那須の合宿所から車で15分ぐらいのところにあるきれいな川
三題噺(ばなし)のようなタイトルになりましたが。
私(森川林)は、昔の世代なので、塾や予備校に通ったことはありません。
昔は、それが普通でした。
だから、うちの子2人も同じでした。
しかし、みんなから珍しがられたようです。
私は、勉強はひとりでやった方が能率がいいのだから、人に教えてもらうのは時間の無駄だと思っていました。
しかし、今は、学校の教育力が低下しています。
行事などが盛んなわりに、勉強は塾や家庭でカバーしてもらっているようなのです。
ネットの記事で、ChatGPTが家庭教師の代わりになるという話が載っていました。
「ChatGPTを家庭教師にした子の成績「驚きの結果」、家庭教師を雇えなかった子にも教わるチャンス」
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/ad3f91aa442c74a7020c8ab6ddadde35ad20247e
今はまだ、ChatGPTは、子供にとってそれほど使いやすいわけではありません。
しかし、近い将来には、子供が、解いている問題をパソコンのカメラでChatGPTに見せて、音声で、「どうして、この答えがこうなの」と聞くと、ChatGPTが音声とテキストでていねいに答えてくれるという時代になります。
わざわざ塾に行ったり、家庭教師に来てもらったりする必要はなく、自宅でChatGPTと対話をして勉強していけばいいのです。
では、学校の役割は何になるかというと、これは誰もが言っていることですが、リアルな人間関係や自然との関わりを学ぶ場になります。
勉強は家庭でやって、学校は遊ぶ場になるということです。
塾や家庭教師は、要らなくなります。
しかし、本当は、実は学校も要らないのです。
学校は、30人から40人の生徒をまとめて教えるという制約から、子供に対する管理が強すぎます。
決まった時間に、決まったやり方で、決まったことをしなければ叱られます。
学校に行くメリットよりも、学校に行くデメリットを感じる子が多いから、今のように不登校が年々増加しているのです。
子供たちの教育で大事なことは、知識を学ぶことが一方ではありますが、それは家庭でのAI教育で間に合うようになります。
もうひとつ大事なことは、友達との発表や対話や交流というコミュニティ活動の中で、個性と創造性を生かして学ぶことです。
コミュニティと個性の両方が必要です。
個性と創造性を生かす教育とは、作文、創造発表、プログラミングなどの教育です。
そういう新しい教育ができるのは、塾でも学校でもありません。
それが、言葉の森が進めているオンライン少人数クラスの寺子屋的な教育なのです。
しかし、勉強には、個性や創造性の前に、ある意味で退屈な基礎学力の習得という面があります。
基礎学力が伴わない個性や創造性は、あまり社会に役立つものにはなりません。
退屈な勉強もしっかりやっておく必要があるのです。
その退屈な勉強を、自宅で一人でやるのではなく、友達のいる中でやるのが、オンラインの自習室です。
https://www.mori7.com/teraon/js.php
また、自宅で読んでいる本を発表する場が、オンラインの読書記録です。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php
自習室は、当初、誰もが参加しやすいように、カメラオフで参加してよいとしていました。
しかし、何人かの子が、カメラオンで、カメラを机上に向けて勉強していました。
勉強で大事なのは、周囲の雰囲気です。
ほかの人がやっている様子が見えると、自分も自然にやる気が出ます。
そこで、今後、カメラオンを基本にし、できればカメラは机上に向けるようにするということにしました。
カメラを机上に向けるには、外付けカメラが必要になります。
外付けカメラが用意できない場合、自分の顔をわざわざ映さなくていいので、カメラを天井などに向けて何しろカメラオンでやっていくということにします。
勉強のよくできる子は、毎日の勉強時間がほぼ決まっています。
「小学生が宿題をするタイミング、「学校から帰ってすぐ」がダントツ1位 =「おうち教材の森」調べ=」
https://ict-enews.net/2023/07/07arinna/
しかし、小学校高学年や中学生になると、勉強時間が本人任せになるので、勉強のきっかけがなかなかつかめない子や、テストの前だけ集中するムラのある勉強をする子が増えてきます。
オンライン自習室に入る時刻を家庭で決めておけば、家庭学習も取り組みやすくなります。
保護者が仕事のために家に戻れない場合でも、子供の自習記録を見れば、どういう勉強をしていたのかが一目でわかります。
また、仕事からの帰宅の途中に、スマホで自習室に入り子供の勉強の様子を見ることもできます。(やる人はいないと思いますが(笑))
