 
△ムラサキシキブ
https://youtu.be/LA1vW8FYKiw
 ゆとり教育が失敗したのは、生徒のレベルが低かったからです。
 フィンランド教育が失敗したのも、生徒のレベルが低かったからです。
 麹町中のテストなし宿題なしの教育が失敗したのも、生徒のレベルが低かったからです。
 江戸時代の寺子屋教育が、子供たちがのびのびと遊びながら学ぶ中でなぜ成功したのかというと、そこに、確実に学力をつける基礎があったからです。
 それは、低学年では暗唱、高学年では読書です。
 つまり、日本語を高度に身につけるカリキュラムの中で、頭の中身をよくしていったからです。
 現今の教育は、頭の中身をよくすることをせずに、頭の外側にある知識や解法のパターンを評価することで、子供たちを勉強という泥沼に追い込んでいます。
 この泥沼から抜け出す方法はただひとつ、作文、読書、暗唱を教育の基礎に置くことです。
 日本語作文検定は、その最初の試みです。
https://www.mori7.com/sk/
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今はやりの探究学習も、生徒のレベルが高いところではうまく行くが、そうでないところでは、参考書を書き写したような発表ばかりになる。
発表以前に大事なことは、基礎学力をつけることで、その基礎学力とは日本語力だ。
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明治大学法学部 S.M.さん
<担当講師より>
 合格おめでとうございます! 毎回の授業で、雑談からもさまざまなことをスポンジのように吸収し、毎回の作文に活かしてくれていました。更なる飛躍が楽しみです!! 
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●家庭学習の習慣を
 小学生のうちから家庭学習の習慣をつけておくと、中学生や高校生になってからも、自分で計画を立てて勉強できるようになります。
 家庭学習の習慣がついていないと、宿題があるときに勉強するとか、塾に行って勉強するとかいう他人任せの勉強スタイルになります。
 小学生時代に、他人任せの学習生活を送っていると、中学生高校生になっても自分で計画を立てて勉強することができなくなります。
 家庭学習は、中身よりも形が大事です。
 何をやるかが決まっていて、それを毎日時間を決めてやるようにしていくことが大事です。
 第一は読書、第二は算数で、読書はあらゆる勉強の基礎になります。
 算数は、少なくとも苦手にならないようにすることが大事です。
 低学年の生徒は、暗唱も家庭学習としてできるといいです。
 暗唱ができるかどうかは、家庭学習ができているかどうかのひとつの目安になります。
●授業には遅刻しないように入る
 ほとんどの生徒は、授業の少し前にクラスに入っていますが、中に、毎週のように少しだけ遅れてくる生徒がいます。
 日本の社会では、遅刻しないことは、社会的な信用の最も重要な条件になります。
 遅刻せずに毎週時刻どおりにクラスに入る生徒は、家庭学習の習慣ができています。
 遅刻しないことは、勉強することよりも大事だということを家庭で教えていくといいと思います。
 ホンダの元副社長の藤沢武夫さんは、社員が集まる会合に参加するとき、たまたま交通機関の事故か何かで会場への到着が遅れそうになったそうです。
 そのとき、藤沢さんは、もうすでにいい年になっているはずなのに全力で走って会場に向かったそうです。
 こういうところに、その人の人柄が表れると思います。
●デジタル機器による学習で学力が低下という記事
 言葉の森は、作文の課題フォルダも、教科学習の問題集も、アナログにしています。
 デジタルは、知識や情報を検索するときには便利ですが、人間が頭に入れる学習の手段はアナログであることが必要です。
 人間がものごとを理解し、その理解を自分のものにするときは、その媒体の手触りも一緒に頭に入るからです。
 大事なものはデジタルではなくアナログで考えておいてください。
●読書は、借りて読むのが便利だが、いい本は買っておくこと
 図書館で本を借りて読んでみて、いい本だと思ったら、同じ本を買っておくことです。
 そうすれば、日をおいて繰り返し読む機会ができるからです。
 これも、デジタルとアナログの関係と同じように、いい本はアナログとして置いておくことが大事だからです。
 いい本は、子供にとって宝物のようなものになります。
●探究学習で基礎学力が低下する面
 フィンランドの自由な教育は、一時話題になりました。
 当時、フィンランドはヨーロッパで最も学力の高い国でした。
 しかし、宿題やテストをやめて、自由な学習を進めたところ、みるみるうちに学力が低下しました。
