作文小論文の自動採点ソフト森リン(もりりん)を開発しているときのことです。
高校生の上手な子の作文をいくつもずらっと並べて見ていました。それぞれの作文にいろいろな計算方法で抽出した語彙の数値が載っています。それらを並べて見ているときに、ふと語彙の多様性と上手さがきれいな正比例関係になっているのに気づきました。
語彙の多様性といっても機械でやっと抽出できるぐらいの数値ですから、人間が目で見ても到底わかりません。しかし、語彙の多様性が高い作文を読んでいると、感覚として「この作文はうまいなあ」と思ってしまうのです。
もちろん、語彙の多様性のほかにも、上手さと相関の高い数値がいろいろありました。考える語彙の多さ、難しい語彙の多さ、文の長さのバランスなど、ある範囲で上手さと相関する数値がいろいろ見つかりました。「ある範囲で」というのは、どの数値も、ただ高ければよいというのではなく、ある程度以上高い数値が出るとかえって読みにくくなる面があるからです。
この結果を、言葉の森の講師数十人にも見てもらいました。その結果、森リンの出す点数と人間の感じる上手さがかなり高い相関になっていることがわかったのです。
語彙の多様性とは、ひとことで言えば、同じことをいろいろな言葉で表すことです。文章力のある人は、文章を書いていて同じ言葉が続きそうになると、それをほかの言葉で言い表すということをよくします。同じ言葉が単調に続くことに、美的にしっくりしないものを感じるからです。
しかし、語彙力(読むための語彙力ではなく、書くための語彙力)の乏しい人は、しっくりしなくてもほかの言葉が思いつかないので、そのまま書いてしまいます。よく、小さい子は、作文の結びを「とても、楽しかったです」と書いて終わりにします。それがよくないというのではありません。語彙力の少ない年齢では、ほかの言葉が出てこないだけなのです。
したがって、森リンの点数を上げるためには、作文を直すのではなく、語彙力を育てるための読書に力を入れていく必要があります。ただし、読むための語彙力は、そのまま書くための語彙力ではありません。読む語彙力を書く語彙力にするためには、何度も繰り返し読むことが必要です。暗唱は、書くための語彙力を増やす勉強にもなっています。
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小学生のころの国語力は、学校や塾の勉強で成績が上がるというよりも、家庭での生活時間の中で上がる面があります。
例えば、毎日1時間は読書をする子と、毎日テレビしか見ないという子がいた場合、1週間で7時間もの日本語生活の質の差が出てきます。この差は、塾で国語の勉強を2時間や3時間しても到底逆転できません。小学生のころの国語力は、身近な文章を読む力ですから、読書や対話ある家庭生活をしている子の方が国語の成績はよくなります。
しかし、中学生や高校生になると、これがそうではなくなるのです。中学生や高校生に必要な国語力は、より難しい文章の読解力になります。ところが、日常生活でそのような難しい文章を読む機会は、どの子も等しく少なくなっていきます。本をたくさん読む子でも、学年相応の難しい本ではなく、軽い読み物ばかりであれば、本を読まない子と基本的には変わりません。
そこで、中学生や高校生になると、意識的な国語の勉強の有無が大きな差になってきます。この場合の意識的な国語の勉強とは、入試の問題に出てくるような比較的難しい説明文や物語文を読むことです。
言葉の森の生徒の中で、小学生のころは国語が苦手だったが、中学生の間に次第に国語の力がつき、中学3年生になるころにはいつのまにか国語が得意になっていたという子がいました。その子は、英語と小論文で難関大学にストレートで合格しました。
国語というのは、学年が上がれば勉強の仕方次第に得意になることのできる教科です。小学校高学年で国語が苦手だという人は、これからの勉強次第だと考えていってください。
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小学校低学年の生徒は、暗唱の自習がすぐにできるようになります。暗唱の長文が事実中心のストーリーのある文章なので読みやすいということもありますが、それ以上に素直に何度も繰り返し読めるということが大きいようです。
