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中学生で忙しくなった人、塾で忙しくなった人へ as/4729.html
森川林 2023/05/15 06:03 


 新しい学年になったり、新しいことを始めたりすると、最初のうちはかなり忙しく感じるものです。「とてもやりきれない」という感じがすることもあります。

 しかし、それは一時的なものです。
 忙しい中、何とかやりくりをしていると、次第に自分のペースでいろいろなことが両立できるようになります。

 だから、後ろ向きに考えないことです。
 難しい状態に直面したときに、後退することを考えると、その発想の仕方が自分の生き方になってしまいます。

 難しいときは、まず挑戦することです。
 これからの長い人生で、難しい問題は次々と出てきます。
 そのすべての問題に、自分の生き方が関わってきます。

 どんなときでも逃げずに挑戦するという生き方をすれば、そこから道は開けてきます。

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4月の森リン大賞 as/4728.html
森川林 2023/05/14 12:43 


 4月の森リン大賞です。
 4週の清書の作品のうち、森リン点が上位のものの中から、学年別に1作品を選んでいます。

 感想文課題を清書する人は、要約の部分をカットして、自分なりの状況実例や説明に書き換えて送ってください。
 要約が入っていると、森リン点が高くなる傾向があるからです。

 実例を複数書く場合、それぞれの実例の字数は大体同じぐらいになるように調整してください。
 その方がバランスのよい文章になります。

 中1の「信頼確認」という作品は、とてもいい内容でしたが、自分の名前などの固有名詞が入っているので、今回は掲載を見送ることにしました。
 読み応えのある文章でした。

 中2の「自分だけの物語」は、難しい言葉を自分なりによく消化して書いていました。
 考える力のあることが感じられる文章です。

▼これまでの森リン大賞は、こちらのページで見られます。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php

4月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部37人中)
▼小1の森リン大賞は、ランキングを表示していません。ランキングの表示は小3から、ランキングと作品の表示は小5からになります。



4月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部88人中)
▼小2の森リン大賞は、ランキングを表示していません。ランキングの表示は小3から、ランキングと作品の表示は小5からになります。



4月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部145人中)



4月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部198人中)
順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1世界の食べ物あかりる8095543808783
2ミイラを目的に洞窟に入るミイラ取りいちご7771746787593
3シュウマイのような食べ物食べ物学者モモショクモツ7674444706787
4いたずら大王雄一郎あえやひ7390146486390
5花がいっぱい通学路(清書)ちどり7183341587289
6ネコのいる通学路あえもり6956242476292
7サメ?(清書)あきあよ6442139445286
8いたずらといってもあえほあ6131638445579
9初めて納豆を食べたことあえさた6132141454883
10楽しい朝いわそう526137464553



4月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部200人中)


努力したけん玉
ふうか
「カッカッカッ。」
けん玉のまるで楽器のような音がひびきました。私は、最近けん玉をリビングで練習しています。初めて出来るようになった事は、けん玉、ピアノの音を三つ同時にひく事、チョコブラウニー作り、ひとりで出かける事などがあります。その中でも一番努力してできるようになったのがけん玉です。
 けん玉を練習するようになったきっかけは、学校の冬休みチャレンジシートの中に、昔遊びをしてみようと書いてあったので、チャレンジしようと思いました。しかし、いつも使っているプラスチックのひもが短いけん玉が無くて、仕方なく木のけん玉を使ったのですが、これがなかなか難しくて、悪戦苦とうしました。でも、できるようになりたくて、何度も何度も成功するまで練習しました。
「多分、百か二百ぐらい練習していたよ!」
とお母さんが喜んでいました。私は、普段あまり沢山練習する事がないので、努力している私を見て、多分嬉しくなったのだと思います。
 お父さんが小学五年生の頃、はじめて家族と離れて泊まりがけの旅行に行けるようになったそうです。きっかけはなんと、ひとりで海外旅行に行った事だったそうです。なぜ海外だったかというと、英語の習い事でやっていた作文のコンテストで賞をもらい、無料でアメリカ旅行に行ける事になったからだそうです。カリフォルニアのディズニーランドやナッツベリーファーム、シックスフラッグスなどのテーマパークに行ったり、星のきれいな田舎でキャンプをしたりしたそうです。今もそのナッツベリーファームがあるか調べてみたら、スヌーピーがいたり、沢山のホイップクリームに、どばどばのチョコ、さらに両サイドにげき甘チュロスがささったすごすぎる大きいアイスが売っているそうです。お父さんは、
「最初はきんちょうしたけど、日に日にひとりで泊まるのが平気になったよ。」
と話していました。私も、五年生の林間学校は不安だけど、楽しめるといいなと思いました。
 私は、けん玉の練習をがんばって、どんなに難しい事でも努力すればいつかはできるのだなと思いました。自分にはできないと思っても、あきらめずに練習してがんばりたいと心の中で思いながら、私はけん玉を手にとりました。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1次の時代に飛びだとう シリウスとお別れの時代クワガタ8092846949293
2大不評だったみかんパンあきまえ79107348809192
3いつでも冷静にきょうすけ7993044648092
4私は小さいころの感想文こうた79100147577983
5努力したけん玉ふうか7891847837981
6備えあればうれいなしさき7780251617286
7目立たない物は役に立つふうか7379751525883
8初めて食べた時のおいしさみお7377643485696
9飲んじゃったビールあかるほ73966394655100
10くずかごはどんな?ジュンノスケ7053446526884


