりのリーダーシップを発揮することです。
5)だから、学生時代は、幅広い学力、教養を身につけ、さまざまなことに挑戦し、コミュニケーション力をつけ、将来の夢を持つことが大切です。
6)将来の夢を持つためには、学生時代に、偉人の伝記などを読むことです。
高校生向けの有名な本では、「福翁自伝」「氷川清話」「古代への情熱」「自助論」「フランクリン自伝」などがあります。
最近の本としては、「日本の偉人100人(上・下)」(致知出版)などがあります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4884749685
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●動画:https://youtu.be/NTrczFpjSEQ
ChatGPTは、今後、教育にも使えるようになります。
例えば、数学の勉強をしていてわからないところがあり、解法を見ても理解できないときはChatGPTに聞いてみます。
すると、個人の家庭教師のように教えてくれます。
質問を追加することもできるから、わかるようになるまで質問を繰り返すこともできます。
読解の勉強でも同じです。
なぜ、その答えがそうなのかということを説明してくれるようになります。
しかし、今はまだ、できるかどうかはわかりません。
それは、日本語のデータがまだ少ないせいだと思います。
プログラミングでもできます。
動かないプログラムがあったとき、どこが違っているのかを教えてくれるようになります。
学校で出される宿題は、もう意味がなくなります。
「○○の作文や感想文を書いてくる」という宿題も、ChatGPTにやってもらえばそれでおしまいです。
つまり、答えがある問題、又は、答え的なものがある問題は、人間ではなくChatGPTで十分できるようになってくるのです。
では、人間に何が残るかと言えば、それは、答えのない問題です。
なぜ答えのない問題があるかというと、それは問題そのものが新しく作られたものだからです。
つまり、新しい問題意識を持つことが、人間のできることです。
ChatGPTが新しい問題を作れないのは、ChatGPTが、今の段階では、人間と本質的に違うところがあるからです。
その違いとは、人間が、特定の時間と特定の空間と特定の身体の上で生きているのに対して、ChatGPTは、そういう特定さがないからです。
だから、ChatGPTを活用するには、人間が、特定された質問をする必要があります。
ChatGPTが普及し、誰もがスマホでChatGPTを利用できるようになった時代に、残るのは何かと言えば、それは対話です。
FacebookでもTwitterでもYouTubeでも、デジタルの媒体であれば、ChatGPTを利用して気の利いたことはいくらでも言えるようになります。
今のアレクサのように、ダジャレも言えるようになります(笑)。
つまり、誰にとっても、必要に応じて、あらゆることにいつでもカンニングができる社会になるのです。
そのときに残るのは、リアルな対話とリアルな創造です。
私(森川林)は、この春から、創造発表クラスを2つ開設しました。
これは、もうこれまでの勉強は終わり、これからは新しい勉強の始まる時代になると思ったからです。
新しい勉強とは、すべて自分がオリジナルに発信する勉強です。
その勉強のために、従来の吸収する勉強があるという関係です。
これまでの勉強は、吸収すること自体が目的の勉強でした。
例えば、植物に維管束があり、師管と導管があり、植物の種類によって師管と導管の配置が違うというようなことは、頭の片隅にでも入っていれば、必要に応じていつでも調べられます。
試験をして、知識として詰め込む必要などないものです。
そういう知識を覚えるよりも、なぜ植物はそういう仕組みを選んだのかとか、もっといい方法はなかったのかとか、その仕組みを人間社会に適用するとどういうことが考えられるかということを考えた方がずっと面白いはずです。
しかし、今の30人から40人の学級では、そういう勉強はまずできません。
それは、単純に、一緒に勉強する人数が多すぎるからです。
1人の先生が、例えば30人学級の生徒に、一人ひとりの意見を聞いていたら、1人5分の持ち時間としても、約2時間半かかります。
だから、これからの教育は、全員が発言できる4~5人の少人数クラスで行われなければならないのです。
しかし、まだ子供たちは、従来の勉強観から抜け出せないので、調べたこと自体を発表する傾向があります。
理科実験にしても、工作にしても、自由研究にしても、どこかに書かれていることをそのままなぞって、そのとおりできて完成という発表をしていることが多いのです。
