センリョウ
プレゼントを工夫する喜びが伝わってくる作文です。
実例の豊富な作文は、小学校時代にしか書けません。
これからも、楽しい作文を書いていってください。
結びのプレゼントについての感想は、高学年らしく書けています。
「人にとってプレゼントは、あげる人も、もらう人も、わくわくさせるものだ。あげる人にとっては、何をあげようかなと考える時間がわくわくするし、もらう人は、包みを開ける時、わくわくする。」
こういう大きい感想を書けるのが、小学校高学年の作文力です。
人をワクワクさせるプレゼント
あかさほ
私があげたプレゼントのリボンをほどこうとしている。私は、よろこんでくれるかなと胸がどきどきする。早く中を見てほしいけれど、どんな反応をするか、不安でもある。
毎年クリスマスには、祖父母やいとこと集まってパーティーをする。それぞれにプレゼントの交換をするが、手作りのものやちょっとしたものを贈ることになっている。一、二か月前くらいから、だれに何をあげたら良いかな、これが良いかな、と考えて、ワクワクする。この前会って話したことを思い出したり、電話で聞いたりして、相手が喜びそうなものを一生懸命に考える。良いアイディアが浮かぶと、とてもわくわくする。私が去年、いとこの二人にもらったのは、好きなキャラクターのねこのししゅうが入ったランチョンマットだ。手作りのランチョンマットに、同じとしのいとこの柊君が下絵を描いて、そのお姉ちゃんの風優ちゃんがししゅうをしてくれたそうだ。祖母からは、毛糸で編んだ、十センチメートルくらいの、私に似ている小さな女の子のお人形をもらった。かわいいお洋服やくつ、ぼうしまで着ていた。本体の人形はもちろん、お洋服まで全て手作りだったそうだ。私が柊君にあげたのは、自分の部屋のドアノブにかけておく、名前の入ったドアプレートだ。本体はフェルトでできていて、アイロンビーズで彼の好きなマインクラフトというゲームの剣などのアイテムを作った。それを、母が縫い付けて、名前をししゅうした。柊君が、
「これ、すごく良いね。」
と、予想以上に喜んでくれて、びっくりしたくらいだった。柊君は、同じ十一歳だけれど好きな、ものや遊びがちがうので、プレゼントを選ぶのに家族の中でも一番苦労する。マインクラフトというゲームが好きなことは分かっても、そのゲームのキャラクターが好きかは分からない。そう考えると、そのキャラクターのグッズをあげて喜んでくれるか、心配になる。それに、あげようとしているものに似たなグッズをすでに持っているかも知れない。このように、次々と問題点が出てくるので、プレゼント選びが難しいのだ。祖父母には、私がデザインした似顔絵をししゅうした布のお守りをあげた。とても喜んでくれて、祖父はすぐにかばんにつけて、祖母はいつも見られるように冷蔵庫につるしている。本当に喜んでくれると、時間をかけてプレゼントを考え、作ったり、選んだりして良かったと思う。それに、プレゼントの包みが開くまで、喜んでくれるかドキドキするから、とても安心する。完成品ではない手作りのものをもらっても、味があるし、心がこもっている感じでとても嬉しく感じる。それに、手作りだからこそ、相手が一生懸命に作ってくれたのかなと、想像するから、より嬉しさが増す。風優ちゃんの大好物なので、祖父母は誕生日のプレゼントに2キロのもち米をプレゼントしていた。(笑)この時みたいに、家族だからこそ渡せる、嬉しいプレゼントがあるから、家族でのプレゼント交換は楽しいなと感じた。
今年の六月の後半に、日光に修学旅行へ行った。お小遣いを持って行って、お土産を買っても良いことになっていた。父と母、祖父母にお土産を買って帰りたかった。好きなものなら喜んでくれると考えた。父はチョコレートが好きなので、おいしそうだった小さいチョコレートケーキを選んだ。母は、甘いものならなんでも好きなので、自分も好きなチーズケーキにした。祖父母はあんこが好きなので和菓子を買いたかった。でも、ぴったりとしたものがなかった。だから、母と同じチーズケーキにした。父と母、祖父母にお土産をわたしたら、とても喜んでくれた。自分も、だれかにプレゼントをもらったかのように、心が躍るみたいだった。仲良しのりんちゃんは、お父さんとお母さんにおはし、弟にりゅうが刀をもったかっこいいキーホルダーを選んでいた。みんなうれしそうに楽しそうに、お土産を選んでいた。みんなにとってもお土産やプレゼントを選ぶことは、楽しい、わくわくするものなのだろう。