中学生以上になると、急に暗唱が難しくなります。それは、中学生や高校生の読む文章が説明文でストーリー性がないことも大きな理由ですが、それとともに、この時期が物事を理屈で理解する時期にあたるからです。これは、大人でも同じで、大人の人が暗唱をする際は、どうしても覚えようとしてしまうために逆に暗唱がなかなかできないということがあります。
私(森川林)は、学生のころから覚えることが苦手で、記憶力に関しては全く自信がありませんでした。しかし、この回数を数える暗唱をしてから、どんな文章でも、ただ早口で自分の耳に聞こえるように反復すれば覚えられるようになるという確信ができました。イメージ記憶という方法を利用すれば、長い文章でも短時間で暗唱できるようになるということもわかりました。
中学生以上の生徒でなかなか暗唱ができないという人は、まず、記憶力の有無の問題では全くないと思ってください。暗唱のコツは、早口で何度も繰り返すことです。
百人一首などで、最初の数文字を言うと、一瞬でその続きを思い出せるという人は多いと思います。暗唱する文もちょうどそういう感じです。最初の数文字を言えば、すぐに最後の「。」までが一瞬で思い出せるというのが理想の読み方です。途中で意味を考えながら次の語句を思い出すという読み方では、長い文章の暗唱はできません。
ただし、慣れもあるようで、最初はなかなか暗唱ができなかった人がだんだんと楽に暗唱できるようになるということはあるようです。シュリーマンも、「古代への情熱」という著書の中で、「最初は記憶する力が弱かったが、大声で音読をしているうちに、長い文章でも数回読めば暗唱できるようになった」と述べています。
暗唱がなかなかできないという人は、声を出して、なるべく早口で、30回繰り返すという方法でやってみてください。また、30回やって暗唱できないという場合でも、反復の回数を増やしていけば必ずできるようになります。今回の暗唱の自習は、決して無理なものではありませんから、暗唱する時間のとれる人は、「暗唱の手引」に沿ってできるだけがんばってやっていってください。
(2021/10/9追加)
暗唱の練習をする上で大事なのは、最初のうちは、必ず元の文章を見ながらすらすら言えるようになるまで暗唱することです。
まだ、すらすら言えない時期に、「もう、覚えられたかな」と思って、元の文章を見ないで暗唱しようとすると、途中で、「あれ、次は何だったっけ」と止まってしまうことがあります。
すると、この「あれ?」という停止が暗唱の中に入って覚えてしまうようになるのです。
もうひとつ大事なことは、最初の数回は、ゆっくり正確に読むことです。
最初に1文字でも読み間違えると、その読み間違いが暗唱の中に入ってしまうので、何回読んでも同じところで読み間違いをしやすくなるからです。
▽暗唱の手引
https://www.mori7.com/mori/mori/annsyou.html
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ありがとうございます。中1で「竹取物語(古文)」で暗唱テストで困ってました。12回目で大体思い出しながら言えるようになりました。ありがとうございました!
その12回で終わらずに30回までやると、思い出さなくても言えるようになります(笑)。
めっちゃ役に立ちました^^
今英語ストーリーコンテストに向けて暗唱をしていたんですけど、
なかなか覚えられなくてネットで探したらこのサイトを見つけて
めちゃ早く覚えられました^^
ありがとうございます
ちーさん、よかったですね。
コツは、同じ調子でなるべく棒読みで早口で繰り返すということです。
覚えたあとは、別にゆっくり読んだり変化をつけたりしてもいいのですが、暗唱している途中はなるべく同じようにやっていくのがコツです。
私は150回くらいしたけど出来んよ!!
回数を増やすか字数を減らすかして再挑戦してみてください。
900字全部だったら、150回でもできない場合があります。しかし、それだって回数を増やせば必ずできます。
皆さんはどれくらいの時間かかるのですか?
ストーリーのある文章なら15回ぐらい、説明文なら30回ぐらいです。
暗唱しております。がすごくむずかしいですよね( ^ω^ )まぁーがんばります。❗️❗️
1日でできますか?
慣れれば誰でもできます。
慣れていないうちは、できないような気がするだけです。
中3で英語の暗唱があり高校に行くための大事なテストでしたが、この方法で難なくクリアできました!35回以上やり覚えれました!
