https://youtu.be/U3nc1ompKJ8
◆◆これからの社会に必要な理数系の力
これからの社会では、文章を読む力、文章を書く力とともに、理数系の力が必要です。
理数系の力とは、物事を理数的に捉え、必要に応じて理科や数学の考え方を使える力です。
◆◆数学は好きな子も嫌いな子も多い教科
しかし、子供たちの好きな教科、嫌いな教科を調べると、好きな教科として挙げる子が多い一方で、嫌いな教科として最も多く挙げられるのも数学なのです。
こういう状態がなぜ生まれているかというと、一言で言えば難しい問題があるからです。
なぜ難しい問題が出されるかというと、子供たちの学力に点数の差をつけて評価するためなのです。
それは、子供たちの成長のために必要な難しさではなく、評価する側の都合による難しさです。
◆◆難しい問題が数学嫌いを生む
難しい問題は、解き方を理解すれば解けるようになります。
しかし、それには、ある程度長い時間がかかります。
その長い時間が蓄積されると、数学が苦手になる子が出てくるのです。
難しい問題は、一種のパズルのようなものですから、解けたときの喜びがあります。
この喜びが、数学好きな子を生み出します。
人間には誰でも向上心があるので、できなかったことや分からなかったことが、できるようになり分かるようになったときには、感動するような喜びがあるのです。
しかし、その難しさは、子供の生活にとって必ずしも必要ではない難しさです。
◆◆技能の習得と人生に必要な学びは別
ちょうど体育で跳び箱の高い段を跳べたり、鉄棒で逆上がりができたり、サッカーでリフティングを何回もできたりするのと同じです。
できなかったことができるようになるのは、人間にとって嬉しいことなのですが、それがその子の人生にとって重要な教育かどうかということとは、また別の問題です。
◆◆因数分解や図形問題の難しさ
必要でない難しさについて、数学の分かりやすい例でいうと因数分解です。
因数分解のいろいろな問題は一種のパズルのようなもので、解き方が分かると解けるようになりますが、解き方が分からないとただ×をもらうだけになります。
さらに差が大きいのが、図形の問題です。
図形の問題も解き方が分かったときは嬉しいものですが、解き方が分からないとただ×をもらうだけなのです。
この難しさが物事を考えるときに必要な難しさならいいのです。
そうではなく、生徒に点数の差をつけて評価するために行われている難しさだというところに問題があるのです。
確かに、因数分解や図形の学習には、抽象的な構造を見抜く力、パターン認識力、論理的推論力を育てるという価値もあります。
だから、その問題自体に価値がないのではなく、受験のために複雑なパターンを大量に覚えさせることには疑問があるということです。
◆◆評価のための数学が数学嫌いを生む
この不必要な難しさが何を生み出しているかというと、本来、数理的に考える力を持った子供たちの数学嫌いを生み出しているだけなのです。
すべての問題は、数学力の評価が子供たちの成長のために行われているのではなく、子供たちに差をつけるために行われているところにあります。
◆◆本当に必要な数学とは何か
私が因数分解の無意味さを感じたのは、自分がプログラムを作っているときに、2次方程式を解く必要があった場面です。
そのときに考えたのは、因数分解の方法ではなく、「解の公式」に当てはめて計算機に解かせればいいということでした。
だから、子供にはいろいろなパターンの因数分解を教えてできるかどうかを確かめるよりも、いろいろな因数分解の方法があることを教えるとともに、解の公式という方法があり、その公式がどのように導き出されたかという理屈を教えてあげればいいと思うのです。
ところで、余談ですが、うちの次男が中学生のときは「ゆとり教育」の時代だったので、中学で「解の公式」を習っていませんでした。
それで、高校ではだいぶ苦労したようです。
最初のころ、高校で、できない子の保護者だけを集める会合に呼び出されました(笑)。
私は、その会の趣旨がよくわからなかったので、最前列で楽しそうに話を聞いていました。
◆◆人生に役立つ数学教育を
未来の日本の国の力は、子供たちの学力にかかっています。
不必要な数学嫌いを生み出さないために、差をつけるための数学ではなく、人生に必要な数学を教育していく必要があるのです。
人生に役立つ数学とは、何か問題に直面したとき、その問題を数学的に考えて解決する力です。
もちろん、人には、直感で解決することもあれば、人に聞いて解決することもあります。
しかし、数学的に考えるという方法もあるのです。
そのような考え方ができるという可能性を知ることが、数学を勉強する意義です。
◆◆数学が役立った自分の個人的な例
数学が役に立った例で言うと、私の場合、子供たちの点数の分布を調べたとき、ウェブ上で点数のドットを表示するだけでなく、その分布を表す近似直線をプログラムで引きたいと思ったことがありました。
そのとき、「確か高校の数学でやったはずだ」と思い、昔の数学の教科書を引っ張り出してきたことがあります。
今ならAIに聞けば教えてくれると思いますが、その当時はAIはありませんでした。