 東京でも、宿題やテストをやめた学校が、最初は新しい教育として評価されましたが、すぐに学力が低下し学校も荒れるようになったそうです。
 探究学習は、面白い勉強ですが、探究学習が中心になりすぎると、やはり肝心の学力が低下します。
 それは、なぜかというと、苦しい勉強というものがそれなりに人間の向上心を育むからです。
 ただ、今は受験勉強で不必要に苦しい勉強をしている面もあるので、両者のバランスを取ることが大切です。
●算数数学の勉強は、理詰めに考える力を育てる
 算数数学の勉強をすると、「物事は理詰めに考えれば必ず答えが出る」ということを実感として感じるようになります。
 ところが、日常生活ではそのように理詰めに考える場面はなかなかありません。
 そのため、ともすれば、理屈ではなく直感や根性や運で考えてしまう面が出てきます。
 不必要に難しい算数数学をする必要はありませんが、算数数学の勉強にはある程度の時間を取って取り組むことが大切です。
●英語の基礎は日本語
 英語の勉強は、現在ではまだ重要です。
 大学入試の総合選抜なども、小論文と面接だけでは確実な学力がわからないので、英語の点数を参考にすることが多いです。
 英語の点数は、その生徒が真面目に勉強していたかどうかがわかるいちばんの目安になるからです。
 しかし、今はイヤホンとマイクとスピーカーをセットにした携帯型の、ChatGPTのAIを利用した外国語コミュニティ端末が次々と出されています。
 英語の勉強の基本は、日本語力だと考え、英語の勉強のためにも、日本語の難しい本の読書に力を入れていくことが大事です。
●小学5、6年生の作文の勉強は、親子の対話が進む貴重な機会
 作文の課題は、小学5年生から、入試問題と同じような抽象的な課題の感想文になります。
 この感想文の勉強を、家庭での親子の対話の機会として生かしていってください。
 そのためには、お父さんやお母さんが、事前に課題フォルダの課題の文章を見ておくといいです。
 そして、できれば土日の家族の団欒(だんらん)の時間などに、課題についての対話をする時間を取るといいと思います。
 子供は、中学生になると、なかなか親子で話さなくなります。
 小学5、6年生の貴重な時期を十分に生かしていってください。
●基礎学力、総合学力、全科学力クラスは、未来のスタイルの勉強
 これまでの勉強の仕方は、国語は国語の教室で、算数数学は算数数学の教室で、英語は英語の教室でというかたちが普通でした。
 しかし、週に何日もどこかに通って勉強するというのは、能率のよいやり方ではありません。
 家庭学習の習慣があれば、週に1回まとめて学習チェックをし、質問の時間が取れればそれで十分です。
 特に、AIが利用できる時代には、勉強のほとんどは家庭でのAI学習でカバーできます。
 そうすれば、毎日余裕のある生活が送れます。
 こういう勉強スタイルが広がることを考え、今後、デジタル評価とAI評価を組み合わせた教育を行っていく予定です。
●森リンのAI講評が直りました、オシロンのテキスト化も直りました
 8月中旬から森リンのAI講評が止まっていましたが、先日(9/18に)直りました。
 オシロンも同じくテキスト化が止まっていましたが、昨日(9/21に)直りました。
 今後、森リンを活用した日本語作文検定を広げていく予定です。
 また、今後、AIを利用した推薦図書検定を開発する予定です。
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 OCRのオシロンは、8月の途中ごろから使えなくなっていました。
 これは、GoogleとChatGPTのAPIがそれぞれ使えなくなるという事情があったためです。
 本日、APIの動作が正しく動くように直しました。
 しかし、まだ日本語の縦書き原稿のテキスト化は、文字の読みやすさにも関係するので、完璧とは言えません。
 いちばんの問題は、複数枚の画像で手書き作文を送る場合、文の最後が途中で切れて、次のページに続くような場合です。
 これをひとつながりの文として認識できるようにいろいろやってみましたが、まだうまくできません。
 ですから、手書き作文をアップロードする人は、原稿用紙の最後の文は、句点で終わるようにして、あとは空欄にしてもいいとしてください。
 したがって、原稿用紙の最初の文は、文の途中からではなく文の冒頭から始まるようにするといいということです。
 しかし、OCRの性能も、AIの性能も、日々進化しているので、いずれこの問題は解決するようになると思います。
 ということで、本日、OCRのオシロンはやっと直りましたが、元に戻しただけということでご了解ください。
https://www.mori7.com/osiron/
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 英検、漢検を悪く言うわけではありません。