面白い勉強とは、最初に、自分のしたいことがあって、そのしたいことをもとにして、実験したり、工作をしたり、研究をしたりすることです。
アウトプットしたいことが先にあり、そのアウトプットのためにインプットがあるのであって、インプット自体が目的ではないのです。
ChatGPTの普及によって、このような創造中心の勉強が次第に広がると思います。
作文と創造発表とプログラミングのクラスは、そういう勉強としてやっていきたいと思っています。
ちなみに、今度、春期講習で行う創造発表は、小学生は「図工理科」、中学生は「ディスカッション」です。
中学生のディスカッションは、文藝春秋の「日本の論点」などをもとにして、参加者でディスカッションをする予定です。
いずれも、答えのない勉強なので、面白いと思いますが、面白くなくなるかもしれません(笑)。
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カズオ イシグロ氏の「クララとお日さま」は読まれましたか?ChatGPTとの関連性はあるような ないような感じですがAIのお話でとても面白かったです。
はい、読みました。AIのクララがとても聡明で、愛情に溢れる人間よりも人間的?な心を持つ存在でしたね。結末はとても切なく感じました。
AIは感情を持ちうるのでしょうか? もしそんなことが可能なら……。人間とは何かを改めて考えさせられます。
返信ありがとうございます。そうそうクララはとっても純粋で良い子なのですが、全編を通して「ディストピア」感がすごくて…色々なことを考えた小説でした笑
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●動画:https://youtu.be/wsCSlqLJczU
本当の勉強とは、与えられたものを詰め込んでそれをそのまま再現することではありません。
今の勉強のほとんどは、詰め込み再現型の勉強になっています。
先生が教えたことや教科書に書かれていることをそのまま吸収して、テストのときにそのとおりに再現することが勉強だと思われています。
基礎学力はもちろん大切です。
しかし、吸収→再現という勉強の仕方は、AIが人間よりももっと正確に素早くやってくれるようになっています。
だから、今、文章を書くときに、忘れた漢字があっても、誰も「小学校のときにもっと漢字の勉強をしておけばよかったなあ」などとは思いません。
計算をする必要があったときに、「もっと小学生のときに計算の練習をしておけばよかったなあ」とも思いません。
吸収→再現のほとんどの部分は、ソフトがやってくれるようになったからです。
では、人間は何をすべきなのかと言えば、それはアウトプットです。
もっといい日本語で言うと、人間のすべきことは創造です。
しかし、新しい何かを世の中に創造するためには、その根底に問題意識がなければなりません。
問題意識は、今、ここに、自分が身体を持って生きているということがもとになっています。
つまり、時間と空間と欲望の組み合わせが問題意識を生み出しています。
AIは、今の段階では、時間や空間や身体と分離された機構です。
だから、AIは、独自の問題意識を持ちません。
したがって、AI独自の創造というのもまたありません。
創造らしいことをすることはあっても、それは人間に委託された創造であって、独自の創造ではありません。
人間のすべきことは、創造つまりアウトプットです。
そのアウトプットをするためには、材料となるインプットが必要です。
それが教育なのです。
アウトプットが個性的であるように、インプットもまた個性的です。
基礎となる学力で共通する面はあるとしても、基礎学力のかなりの部分はソフトで代替されるようになっています。
大事なことは、何をインプットすべきかということではなく、何をアウトプットしたいかということです。
それぞれの個人の個性に合わせてアウトプットをすることが、未来の教育です。
この未来の教育の代表的なものは、言葉の森のオンラインクラスで言えば、作文クラスとプログラミングクラスと創造発表クラスです。
これらのクラスでは、アウトプットが主体となる勉強をします。
ひとつだけの正解がない勉強が、これからの勉強なのです。
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AERA.dotにAO型入試と中学受験の話が載っていました。
これを読むと、現在の入試のおおまかな現状がわかると思います。
「AO型の大学入試を考えたら、私立の中高一貫校に行くべき?」 中学受験のプロが語った私学の裏事情
https://dot.asahi.com/dot/2023031300003.html?page=1