4月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部240人中)


人間を保護する自然保護(清書)
あかるら
 私は、自然と触れ合うことを大切にする幼稚園に通っていた。その幼稚園で私は様々な体験をした。例えば、季節の落ち葉や木の実拾いはもちろん、ポニーという小さな馬と触れ合ったり、夏には野菜を育て、川へ行ったり、冬には雪遊びもした。そして、園長が山から木をもらい、お父さん達が力を合わせて作ったツリーハウスや園のガチョウと毎日遊び・・・。言い出したらきりがないくらいだ。今振り返ってみると、こうして様々な自然での体験や遊びが安全に出来たのは、自然と向き合い、一日も欠かさず管理をしてくれている先生方がいたからだろう。これは小学校でも同じだ。私はこれからも管理してくれている先生方に感謝し、自然と触れ合っていくことを大切にしていきたい。
 ところで、自然を保護するためにどんな方法があるか。私は小学4年生の頃から小学生用の新聞を読んでいる。その新聞に一時期、里山について書かれた記事がシリーズで連載されていた。どのシリーズでもまるで自分が本当に里山にいるかのように、大きく爽快感のある写真と共に、里山ならではの植物や昆虫、生活について描かれていた。ある時は、里山の機能について、また木を伐採することや、「昆虫の家」という人の家と外観は同じだが葉を敷き詰め、そこで昆虫達が安全に過ごすことのできる家づくりも紹介されていた。また私の学校では毎年秋に公園で「地域清掃」が行われている。多くは、ポリ袋、たばこ、ペットボトルのキャップ拾い等が中心だ。しかしなかなかゴミは見つからず、仕方なく大量の落ち葉を拾ってしまう。だが時々疑問がわく。なぜなら、私達が「ゴミ」として扱う落ち葉も、昆虫の立場になって考えると「生命誕生の場」や「住処」にもなるかもしれないからだ。きっとそのような考え方を持てるようになったのは、新聞の里山についての記事を読んでいたからだろう。私はこれからも様々な自然保護活動に参加したいと思うが、その時には人間だけでなく、動物の立場にもなって考え活動していきたい。
 人間にとって自然保護は、人間を保護するということにつながる。なぜなら人間も自然の一部だからだ。また里山を救うことで、災害を防ぐことが出来るかもしれない。地震や津波、土砂崩れ等の自然災害に巻き込まれてしまうのは、人間も動物も同じだ。だからまずは身近な自然「里山」を保全する必要があると言えるのだ。その上で、今の里山の現状を知る必要があるだろう。そして里山に足を運び、自然保護活動に積極的に参加していきたいと私は思う。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1人間を保護する自然保護(清書)あかるら83103957849084
2すべてのものしげか83143151788890
3森の保護の大切さあかれせ82146451758689
4読書のロマンティックポッポ82152249908489
5努力は裏切らないあかとは81105149667990
6里山を歩いているとたによし8098947859484
7共存するための里山あかさほ80102851768586
8里山ののどかな自然ドドンパ8097849607883
9想像力を育む読書あかのは8094852657284
10読書の楽しみは(感)ゆう7987347756997


4月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部250人中)