 この検定試験によって、多くの子供たちが英語を学び漢字を学びました。
 しかし、AIの時代には、英語の力のかなりの部分はAIによってカバーされます。
 また、今後、中国の発展とともに中国語が必要になったときに、新たに中国語検定に取り組みたいと思う人はいないはずです。
 AIで補える学力は、人間に本当に必要な学力ではないのです。
 漢検も同じです。
 ただ、ここで区別する必要があるのは、漢字の書き取り力と読み取り力とは性格が違うということです。
 漢字の書き取りは、すでにスマホやパソコンがカバーするようになっています。
 書き方を忘れた漢字を辞書で調べて、改めて覚え直すという人はもういません。
 必要なのは、漢字の書き取り力ではなく漢字の読み取り力です。
 しかし、読み取り力はと、知識として「玉蜀黍」や「蒲公英」が読めるということではありません。
 それは単なる漢字クイズです。
 必要なのは、「黄昏」とか「微風」とか「佇む」とかという漢字を見て、「ああ、いいなあ」とか「うんわかる」などと実感を伴ってわかる感性です。
 だから、それは漢字力というよりも日本語の母語の力なのです。
 これと似たものが数学力です。
 数学力の本質は、「物事は理詰めに考えれば理解できるはずだ」という世界観を身につけることです。
 私たちの日常生活では、理詰めに考えることが必要な場面はあまりありません。
 ほとんどは、習慣で処理したり、勘で処理したり、思いつきで処理したりして何とかなります。
 数学を学ぶ意義は、理詰めに考えることの意義と効果を実感として身につけることです。
 しかし、今の数学の多くは、試験で差をつけるための数学になっています。
 数学力として必要なことを学ぶのは小学校低中学年までで、高学年になり中学生になり高校生になると、数学力の本質とは関係のない差をつけるための難問に取り組むようになるのです。
 よく学校時代に成績の悪かった子が、社会に出て活躍していることがあります。
 その子にとって、学校時代の勉強は、社会で活躍するためにほとんど必要なかったということです。
 学校教育は、差をつけるための教育ではなく、人間が生きていくのに必要な学力をつけるための教育になるべきです。
 そうすれば、学校での勉強はもっと短時間で終わり、しかも楽しいものになるはずです。
 では、本当に必要な学力とは何かというと、それは日本語力と先ほどの数学力です。
 また、学力とは少し違いますが、共感力と実践力も重要です。
 日本語力で大事なものは、書く力、読む力、話す力などですが、現在最も学習の不足しているものは書く力つまり作文力です。
 その作文力を、子供たちの日常的な学習として取り組めるようにしたのが、日本語作文検定® です。
 日本語作文検定は、小学生から高校生まで一貫した学習として取り組めるようになっています。
 これから、英検、漢検に続く第三の検定試験が日本語作文検定になります。
 そして、作文検定は、AI時代にも通用する真の検定試験とも言えるものなのです。
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 話は長くなりそうですが、簡単に。
 これまでの作文教育のいちばんの弱点は、客観的な評価ができないことでした。
 これは、現在でもそうです。
 学校の作文試験でも、塾や予備校の作文模試でも、客観的な評価をしているところはどこにもありません。
 「構成A、表現B、意見C……」などという評価がつくことがありますが、その根拠は、つけている本人も説明できません。
 では、将来、AIが作文を評価できるようになるのではないかという考えもありますが、そのときの問題は、評価の中身がブラックボックスであることです。
 ブラックボックスの評価で努力できるのは、同じブラックボックスの機械だけで、人間はそういう努力はできません。
 人間の努力には、明確な言語化された理由が必要なのです。
 さて、そこで言葉の森では、作文の客観的な評価のシステムを「森リン」として作りました。
 しかし、その森リンを作ったときの言語解析システムのchasenが古くなったので、新たにmecabというシステムを導入することにしました。
 そのために、サーバーのOSを変えなければならなくなりました。(2024年11月)
 しかし、OSを変えると、これまで動いていたページのほとんどすべてが動かなくなりました(笑)。
 しばらくは、その対応で毎日を過ごしていました。
 その後、大体のページが安定してきたので、森リンを新しい形態素解析システムで作り直すことにしました。
 それは比較的うまく行ったのですが、そのころChatGPTのAIが誰にも使えるようになっていたことに気が付きました。
 そこで、新しい森リンは、AIの講評も入れられるようにしたのです。