人にとってプレゼントは、あげる人も、もらう人も、わくわくさせるものだ。あげる人にとっては、何をあげようかなと考える時間がわくわくするし、もらう人は、包みを開ける時、わくわくする。
今年のクリスマスには何を贈ろうかなと、楽しみにしている。
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小6のころは、お父さんやお母さんへの取材も自然にできるので、題材の豊富な作文が書ける。
しかし、中学生になると、ほとんどの子は突然親子の話をしなくなる(笑)。
もったいないけど、仕方ない。
せめて、小6のときに、たっぷり題材の豊富な作文を書こう。
中学生になると、それまで小学生のうちは、お父さんやお母さんにいろいろ面白い体験談を取材していた子が、急に親子の話をしなくなることがあります。
しかし、そういう場合でも、お父さんやお母さんは、子供の作文の課題の長文を読んで、似た話の準備をしていいてください。
大事なことは、さりげなくお父さんお母さん自身の生身の体験談を話してあげることです。
それが、作文の中に生かされなくても問題ありません。
親が子に、人生や社会についての微妙な話をしてあげる時間があることが大切なのです。
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セイタカアワダチソウ
●動画:https://youtu.be/rJDVy54I40c
不登校の問題は、個人差があるので、一般論として論じることが難しい面があります。
ただ、私自身(森川林)も学校に行きたくなかったことはあるので、自分の体験をもとにしながら、どのように対処していったらいいのかということを話したいと思います。
小学校4、5、6年生のころのことです。
私は、普通の小学生で、周りに悪い子はたくさんいましたが、それで、何か問題があったということではありません。
当時は、学校に行くのが当然という社会でしたし、私のうちは、真面目な家庭でしたから、学校に行かないという選択肢は思いつきもしませんでした。
いじめっ子も何人かいましたが、それは戦うということで対応していたので、特に問題はありませんでした。
学校に行きたくない日は、よくありました。
しかし、当時同じクラスに、なおこちゃんというかわいい女の子がいたので、その子に会うために自分は学校に行くのだと言い聞かせて、学校に通っていた記憶があります。
学校の何が嫌だったかというと、硬い椅子に座って人の話をじっと聞いている時間が何時間もあるというのが、苦痛だったのです。
だから、テストのときはほっとしました。
テストは、自分が主体的に行動できる時間だったからです。
つまり、学校が退屈だったのは、受け身でいる時間が長く、しかもそれが強制されているというところだったのだと思います。
ひるがえって考えてみると、言葉の森のオンライン少人数クラスの子供たちは、みんなよく喋ります。
クラスの定員が5人以内なので、誰もが十分に発表の機会があるからです。
しかし、学校では、まずそういうことはありません。
自分の言いたいことを授業中に突然発言したら、先生から注意されるのが普通です。
主体的に行動できないことが、退屈の最大の原因です。
だから、学校が退屈なのは、学校システムの問題なのです。
言葉の森のように、オンラインで全国の子供が5人以内で同じ教科を学ぶという教育をすれば、全員が主体的に参加できる授業になるので、学校の退屈さはなくなります。
小学生時代の勉強は、いつでも取り戻せます。
また、友達関係もいつでも作ることができます。
ただ大事なのは、読書については取り戻すことが難しいので、学校に行かない間でも家庭で読書機会を作っておく必要があるということです。
今は、YouTubeなどなどで時間を取られやすくなっているので、小学校低中学年のうちは、インターネットは禁止、小学校高学年からは、本人の自覚を促し、ネットの時間をコントロールしながら読書の時間を確保するのが大事になると思います。
さらに重要なことは、学校に行かない状態であっても、きちんとした生活だけは維持するということです。
例えば、朝決まった時間に起きるとか、朝のうちに決まった仕事をするとか、朝の決まった時間に勉強を始めるとかいう生活習慣です。
この朝のスタートが1日の雰囲気を決めるので、朝の時間帯をどのように過ごすかということが大事になります。
その場合、言葉の森のオンラインの午前中のクラスは、朝のスタートを始める。きっかけになると思います。
午前中の時間帯は、まだ希望者が少ないので、クラス数は限られていますが、希望する生徒がいれば、平日の朝7時、8時、9時ぐらいの時間はすぐに担当できます。