学習塾は、よく「中高一貫校の受験をしないと、大学入試で不利になる」という宣伝をしていますが、特にそういうことはありません。
あるとしたら、中高一貫校は数学の先取りができるので、大学入試の数学で高3の1年間は受験に特化した勉強ができるという点です。
だから、公立高校に進む人は、スタディサプリなどを利用して、数学だけは学校の勉強よりも1年間先に進み、高3の夏休み以降は、志望校の過去問に特化した受験勉強をしていけばいいのです。
大事なことは、学校や塾や予備校に頼らずに、自分の判断で勉強の方針を決めていくことです。
中高一貫校は、周りの生徒が同じぐらいの学力なので、よくすると、周囲に引っ張られて自然に勉強するということがあります。
しかし、悪くすると、成績が下がって落ちこぼれることもあります。
また、周囲に合わせて低いレベルになることもあります。
公立中学は、不明朗な内申点があることがいちばんの問題です。
内容のない宿題や提出物などは、保護者が手伝ってあげてもいいと思います。
公立中学には、周囲によくできる生徒も、あまりできない生徒もいます。
そういう多様な生徒のいる中で勉強するのは、将来プラスになります。
また、学校によっては荒れているところもありますが、中学の勉強は自分ですればいいので、荒れているかどうかは勉強の進み具合には関係ありません。
すべて、本人次第ということです。
公立中学は、中3で高校入試があります。
中学3年生は、勉強の自覚ができる時期なので、この時期に受験があるというのは、生徒の成長に大きく役立ちます。
反対に、中高一貫校の私立中の場合は、中3のころに中だるみ状態になることもあります。
だから、中学受験で中高一貫校に行くか、中学受験をせずに公立中に行くかは、すべて中学に入ってからの本人次第です。
AO型の入試による大学合格者は、すでに全体の半数以上になっています。
保護者の感覚は、一般入試が主流だった時代のものですから、今の状況を理解しにくいと思います。
大事なことは、大学入試をゴールとしないことです。
本当のゴールは、社会に出て、自分らしい仕事をして世の中に貢献することです。
そう考えると、勉強の方向は、はっきりしてきます。
基礎学力をしっかりつけておくことは大事です。
しかし、1点差を争うような過度な成績競争は必要ありません。
それよりも大事なのは、コミュニケーション力、リーダーシップ、個性的な生き方、創造力、思考力、読書力、当意即妙の発言力、他者への思いやりなどです。
これらが、本当の実力です。
しかし、こういう力は、いずれも学校の成績には出てきません。
直接話をしたり行動したりしていると、自ずから感じられる実力なのです。
オンラインクラスのよいところは、読書紹介や一人一言などで、誰もが発言する機会があることです。
その中で、相手の実力を感じ、自分の実力を伸ばすことができます。
この実力を伸ばす場として、特に有効なのは、作文クラスと創造発表クラスです。
作文も、創造発表も、学校の成績とは直接結びつかないところが、なぜか共通しています。
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小学校低学年の重点は、題材と表記です。
小学校中学年は、主に表現です。
小学校高学年は、主に主題です。
中学生以上は、主に構成です。
小学1、2年生のころは、子供は書きたいことを自由に書きます。
題材を選ぼうという意識が出てくるのは、小学3年生ごろからです。
小学校中学年になると、面白い話や読まれて価値ある話を書こうとい意識が生まれます。
その価値ある題材をもとに、表現を工夫して書くことが学習の重点になります。
しかし、小学校低学年のころは、どういう話が価値ある話かという意識はなく、自分の書きたいことをただ書くだけです。
だから、小学1、2年生の作文では、「学校でこんなことがあった」「学童であんなことをした」「友達と遊んだ」「○○を見に行った」という、自分が体験した直接的な話が多くなるのです。
そのため、文章力のある生徒でも、題材が平凡になりがちです。
子供が成長して、あとで自分が小学校低学年のときに書いた作文を見ても、あまり面白いと思わない日々の長い日記のようなものが題材になっていことが多いのです。
ここで必要になるのが、保護者の方の工夫です。
子供は、自分でいい題材を選ぼうという意識がありませんから、お母さんやお父さんが題材を工夫してあげるといいのです。
例えば、「今度、土曜日に一緒にたこ焼きを作ろうか」とか、「日曜日に、近くの公園で、カエルの卵を見つけに行こうか」とか、「この本の理科実験面白そうだから、今度やってみようか」という題材作りです。
「○○を見に行こうか」というのは、あまりいい題材になりません。