2011.11.5
柊さん、よかったですね。
この調子で、日本語の論説文を暗唱すると、大学入試の小論文のときにも使えると思います。
できました。
ありがとうございました。
頑張って九月ばかりと仁和寺にある法師覚えます‼️
今度暗唱コンクールがあります。
お世話なります。
私は、税理士試験の理論の暗唱で
こちらのページを拝見させて
頂きました。
30回繰り返しの効果を
実感しているところであります。
今までは、最初から少しずつ
覚えようとしていました。
もちろん覚えれますが、
脳へのストレスが、、、
30回繰り返しだと全く覚えようと
していなくとも早口言葉で
言えるようになり
その後、暗唱するようにすると
数回で暗唱できるようになりました。
脳ストレスが明らかに
少ないです。
あとは、毎日の繰り返しですね。
遠回りのような気がしていましたが、確実にこちらの方が楽です。
ありがとうございました。
renbouさん、貴重な実体験、ありがとうございます。
繰り返しの回数30回は、私(森川林)も実際にやってみて決めました。
25回ぐらいまでは、本当に覚えられるかなあという気がしながら読んでいるのですが、30回目になると急に覚えられるようになるという感覚です
貝原益軒が「和俗童子訓」ですすめていた暗唱法は、百字を百回でしたが、現代っ子にはそれは無理だろうと思ったので、30字30回を基本にして、それを繰り返すことにしました。
知識の記憶を必要とする人の多くが、こういう記事を読んでくださるといいです、
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△12月3日現在のグラフ
生徒のみなさんが言葉の森の勉強を続けていく際に、自習の負担が大きいという声がときどきありました。
そこで、この12月より、自習はオプション方式にすることにしました。自習として暗唱を選択した生徒は、その暗唱を毎週先生がチェックします。しかし、忙しくて時間がとれないとかひとりでできないとかいう理由で自習ができない人は、毎週の作文だけをしっかり書けばよいということにしました。
12月3日現在の自習オプションの内訳を見ると、小学5年生までは、自習オプションに暗唱を選択する生徒の方が多くなっています。小6、中学生、高校生は、多忙などの理由により暗唱オプションはなしとする生徒が半数ぐらいになっています。
毎日の作文をしっかり書くだけでも十分に力はつきますから、自習オプションなしとした人は、翌週の作文の準備だけをしっかりしていってください。また、自習オプションは、途中で変更できますから、自分の学習時間との兼ね合いを見て先生とも相談しながら判断していってください。
この自習オプションについては、今後、暗唱以外に、読書日記や問題集読書なども選択できるようにしていく予定です。小学6年生や中高生は、暗唱よりも問題集読書などの方が取り組みやすいと思っています。
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従来の作文指導の弱点は、三つありました。
第一は、コンクールに入選するような上手な子を育てること指導の中心にしているので、クラスの中でうまい子が固定化する傾向があったということです。基礎力がない子は、努力しても報われない感覚を持ちがちでした。
第二は、小学校の生活作文のジャンルでよい作文を書くこと目指していたことです。生活作文では、事実や感情を細かく描写することが中心になります。生活作文が上手に書ける子は、その成功経験が逆に中学生や高校生の説明文や意見文を書くことを妨げていた面があります。
第三は、作文を指導する教師の負担が大きかったことです。作文の添削はかなり時間がかかります。その時間的負担をものともせずに行う献身的な先生によってしか、指導ができないという面がありました。
これらの弱点を克服する道は二つあると思います。
一つは、発表の場を設けるということです。それも上手な子を中心にした発表ではなく、同じ水準の子供たちのグループで発表し合う場を作るということです。その際、作文だけでは読みにくいので、それぞれの作文を書いた子が説明のための四コマの漫画を入れるというようなことも考えられると思います。
もう一つは、基礎力をつけるということです。その方法は、毎日の暗唱、読書、日記などになります。
