国語の成績を上げるコツを三つ説明します。
まず第一は、読む力です。第二は、問題を解くコツです。第三は、過去問の傾向です。
いちばん大事な読む力は、あとで説明することにして、まず、問題を解くコツから説明していきます。
問題を解くコツで大事なことは二つあります。一つは答えが文中にあるということです。
ただし、文中にあるといっても、問題となっている箇所の直前にあるのはやさしい問題だけです。難しい問題は、問題のあとの方にでてくるので見つけにくいという傾向があります。
また、さらに難しい問題になると、答えは文中にあることはあるのですが、問題となっている箇所からかなり離れたところにあるということがあります。また、答えが直接文中にあるのではなくて、内容的に文中にあるという場合もあります。
読む力のある子が、意外と国語の点数が悪かったというときの原因はここにあります。つまり、問題を見て、問題文から答えを探すのではなく、自分の考えから答えを述べてしまうのです。
国語の問題は、自分の知識や考えが問われているのではなく、問題文から探せるかどうかが問われているのです。
問題を解くコツでもう一つの大事なことは、難しい問題ほど感覚ではなく理屈で解くようになっているということです。感覚的に合っていそうなところを選ぶのではなく、理屈の上で必ずしもそうとは言えないところを消去するという発想で解いていきます。
このアドバイスをするためには、具体的にその生徒の間違えた問題を一つずつ見ながら説明していく必要があります。そのため、一斉指導にはあまり向きません。しかし、一つのテストを全部説明するのに一時間もかかりませんが、次回からどの子も点数が見違えるほどよくなります。
問題を解くコツに関連して、よく塾などでは、問題を読んでから問題文を読むというようなアドバイスしているところがありますが、実力のある子はそのようなことはしていません。普通に問題文を読んでから
国語の成績を上げる上で大事なことは、次に、過去問の傾向です。
なぜ過去問の傾向を研究する必要があるかというと、素直な答えを要求されている問題と、ひねった答えが要求されている問題とでは、答えがかなり違ってくるからです。
これは、志望校の過去問を一年間分やれば、大体のことがわかります。過去問は最も役に立つ問題集ですから、昨年のものだけでなく、古本もあればそれも買っておくことをおすすめします。
現在の入試問題では、実際の国語の実力よりも、解き方のコツや過去問の傾向分析の方がはるかに大きい差を生み出します。
しかし、国語の成績に上げることに関していちばん大事なのは、もちろん読む力です。
読む力は、速読力に表れます。国語の成績がよくなかった場合、その答案を見てみると、最初の方は○が多いのに、あとの方によると×が多くなるということがあります。これは、読み取るのに時間がかかったために最初の方の問題しかじっくり取り組めなかったということです。
この速読力は、速読の練習でつくわけではありません。多読によって速読力がつきます。
小学生のころは、国語の問題集や漢字の書き取りに時間を取るよりも、その分、本を読む時間に力を入れる方が読む力がつきます。
たくさんの本を読むためには、難しい本もやさしい本も、両方読んでいく必要があります。
大人の目から見ると、面白いだけの本と思われているような本でも、それが、たくさん読む力につながっていきます。そしてその一方で、難しい本も勉強として読んでいくという両面作戦で読書を進めていく必要があります。
読む力は、味わって読む力とも言えます。この味わって読む力は、繰り返し読むことによって身につきます。内容をやあらすじを理解するだけの読み方ではなく、丸ごとその情景や心情や説明を把握するような読み方が深く読む力になります。
この丸ごと把握した内容は、徐々にその子の頭の中で消化され、自分のものになっていきます。この勉強法は、暗唱の勉強法と共通点があります。
読む力をつけるコツを簡単に言えば、やさしい本をたくさん読み、そして難しい本を繰り返し読むということに尽きると言ってもいいと思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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——どこに費用と時間をかけるか——
子供の生活は、1日24時間の中で限られています。しかも、子供は、成長する期間も限られています。その年代は、一生戻ってこない貴重な時間です。ですから、
家庭生活の中では、子供の教育を何よりも優先して考える必要があります。
今の社会は、昔と違って、多くの子供が塾や習い事に行くようになっています。しかし、人と同じような勉強しているから安心できるかというと、そうではありません。他人と同じ路線で勉強していると、もっと時間をかけてがんばるという方向に進みがちです。ところが、教室で先生に教わるような形の勉強は、きわめて能率が悪いのです。
塾や習い事の勉強の多くは、学校で一斉授業を聞いているときの勉強と本質的には変わりません。聞かなくてももともと分かっているという無駄な時間がかなりあるのです。
