チガヤ
●動画:https://youtu.be/6Ha9LqMiNjE
言葉の森で、低学年の総合学力クラスの子を教えていると、低学年の子供だけあって、その子の個性がよく出てきます。
いちばん顕著なのは、授業の終わりの「一人一言」という自由な発言の時間です。
このときに、喜んで自分のことを言う子がいます。
こういう子は、自由にのびのび生きていると言っていいと思います。
しかし、自分のことを言わない子がいます。
自分の個性が出ないようなことを、いつも言う子がいるのです。
なぜ個性を出さないかというと、私は、人に注意されることを避けているからではないかと思います。
間違ってはいけないから、正しいことだけを言わなければならないと考えているようなのです。
成績のよさと、自分を出さないことは、一致していることが多いです。
その背景には、きちんと子育てをしているお母さんがいると思います。
きちんと子育てをしているので、子供もきちんとしていて成績もいいのです。
しかし、その分、お母さんに注意されることのないように先回りして無難なことしか言わない生き方を身につけたように思うのです。
私は、子供はワイルドに生きるのがいいと思っています。
自分から進んでいろいろなことをやってみて、失敗したり、成功したりという経験が大事です。
人に指示されたとおりにやっていれば、失敗はほとんどありません。
しかし、そのかわり自分で成し遂げたという喜びもあまりありません。
湯川秀樹氏が、好きな数学をやめて物理学に転向したのは、数学の先生が、先生の教えたとおりの方法で解かなければ答えが合っていても×にするという教え方だったからです。
その数学の先生は、それなりに考えてやっていたことでしょうから、それはそれでいいのです。
しかし、才能のある人は、決められたやり方でやるよりも、自分らしいやり方でやりたいと思うのです。
子供をきちんと育てることが大事なのは、小学2年生ころまでです。
小学3年生になったら、次第に、親の言うことよりも、自分で判断して行動するように仕向けていくことです。
指示に従うよりも、自分で考えて行動する方が大事だということを教えていくのです。
私は、日本のガラパゴス入試が、子供たちを指示待ち人間にしているように思います。
決められたとおりに能率よくやらなければ成績は上がりません。
自分らしさを抑える方が、能率はいいのです。
しかし、その能率のよさは尊重しつつも、能率に負けない主体性を育てていくことが大事だと思います。
▽参考記事
「問題を与えられないと解けない…日本の「受験秀才」が実社会で成功しない根本原因」(野口悠紀雄)
https://president.jp/articles/-/69314
====引用
……「問題を発見する能力」は、学校教育ではなかなか訓練できません。その結果、受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです。
しかも、問題に答えがあるとは限りません。答えがない問題を捉えてしまう危険があります。
これらについての勘を養うことが重要です。それは、受験に必要な能力とは違うものです。
受験秀才はそれができず、「指示待ち人間」になってしまう危険があります。これが受験秀才の最も大きな問題です。このため、受験で成功しても、人生で成功するとは限りません。
====
野口悠紀雄さんは、東大の工学部で学び、その後、アメリカの大学で経済学を学んだ人ですから、受験秀才と言ってもいいと思います。
しかし、野口さんの書いている本を見ると、すべて独自の考え方で、まだ誰も言ったことのない話を展開しています。
だから、受験秀才をはるかに超えた人なのです。
その野口さんの言っていることは、やはり説得力があります。
私は、受験秀才は、クイズ番組のような分野に向いていると思います。
しかし、クイズ番組でいちばん強いものは、これからはChatGPTになります。
人間は、クイズ番組を超えなければならないのです。
ヨーロッパでは、ChatGPTに対する規制が強化されつつあります。
それは、ヨーロッパが衰退した国々だからです。
「欧州のチャットGPT規制、アルトマン氏「適応できなければ事業を停止する」」
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230525-OYT1T50143/
新しいテクノロジーが登場したとき、それを規制する側に回るか、活用する側に回るかという最初の選択は大事です。
基本は、活用したあとに、必要に応じて規制をすることです。
この大きな方針の順序を間違えないことです。
日本では、いまだに「欧米ではこうなっている」という人がいますが、欧米はもう参考になりません。
日本は、日本の独自の方針を打ち出していくことです。
※この話は、一見、子供の教育に関係がないように見えるかもしれませんが、子供たちの成長は、日本の政治によって作られた教育環境に支えられています。