成績をよくするという表面的なところに目を向けるのではなく、もっと根本にある
頭をよくすることに目を向けていれば、必要なときに成績をよくすることができます。
今、世の中で活躍している人で、子供のころからずっと成績がよかったという人はむしろ少数派です。ほとんどの人は、普通の成績で、途中いろいろな脱線を経ながら成長しています。そして、ある日やる気になったときに、猛然と勉強を始めて実力を発揮していったのです。
そのやる気になったときに、ぐんぐん伸びる人と、あまり伸びない人とがいます。
必要なときに伸びる力があることが、頭がよいということです。
小さいころから、時間とお金をかけて、コツコツと成績を積み上げるというやり方だけが勉強なのではありません。小さいころはよい頭を作っておき、必要なときに集中して勉強するというのが最も無駄のない方法なのです。
小さいころから努力して取り組むことが必要なのは、成績を上げるための努力ではなく、頭をよくするための努力です。
では、頭をよくするとはどういうことでしょうか。第一は理解力をつけることです。第二は思考力をつけることです。第三は創造力をつけることです。そして、第四はそれらを表現する表現力をつけることです。
このうち、理解力を除く三つの力、
思考力、創造力、表現力は、主に作文力という形で表面に表れてきます。最近の作文小論文入試では、与えられた文章を読んでその感想を述べるという形が多いので、その感想小論文という形であれば、理解力も作文力の中に含まれます。
逆に、ペーパーテストのような形で見ることができるのは、主に理解力と思考力の一部です。しかし、テストで分かる力というものは人為的なものなので、テストの解き方のコツに慣れているかどうかによって大きく左右されます。テストの点数よりも、普段その子が書いていることや言っていることに接して受ける感じの方が本当の実力が分かるのです。
成績はその子の過去の勉強のかんばり度がわかるだけですが、作文には、その子の本当の実力が表れます。推薦入試で、作文や面接の試験があるのは、そういう事情があるからです。
頭がよいか悪いかは、作文を書く力を見れば分かると言ってもいいでしょう。ですから、
頭をよくする勉強は、作文力をつける勉強ということで考えていくことができるのです。
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成績を良くする時代は終わりつつあります。これからは頭をよくする時代です。
では、なぜ成績をよくする時代が終わりつつあるのでしょうか。
第一は、社会のグローバル化の流れによってです。
江戸時代の藩が県になり日本の一部になったように、現在の日本は、これから、世界の中の一つの国という面をますます強めていきます。日本で名前を知られた大学でも、世界の基準でいうと様々な大学の一つでしかなく、
世界的な基準では、学歴は「参考までに聞いておく」という程度のものになっています。
特に、最近増えているAO入試や内部進学によって、学歴と学力の相関は弱くなっています。さらに、学歴と実力については、もっと弱い相関しかないと多くの人が感じるようになっています。
成績をよくして希望の大学に入ることは、もちろん大事なことですが、それだけでは、まだ出発点の一つに立ったにすぎない、ということなのです。
成績の時代が終わりつつある第二の理由は、流動化した社会が生まれているからです。
学校の成績は、小、中学校のころまでは勉強の仕方次第で、ある程度上位を占めることができます。しかし、
高校、大学と進むにつれて、勉強の仕方よりも、本人の努力や実力が大きく物を言うようになってきます。
P・F・ドラッカー氏氏は、これからの企業の平均寿命は30年程度だから、人間が持っている知識の寿命の方が、勤める企業よりもはるかに長くなるだろうと述べています。
勉強をして、いい成績を上げて、いい学校に入ったらそれでおしまいというのは、過去の時代の話です。これからは、時代の変化に応じて新しい知識や技能を次々と学んでいく形が日常化していきます。
今有利な資格や学歴というものは確かにありますが、一生有利な資格や学歴はない、と考えておくことが大切です。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
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日本と米国の作文教育には、違いが幾つかあります。
日本では低学年からの生活作文が充実しています。喋る言葉がほとんどそのまま書き言葉になるので、日本では作文教育の年齢が諸外国に比べてかなり早いのです。わずかに教えにくい例外は「わ」と「は」や「お」と「を」の区別ぐらいです。