生活のルールを維持することと、読書の時間を確保するということが、学校に行かない子供の一番の対策で、そのための方法を家庭で確立していく必要があります。
現在の不登校の生徒の増加具合を見ると、いずれ学校教育の行き詰まりが、明らかになってきます。
そして、オンラインの少人数クラスによる教育が広がって行くと思います。
それまでは、家庭で、生活のルールと読書習慣を維持することを中心に子供を育てていくといいと思います。
▽参考記事
不登校過去最多「日本の教育」はすでに崩壊していると言える訳 大人の同調圧力が子どもを追い詰めている
https://news.yahoo.co.jp/articles/9adf36a88043b3baa7bb7a3672b0aae0c0c3997d
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不登校の根本原因は、学校の授業が退屈なこと。
だから、授業が退屈でない仕組みを作ればいい。
生徒一人ひとりが主体的に参加できる教育をすることが大事で、それはもうすでにできている。
まさに今朝小学生5年生の息子が学校をさぼり、理由をきくと、学校めんどくさい。10分で済む説明を30分するから面倒。つまらない。と言っていました。
まみまさん、ありがとうございます。
つまらないときは、ノーとか教科書に落書きを書いているといいと思います。
私は、ずっとそうしていました。
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キンモクセイ
●動画:https://youtu.be/fcoU-5tgbf0
昔、言葉の森が通学教室をやっていたころ、子供たちの中に、「書くことがない」とか「書けない」とか言う子がたまにいました。
そういう子に共通するのは、本を読んでいないことでした。
ちょうど、お腹がすいているので、動く力が出ないという関係に似ています。
逆に、本を読んでいる子は、自然に書きたいことが次々と出てきます。
作文の上手な子に共通するのは、読んでいる本のリズム感が作文に出てくるということでした。
熱中して、本を読んでいると、その本の文体が、子供の書く作文の中に自然に出てくるのです。だから、書きやすくなります。
しかし、現在、人気のある本は、ビジュアルが優先されているのか、文章が少なくなっています。
文章は付け足しで、図や絵を見せるような形になっている本が増えています。
そういう本ばかりを読んでいると、知識はつくけれども、文章は書けないというようになってきます。
文章が書けなくても、日常生活は十分にやっていけます。
話をするだけなら、作文は書けなくても、誰でも同じように達者に話をすることができます。
しかし、話だけはうまくできるが、書く力がないということでは、リーダーの役を果たすことはできません。
みんなに説得力のある話をしたり、新しい提案をしたりするというのは、書く力がないとできないからです。
書く力とは、考える力と考えをまとめる力だからです。
これからは、みんながリーダーになる時代です。
だから、誰もが文章を読めるし、書けるという力を持つことが大切なのです。
従来の作文の指導法は、赤ペン添削が中心でした。
赤ペン添削というのは、対症療法的な勉強の教え方です。
大事なことは、根本原因から作文力をつけることであって、書いたあとの作文の誤字を直すことではありません。
では、なぜ対症療法の赤ペン添削が作文指導の中心になったかというと、それは、これまでの作文指導には、事前指導という方法がなかったからです。
事前指導を行うためには、子供の事前の準備、親の事前の協力、項目指導という方法、少人数クラス、個別指導の時間というものが必要です。
ところが、通常の学校教育や通信教育では、子供たちに一斉に作文を書かせて、あとで先生が一人ひとりに赤ペン添削をするという方法しか取れません。
だから、赤ペン添削は、先生が大変なわりに、それで力をつける子がほとんどいなかったのです。
これからの作文指導で最も大切なのは、読む力をつけることです。
作文を直すのではなくて、読む力をつけることによって、作文を自然に上手にしていくという指導法が求められています。
言葉の森では、毎週、子供たちに読書記録をつけるようにしています。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php
(10/25現在5323件)