 ここまでは順調でした。
 しかし、ちょうどこの2025年の8月下旬からいろいろなトラブルが続き、森リンが急に使えなくなりました。
 その対応に時間を費やして、やっと今日9月18日(木)に森リンが復活するようになりました。
 そのため、今日は朝2時ごろから夕方の16時ごろまで、ずっとその作業をしていました。
 昔は、そういうときはストレスがたまったのですが、今はそういうことはありません。
 淡々と、「やってられないなあ(笑)」と思いながら、単純な作業を繰り返していました。
 今は、どんなことがあっても漠然と、「そういう困難があるのは、それを受け入れろということだ」というと思うからです。
 まだ、何かを悟るような年ではありませんが、根がAB型のせいか、どんな状況も受け入れるのが早いのです。
 もちろん、意に反することは受け入れないので、そのために今日は一日仕事をしていたのだと思います。
 さて、ここまでが近況報告とも愚痴とも言えない書き込みですが、これからの展望は明確です。
 私は、日本の教育はかなり変な方向に行っていると思います。
 それを正しく修正するのは、読書教育、作文教育、全科学力教育(基礎学力と総合学力も)、創造発表教育です。
 森リンの修理が一段落したので、明日からは、というか今日からその新しい展望で仕事をしていきたいと思います。
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 現在、子供たちが勉強している学力の中身のほとんどは、記憶力と忍耐力になっています。
 それは、入試がそういう試験を課しているからで、子供も親も学校の先生も、その入試に合わせるように勉強しているからです。
 しかし、将来、子供たちが社会に出て仕事をするときに役立つのは、記憶力と忍耐力ではなく、思考力と創造力と共感力です。
 ところが、それらの勉強は、評価する場がないので個人に任せられています。
 だから、家庭が、子供の将来にとって必要な教育を行う必要があります。
 では、どういう学力が将来役に立つ学力かというと、それは、読書力と作文力と数学力です。
 ただし、数学力は、物事を考えるときに数学的に考えることができるということであって、数学の計算問題ができることとは違います。
 つまり、物事を感覚的にではなく理詰めに考えることのできる姿勢です。
 そして、少なくとも数式が出てくる話を避けずに理解しようとする姿勢です。
 それは、プログラミングの勉強などにもつながっています。
 必要な学力の中で、いちばん大事なものは読書力です。
 人間は、母語の言葉によって思考します。
 その思考の材料を作るものが読書です。
 今、子供たちを取り巻く読書環境は、「豊富の中の貧困」という言葉で言えると思います。
 たくさんの本や本の代替となる情報が溢れていますが、その多くは、売れるために子供たちにおもねる作り方がされています。
 私が気になることのひとつは、人気のある小説でも、殺人事件を話のきっかけにするような始まり方が多いことです。
 又は、単純な善悪二元論で、悪い大人をやっつけるというような話の展開が多いことです。
 また、なぜか外国の人が書いた絵本のようなものを読む子が多いことです。
 日本人が書いたいい本がたくさんあるのですから、もっと日本発の絵本を読むのがいいと思います。
 また最近では、小さい子供向けには、おしりとかうんちとかいう下品なタイトルで子供を引き付けるものがあることです。
 私は、子供たちの読書紹介で、勉強のよくできるはずの子供たちがそういう変な本を紹介しているのを聞くとがっかりします。
 たぶん、友達どうしで話題になっているから読んでいるのだと思いますが、そのような読書はそのときに面白いと思うだけで、あとに何も残りません。
 昔の子供向けの本は、と一概には言えないかもしれませんが、もっと情緒のある話が多かったと思います。
 例えば、作者で、私が知っている名前で言うと、小川未明、新美南吉、芥川龍之介、鈴木三重吉、椋鳩十、宮沢賢治などです。
 読書教育は、以前、月刊誌「到知」で「読書立国」という特集を組んでいたように、多くの人がその必要性を感じていますが、これまでの取り組みはすべて掛け声だけで終わっています。
 私が唯一、掛け声で終わらない読書運動と思ったのは「朝の10分間読書運動」ですが、それもいくつかの学校では、「読書よりももっと勉強になる漢字の書き取りをやらせよう」などとなっているところもあるようです。
 毎年の読書感想文コンクールは、優れた企画ですが、AIの時代には、コンクールや宿題というものは教育としての効果はなくなります。
 例えば、すでに最近の優秀作品として選ばれたものの中には、AIを利用したものが多数入っているはずだからです。
 読書教育は、コンクールや宿題として行うものではなく、授業の中で授業として行って初めて意味あるものになるのです。