親子の対話や子供の直接的な体験が少ないからです。
作文の題材作りをきっかけに親子の対話が増えると、自然に子供の語彙力も増えてきます。
親子で話をする機会が多い子は、作文の結びの感想の部分が次第に充実してきます。
子供の感想でよくあるのは、「とても楽しかったです」「また○○したいです」という結び方です。
これをもっと個性のある感想にするためには、感想のための語彙力が必要です。
その語彙力を育てるのが、親子の対話です。
作文の勉強というと、作文の上で添削してよりよい表現にするようなことを考えがちですが、そうではありません。
作文の勉強は、作文のアウトプットを直すのではありません。
作文のアウトプットの土台になる、読むことや経験することというインプットを充実させていくことが大事です。
作文の題材は、作文を書くときに引き出すものではなく、毎日の生活の中で少しずつ入れておくものです。
小学校低学年で作文の勉強をしている生徒の保護者の方は、いい題材作りということを意識して毎日の生活を送る工夫をしていってください。
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なねせんせい、質問です。とすると、模試などの書いた作文を書き直したりせず、そのことをはなしあったり、なにか経験に結びるけれるようアドバイスしたり導いたりと考えればよいですか?新6年、受験で作文があります。
本当は、事前の準備で、似た例を話し合ったり、感想のアドバイスをしたりすればいいですが、模試ではそういうことはできないので、普段の作文でやっていくといいです。
模試の作文の点数はあまりあてになりません。字数と時間を守り、構成を意識して書いていけば十分です。
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弘前大学医学部・自治医科大学 O.Y.さん
<担当講師より>
幼稚園の頃から言葉の森で作文を書いていたことが、退会してからも役に立ったと感じることが多かったとおっしゃっていました。
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●動画:https://youtu.be/6VKpHfCY38o
日本の教育問題を語る人は多いのですが、それらの人々の共通の弱点は、これまで自分が受けてきた教育の延長で改善点を考えていることです。
だから、よい教師を採用するとか、よい教材を利用するとか、あるいはこれまで無意味に受け継がれてきた宿題の強制やテストによる競争をやめるとか、そういう提案が出てくるのです。
それらの提案は、いずれも正しいものです。
しかし、そこで改善されるのは、その学校だけとか、その地域だけとか、又は、そこの教育長や校長のリーダーシップがあるところだけとかいうことになってしまうのです。
では、どうしたらいいかというと、根本的な解決策は、江戸時代の寺子屋のように、少人数の生徒を、それぞれの生徒の全体像が把握できる範囲で、固定した先生が見ることなのです。
勉強の基本は簡単です。
先生があれこれ教えることは最小限で構いません。
充実した教材があれば、生徒は自学自習で勉強を進めていけます。
先生は、その生徒の勉強の進め方をアドバイスし、躓(つまず)いたところだけを見てあげればいいのです。
しかし、この少人数の生徒指導という授業の仕方は、今の通学式の学校や塾ではまずできません。
たまたま少人数の授業になることはあるかもしれませんが、システムとして少人数を維持することはできないのです。
しかも、その少人数の生徒は、同じぐらいのレベルである必要があります。
通学式の教室で、同レベルの少人数の生徒を集めるシステムはどこにもありません。
だから、新しい教育は、全国ネットのオンライン教育である必要があるのです。
オンライン教育の欠点は、リアルな交流ができないことだと言われていますが、その問題は既に解決されています。
4~5人の少人数のオンライン学習では、通学式の教室よりもはるかにリアルな生徒どうしの交流があります。
また、場合によっては、年に何回かの遠足や合宿によって、いくらでも実際の交流の機会を作ることができます。
大事なことは、学習という教育の基本のところで、充実した授業ができることなのです。
言葉の森のオンラインクラスの中には、作文がよく書ける子だけが同じ学年で集まったクラスがあります。
作文以外にも、国語や算数数学や英語やプログラミングや創造発表で、よくできる子が自然に集まったクラスがあります。
こういうクラスでは、自然に授業の中での切磋琢磨が生まれます。
逆に、作文を書くことが苦手な子だけが集まるクラスも、理屈の上では可能です。
