水飲み場のスズメ
小学1、2年生の作文は、親でもブンブンどりむでも教えられます。
しかし、なぜ言葉の森で作文の勉強を始めるのがいいのでしょうか。
実は、小学1、2年生は、大人の言うことを素直に聞く時期です。
この時期は、模倣の時期と言って、お父さんやお母さんや先生に言われたことをそのまま受け入れる時期なのです。
しかし、何でも素直に受け入れているうちに、やがて小学3、4年生で、子供の自立が始まります。
その自立の時期に、それまで素直に親や先生の言うことを聞いていた子が、自己主張というかたちで、それまでの親や先生の指導に反発するようになります。
その反発は、小学1、2年生のうちに、いろいろなことを直されたり注意されたりした子ほど大きくなります。
小学1、2年生のときの、褒められ続けた子は、小学3、4年生になっても反発はありません。
ところが、ほとんどの親は、子供を褒め続けるよりも、いろいろな注意やアドバイスをしてしまいます。
「もっとていねいに書きなさい」「漢字も使いなさい」「この書き方が間違っている」「会話は行がえをするんでしょ」「この言葉はカタカナで書くんだよ」「もう少し長く書けたらいいね」など、どれもあたりまえのアドバイスですが、それを素直に聞いているように見える子供は、自分の書いている作文が否定されていると感じるのです。
表記のミスは、注意をしなくても、読書量が増えれば自然に直ります。
また、読書力のある子は、ひとことの注意で直りますが、読書力がないうちは、同じことを何度注意しても直りません。
子供が3、4年生になって、「もう作文を書くの嫌だ」と言ったとき、親は対処の仕方がわかりません。
その時期から、言葉の森で作文の勉強を始めようと思っても、もう遅いことが多いのです。
小学1、2年生から、言葉の森で作文の勉強をしている子は、いつも楽しく勉強をしているので、3年生になっても4年生になっても作文の勉強を続けることができます。
作文の勉強が最も重要になるのは、小学5年生の説明文の感想文になってからです。
しかし、この時期から作文の勉強を開始するのは、子供にとって負担が大きくなります。
5年生の壁というのは、作文だけでなく、算数でも理科でも社会でも、どの分野でもあります。
子供は、小学5年生になるころから、抽象的に考えることができるようになります。
文章の要約ができるようになるのも、小学5年生からです。
だから、5年生から作文の勉強を始めるというのは、子供にとっては、書くことと考えることの両方が要求されるようになるので、かなり負担の大きいことになるのです。
小学1、2年生から作文の勉強を始めた子は、作文を書くことが習慣になっています。
だから、課題が難しくなっても、それについていきます。
そういう流れがあるからこそ、小学生の作文の勉強は、たとえ親が教えられるのであっても、言葉の森で小学1年生から始めていくのがいいのです。
キリンの首が長いのは、背の高い木の葉を食べるためだった。
多くの草食動物たちが、背の低い草や木の葉を食べて競争しているとき、キリンが考えついたのは、首を長くするという創造だった。
棲み分け理論は、創造の理論である。
生き物たちは、ダーウィンの進化論のように適者生存で競い合って生きているのではない。
それぞれが、自分に適した創造を作り出して生きている。
ひるがえって人間社会を考えてみると、競争が生きる目的にさえなっている。
競争とは、狭い枠組みを与えられて、その枠組からはずれないという制約のもとで優劣を競い合う。
千葉のマザー牧場で、豚の徒競走というものがあった。
思わず、笑える光景だったが、実は、人間社会にも同じような競争が広がっている。
人間が、豚以上に競争に熱中するのは、その勝敗に、損得が結びつくからだ。
限られた枠組みで競い合う発想から抜け出て、キリンのように新しい創造をすることが、これからの社会には求められている。