モクレン
昔は、学校の算数数学ができれば、受験にもそのまま対応できました。
しかし、今はそうではありません。
特に算数数学に関しては、易しい普通の問題と難しい受験用の問題の差が激しいのです。
だから、学校の算数数学がよくできても、受験の算数数学はできないということが起こってきます。
私は、子供たちの本当の学力は、読む力と書く力だと思います。
難しい大量の文章を読み取る力と、自分なりに考えてそれを文章に書く力があれば、それで十分です。
しかし、算数数学に関してはそうではありません。
意外なことに、読む力も書く力もある子が、算数数学があまり得意ではないことがあるのです。
それは、受験用の算数数学を勉強していなかったからです。
だから、時間をかければ、必ずできるようになりますが、算数数学は、上達に時間がかかります。
同じように、英語も上達に時間がかかります。
だから、算数数学と英語は、苦手意識を持つとそのまま苦手が定着してしまうことがあるのです。
これを解決するためにはどうしたらいいかというと、ひとつは、入試で算数数学のクイズを解くような難問を出さないことです(笑)。
どんな難問も、解法を理解して、その解き方に慣れればできるようになります。
しかし、そういう難問を解く訓練をしても、頭がよくなるわけではありません。
ただ時間を費やしたというだけのことです。
そうは言っても、入試の算数数学には対応しなければなりません。
個人でできる勉強法は、夏休みなどの長期間の休みのときに、算数数学や英語だけを集中して勉強することです。
1か月の集中学習で、成績は驚くほど上がります。
つまり、算数数学や英語は、そういうレベルの勉強なのです。
時間をかければ、誰でもできるようになるということです。
算数数学の勉強法は、ただ問題を解くだけではなく、1冊の問題集のできない問題が1問もなくなるまで繰り返し解くことです。
そのためには、問題を解こうとするのではなく、すぐに答えを見て、解法を理解することです。
易しい問題を何問解いても力はつきません。
しかし、子供も親も、勉強している雰囲気にとらわれるので、できる問題を繰り返し解くことを勉強のように考えてしまうことがよくあります。
できる問題を解く方が、子供にとっても楽しいので、力のつかない算数数学の勉強をしている子がかなりいます。
ほとんどの子がそうだと言ってもいいかもしれません。
小学校の低中学年のころは、親が解き方を教えることができます。
しかし、小学校高学年になると、親でも、解法を見ながらでなければ解けない問題が出てきます。
そこで、勉強を子供本人や学習塾に任せてしまうと、子供はできる問題だけを解き、できない問題はそのまま放置してしまうようになります。
今の問題集のほとんどは、解法が充実しています。
難しい問題でも、解法を見れば理解できるようになります。
子供に答えや解法を渡さない塾や学校もありますが、それは論外です。
そのできなかった問題に印をつけておき、それを何度も繰り返し解くことが勉強です。
中高生の問題になると、1回目にできなかった問題は、2回目もできないことが多いです。
3回目も、4回目もできないことがあります。
しかし、ほとんどの問題は、4回目か5回目になればできるようになります。
ところで、親が子供に勉強を教える場合、言ってはいけない言葉は、「こんなこともわからないの」です。
それは、親の自慢になるだけで、子供のやる気にはつながりません。
子供のできない問題は、いつも笑顔で何度も同じように繰り返し教えることです。
その繰り返しには、日を置くことが大切です。
その日のうちに理解させようと思うと無理が出てきます。
最初の日は軽く教えるだけで、子供が理解できなくてもいいのです。
次の日も軽く教えるだけで、また子供が理解できなくてもいいのです。
次の日も、次の日も、軽く教えていると、子供はいつか当然のように理解できるようになります。
理解には、繰り返しの時間が必要なのです。
オオイヌノフグリ
作文の学習が、本格的に考える勉強になるのは、中学1年生からです。
小学6年生でも、結びの感想の部分を一般化の主題として大きく考えるという課題はありますが、まだ本格的なものではありません。
小学生の作文は、題材(実例)が中心になるので、感想はまだ脇役なのです。
しかし、中学生や高校生の指導に進む見通しがあって初めて、小学6年生の指導も充実した教え方ができます。
近年の中学受験の作文では、入試の作文課題で、意見文を書かせるところも出てきました。
例えば、あるテーマについて自分の意見を書き、その理由を書き、その理由の裏付けとなる体験実例を書くというような書き方です。
意見の書き方は、大きく分けて3つあります。
第一は、良いか悪いかという意見の書き方です。
これは、言葉の森では、是非の主題と呼んでいます。
よいか悪いかという意見を書いたあとの構成の仕方は、その意見の理由を書くという書き方です。
初期の段階では、この理由を書くという書き方ができず、単なる実例を書いてしまう人がかなりいます。
理由を書くためには、抽象的なことを考える語彙が必要になるからです。
意見文の書き方の第二は、「べき」という書き方です。
これは、言葉の森では、当為の主題と呼んでいます。
「どうするべきか」という意見を書いたあとの構成の仕方は、その方法を書くという書き方になることが多いです。
方法を書くときに大事なことは、方法の幅を広げることです。
中学生や高校生が書く方法の多くは、個人の心構えのような人間的な方法だけになりがちです。
心構えのような方法だけでは、方法の幅が広くなるので、社会的な方法も必要になります。
中学生や高校生が最も身近に感じる社会的な方法は、学校教育のあり方です。
日常的に学校教育に接しているので、そのよい面も悪い面も具体的にわかるからです。
社会的な方法は、背伸びをせずに、自分のよく知っている社会の分野から始めていくことが大事です。
意見文の書き方の第三は、「問題」という書き方です。
今の世の中で、何が問題かという問題提起をする書き方です。
言葉の森では、これを社会問題の主題と呼んでいます。
「○○が問題だ」と書いたあとの構成の仕方は、その原因や対策を書くという書き方になります。
原因には、大きく分けて、社会的空間的な原因と、歴史的時間的な原因とがあります。
社会における問題の種類は多様ですが、原因の種類はかなり限られています。
しかし、同じような原因を書いたとしても、その裏付けとなる実例を多様なものにしていけばいいのです。
社会問題の主題の発展したものが予測問題の主題です。
これは、今の問題を書くだけでなく、その問題が解決された先に生まれるであろう新しい問題を予測する書き方です。
これを、言葉の森では、予測問題の主題と呼んでいます。
予測問題の主題に対する構成の仕方は、対策を書くということです。
しかし、具体的な対策を書くためには、予備知識が必要です。
だから、対策は、対策の方向として考えていけば十分です。
対策の方向は、大きく分けて、自主、民主、公開、発明というところで考えられます。
社会的な問題の対策は、社会的に考えられがちですが、実は社会問題の解決の多くは、新しい発明によってなされました。
だから、発明という方向も、社会問題の対策のひとつとして考えていく必要があるのです。
意見文の書き方は、小学6年生では、まだ練習しません。
しかし、教える先生が、そういうことも教えられる見通しで作文指導をしていることが大事です。