それに対して米国では、子供のころからの単純な口頭説明の練習があります。文章を書くのではなく口頭で、家から持ってきたものなどをみんなの前で説明させるのです。そして、文章が書けるような年齢になると、簡単な説明文から簡単な意見文の練習に発展していきます。
アメリカの意見文の特徴は、構成がはっきりしていることです。意見や理由や反論を明確に述べる形の文章です。これがディベートという論争ゲームにつながっていきます。これは日本には見られない特徴です。
しかし、
日本にも意見文の作文があります。それが言葉の森の「一つの意見と複数の理由」という書き方です。意見とその理由を書くところまでは、米国の作文とあまり変わりませんが、そのあと、言葉の森の作文では「反対意見に対する理解」が入ります。相手の批判に対する反論ではなく、相手の批判に対して理解を示すというのが言葉の森の意見文の特徴です。
アメリカの意見文では、反対が新たな反対を呼び、それが弁証法的に発展していくという前提があります。これは自由貿易主義の自由競争が、富める国と貧しい国の双方にとって有利になるという前提と似ています。強い者が勝ち、より強くなったものが次に勝ち、更に強くなったものが更に次に勝つ、ということを繰り返すことによって、世の中は自然に発展していくという考え方です。
言葉の森の意見文の「反対意見の理解」は、弁証法という形には進みません。「総合化の主題」という方向に進みます。日本では、対立する意見に対しても和を大事にするという考えがあるからです。
言葉の森の意見文は、弁証法のように正反合という形で進むのではなく、ある意見と異なる意見を総合化してより大きな意見にまとめるという方向に進みます。
弁証法的な方法が時間的な統合であるならば、総合化は空間的な統合といってもいいでしょう。欧米の料理が時間的な順序で現れてくるのに対し、日本の料理が空間的に配置されることと似ています。
具体的な実例を述べてみましょう。
機械化が良いか悪いかということを弁証法的に対立する意見として考えるならば、双方の意見が対立しているときは、機械による合理化を進める意見と合理化に反対する意見が対立し、時には、機械打ち壊し運動というような実力行使に進むかもしれません。
日本の場合は、機械とどう共存するかという発想がまず最初に出てきます。日本の工場ロボットが「百恵ちゃん」などと名前をつけられて人間と一緒に共同作業をしているのは、たぶん日本人のこのような和の発想が生きているからだと思います。
ペットの犬を見てみると、欧米では犬の耳を切ったりしっぽを切ったり、人間の都合に合わせて動物を管理するという面が強くあります。日本では、そういう発想はあまりありません。逆に、日本の猫はしっぽの折れているものが多いのですが、その折れ具合がかわいいなどという考えもあります。
つまり、
自分の考えと合わないものを批判するのではなく、合わないものと共存するところに、日本の「反対意見に対する理解」と「総合化の主題」という意見文の特徴があるのです。日本では犯罪が極めて少ないことが知られています。(殺人事件は、日本を基準にすると、イギリス、フランス、中国は2倍、アメリカは5倍、ロシアは20倍です。強盗事件は同じく、中国が3倍、フランスが10倍、ロシアが20倍、アメリカが30倍、イギリスが40倍です)。異なる意見に対し、力で対抗するのではなく、譲り合いで対応するという日本人の発想が治安のよさにつながっているのだと思います。
日本には、「石の上にも三年」という言葉があります。嫌なことでも三年我慢していれば、総合化の展望が見えてくるというのです。これに対して、欧米では、「ローリングストーン ギャザーズ ノーモス(転石苔を生じず)」で、嫌なことがあったら、さっさと別の場所に移って新しい人生を始めようという発想です。
このどちらがいいということは一概に言えませんが、日本の文化や日本の社会に根づいているのはやはり忍耐と和の考え方なのです。
ここで、反対意見に対する理解を入れると、確かに、弁証法の発想は、世の中が激しく変化するときには有効です。例えば、信長の比叡山の焼き討ちなども、そういう激しい行動がなければ日本の国家の統合と発展は、かなり遅れたはずだからです。しかし、平和な時代の平和な社会には、弁証法ではなく総合化の発想が大事です。
これから世界は、大きく平和に向かっています。日本人の意見文の発想がますます求められていると思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
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