読書記録によって、子供たちの本を読む習慣がつくばかりでなく、互いにレベルの高い本を読むようになっています。
この読書記録をさらに充実させていきたいと思っています。
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作文の勉強というと、赤ペン添削というのが普通でした。
しかし、それは、対症療法です。
大事なことは、根本原因を見ることです。
作文の根本は、読書です。
読む力をつけることが、作文力をつけるいちばんの要因なのです。
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ピラカンサ(タチバナモドキ、トキワサンザシ)
●動画:https://youtu.be/jeluem0Q1Vo
1.世の中の大きい変化
大学の総合選抜入試が増えている。今後は総合選抜が主流に。
「しかし、総合選抜と一般入試のどちらが……」という問いは、もう時代遅れ。
大事なことは、大学入試をゴールにすることではなく、社会に出てからの仕事をゴールにすること。
2.社会に出てからの仕事も、今は大きく変わっている。
昔、大企業、銀行、マスコミ、公務員、医師、弁護士などは人気の仕事だった。
それは、日本の社会全体が右肩上がりで成長している時代だったから。
今、社会は新しい成長の方向を模索している。
東大でも、トップクラスの学生は起業を目指し、大学もそれを授業や融資制度でバックアップしている。
それが可能になったのは、資金調達が容易になった、失敗してもやり直しが効くようになった、ネット環境と新しいツールで大きな組織や設備が必要なくなった、ことなどによる。
学力は、とりあえず全教科オール4(と5が少し)を目指していれば十分。
重箱の隅をつつくような試験で、必要以上の高得点を取る必要はない。
そのかわり、空いた時間で、説明文意見文の読書に力を入れる。
勉強は頭をよくしないが、読書は頭をよくする。
3.子供の生活の重点は、読書、数学、興味関心を伸ばすこと。
数学の感覚は、文系でも必要になる。
数学は得意になるまで時間がかかるので、小中学生のころに少なくとも苦手にしないこと。
思考力の土台は、日本語力。
低学年からの英語のやりすぎには弊害がある。
英語・中国語などの外国語の習得は、今後のAIの発達で重要度が低下する。
やがて、日本語力だけで世界に進出できるようになる。
4.小中高生の読書は、学年相応の本を読むことが大事。
低中学年のころに、絵本や漫画は娯楽として読むのはもちろんよいが、毎日の読書としては、必ず字の多い本を読む必要がある。
読書の習慣は勉強よりも大事なので、
子供が自分で読むのを嫌がるときは、保護者が読み聞かせをする(小学生になっても読み聞かせは有効)
幼児低学年の子供の問題行動(言うことをきかない、騒ぐ、暴れるなど)は、読書によって日本語が入ると自然に改善する。
低中学年の読書は、質よりも量が大事なので、面白い本をふんだんに読むようにする。
真面目な本、勉強的な本だけでは、読書に熱中する習慣が育たないから、物語文の面白い
本を読むようにするとよい。
小学校高学年、中学生、高校生は、物語文はもちろん読んでもいいが、物語文だけでは思考力がつかない。
今後の国語の入試は、物語文の読解から、説明文意見文の読解に比重が移る。
説明文意見文の本は、ちくまプリマー新書、岩波ジュニア新書などを参考にするとよい。
読書は、読んでいてあまりおもしろく感じなかった場合は、目次をもとに必要なところだけ読んで次の本に移るとよい。
読書は、2冊以上を並行して読んでよい。1冊を読み終えるまで次の本を読まないということのないように。
5.これから重要になる、コミュニケーション力、プレゼンテーション力。
日本の教育文化では、発表力は軽視されているが、今後の大学入試では、面接、口頭試問、集団討論などに対応できる力が必要になる。
そのため、オンラインクラスでは、読書紹介、一人一言など、生徒が自分から話す時間を取るようにしている。
一見雑談の時間のように見えるが、短い時間で的確なことを簡潔に面白く言える力は、将来役に立つ。
6.学年別・教科別のまとめ
・低学年の重点は、読書(字の多い本)と暗唱と親子の対話といろいろな体験。
・国語の勉強は、読書と問題集読書と読検の解説(問題集読書は、毎日1~2編音読で読み、1冊の問題集を年間を通して5巡繰り返す)。
中学生の定期テスト対策としては、テスト前に文法と古文を問題集でやっておく。