 言葉の森が、現在考えているのは、推薦図書検定という企画です。
 読書が、本当に役立つのは、子供たちが中学生、高校生、大学生になってからです。
 小学生の間は、そのための助走期間として、良書をたくさん読んでいけるといいと思います。
 推薦図書検定は、AIを利用した仕組みで、現在特許を出願しています。
 作文検定の仕事が一段落したら、推薦図書検定に取り組む予定です。
 さて、もうひとつは、読書力と並んで必要な学力である作文力です。
 作文を書くことによって、思考力と創造力が育ちます。
 言葉の森の小学校高学年、中学生、高校生は、毎週難しい課題で感想文の課題を書いています。
 ここで、子供たちの考える力が育っていることがよくわかります。
 また、小学校高学年の場合は、作文の課題に合わせて親子で対話をする機会が作れます。
 中学生や高校生も親子で対話をすることができますが、中学生になると年齢的に親子の対話がしにくくなります。
 この親子の対話の時間は、子供が親の人生観や世界観に接する貴重な機会になります。
 作文の学習は、意義あるものだと多くの人が思っていますが、問題はまともな作文教育が行われていないことにあります。
 入試でも、中学、高校、大学で作文試験を課すところが増えていますが、この場合も問題は正しい作文評価が行われていないことにあります。
 試みに、生徒が書いた作文の評価を聞いてみれば、読む人によってかなり評価が違うはずです。
 また、同じ人の場合でも、日によって評価が違うはずです。
 だから、ほとんどの場合、作文の評価は、誤字がないかどうか、字数がちゃんと書けているかどうかというレベルで行われています。
 しかし、その評価のために費やす時間は、人間が行うかぎり、例えば600字の作文について1本5分から10分かかります。
 だから、学校によっては短い記述問題でお茶を濁しているところも多いのです。
 東大もそうです。
 作文教育が行われていない最も根本の問題は、作文の正しい評価ができないことにあります。
 このため、現在の教育は評価のしやすい○×式のテストが中心になり、記述や作文の教育はつけたし程度にしか行われないようになっているのです。
 この問題を解決しているのが、言葉の森の日本語作文検定です。
 作文検定の評価は2つの方向で行われます。
 ひとつは、指示された表現が使われているかどうかです。
 例えば、小学生では、「たとえ(比喩)を使って書こう」などという項目があります。
 中学生や高校生では、「自作名言を使って書こう」などという項目があります。
 項目があることによって、子供は作文が書きやすくなり、作文自体もよりよい表現になります。
 もうひとつは、その作文にどのような語彙が使われているかという評価です。
 語彙の中には、考える語彙、知識の語彙、経験の語彙などがあり、また語彙の多様性自体もひとつの評価になります。
 この語彙の評価があることによって、子供たちはより広い実例と、より深い知識と、より高い思考のある作文を書こうとするようになります。
 そして、この項目評価と語彙評価は、デジタル技術とAI技術により機械化し数値化できるので、人間が読むのはその作文の内容の個性、感動、共感などに絞ることができます。
 これが、新しい作文教育の方法です。
 現在、AIを使ったOCR技術は、かなり進歩しています。
 言葉の森が開発したOCRシステムでさえ、普通の手書きの作文をほぼ正確にテキスト化できます。
 今後は、子供たちが書いた手書きの作文をOCRでテキスト化し、項目評価と語彙評価を自動化する仕組みが作文教育の中心になると思います。
 すると、学校教育の場で、作文指導が日常的にできるようになります。
 その際、先生の負担はほとんど増えません。
 そして、数値化された作文評価によって、子供たちの作文を書く意欲が高まり、作文の学習の日常化によって子供たちの書く力と考える力が育つのです。
 言葉の森は、今後、推薦図書検定と日本語作文検定によって、読書教育と作文教育の基準を作っていく予定です。
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 オンラインクラスでは、生徒が毎週読書紹介をしています。
 これによって、読書習慣を維持している子が多いです。
 どんな本を読んだらいいかということは、「読書記録」の「学年」の欄をクリックすると、その学年の子が読んでいる本が表示されます。
 そこに並んだ本を参考にして、読む本のレベルを上げていくといいのです。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php
 読書紹介で気になっていることが、いくつかあります。
 第一は、小学校低学年の子が、いつまでも絵本を読んでいることです。