物事を多角的に見る事により
あおはす
 ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。そして、100円玉、10円玉などと言う。けれども、もちろんコインは年中円形に見える訳がない。コインが自然に安定しやすい姿勢で置かれているとき、人間の視線の自然な角度から見ると、丸い。そこで、私たちは、「コインは円形だ。」という文を承認する。水平方向から眺めれば、あきらかに薄い長方形に見えるはずだ。しかし、物は試しに「コインは長方形だ。」という文を口に出して言うと、なぜか異様な発言をしているように聞こえる。私たちは日常において、いつもある視点からある光景を見る。文学作品などにおいても、同じ一つの事実をきわめて言葉で言い表すことがある。そう言った表現は、レトリックと深い関係にある。レトリックは想像力と創造力の営みである。また今日、価値の多様化ということがしばしば問題になる。自分の支店や言葉遣いだけが正しいと信じ切っている人は自分とは異なる立場から見える景色を思い描くことができない。私は、物事を多角的に見ることが大切だと考える。
 第一に、物事を多角的に見る事により、新しい発見があるからだ。多角的思考とは、「考えつく限りの可能なあらゆる立場に立つことを想像して物事を考える」ということだ。私は、少し前までは一つの視点・一つの考えを深めていたが、数か月前から「考えつく限りの可能なあらゆる立場に立つことを想像して物事を考える」、多角的思考が大切なことに気づき多角的思考で物事を見るようになった。私は、小学生の時からサッカーが好きでスクールを週に二回通っていた。しかし、中学校でサッカーを続けるかどうか迷っていた。なぜなら、私が習っていた隣町のスクールの子は皆優しく男女関係なく、優しく私を受け入れてくれてくれたが、私の学校の男子と女子はとても仲が悪い。廊下ですれ違っただけで、まるで漫画のようなヤンキー同士の喧嘩に陥ってしまう事もある。数年前までは絶対サッカー部に入って男子達を見返してやろうと思っていたが、今もし、私がサッカー部に入ったら部活でも喧嘩が起こりチームメイト、そしてクラスにも迷惑をかけてしまうと思う。そして、先日私は部活に入らず継続する場合クラブ部チームで活動することを決めた。このように、すればきっと学校では平和に生きていける。もし、部活に入っていたら、メンタルが弱い私が物凄く傷つき、何もかもが台無しになっていたと考える。このような、正しい決断が出来たのは、私が物事を多角的に見る事が出来き、新しい考え・方向性を発見できたからだろう。多角的思考で物事を見たことにより、私は今卓球部に入り先輩と楽しんでプレイして学んでいる。しかし、一年生部員は私一人で少し悲しい(笑)。
 第二に、物事を多角的に見る事により、ポジティブに考えられるからだ。私は、ポジティブに考える事により、人生の楽しさが増すと考える。例えばコップに水が調度半分入っているとする。この時に考え方が二つ出てくる。一つ目は「水が半分もはいっている」だ。そして二つ目は「水が半分しか入っていない」だ。この二つを比較してみると。一つ目の「水が半分もはいっている」の方がポジティブだ。これは本当に些細なことだが、さらに大きく考えると、森の中で道に迷うとする。そのときに非常食として持ってきたパンが一つあるとする。その時に、「パンが一つもある」と「パンが一つしかない」と考える人がいる。その時に、一つしかないと考えるとソワソワしてしまい脱出する事が考えられなくなり、余計な不安を抱いてしまう。しかし、「パンが一つもある」と考えるとその場で食べ、エネルギーチャージする事が出来、考えなければいけないことがしっかり考える事が出来る。つまり、ネガティブ思考になると余計な不安がさらに襲い掛かり考えなければいけないことがしっかり考える事が出来なくなってしまうということだ。私はこの二つの理由から物事を多角的に見ることが大切だと考える。
 確かに、物事を一つの方向から深く考えていくということは大切だと思う。しかし、「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物である」というように、物事を多角的に見なければ見えてこない部分が多いものだ。その為、私は物事を多角的に見る・考えることが大切だと考える。私は、ネガティブ思考になりやすい。だから、ポジティブ思考を取り入れ、一回きりの人生を楽しく過ごしたい。


4月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部161人中)