私は、当初、勉強は自分ですればいいのだから、自習室をわざわざ利用する人はそれほど多くないだろうと思っていました。
しかし、高校生ぐらいになっても、勉強は自宅でするよりも、図書館などに通った方が気持ちが切り替えられるという人は多いと思います。
家庭で、子供の自習時間を決めておき、その時間になったら、とりあえず自習記録をつけて自習室に入り、自分で決めた時間だけ自習室で勉強するというようにすれば、自宅学習もやりやすくなります。
そのために、カメラオンで自習室に入るということをこれからの基本にしていきたいと思います。
次々に、話が広がってしまいましたが、塾不要――コミュニティ教育――自習室というのは、ひとまとまりの新しい教育の話なのです。
カタクリ
言葉の森の作文指導は、小1から高3まで幅広く行っています。
(実際には、幼長の生徒も、社会人の生徒もいますが。)
小1や小2のころの作文の勉強は、最初のうちは、家庭でお母さんが教える形でも進めることができます。
しかし、やがてお母さんが教える作文指導では、子供は嫌がるようになるのです。
それは、お母さんが教えすぎるからです。
作文は、教えすぎると苦手になります。
学校でも、作文指導に熱心な先生のクラスになると、多くの子が作文が苦手になります。
得意になるのは、いつも褒められる数人の子だけです。
作文は、教えすぎてはいけないのです。
言葉の森では、作文個別指導と作文クラス指導のふたつの指導形態があります。
作文個別は、先生とマンツーマンで教えてもらう指導です。
作文クラスは、5人以内のクラスで、みんなで一緒に作文を書く指導です。
どちらの方が子供の勉強が長続きするかというと、明らかに作文クラスの方なのです。
その理由は、言葉の森の先生は教えすぎることはほぼありませんが、ほかの生徒が見えない中で、自分の子の作文だけを見ているお母さんが教えすぎてしまうからです。
お母さんが教えて書かせる作文は、最初のうちはとても上手です。
そのままコンクールに応募できるような立派な作文を毎回書きます。
手抜きをして書くようなことは全くありません。
そういう作文を書いている子が、突然やる気がなくなり、作文を書くことを嫌がるようになるのです。
それは、教えられすぎたからです。
作文クラスの場合は、同学年のほかの子の作文を見る機会があります。
どんなことを書くか、互いに発表し合う時間もあります。
読書紹介や一人一言の自由発言の時間もあります。
そういう対話と交流の中で、多少上手な子やそれほどでもない子がいても、みんな、ほぼ同じような経験したり、考えたり、書いたりしていることがわかります。
だから、作文の勉強に無理がないのです。
そして、将来、もっと大事になることは、小学1年生のころから一緒のクラスで作文を書いていた子は、高学年になり、中学生になり、高校生になったときに、幼馴染(おさななじみ)の生徒どうしになることです。
上の学年になったときは、作文以外に、国数英の勉強を一緒にしたり、創造発表やプログラミングの勉強を一緒にしたりするかもしれません。
小学校低学年のころから一緒に勉強していた子と、大きくなってからも一緒に勉強できるということは、なかなか得られない貴重な経験になります。
人間は、知識だけを合理的に吸収する勉強をしているわけではありません。
その勉強の中で、同じ場所と時間を共有する友達や先生と一緒に勉強しています。
これがコミュニティ教育という概念です。
今は、学校や塾が、このコミュニティの役割を果たしていますが、やがて少子化の進展の中で通学の教室には限界が出てきます。
しかし、単に動画を見るだけのオンライン教育では、生徒どうしのつながりはできません。
5人以内のオンラインの少人数クラスで、いつも同じ友達と一緒に勉強する仕組みがこれから必要になるのです。
このことは、まだ多くの人に理解されていないように思います。
生徒どうしの読書紹介や、発表と質問と感想の時間や、一人一言の自由発言の時間を、無駄なおしゃべりの時間と思っている保護者の方もいると思います。
しかし、それはそうではないのです。
対話と交流の中で勉強することが、これからの教育の最も重要な要素になります。
小学校低学年のクラスでは、読書紹介や一人一言の時間に、みんな生き生きと発言しています。
こういう生きた時間を共有することが、これからの教育には必要になるのです。
ところで、5人以内の少人数クラスを多数運営することは、きわめてコストのかかる経営形態です。
1対1の個別指導や、10人以上の集団指導であれば、もっと低コストで運営することができます。
しかし、今後の教育を考えた場合、個別指導でも、集団指導でもなく、少人数のクラス単位の個別指導が重要だと考えるので、言葉の森では、これからもこの少人数クラスを運営していくつもりです。
今回は、9月からの作文受講料の引き上げをすることになり、誠に心苦しく思いますが、ぜひ事情をご理解くださるようお願い申し上げます。