能率のよい勉強は、ひとりでやるか、専属の家庭教師がつくか、両親が徹底して面倒をみるか、いずれかの形の勉強です。このような勉強であれば、もっと密度の濃い、無駄のない、したがって余裕のある勉強ができます。
しかし、そういう密度の濃い勉強に集中するような生活は、受験前の一年間で十分です。それまでの学年は、勉強に時間をかけて成績をよくしようとするのではなく、ポイントを絞って頭をよくしておくことが大事です。小学校低中学年から塾や習い事で勉強していると、たしかにそのときは成績がよくなるように見えます。しかし、そこで見られる成績の差は、学年が上がり、みんながやる気になったときにすぐに逆転してしまうようなはかない差なのです。
時間をかけて成績をよくするのではなく、重点を絞って頭を良くする、というのが言葉の森のすすめる勉強法です。
では、子供の教育のどこに費用と時間をかけたらいいのでしょうか。
まず、国語、英語、数学、理科、社会などの塾での勉強は不要です。受験期の一年間は集中する学習が必要ですが、その場合でも塾を中心にするとかえって子供の勉強時間に余裕がなくなってきます。受験勉強は、志望校の過去問に取り組み、模擬試験で自分の位置を知るというやり方が最も効果的です。いずれも、中心になるのは家庭です。
受験が直面していない時期の普段の勉強は、自宅で進める勉強が最も安上がりで最も能率のいい勉強になります。英語は、教科書を丸ごと暗唱できるまで繰り返し音読することが勉強の中心になります。数学は、やや難しい問題集をできないところがなくなるまで反復して練習することが基本になります。それ以外の教科は、学校で勉強しているだけで十分です。
子供の教育で費用と時間をかけるところは読書です。読書によって日本語の力をつけることが、家庭学習の最優先の課題になります。しかし、家庭学習の弱点は、読書が易しい読書に留まってしまいなかなか難しい読書に進まないことと、作文を書く機会が子供の力だけではとりにくいことです。また、言葉の森で行っているような暗唱の習慣もなかなか作れません。
そこで、塾や習い事をどれか一つに絞るとすれば、言葉の森で週1回作文を書き毎日の音読と暗唱の自習をして、それ以外は、読書と英語、数学の自学自習を進めていくということが、子供の生活にとって最も理想的な勉強の進め方になると思います。
言葉の森の勉強は、小1から高3まで続けられます。受験期の1年間は言葉の森の勉強にあまり取り組めない時期もあるかもしれません。しかし、受験が済めばまた同じように勉強ができます。長期間同じペースで続けられるというところが、ほかの習い事ではなかなかできない貴重な蓄積になっているのです。
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——学力の中心は読書力、考える力は作文力に表れる——
子供の教育に関しては、将来の社会で通用する能力と、今の社会で通用する能力の両方を考えていく必要があります。それらの能力の中で、最も大事なものは、読書力と作文力です。
まず、読書力です。
読書力、すなわち読む力さえあれば、どの勉強もできるようになるというのが学力に対する基本的な考え方です。英語、数学、理科、社会なども、それらの学力の根底にあるのは、その教科の内容を読み取り、自分のものにする読解力です。つまり、より速くより深く理解する力があれば、あらゆる勉強は半ば以上できているといってもいいのです。
勉強は、新しい、未知の、難しい内容を理解するという面を持っています。また、ほとんどの勉強は、日本語で書かれた内容を理解するという面を持っています。この日本語を読み取る力が、学力の出発点であり、到達点でもあるのです。
小学生のころだけでなく、中学生や高校生になっても、読む力をつけることが勉強の最重点の目標です。教科書で学ぶ内容は、学力の枝葉の部分で、学力の幹となる部分は、読書によって作られています。
読書力のある子は例外なく勉強の成績もよく、しかも、学年が上がるほどよくなる傾向があるのです。
次は、作文力です。
現在、作文の勉強は、学校ではあまり教えられていません。小学校低学年までの日本の作文教育は世界的に見ても充実していますが、小学校高学年から中学生、高校生になると、作文の指導が次第に少なくなってきます。
しかし、学校であまり教わらないから作文の勉強が大事だというのではありません。作文を書く力もちろん大切ですが、
作文力をつける点で最も大事なことは、思考力や理解力を集大成するものとして作文力を育てるということです。
現在の入試でも、単に知識の有無を問うような形の問題はどんどん少なくなっています。今後は、考える力を問うものが更に増えていきます。この考える力が最もはっきり出るのが作文です。
考える力を中心とする国語力の集大成として作文力を育てるという作文の位置づけは、言葉の森の作文指導の特徴です。作文の勉強であればどのようなものでもよいというのではなく、考える力と読む力を育てるために作文の勉強をするということが大事なのです。
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言葉の森では、どのような勉強をしているのでしょうか。言葉の森には、ほかの教室にはないいくつかの特徴があります。
第一は、事前指導を重視していることです。作文を書き出す前に、書く方向をアドバイスします。この事前指導によって、