・算数数学の勉強は、問題集を1冊決めて、できなかった問題を解法を見て理解し、できなかった問題だけを反復して、全部の問題が完璧にできるまで繰り返す(5巡が目安)。
中学生の発展新演習の演習問題Bやまとめの難問は飛ばしてもよい。最低限、例題と確認問題だけは完璧に仕上げる。
算数数学の勉強は、毎日1ページが目安。
苦手な人は、学年を下げて、毎日2ページを目標に。
算数数学が得意な人は、学年を上げて進む。
・英語の勉強の基本は、英文の暗唱、問題集の文法のページの理解。
英文の暗唱は、教科書の1ページを20回音読して、暗唱、暗写ができるようにする。
教科書の暗唱ではなく、下記のテキストの暗唱でもよい。(今の教科書は、会話文が多いので、役に立たない面があるから)
「英語好きな子に育つ たのしいお話365」
https://www.mori7.com/teraon/tanngenn_eiann.php
「英会話・ぜったい・音読 【入門編】」
https://www.amazon.co.jp/dp/477002746X/
・受験生は、志望校の過去問対策を勉強の基準にする。
過去問で7割取れるようになることを目標に、勉強の重点を決める。
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ムラサキシキブ
●動画:https://youtu.be/5fDk4J9MoRI
7月の森リン大賞をアップロードしました。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php
7月の集計をする予定の8月が、教室の移転のために時間が取れず、森リン大賞の選定が遅れてしまいました。
7月の作品は、いずれも力作でした。
小5のあかるほ君の作品は、嬉しさが伝わってくるような文章です。
読んでいると、こちらまでが思わずにこにことしてしまいます。
実例が生き生きとしているだけでなく、感想も小学5年生らしい大きい感想で書いています。
こういう作文は、小学生時代の記念になると思います。
ぼくの新しい家族
あかるほ
「かわいい!」
ぼくは叫んた。ぼくは少し前にペットとしてメダカを買ってもらった。ちょうど5年生の理科でメダカのことについて学んでいて、学校でも飼っている。学校で飼っているメダカを見たぼくは、ぼくもメダカを飼ってみたいなと思っていた。だから、買ってもらうことになったときには、まるで兄弟ができたかのようにうれしい気持ちになった。今ではメダカを7匹飼っている。学校でも飼っているメダカであるヒメダカを4匹、少し品種改良をした黒メダカを三匹飼っている。最初は水草しかなかったけれど、説明書などを見ると岩を入れた方がいいと書いてあったので、岩も追加した。岩は中にもぐれるようにした。そしたらさっそく岩にもぐってくれた。そのときは、岩を追加したかいがあってよかったなと思った。
ぼくはお父さんとお母さんと一緒に、買った日の夜にエサをやった。最初はぼくがやってみたかったけど、お父さんがやりたそうだったのでやってもらった。しかし、お父さんは誤ってエサを「どばー」と勢いよく、まるでダムが川に水を放流しているかのように入れてしまった。ぼくとお母さんが実は最初に、
「たくさんエサをやりすぎたらダメだよ。」
と注意したばかりだったのに、やはりやってくれた。ぼくたちはカンカンに怒った。次の日起きたら水草にフンがたっぷりついていたので水槽ごと洗った。最近では、エサはぼくがやっている。エサを食べている姿はとてもかわいい。特に手前にあるエサをこっちを見ながら食べているときだ。週一回は水替えをしている。そのときには、お父さんが熱心に取り組んでくれたのでうれしかった。
買ってから2週間ほど経つと、エサをやろうとしているときにエサをやる場所に来て、きちんとわかってくれていることが分かった。少しなついてくれていることに気づくことができた。意外とメダカは賢かったのでびっくりした。ぼくはお父さんとお母さんに、
「きちんと責任をもって育てるんだよ。」
と少し心配した感じで言われたので、頑張って育てようという気持ちが高まった。ただ、飼ってから1週間程度でフィルターの後ろに入ってしまって1匹が死んでしまった。その後も一週間に一回のペースで死んでいってしまった。水草に不注意にからまってしまったり、弱ってしまって力尽きてしまったメダカもあった。なので少し責任感が強くなったことと、もう死なせないという緊張感が高まった。もう死なせないために、フィルターを水槽にしっかりくっつけたり、水草を広げたり、弱ってしまっているメダカを見つけたら、他の水槽に移したりしていきたい。この間、新しくメダカを買いに、ホームセンターに行った。飼育員さんに、メダカを育てるコツなどを教えてもらった。新たに自然の水草や、水をきれいにしてくれる石巻貝も買ってもらった。これで水槽がもっときれいになってほしい。メダカは前よりも活発に動き、生き生きとしている様子だった。つい最近、家族で静岡に旅行へ行った。神社に行ったときに、住職さんが、ぼくたちにカブトムシを見せてくれた。そしたらそのまま、