基礎力が底辺の底上げをし、発表が頂点の引き上げをする中で、初めてその中間の作文指導が効果的に行えるようになるのだと思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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あまりやる気の見られない、何しろ早く書いておしまいにしたいという、いたずら好きの小2の男の子にこんな話をしました。
「いいかい。君が大きくなって、やがてお父さんになるんだ。そうすると、やはり子供が生まれてその子が小学校2年生ぐらいになるんだ。するとある日、その子が、『ねえ、パパが小学校2年生のときは、どんな作文を書いていたのぉ』(子供の真似をして)と聞くんだよ。そこで、君が今書いているこの作文を見せるんだ。すると、その子が、『わあ、パパっておもしろい作文書いていたんだねえ』って喜ぶんだよ。いいかい。そういうことを考えて、いい作文を書くんだよ」
その日は、ていねいな字でしっかり内容のある作文を書いていました。
書き方のテクニックのような話はいくらでもできます。しかし、そういう話をする以前に、いい作文を書こうとする子供の心がいちばん大切なのです。
家庭でも同じです。たくさん書いたらごほうびをあげるとか、出来が悪かったら勉強を増やすとかいうのも、たまにはゲームのような感じで面白いかもしれません。しかし、賞や罰に適応した子供は、賞や罰がなければ動かないようになります。
人間は、心意気で動くときにいちばん力が出ます。話の内容というよりも、その話をしているときの親や先生の雰囲気で心を動かされるのです。
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植物はどうして光のある方に曲がるのか
土の中から、植物の芽が出てきました。芽は光に向かってどんどん伸びていきます。
しかし、もしこれが、上からおおいがかぶせられているところで出てきた芽だとしたらどうなるでしょう。芽は、まっすぐ上に伸びるのではなく、光の差し込む方に体を曲げて伸びていきます。
植物の芽が伸びる方向を決めているのは、植物ホルモンです。
麦の芽の先の方に、オーキシンという植物ホルモンが作られます。このオーキシンは、光が普通に当たっているときは、芽の下の方に移動して芽を伸ばしていきます。
しかし、光が例えば左側からしか当たらないところでは、陰になっている右側の方に移動します。すると、植物の芽の右側だけが成長して伸びていくので、植物は次第に左側に曲がっていきます。こうして、植物は光の当たっている左側に向かって成長するようになるのです。
オーキシンには、下の方に移動するという性質もあります。植物が横に倒れると、オーキシンは倒れた植物の下の方に移動します。すると、植物の地面に近い方だけが成長して伸びていくので、植物は次第に起き上がってきます。こうして、植物は倒れても自然にまっすぐ起き上がるようになっているのです。
「どっこいしょっと」
「あれ、オーキシン君、何してるの」
「横にたおれちゃったから、オッキしてんの」
森林の移り変わり
山火事やがけ崩れなどで、植物がなくなり土の地面がそのまま出てくるところがあります。
そこに最初に生えてくるのは、栄養がなくても成長できるコケです。
そのコケがだんだんと地面に栄養をあたえていくと、次に生えてくるのは背の低い草です。
その草がくさってだんだんと地面の栄養を豊かにしていくと、次に生えてくるのは低い木です。
低い木は更に地面の栄養を豊かにしていきます。また低い木は太陽の光をさえぎらないので、次には光の好きな高い木が生えてきます。光の好きな木には、クヌギ、ナラ、シイ、イチョウ、マツなどがあります。明るいところに生えている木です。
高い木はもっと地面の栄養を豊かにしていきます。高い木は太陽の光をさえぎるので、次に生えてくるのは光の弱い方が好きな高い木です。弱い光の好きな木には、ブナ、アオキ、ヒイラギ、マサキ、ヤツデ、スギなどがあります。暗いところに生えている木です。
では、次に生えてくるのは何でしょうか。弱い光の好きな高い木の下に生えてくるのは、やはり弱い光の好きな高い木です。
こうして、森林は、弱い光の好きな高い木になって安定していくのです。
「あれ、アオキ君、元気がないね」
「うん、がけ崩れで周りの木がなくなったら、急に明るくなっちゃたんでね」
「そうかあ。アオキ君、光が苦手だったもんね」
「もう、青息吐息だよ」
「そんなこと言わないで。ヒッカリしてよ」