自分だけの物語
ヨーヨ
 私たちの日常には多くの比較対象があり、主に数字で比較される。比較といっても様々で、すべて自分を表現しきれていない。「私」という存在は決して数字では表現することができず、一人一人他とは異なる物語なのだ。その物語が自分だけの物と知るためには児童文学がよく、五感で感じる数字の直接定義することとは大きくずれている。私は容量が百十二ギガバイト、テストの結果が九十点、身長百五十二センチというように、あらゆることを数字で表す。これらはすべて他人と比べ、優劣をつけることが可能だ。しかし、どれも真の自分自身を知り、説明したことにはならない。
確かに、自分自身の現在位置を数字で明確にし、指標として測ることも大切だ。なぜなら、その指標があるからこそ、新たな目標ができるからだ。指標があれば、もっと自分より高い人の指標と自分の指標を比較することができる。すると、そこに行けばたどり着くことができるかもしれないという発見でそれがその人の目標を定めることができる。また、その目標に自分が近づくために努力することができる。そして、自分はその努力でどこを伸ばせば良いのかより明確化し、最短ルートで楽に進むことができる。また、人が平均的にすごいと思う数値があることから、自分自身を主張する土台にもなる。その理由は、誰もが数字で物を考え、判断する題材、すなわち経験があるからだ。いわゆる平均以上平均以下かを見たり、どんなことができ、この人にはこの仕事がいいと初対面であったとしても少しはわかってしまうのである。
しかし、それに対して指標として今まで述べた数値化できないことがある。それはその人の性格に加え、その人の望む未来すなわち夢だ。夢というのは数で表すことができない。これは性格を生かしたことで生まれる新たな出会いに加え、未来がある。ところが逆に数値化できず、周りから性格がわからずに本当に行きたいということと異なる進行になることがある。僕も実際に物を買いに行ったとき、定員さんに聞いたところ自分の使い方ではない観点、普通の観点で使うのだと解釈されてしまったことがあった。夢というのは持っていていると子供っぽいと馬鹿にされるイメージがある。これは一つ前の主張と関わるのだが、大人はお金、成績、仕事をする上で役に立つ資格といった数字で人を扱うのが本来の判断の仕方であるという視野の縮小化が進んでしまっているのだと思う。しかし、夢というのはその夢がなければ先に進むこともできなければ、挑戦もしない。その夢という自分の物語の一部を支える夢は大変貴重であり、そのことで社会の一員として居るのであるという意味を知るきっかけにつながるのではないか。蒸気機関を世界で初めて発明したジェームズ・ワットはアイディアが思いつくも、多くのお金がかかり、完成できていなかったが、その夢を追い求め、十年という歳月をかけてやっとでいたことで知られている。このような夢がいずれ成長を生むのだ。
このような形で数値化した方がいい物と、できない物がある。すべてを数値化したとき、その人には目標がなくなる。また、夢や希望がなくなる。しかし、すべてを数値化するといった自分の指標が無いものも目指そう、成長しようという気にならず、夢も叶わない。つまり、両方あるからこそどんどん夢が増え、その夢に近づくことができ、あるとき、その夢をかなえられるかもしれない。「私は実はたわいのない夢を大切にすることから革新が生まれると思っているとソニーの創業者である井深大が言ったように、少しでも夢を増やし、その夢を作り出せるため数値化する。この両立ができたとき、自分が一人の物語としてたくましく生きることができるのだ。




4月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部132人中)


時間との付き合い方
あああさ
 人びとが時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。いつでもだれもが時計を所持するようになると、ついつい時計をのぞく機会が増え時間を気にするようになる。人びとが時間に追われるようになったもうひとつの理由は、テレビ画面の隅に時刻が表示されるようになったことである。このところ、金銭消費から時間消費へと人びとの関心が移ってきているといわれる。能率的、効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保するかが、多くの日本人の課題であろう。私は、人生において、時間に縛られずに生きることを大切にしていきたいと思う。
 第一の方法としては、熱中できる事柄を見つけることである。好きなこと、やりたいことを心から満喫できる時間は、早く過ぎる分時間の重みを身に染みて感じることができ、独特の満足感を与えてくれる。私は小学一年生の頃からピアノのレッスンを受けている。初めてピアノに触れたあの時から、ピアノは私の心のよりどころであり、私の日常に当たり前のように溶け込んでいた。ピアノを演奏しているときは、一人でピアノに向かう時間だけは、全てを忘れて没頭できる。面倒で難解な、しかも苦手科目の課題をいやいや片付けるときの私の態度からは想像できないほどの集中力には、熱意の向かう方向が間違っているのではないかと疑いたくなるほどである。時計を見る暇もなく、一瞬で過ぎ去っていく時間であるが、非常に充実感のある、私にとっては大切な生活の一部である。
 第二の方法としては、ゆとりを持った生活をすることである。私は準備が非常に遅い人間である。普通の人間が準備にかける時間の何倍もの時間を使うわけだから、相当早く取り掛からなければ間に合わない。とにかく時間に追われることが嫌いなのだ。時間のない中やるべきことを脳内にリストアップし漏れのないようにこなす。この複雑な行程への強い苦手意識が、私の日常を形作っている。短時間で大急ぎで準備をすることができないわけではないが、忘れ物はするわ、身は入らないわでデメリット尽くしである。私の亀並みの準備速度は、決してマイペースなわけではなく、損益をきちんと計算した上での選択である。時間に余裕が持てるようになることで、心にも余裕が生まれるのだ。時間に追われるのではなく、私自身が時間を操ってやるといった心意気で時間と向き合っていくことが大切である。
 確かに、時間に合わせて規則正しい生活をすることも大切である。しかし、『自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。』という名言があるように、日々を大切にし、悔いのない人生を送るためには、時間に縛られずに生きることが必要不可欠であると考える。