苦手な子も楽に書き出すことができ、得意な子もさらに高い目標の書き方をすることができます。
第二は、項目指導を中心にしていることです。項目指導とは、作文の中に必要な表現項目を入れながら書く勉強法です。項目が入ればいい作文が書けるというのではありません。項目を入れることによって、個性と深みのある項目を作る力をつけることが目標です。このように
目標の明確な指導を行っているので、子供たちは長期間意欲的に作文の勉強に取り組むことができるのです。
第三は、小学校低学年の作文指導のときから、高学年の感想文や意見文、さらには小論文に発展させる見通しをもって作文指導を行っていることです。作文指導の目標は、高校生になったときにその学年にふさわしい立派な小論文を書く力をつけることです。
小学校のときだけの勉強で終わらずに、生涯続く文章の実力をつけること目標にしているのです。
このような言葉の森の指導をを支えているのは、自宅での準備です。しかし、準備といってもそれほど時間のかかるものでありません。事前に与えられている課題を見て、その課題に合わせて、似た話を考えたり家族に取材をしたりすることです。この
家族に取材をして話をふくらませるというのは、子供たちの考える力を育ててるとともに、親子の対話を生み出す貴重な機会になっています。
言葉の森の指導の流れをひとことでいうと、小学校低学年のころは楽しく書く、中学年のころは表現を工夫して書く、高学年は考えを深めて書く、中学生はより深く考えた意見文を書く、高校生は社会的な問題にまで視野を広げた小論文を書く、という進み方です。一貫したカリキュラムで長期的な指導を行っているのが、言葉の森の勉強の特徴です。
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これまで、作文のテストは、限られたところでしか行われていませんでした。それは、テスト後の採点に手間がかかるために、多人数のテストには採用しにくかったからです。
しかし、
次第に作文テストが入試に採用されるようになってきました。
その一つは、
公立中高一貫校の入試問題です。公立中高一貫校では、これまでの受験テクニックだけでは解けないような本当の実力を見るということから、作文や考える問題を中心に入試問題を作るようになっています。
もう一つは、
高校入試で広がっている推薦入試の際の作文テストです。高校では、少子化に対応して早めに推薦で入学者を確保するというところが増えています。推薦入試で主流となるテスト形式は、作文と面接です。また一般入試でも、作文の試験を本格的に取り入れる学校が増えているのが最近の特徴です。
三つ目に、
大学入試でも推薦の作文小論文が広がっています。大学は、高校以上に少子化に対応する必要に迫られています。そのため、現在ではほとんどの大学で作文小論文による入試を行っています。
四つ目に、社会に出るときに受ける入社試験です。ここでも、エントリーシートや作文の試験が頻繁に行われています。さらに、社会に出てからも、文章書くことに自信があると、さまざまな面で有利です。特に
責任ある立場になれば、文章で他人にわかりやすく説明する能力が必要になってきます。
これまでのペーパーテストは、短期間に大人数を一斉にテストする際に使われてきました。しかしこれからは、少人数をじっくり見る形の評価が中止になってきます。そのときのテストの中心は、作文や面接です。
作文力は、これからますます必要になってきます。
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思考力や創造力など本当の頭のよさは、作文力に表れてきます。小さいころの勉強の目標は、作文力をつけることを基準にして考えていくことができます。
しかし、
作文は、ただ単に書くだけではなく、どのような方針で書いているかということが大事です。
言葉の森は、他の教室とは違ういくつかの特徴を持っています。
第一は、
教材がすべてオリジナルであることです。その結果、受験コースなど臨時の課題に対しても、オリジナルな教材を作ってすぐに対応することができます。
第二は、三十年以上の指導の実績があることです。言葉の森は、今あるいろいろな教室の中では、
日本でいちばん長続きしている作文教室だと思います。その長い実績は、常にその当時の最新の技術や指導法を取り入れて新しい作文指導を切り開いてきたことによるものです。
第三は、
小学校一年生から高校三年生まで一貫したカリキュラムで指導していることです。言葉の森の生徒の中には、小学生のころから始めて高校生まで勉強を続けたという生徒が多数います。このように作文指導だけで一貫した指導体系を持っている教室は、ほかにはほとんどありません。
第四は、
作文指導を、読解力や思考力の指導と結びつけて行っていることです。これは、単に文章書く力をつけるだけではなく、本当に実力のある文章を書く力をつけることを目指しているからです。
第五は、
全生徒について担任制をとっていることです。この担任制によって、小学生時代から高校生になるまでずっと同じ先生が指導を続けるというケースも出ています。担任制をとることによって、その生徒の指導と評価を時間的な位置づけの中で行うことができるようになっています。