「これよかったらもっていきますか?」
と、優しく言ってくれたので、ぼくとお父さんは、
「いいんですか?」
と、お礼を言いながらもらって、カブトムシも育てることになった。とてもうれしくて、今では昆虫ゼリーや登り木を置いてカブトムシが住みやすい環境を作っている。
ぼくは、ペットを育てるためには、きちんと責任をもつことが大事だとわかった。命は一匹に1つしかないので、1匹1匹を大切に扱っていきたいと思う。これからもエサを計画的にやって、死なせないようにきちんと対策をしたり、水槽も定期的に洗いたい。これから一年も何年も生き延びてほしいし、卵を産んでもらって、次世代のメダカもにもつないでいきたいなと思った。新たなペットとして、カブトムシも増えたので、エサの交換や観察もしっかりしていきたい。
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滑り台に登るゼルダ
●動画:https://youtu.be/oZlzusQydpY
30年ぐらい前のことです。私のうちの子供を連れて、海に行ったとき、波打ち際で裸ん坊になって遊ぶ子を見て、ふと思ったことがあります。
大きな暗黒の宇宙の中で、地球という星が一つ回っていて、その地球の光る側の海の波打ち際に、小さい子供が遊んでいると。
それが自分の世界観の一つの転換点だったように思います。
それから、道を歩いていても、平坦な道ではなく、丸い地球の上を歩いている感覚を、時々持つようになりました。
言葉の森の庭に、コスモスを植えたら、毎日のように、蝶が飛んできます。
時々、蝶以外の虫も来ます。
それらを見ていると、この地球の上で、日常的に奇跡が起きているのだと感じます。
また、庭に、小さな水槽を置いて、中にメダカと水草を入れました。
眺めていると、1センチほどの小さなメダカが、小さいなりに、懸命に泳いでいます。
それを見ていると、なぜか幸福な気持ちになります。
この幸福感は、多分、自分が小さい頃から、家に犬やチャボやアヒルがいたことと繋がっています。
私自身も中学生の時に、ジュウシマツを買ったり、近所の野良犬に餌をやったり、近くの川でカニを捕まえたりバッタを捕まえたりという経験を数多くしてきました。
それらが、自分の世界観や幸福感の土台になっているのです。
こういう子供時代の経験ができたことが、自分にとって一番の宝物です。
この経験から、私の子供がまだ小さい頃、なるべく早い時期に犬を飼おうと思いました。
近くでブリーダーを見つけたので、子供が小学1年生になるかならないうちに、1匹の犬を飼いました。
当時流行っていた「ゼルダの伝説」が、面白かったので、メスなのにゼルダという名前にしました。
それからは、どこに行くにも、犬と一緒です。
だから、犬が泊まれない宿泊施設には行けません。
それから、約15年間、ゼルダの思い出は自分の子供の思い出以上に、懐かしく思い出されます。
ゼルダは、キャンプに連れていくと、必ずテントの外の入口で寝ていました。
海に行って、沖で自分が潜ると、浜辺にいたゼルダが急いで飛び込み、自分を助けようとしたのか、潜ろうとした自分をひっかきました。
帰りの車の中では、日産のキャラバンの後ろにマットレスを敷いていたので、子供たちは、ケンタッキーフライドチキンを食べて、ゼルダと一緒に寝ながら帰るというパターンでした。
人間の幸福というものを考えるとき、何かを得る幸福というのも確かにありますが、それとともに、今いることの幸福というのもあると思います。
そのいることの中に、生き物と一緒にいるということがあります。
さらに言えば、自然の中にいるという幸福です。
翻って、今の子供たちを見ると、自然との接触が少なくなっているのいではないかと思います。
虫を見て、「わあ怖い」とか「気持ち悪い」とかいう子と、「わあかわいい」とか「面白い」とかいう子とでは、虫に対する幸福感が違います。
この感覚ができるのは、人間がかなり小さい頃です。
大人になると、虫嫌い、犬嫌いは固定化します。