 絵本には、確かに内容のいいものが多いです。
 しかし、大事なのは内容のよさを感じるとともに、その子の日本語力を育てるです。
 どんなにいい絵本であっても、断片的な文章が書かれているだけで、あとは挿絵で理解するような本では読む力はつきません。
 もちろん、絵本は読んでいいのです。
 また、漫画も読んでいいのです。
 しかし、それとは別に文章がしっかり書いてある本を読む必要があります。
 小学校低学年の生徒は、絵本ではなく、普通の本を読むようにしてください。
 内容が面白ければ、細かい字で書かれている本であっても、子供は興味を持って読みます。
 低学年ということを考えずに、内容の面白い本を読むようにしていくといいです。
 小学校中学年、高学年の本は、比較的充実しています。
 ですから、よく売れている本がいい本と考えてもいいと思います。
 ひとつの基準としては、過去に読書感想文コンクールの課題図書となったような本です。
 今年の課題図書ではなく、過去の課題図書です。
 どうして過去の課題図書かというと、中古で安く手に入ることが多いからです。
https://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/pastbook/
 また、小学生向けのシリーズになっている本は、良書が多いです。
・講談社青い鳥文庫
・フォア文庫
・偕成社文庫
など。
 ところで、本は、借りるものではなく買うものです。
 ブックオフを利用したり、アマゾンの中古を利用したりして、低価格でできるだけ本を買って読むようにするといいです。
 また、借りた本であっても、面白いと思った本は、別に買うようにするべきです。
 それはなぜかというと、本は繰り返し読むことによって読む力がつくからです。
 繰り返し読みたくなる本が手元にあるという子は、読書力がつきます。
 勉強は成績が上がるだけですが、そのような成績はやる気になればすぐに上がります。
 読書は、成績をよくするのではなく頭をよくします。
 だから、小学生時代は、勉強よりも読書優先にしていくといいのです。
 さて、中学生や高校生になると、勉強が忙しいからという理由で本をあまり読まなくなる子がいます。
 こういう生徒は、学年が上がるにつれて成績が伸び悩んでいきます。
 読書は毎日の習慣が大事ですから、たとえテスト期間中であって、一日に一度は本を開き、5ページでも10ページでも読むようにするといいのです。
 実は、読書好きの子は、テスト期間中でも、つい読みかけの本を開き続きを読んでしまうということが多いです。
 こういう子が、本当の学力のある子です。
 ところで、中学生や高校生になったら、物語文は単なる娯楽と考えておくことです。
 物語文をいくら読んでも、国語力もつかないし、学力もつきません。
 説明文意見文のできるだけ難しい本を、1日50ページを目標に読んでいくことです。
 中学生や高校生のときに、勉強が忙しいからという理由で本を読まない生徒は、社会人になったときも同じように、仕事が忙しいからという理由で本を読まなくなります。
 しかし、世の中には、仕事をするようになっても、毎日本を読み続ける人がいます。
 これが、あとになって大きな差になるのです。
 高校生が読む本の目安は、中公新書や岩波新書になります。
 更に、大学生になったら、岩波文庫の青帯白帯や講談社学術文庫などの本を読んでいくといいと思います。
 これは不思議なことですが、頭のいい子は、成長するにつれて自然にこういう本を読みたくなるのです。
 私の個人的な感覚ですが、小学校高学年で、ミヒャエル・エンデの「モモ」や「はてしない物語」を読んで感動するような子は、かなり読書力があります。
 しかし、本は、難しいものを早く読めるようになればいいというのではありません。
 大学生や社会人になってから読んで感動することもあります。
 そして、その方がずっと深く感動することも多いのです。
 宮沢賢治は有名ですが、ある程度の年齢になって初めてわかるようなこともあります。
 小さいころに読むと、ただあらすじを知っているだけという読み方になることも多いです。
 同じ理由で「小学生が読む名作選」のような本は、形だけの読書で、大したものは身につきません。
 子供の読書をどう見極めるかは、親の読書習慣によることも大きいと思います。
 読書好きな子は、よく親の本棚から本を借りて読書紹介をしていることがあります。
 親子で、それぞれ自分の好きな本を読むという習慣を作っていくといいと思います。
 ただし、親が子供時代に感動したような本は、全体に暗い話であることが多いです。
 現代の明るく感動する本を見つけていくように工夫してください。
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