父母の方から、「学年ごとにどんな本を読ませたらよいか」という質問をいただきました。
以下は、その質問に対してのお返事で、父母の広場に掲載したものです。
読書は多読と難読に分けられます。
多読で裾野を広げ、難読で頂上を高くしていくというのが読書の理想の姿です。
多読のためには、面白いものをたくさん読むことが必要です。
この面白いものの中には、漫画、漫画的物語(怪傑ゾロリなど)、軽い小説(中村うさぎの本など)があります。
大人が見ると一見面白いだけのやや品のない本のように見えますが、読書好きな子は、ほぼ例外なくこういう本も好きです。
面白い本を多読することによって、読書の楽しさを知り、読む力の土台がついてきます。
そして、現代の面白い本と並行して、昔からの名作を読み、更に幅広く読書の楽しさを味わうようにしていきます。名作は、多読と難読の中間に位置します。
名作を読むときの参考になるのが、シリーズ化されている本です。フォア文庫、偕成社文庫、講談社青い鳥文庫などは、これまで人気のあった本をシリーズ化しています。しかし、子供に本の選択をまかせると、書名や表紙だけで選んでしまいますから、親が中身をざっと見てあげる必要があります。
子供が自分では読まないというときは、親が読み聞かせをしてあげます。内容に興味がわいてくると、続きを自分で読むようになります。
難読の初歩は、ノンフィクションです。
書店には、子供向けのノンフィクションの本はあまり出ていないので、図書館を利用します。ノンフィクションというのは、理科の本、社会の本、説明文、意見文の本です。鉄道に興味のある子であれば、鉄道に関する本は多少難しくても読もうとします。同様に、動物の本、虫の本、恐竜の本、歴史の本など、
子供が興味を持っている説明文の本が難読のスタートになります。
説明文の本は事実に基づいているので、どうしても難しい漢字が出てきます。その漢字にルビがふってあれば、漢字を読む力が自然に育ちます。読書好きの子は、学校で習っていない漢字もよく読めるという共通点があります。
説明的な文章を読む力がつくと、成長して自然科学、社会科学、人文科学の本を読むことに抵抗がなくなります。
中高生の説明文も、最初の選択の基準はシリーズ化されたものです。ちくま少年図書館、岩波ジュニア新書、中公新書などで、奥付の印刷回数を参考にするといい本に出合う確率が高くなります。
読書感想文を書かせることには多くの批判がありますが、全国学校図書館協議会がすすめる毎年の課題図書は優れた内容のものが多く参考になります。その年の課題図書だけではなく、過去の課題図書を探すと読み応えのある本が見つかります。
ノンフィクションの本も、過去の課題図書も、書店ではなかなか見つかりません。しかし、図書館を利用して借りて読むだけでは何度も繰り返して読めません。
いい本は自宅に置いておき繰り返して読めるようにしておく必要があります。何度も読みたい本があったときは、アマゾンなどで中古の本を購入するといいと思います。
難読は、国語の入試問題を読む力になりますが、実際には、入試問題に出るレベルの本を自力で楽しみながら読める子はほとんどいません。そこで、国語力をつけるための読書として考えられるのが問題集読書です。読む力のある子は、問題集の問題文を読書のようなつもりで読みます。ただし、普通の読書のように何時間も読むというわけにはいきません。細切れの文章をいくつも読むというのは、一冊の本を通して読むよりも、ずっとくたびれるからです。毎日10ページ又は15分間などと決めて読んでいくと、国語の勉強を兼ねた読書ができます。
大学生になってからの読書の基本は、古典又は原典と呼ばれるものを読むことです。大学の教科書は、知識を整理するためのものです。
教科書以外の原典を自分で読まないと、本当の考える力は身につかないと思います。
読書とは、言語を通して知識や経験を得ることですから、本を読むことに限りません。読み聞かせや対話も、広い意味の読書と言えます。
よく読み聞かせをしていると自分で本を読まなくなるのではないかと心配する人がいますが、そのようなことはありません。たっぷり読み聞かせをして言語経験を豊富にしていくことが、自分で読む読書につながります。その子にとって難しい本であっても、読み聞かせをしているうちに子供が内容に興味がわき続きを自分で読んでしまうということがあります。読み聞かせという形でなければ、子供が自ら決して読まなかったような本でもそういうことがあるのです。
しかし、そのためには、読み聞かせを楽しい雰囲気で行うことが大切です。子供が興味を持てるような本を楽しい雰囲気で読むというのが読み聞かせの基本です。
とは言っても、親もくたびれることがあります。読みたくもない本を子供のために読み聞かせるというのが毎日となると、やはり飽きることもあるのです。そのときのコツは創作です。親が自分で物語を創作して子供に聞かせるのです。人間は何かを創造しているときは飽きません。アドリブで物語を作りながらときどきギャグを入れるというのは、子供にとって楽しいだけでなく、親にとっても知的な楽しい時間の過ごし方になると思います。
私が子供によく聞かせた話は、次のようなものです。
子供:「ねえ、おもしろい話、して」
私:「よし、じゃあ、おもしろい話だよ。あるところに犬がいました。それは、真っ白な犬でした。手も白い、足も白い、背中も白い、お腹も白い、口も白い、鼻も白い、耳も白い、目も白い、何、目も白い? それじゃあ、死んでるだろー(笑)」
子供:「あはははは」
私:「そして、何とその犬は、尾も白かったのです。尾も白い、尾も白い、尾も白い。さあ、言ってみよう」
子供:「おもしろい」
私:「な、おもしろい話だったろ」
子供:「ううん。じゃあ、もう一個話をして」
私:「そうだなあ。では、あるところに、ロイさんという外人がいました。あるとき、ロイさんはたくあんを作ろうとしました。たくあんは、干した大根をたるのなかに入れて塩をまぜて上から大きい重たい石を乗せて作ります」
子供:「あ、わかった。重し、ロイだ」
私:「と思うだろう。それが違うんだよなあ」(とあわてて別のストーリーを考える)
子供:「……」
私:「そこで、ロイさんは、まず百済という国に行きました」(と「くだらない話」に切り替えようとする)
―以下略ー
私自身、子供のころ、母に「桃太郎」の話を何度も聞かせてもらいました。たいていは、話の途中で話している母が寝てしまうのですが、親が話してくれる物語というのは同じものを何度聞いても楽しいものでした。同じ話の反復というのは、言語能力の定着ということで暗唱の学習にも通じるものがあると思います。