花の咲く時期
花は、葉っぱの変化したものです。植物は、葉をしげらせて成長します。しかし、ある時期になると、葉をしげらせることをやめて、葉のかわりに花を作るようになります。
この時期は、植物によって違います。一つは、日が長くなる冬から春にかけて花を咲かせるアブラナやヒメジオンなどの植物で、もう一つは、日が短くなる夏から秋にかけて花を咲かせるアサガオやキクなどの植物です。
植物は、夜の長さがどれだけ長いかによって、花を咲かせる時期を知ります。これを利用して、アサガオを暗いところに置き夜を長くすると、まだ小さいうちに花を咲かせるようになります。
また、キクの夜の時間にときどき明るい電気をつけて、夜が短いように思わせると、キクは冬になってからやっと咲くようになります。
植物には、日の長さに関係なく、温度によって咲く時期を決めるタンポポやヒマワリなどもあります。
では、人間は何によって花を咲かせる時期を決めるのでしょうか。
「うーん。うちのお母さんはいつも笑ってばかりいるから、年中花が咲いているみたいだなあ」
「ゼラニウムみたいなお母さんだね」
体を守る仕組み
人間の体は皮膚によって守られています。食べ物でも、真空パックされたものは長持ちします。それは外から細菌が入り込めないからです。同じように、皮膚も人間の体の中に細菌が入り込めないようにぴったりと体全体をおおっています。
しかし、人間の体にはぴったりおおえないところもあります。それが呼吸をするための鼻やのどや肺と、食べ物を消化するための口や胃や腸です。また、怪我をしたところも、皮膚が破れて外から細菌が入りこみやすくなります。
皮膚のないところから進入した細菌は、条件がいいとねずみ算式に増えていきます。人間の体の中には細菌と戦う細胞がありますが、その細胞が増えるよりも早く細菌がどんどん増えると、人間は病気になってしまいます。しかし、時間がたつとだんだんと戦う細胞が増えてくるので、やがて病気から治っていくのです。
いったん細菌と戦った体には、その戦いを記憶する細胞ができます。その記憶する細胞があると、同じ細菌がやってきてもすぐに戦う細胞を増やすことができます。こうして、人間は病気にかかって治る経験を繰り返すうちに、どんどん強くなっていくのです。
「人間の体ってすごいんだね」
「うん。細菌なんてばいきんみたいなもんだよ」(そのままだけど)
「でも、インフルエンザは手ごわいね」
「そうだなあ。細菌も、最近さあ、いい気んなってんからなあ」
「インフルエンザは細菌じゃなくてウイルスでしょ」
「まあ、そうウイルスぁいこと言わないで」
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今回の森リン大賞の発表で、ベストテンの表示をどのようにするか考えました。
小学校1、2年生の生徒については、順位の表示をはずすことにしました。しかし小学校3年生以上でも、順位の表示をすることにはやはり抵抗がありました。
確かに、競争がゲームを楽しくする効果を持つことも理解できます。私が高校生のとき、定期テストの上位十数名がそれぞれの教科ごとの職員室の前に張り出されるようになっていました。それを見るときの感覚は、競争というよりも明るくフェアなコミュニケーションというようなものでした。
しかし、高校生のように自分というものが確立して、競争というものを相対化して見ることができる時期であれば問題はありません。小中学生のころは、本人の自覚なしに競争の枠組みに追い込まれるという面があります。しかも、ちょうどそのころは、競争に燃えやすい時期でもあるのです。
競争の中で自分を見られている子供は、たとえその子が競争の上位にいたとしても、その子自身がやはり競争の目で社会を見るようになります。
相対化され意識化された競争は向上のバネになりますが、無意識のうちに持つ競争的な世界観は、人間をあまり幸福にするようには見えません。
そこで、競争に頼らない意欲とはどのようなものかと考えました。それが、発表の喜びになると思います。
次回の森リン大賞は、得点上位の表示ももちろんしますが、それ以上に全員の発表という要素をもっと打ち出したものにしたいと思っています。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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