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曇りを取る教育はどのようにして可能か(その3) as/481.html
森川林 2009/05/06 08:56 
 通常の人間の脳は、次々と雑多なものを受け入れています。この雑多なものを受け入れすぎないようにコントロールするために、吸収力そのものに曇りがかかっています。つまり、あまりにいろいろなものがたくさん入ってくるので、すべてを浅く吸収して、どれにでもすぐに対応できるようにしているということです。それは、重要な大魚を確実に捕まえられるように、たくさん来る小魚は軽く見逃しておくというような対応の仕方です。
 動物は、自分の生存に必要なものしか認識しないので認識が透明です。例えば、ライオンは、獲物のシカしか見ていません。ライオンが目の前のタンポポや空に浮かぶ月や星をしみじみと眺めるというような光景は、絵本の中でしか考えられません。
 ところが人間は、シカもタンポポも月も星もどれも同じように見て同じように認識しています。この人間の持つ知的に物事を認識するという能力自体が、曇りを生み出しています。もし曇りがなければ、自分の生存に必要でないものを見すぎてしまうからです。
 アルキメデスは地面に図をかいて考えているとき、その図を踏みつけた兵士に注意して殺されました。このようなことにならないように、人間は、様々な情報を軽く受け流して、肝心な情報をいつでもしっかり受けとめられるようにするという能力を身につけてきました。
 アルキメデスと同じようなことは、子供時代には多くの人が経験しています。子供のころには、何かの本に熱中していると近くで呼んでも聞こえないということがよくあります。そういう状態が曇りのない状態です。関心を持つものに対して吸収力が全開状態になるので、ほかのものが目や耳に入らなくなるのです。
 ニュートンは、考え事をしていて、卵の代わりに時計をゆでてしまいました。これも認識の曇りのない状態です。
 南方熊楠は、八歳のころから、読んだ本をそのまま思い出して書き出せるほどの優れた記憶力を持っていました。しかし、伝記を見ると奇行というほどのものではないとしても、やはり常人とは違うバランス感覚のあまりない生活をしていたようです。
 サヴァン症候群では、特定の分野に異常に優れた記憶力を持つ人が多いことが知られています。
 ところが、これらの例に見られるように強い吸収力を持っていると、生きる上で非効率的です。その結果、吸収力をほどほどに抑えておくために曇りというフィルターを通して物事を認識する能力が育っていったのです。
 しかし、先天的に曇りのない状態が成長後もそのまま続くとすると確かに不都合なことが多くなりますが、既に成長後の曇りのある状態になった人間が後天的に曇りを取ることができれば、それはバランスのある生活を伴った吸収力を育てることになります。
 この曇りをとる方法が、情報を遮断する方法です。ところが、人間にとって情報の遮断というのは難しいので、一つの情報だけに集中して他の情報は見ないようにするという方法が考えられます。「葉隠」に、無心というのは、心が一つのことに集中していることだ、というような話が出てきます。情報を遮断するというのは、一つの情報だけに集中することです。
 ライオンの関心がシカにしかないように、人間も例えば、一つの物事だけに集中することによって、ほかの物事に対する関心を遮断することができます。
 この、一つの物事に集中して、ほかの情報を遮断し、情報の吸収力を初期化する方法の一つが暗唱だと思います。
 こう考えると、暗唱は覚えることが目的ではないことがわかります。貝原益軒の百字百回の暗唱というのは、覚えることを目的にしているのでは回数が多すぎます。通常、百字の文章は十数回の音読で十分に覚えられるからです。しかし、なぜ百回繰り返すかというと、残りの八十数回分が認識の曇りを取って吸収力を強化する練習になっているからだと思います。暗唱は覚えることではなく、暗唱する過程そのものが一つの目的になっているのです。