こういうクラスでは、その苦手さに応じた充実した授業ができます。
しかし、苦手な子だけのクラスというのは、まだありません。
いずれ、そういうクラスもできるようになると思います。
つまり、オンラインクラスでは、同レベルの少人数の生徒が4~5人で交流しながら学ぶ仕組みができるのです。
これが、システムの力です。
よい先生、よい教材、よいリーダーは、こういうシステムの上でこそ、本当の力を発揮することができます。
日本の教育界は、遅れているので、ここで述べたような改革はまずできないと思います。
だから、言葉の森が、新しい教育の先鞭をつけていこうと思っています。
そのために、今後、保護者との個別連絡や、クラスごとの発表室連絡などを生かして、多くの方の意見を集め、よりよい教育を作っていきたいと思います。
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●動画:https://youtu.be/vZ6zE0lDjyw
保護者から、時々「うちの子は発達障害で……」と言われることがあります。
これまで、そういう子の作文指導をしてきて感じることは、発達障害という診断は全く気にする必要がないということです。
子供たちは、もともとやんちゃで、個性があり、一律の集団生活になじめないことが多いものです。
それは、子供の普通の成長の姿です。
学校で集団一斉指導をしているとき、その一斉行動に合わないことをする子を、先生が別の枠に入れたいというだけのことではないかと思います。
むしろ、私は、発達障害と簡単に診断すること自体の方に問題があると思います。
集団の一斉行動に合わない子をどうしたらいいかということは、発達障害という診断とはまた別のことです。
その方法は、3つあると思います。
第一は、気にしないことです。
年齢の成長とともに、人間は、周囲の状況と自然に合わせるようになっていくからです。
第二は、他人との接触や親子の対話の機会を増やすことです。
集団生活で問題があるように思われる子の中に、人の話を聞かないとか、人の話に対応した行動や言動をとらないとか、自分の言いたいことやしたいことだけをするという子がいます。
子供はもともとそういうものなので、それ自体は問題はないのですが、周囲と協調するためには、相手の意向に対応した行動をとる必要があります。
その練習のいちばんの方法が、他人と接することです。
昔は、子供たちは、戸外で一緒に遊ぶことが多かったので、その中で、他人とのいろいろな摩擦を経験し、自然に集団行動になじんできました。
今は、子供はひとりで遊ぶ機会も多いので、他人とのわずらわしい関わりを経験する機会が少なくなっています。
自然の遊びの代わりに、集団で行動するスポーツなどに参加するという方法があります。
ただ、問題は、今の日本の子供スポーツは、勝ち負けにこだわることが多いとことです。
勝ち負け自体は悪いことではないので、大事なのは、指導者の姿勢だと思います。
親子で対話をする場合、親が子供の意向を汲み取って話をすることが多いので、子供は他人との関わりに伴う摩擦を経験する機会がありません。
だから、親子が友達どうしのように話す機会を増やすといいのです。
その方法のひとつが、親子が協力して理科実験などの共同研究をすることです。
私は、その機会として、創造発表クラスを利用することもいいと思っています。
そのほかに、親子でゲームをしたり、親子でキャンプに出かけたりするのもいいと思います。
そのゲームやキャンプに、ほかの家族にも呼びかけて、複数の子が参加するようになれば、更にいい経験ができると思います。
第三の、集団行動になじむための方法は、言葉の力をつけることです。
そのための手段は、対話と読み聞かせと読書です。
私は、これがいちばん大事だと思います。
問題行動を起こしがちな子の中に、言葉のやりとりが苦手という子がよくいます。
言葉を通して状況を理解し、言葉を通して自分の行動を方向づけるということができないので、たとえは悪いですが動物的な行動をとってしまうことがあるのです。
子供の頭に言葉を入れるというのは、口で言うほど簡単なことではありません。
日常のいろいろな機会を通して気長に言葉を入れ続ける必要があります。
毎日、読み聞かせや読書を続けて、子供に変化が見られるようになるのは、半年ぐらいかかると思います。
ダイヤモンドonlineに、関連する記事があったので紹介します。
「発達障害の子どもが「13年で10倍に急増」の裏事情、ベテラン小児科医が解説」
https://diamond.jp/articles/-/319170
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