4月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部292人中)


始発点の疑問
清正
今日の社会では、指示されたことをそのままに疑問を持たず実行するだけの機械のような人が多い。周囲でも、トラブルが起こった際にマニュアル等を確認し、そのままの手順で行うということが多々ある。私たちは、もっと疑問を持つということの大切さを見直すべきではないだろうか。そのために考えられる方法は2つある。
 第一の方法としては、世の中で当たり前といわれている行動、現象を当たり前だと思わないことだ。私はこの考えによって、自らをよい方向へと導くことができた経験がある。それは、学校でのことだ。ある朝の学校、チャイムとともに全校朝礼が始まる。私たち生徒はいつものように体育座りをする。校長先生の長い長い話を聞き、養護教諭の方から健康に関するありがたいお言葉を頂き、副校長先生により締めくくられる。そして終わりの合図とともに立つことを許された瞬間、やっと腰を伸ばせるといわんばかりに大きく背伸びをするのだ。今日も体育座りは辛いなあ、と思いつつ教室へと歩き出す。いや、待てよ。なぜ私は体育座りをしていたのだ。正座やあぐらなど様々な座り方がある中で、わざわざ体育座りをするのはなぜなのだ。どう考えても正座のほうが礼儀正しく見え、腰も痛めないだろう。まあ、足は痛めるかもしれないが。それはともかく、当たり前のように体育座りで統一されているのは一体何故なのか。調べてみると、コンパクト且つ手で膝を抱くため手が遊ばないなどという理由で使われる腰を下ろして休む姿勢だという。いや、腰を痛めているのだがこれはどういうことだ、ではなく、体育座りをしなければならないという規則はどこにもないのだ。つまりは正座をしてもいいということではないか。さらに、長時間の体育座りは猫背の進行や内臓の圧迫など健康面に悪影響を及ぼす恐れがあるのだという。なおさら朝の朝礼でするべきではない座り方だ。私はさっそく、先生へこれらの話を伝えに行き、朝礼で体育座り以外の姿勢で座ることを許可してもらった。おかげで私は体育座りにより猫背になる、不健康になるという被害を避けることができた。当たり前のことに疑問を抱き、それを伝えることで、自分自身、ましてやほかの大勢の人を良い方向へと導くことができたのだ。実はゲームのやりすぎで結局猫背になったという話は締まらないので内緒にしておこう。
 第二の方法としては、物事を自らの経験と照らし合わせてみることだ。私はまだ人生経験が浅い学生だが、経験が助けてくれることは多々ある。例えば、炭酸飲料だ。私は以前、友人とともに外出した。ボーリングや卓球、ローラースケートなど様々な遊びをし、汗をかき疲れた私たちは自動販売機で飲料を買うことにした。小銭を入れて押すと、キンキンに冷えた飲料が出てくる。開けようと思ったその時、友人が私にあるアドバイスをしてくれた。それは、私が買った飲料は振ってから飲む飲み物である、と。だが私はわかっている。その発言が嘘であるということを。何を隠そうこの飲料、炭酸飲料なのである。振ったら間違いなく中身が勢いよく飛び出し、大噴火を引き起こして私はびしょびしょになってしまう。私が買ったこの飲料、あまり見かけないものであるため知らないとでも思ったのだろう。どや顔をしながら残念だったなと言わんばかりに目の前でふたを開ける。その先には友人の悪童のような無邪気な笑みがあった。
 たしかに、物事を素直に受け止め、間違えることなく正確に処理する力も現代社会の中で必要な能力ではあるだろう。しかし、疑問を持つこととは素直に受け止めない反抗的な行動ではなく、ありとあらゆる物事の始発点なのだ。実際、私は疑問を持つことで健康への一歩、そして をできたのだ。だからこそ私たちは、疑問を持つことの大切さを再度強く認識すべきだと思う。


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