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曇りを取る教育はどのようにして可能か(その2) as/480.html
森川林 2009/05/05 04:55 
 ハイポニカ農法は、最初に植物の苗を困難な環境で育てて根を張らせるところに一つのポイントがありました。
 群馬県のある養鶏場では、鶏のヒナの時期に硬い餌を食べさせるということが健康な鶏と卵を作る一つの重要な要素になっています。
 先進国では、豊かな環境が日常化しています。豊かであるのはもちろんいいことですが、初期の豊かすぎる環境は、かえって生物の吸収力を阻害してしまうおそれがあります。
 しかし、人間は他の動物たちとは違い、初期の状態に規定されているわけではありません。生涯の途中の時期からでも小食が体質の改善に役立つように、教育においても、一種の飢餓状態を作ることが教育の方法として考えられるのではないかと思います。

 曇りを取る教育によって、必要な知識を大量かつ高速に吸収することができます。しかし、これは、教材が大量に与えられるということではありません。外部からの教材によってではなく、内部からの力によって大量に吸収する能力が育っていくということです。
 現在の教育環境では、教育というと、教科書と先生と授業があるような形を思い浮かべがちです。ところが、ハイポニカ農法の発想においては、農業によって最も大事だと思われていた土が実は植物の成長の阻害要因になっていたという考えがありました。同じことを教育に当てはめてみると、一斉授業と一人の先生と一冊の教科書という形が、人間が物を学ぶことにおいて一つの阻害要因になっているのではないかということが考えられます。
 エジソンは小学校の低学年のうちに、学校を退学しましたが、図書館で本を読むという勉強法で学校にいるよりも多くのことを学びました。これからの教育で大切なことは、そのような学び方を可能にするような環境と能力を作っていくことです。
 環境面に関しては、図書館がなくても、インターネットの利用でふんだんに必要な知識が与えられるということがすでに可能になりつつあります。
 もう一つの吸収する能力を育てるということが、今後の課題です。
 もしこのような吸収力を育てる教育ではなく、現在の教育の延長上に、より多くの教育を行おうとすれば、細分化と複雑化をさらに進めるような方向しか考えられません。すると、四十人学級で一人の先生が教えるのでは不十分だからもっと少人数の教育を行う必要があるとか、さらに、もっと先生を増やして個別指導を行う必要があるとか、さらに進んで生徒一人に対して複数の先生がつくというような方向に進む可能性があります。しかし、この道は、途中までは効果があったとしても、ある段階からは投入するコストに反比例して効果が減少していくのではないかと思います。

 教育方法に吸収力を利用するということですぐに思いつくことの一つは受験です。受験勉強というチャンスは、人間に一種の飢餓状態を与えるという点で教育的な効果があります。受験勉強の1年間は、それ以前の数年間よりもずっと密度が濃いというのは多くの人が経験することです。
 しかし、ここから、テストで強制した勉強を考えるのでは教育的な方法とは言えません。内部から吸収力を育てるのではなく、テストという強制で無理やり吸収力を引き出すとすれば、それはテストがなければ勉強しないというより大きな弊害を生み出します。
 吸収力を育てるには、もっと本質的な方法があるはずです。

 知的な飢餓状態というのは、情報が与えられないことだけではありません。同じ情報だけが、延々と与えられるという状態も一種の飢餓感を生み出します。実は、それが暗唱の一つの大きな要素です。
 貝原益軒は、百字の文章を百回暗唱するという教育方法を提唱しました。塙保己一は、約三百字の文章を百回暗唱するという勉強法を自分に課しました。このように同じ文章を過剰に繰り返し暗唱している状態で、一種の情報に対する飢餓状態が生まれるのです。
 同様の方法は、日本の文化の様々なところに流れています。例えば、日本では素振りという練習方法があります。これは、同じ動作を繰り返すことによって、動作の飢餓状態を作ることです。飢餓状態によって初期化された動作は、どのような動作にも対応できる万能性を持つという考えがそこにあるのです。
 同じことは、念仏や座禅のように、同一状態を反復する文化の根底に流れている考え方です。
 人間以外の動物は、動きも鳴き声も関心を持つ外界もほぼ固定化しています。それに対して人間は、動作も音声も話す内容も関心を持つ内容も、動物よりはるかに自由度が高いという特徴があります。その自由度が、人間にとって動作や認識の曇りとなっていくのです。日本文化は、その自由であることから生まれる曇りを取り除くために、固定した状態を作るという型の文化を生み出したのだと考えることができます。
(つづく)

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