第六は、
通信指導を毎週の電話指導によって行っていることです。電話指導を、個人的な規模ではなく組織的な規模で行っているところは、ほかにはまずありません。この電話指導によって、通学教室と同じような指導環境を作るとともに、夜遅い時間でも自宅で学べる仕組みを作っています。
第七は、これらの結果として、
生徒の作品の提出率がきわめて高いことです。生徒の多くは、ほとんど毎週休みなく課題を提出しています。都合により休んだ場合も、振替で電話指導を受けることができるので、ほとんどの授業を消化していくことができます。
作文の指導で大事なことは、その背後にある長期的な指導方針と運営方法です。
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成績をよくするという表面的なところに目を向けるのではなく、もっと根本にある
頭をよくすることに目を向けていれば、必要なときに成績をよくすることができます。
今、世の中で活躍している人で、子供のころからずっと成績がよかったという人はむしろ少数派です。ほとんどの人は、普通の成績で、途中いろいろな脱線を経ながら成長しています。そして、ある日やる気になったときに、猛然と勉強を始めて実力を発揮していったのです。
そのやる気になったときに、ぐんぐん伸びる人と、あまり伸びない人とがいます。
必要なときに伸びる力があることが、頭がよいということです。
小さいころから、時間とお金をかけて、コツコツと成績を積み上げるというやり方だけが勉強なのではありません。小さいころはよい頭を作っておき、必要なときに集中して勉強するというのが最も無駄のない方法なのです。
小さいころから努力して取り組むことが必要なのは、成績を上げるための努力ではなく、頭をよくするための努力です。
では、頭をよくするとはどういうことでしょうか。第一は理解力をつけることです。第二は思考力をつけることです。第三は創造力をつけることです。そして、第四はそれらを表現する表現力をつけることです。
このうち、理解力を除く三つの力、
思考力、創造力、表現力は、主に作文力という形で表面に表れてきます。最近の作文小論文入試では、与えられた文章を読んでその感想を述べるという形が多いので、その感想小論文という形であれば、理解力も作文力の中に含まれます。
逆に、ペーパーテストのような形で見ることができるのは、主に理解力と思考力の一部です。しかし、テストで分かる力というものは人為的なものなので、テストの解き方のコツに慣れているかどうかによって大きく左右されます。テストの点数よりも、普段その子が書いていることや言っていることに接して受ける感じの方が本当の実力が分かるのです。
成績はその子の過去の勉強のかんばり度がわかるだけですが、作文には、その子の本当の実力が表れます。推薦入試で、作文や面接の試験があるのは、そういう事情があるからです。
頭がよいか悪いかは、作文を書く力を見れば分かると言ってもいいでしょう。ですから、
頭をよくする勉強は、作文力をつける勉強ということで考えていくことができるのです。
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成績を良くする時代は終わりつつあります。これからは頭をよくする時代です。
では、なぜ成績をよくする時代が終わりつつあるのでしょうか。
第一は、社会のグローバル化の流れによってです。
江戸時代の藩が県になり日本の一部になったように、現在の日本は、これから、世界の中の一つの国という面をますます強めていきます。日本で名前を知られた大学でも、世界の基準でいうと様々な大学の一つでしかなく、
世界的な基準では、学歴は「参考までに聞いておく」という程度のものになっています。
特に、最近増えているAO入試や内部進学によって、学歴と学力の相関は弱くなっています。さらに、学歴と実力については、もっと弱い相関しかないと多くの人が感じるようになっています。
成績をよくして希望の大学に入ることは、もちろん大事なことですが、それだけでは、まだ出発点の一つに立ったにすぎない、ということなのです。
成績の時代が終わりつつある第二の理由は、流動化した社会が生まれているからです。
学校の成績は、小、中学校のころまでは勉強の仕方次第で、ある程度上位を占めることができます。しかし、
高校、大学と進むにつれて、勉強の仕方よりも、本人の努力や実力が大きく物を言うようになってきます。
P・F・ドラッカー氏氏は、これからの企業の平均寿命は30年程度だから、人間が持っている知識の寿命の方が、勤める企業よりもはるかに長くなるだろうと述べています。
勉強をして、いい成績を上げて、いい学校に入ったらそれでおしまいというのは、過去の時代の話です。これからは、時代の変化に応じて新しい知識や技能を次々と学んでいく形が日常化していきます。
今有利な資格や学歴というものは確かにありますが、一生有利な資格や学歴はない、と考えておくことが大切です。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
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