そして、「仮定した直線からすべての点までの距離の二乗の和が最も小さくなる直線が近似直線になる」という考え方を改めて理解し、プログラムを作ることができました。初歩的な話で恐縮ですが(笑)。
だから、パズルのような問題を解くコツを身につけることよりも、数学の理屈や考え方を理解することのほうが、数学の勉強では大切です。
数学を学ぶ目的は、難しい問題を速く解けるようになることではなく、必要なときに数学という考え方を使えるようになることです。
そうすれば、数学嫌いの子はもっと少なくなり、逆に理数系好きの子が増えていくと思います。
https://youtu.be/M-_-1_Id0Ig
◆◆日本人の共感力とは何か
日本人は共感力の高い民族だと言われています。
それが例えば「同調圧力に弱い」などという形で現れることもあります。
つまり、自分のことよりも他の人に気を使い、他の人がどう思っているかを考えるという面が強いのです。
コロナウイルスの騒動が起こったとき、街を歩くと、すれ違う人のほぼ百パーセントがマスクをしていました。
ほとんど一人の例外もなく、マスクをして歩いていたのです。
知人にその理由を聞いてみると、「みんながしているのに、自分だけしないのはおかしいと思われるから」ということでした。
それは、悪いことではないのです。
そういう生き方が、日本人の家族主義的なまとまりの基盤になっています。
◆◆共感力は創造力にもつながる
しかし、今回述べるのは、共感力が同調圧力につながっているという話ではなく、共感力が創造力の源にもなっているという話です。
私たちは、自分個人のことを考えると同時に、他人のことや人間以外の生き物のことも考えがちです。
一茶の句に「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」とか、「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」とかいうものがあります。
これは、きわめて日本的な感覚です。
自分以外の生き物にも感情を移入し、自分と同じような感覚でその対象を見ているという共感力の表れです。
それが創造力に発展するのは、自分とは異なった優れたものに遭遇したときです。
◆◆模倣から創造へ
種子島に鉄砲が伝えられたとき、人によっては、自分が考えつきもしなかった武器が、自分とは異なる人間が作った魔法の武器であるかのように感じたと思います。
しかし、日本人は、同じ人間が作ったものなら、自分も作れるはずだ、というところに共感力を発揮したのです。
共感力は、時に模倣力と言われることもあります。
模倣力は、同調力という概念と似ています。
相手のやっていること、相手の良いところをそのまま吸収しようとするのが模倣力であり、同調力です。
しかし、その模倣力が発展したものが創造力なのです。
明治時代、日本の近代化が成功したのは、ヨーロッパの人々ができることなら、同じ人間である自分たちも当然できるはずだという共感力の土台があったからだと思うのです。
◆◆日本文化に根づく共感力
私が印象的な昔話として覚えているのは「笠地蔵」です。
笠が売れ残り、余った笠を持って帰る途中、お地蔵様が雪の中で立っているのを見たおじいさんは、自分の持っている余った笠を一人ひとりのお地蔵さんにかけて帰りました。
人間だけではなく、立っているお地蔵さんにも共感を覚える気持ちが背景にあったからです。
「葉隠」に書かれていた話ですが、ある藩の君主が部下の裁判で罰を与えることになりました。すると、君主の母が「あの者はどうか助けてやってほしい」と懇願したのだそうです。
最初は、もちろんそれを断り、「自分の決めたことに、たとえ母親であっても口出しをするべきではない」ときつく言い渡しました。
しかし、その母親が、日を置いて二度三度と繰り返し同じことを頼むと、君主は、「それほどまでに言うのなら、許す時期が来たのだと思う」と答えたそうです。
こういう話を聞くと、私たちの中に少しほっとする気持ちがあります。
理屈は理屈で大事ですが、その理屈を超えたところに、人間の情が入ることがあるということです。
◆◆弁証法と三方よし
ヨーロッパには、「正反合」という考え方があります。
対立するものが止揚されることによって新しいものが創造されるというのです。
日本には、「三方よし」という考え方があります。
最初から、対立のない状態を目指してよりよいものを創造するのです。
◆◆共感力を未来の力にするために
共感力は日本文化の中に幅広く根づいています。
それは、日本の文化が若い文化ではなく、長い歴史を持つ文化だからです。
しかし、共感力も、行き過ぎれば狭い村の文化になります。
革新を続けるためには、共感力を基盤としつつも、新しい改革を阻まない自由な文化を育てていく必要があります。
そのひとつは、調和と規制を基礎にする一方で、いろいろな分野で特区を作ることだと思います。
ふと、渋谷のスクランブル交差点を思い出した(笑)。
※言葉の森のnoteの記事もごらんください。
https://note.com/shine007