周囲に好きなものがたくさんあるのが幸福な人生です。
そのためには、子供が小さい頃から、できるだけ自然の中で遊ばせることが大事ではないか思います。
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水草とメダカ
●動画:https://youtu.be/QcbLOc8qoCc
文章力と字数の間には、高い相関があります。
もちろん短くても、良い文章というものはあります。例えば、詩の文章、俳句や短歌の文章などがそうです。そういう例外はありますが、文章力と字数の間には、高い相関があるのです。
子供の作文の字数が、どういうふうに進歩しているかを見れば、その子の作文力が上達しているかどうかということが客観的によくわかります。
例えば600字を書いている子は、いつも600字の文章を書いています。
その子に800字まで書いてみようと言っても、なかなかできないことが多いのです。
つまり、普通に書くと600字までしか書けないというのが、その子の実力ということになります。
ある会社の入社試験で、字数を2000字だか3000字だかの作文を書くことが試験の内容というものがありました。
これは、ある意味でとても妥当な試験です。文章の内容よりも、まず何かテーマを与えられて、2000字、又は3000字書けるというのは、それだけ考える力、または題材の力、それから表現の力、主題の力があるということだからです。
最近の高校入試などで、作文の試験とは言っても、せいぜい200字程度の文章の試験が出されることがあります。
これは、全くと言っていいほど意味がありません。
表記のミスがわかるけれども、そこで、その生徒の文章を書く実力や考える力の実力がわかるということはまずありません。
かつて、大学入試の共通テストで150字の文章を評価するというような試みがなされたこともありますが、それも同じです。
150文章で、その生徒の文章力を評価するということは、まずあり得ないと思います。
せいぜい表記のミスがわかる程度で、短い作文の課題は何の意味もありません。
なぜ短い作文の課題が出されるかというと、採点が大変だからという、全く評価の本質に関係ない理由からです。
文章は、1200字以上書かなければ評価の意味が出てきません。
逆に1200字の文章を何本か書かせれば、その人の考える力は、かなりよくわかります。
字数力が1200字をコンスタントに超えるようになったら、次は森リン点を評価の基準にしていくということが考えられます。
森リン点の推移を見ると、その作文の長所や弱点がよくわかります。
例えば、長く書いているけれども、ほとんどが自分の身近な体験という実例で、主題の部分が短いというのは、小学生のころの作文としては上手だったとしても、中学生高校生の考える作文の力がまだないということです。
そういう人は、まず読書に力を入れることです。特に、説明文の読書です。
そして、常に1200字以上の文章を書くということを心がけていくといいと思います。
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ICレコーダ
●動画:https://youtu.be/kqnT-oKMx1s
今日は、「nottaで書く作文」ということで、作文の新しい書き方を説明したいと思います。
作文の本質というのは、考えることであって、文章を書くということは決して本質的なことではありません。
ただ、これまでの歴史の中で、ペンや鉛筆を持って文章を書くという期間が非常に長かったので、まるで作文というのは、「書くこと」と同じだというふうに思われてきたのです。
しかし、作文の本質は考えることです。さらに言うと、書くことによって新しいものを創造することです。
文章の要素として、構成、題材、表現、主題、表記というものがあります。
創造は、主に、題材、表現、主題の分野で生まれます。
第一に、題材を創造するとは、他の人がまだ経験していないような話を実例として述べることです。これが、一つ創造です。
第二に、表現の創造です。
新しいたとえの表現を使ったり、新しい自作名言を使ったりというようなことも含めて、まだ他の人が使っていないような表現で物事を表すことが創造です。
第三に、主題の創造です。
新しい考えを述べるということが主題の創造です。
題材の創造、表現の創造、主題の創造というのが、文章を書くことの本質的な価値です。
ここまでが、前提となる話で、次に、実際に作文を書くときに、この考え方をどう活かすかということを説明します。
中学生や高校生になると、文章書くことに、なかなか時間が取れないということがあります。
時間的に忙しいから書けないということが時々出てきます。
1200字の文章を書くときの時間は、大体60分から90分です。
しかし、単なる作業としての60分から90分ではなく、新しいものを創造しながらの60分から90分ですから、かなり大変です。
そこで、考えたのが、考える作業だけを作文の中心にして、書く作業は機械に任せるという方法です。
しかし、これは、ChatGPTに、「こんなことを書いて」という指示を出して書いてもらうというやり方ではありません。
考える作業は、人間の喜びですから、それを機械に任せてしまうというのは、方法を目的と取り違えていることになります。
では、どうしたらいいかというと、まず、構想図を書くのです。
構想図を書いてる時間というのは、自分が考えている時間ですから、時間はかかっても楽しい時間です。
1200字の文章を書くための構想図の時間は、大体15分ぐらいです。
そのあと、その構想図を見ながら、
ICレコーダに向けて内容を喋ります。
その音声を、テキスト化のソフトで文章にしてもらいます。
喋ることは、書くことよりもずっと負担が少なく、時間もかかりません。
テキスト化するためのソフトやウェブサービスは、いろいろあります。
今回使ったのは、
nottaという新しいウェブサービスです。
以前は、Googleドキュメントを使っていましたが、Googleドキュメントが、ICレコーダからの読み込みができなくなってしまったので、新しいサービスを使うことにしました。
notta(無料版もあるが、自分が使ったのは有料版)は、かなり高性能で、録音したMP3ファイルも読めるし、句読点も適度に打ってくれます。(Googleドキュメントは、句読点がつきません。)
ワードのディクテーションという機能でも、音声のテキスト化ができるようなのですが、やってみたところ、句点や「?」マークがあちこちについて、全く使えませんでした。(使い方が悪かったのかもしれませんが。)
今後、たぶんもっといいウェブサービスも出てくると思います。
しかし、今のところ、nottaというサービスがいちばん使えます。
nottaで音声入力をテキスト化したあと、ChatGPTで250字ぐらいに要約したもらえば、読み手の助けになります。
近い将来の作文の授業は、次のような流れになると思います。
課題のテーマ
↓
生徒どうしのディスカッション
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構想図を書く
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音声入力
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テキスト化
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要約
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発表して質問や感想を言い合う
このやり方なら、書く負担は少なくなり、考える楽しさと話し合う楽しさだけが残ります。
現在、中学生や高校生の人で、作文の勉強は続けたいが、時間がかかるのが負担だという人は、時代を先取りして、この方法で作文を書いてみてください。
▼参考までに、上の文章のChatGPTによる要約は下記のようになります。
(読みやすくするために、改行はこちらで入れました。)
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作文の本質は考えることであり、新しいものを創造することにあります。
考え方を中心にし、書く作業はテクノロジーを利用して効率化する新しいアプローチを提案します。
まず、15分程度で構想図を作成し、それを基に文章を喋って録音します。
その録音を「notta」などのテキスト化ソフトで文章化し、ChatGPTを使用して要約を作成します。
この方法により、中学生や高校生でも時間を効率的に使いながら、作文の本質である「考える楽しさ」を追求することが可能となります。
近未来の作文はテーマ選定からテキスト化、要約までのプロセスが一連となり、よりアクセスしやすくなるでしょう。
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